コミュニケーション
「つきしま……、けい」
月曜日の、昼休み。武田先生に頼まれて現代文のノートを運んできて皆に配っていると(運ぶのは武田先生が手伝ってくれた)、ふと、月島のノートの名前を見て、思わず声を上げた。それを、つい月島の席の近くで呟いてしまったものだから、月島に気づかれてしまい、「なに?」と不機嫌そうな声が帰ってくる。
「え、あ、いや、名前が」
「名前? ……ああ、読み方? ホタルじゃなくてケイね。早くノート頂戴」
ムスっとしたまま矢継ぎ早にそう言われ、私はついムッとして、言い返す。読み方が気になったわけではない。
「よ、読み方は知ってたし。そうじゃなくて、えっと……」
なんとなく言いづらくて言い淀むが、ここで止めるのも良くないかもしれないとそのまま続ける。
「月に蛍、ってすごい、綺麗な字面だなと思って……」
「……は?」
意表を突かれたのか、少しぽかんとした顔を向けられる。
あ、この顔はなんか、いつもより毒がなくていいかもしれない。橘が褒めるだけあってやっぱり顔は良いし。背も高いし。個人的にはあんまり背の高い人は怖いので苦手だけども。
「……はあ、そう。似合わなくて悪かったね」
「そ、そんなこと言ってない」
「いいからノートちょうだい」
呆れられてしまったのが声の調子から分かって、少し焦る。一応褒めたのにそんな返しをされると思わず、一気に頭が混乱した。まずい、いやでも急にこんなことを言われてもしかしたら気持ち悪かったのかもしれない。
「ご、ごめん……」
なんだかよく分からないが焦ったまま、とりあえず謝罪を口にしながらノートを渡す。月島はまた少し驚いたような顔をして、バツが悪そうに視線を逸らした。
「何。昨日と全然違うじゃん」
「え?」
「案外メンドくさいやつだねって言った」
いや絶対一回目と二回目言ってること違うけど。ひねくれすぎだろ、と月島を見ていると何だか月島の反応を気にしていたのがバカバカしく思えてくる。よく考えたら月島が名前を褒められて素直に「ありがとう」なんて返してくれるとも思えない。これが月島のデフォルトのコミュニケーションのとり方なのかもしれない。
「……月島もメンドくさいじゃん」
ボソリと思ったことを返すと、ジロっと睨まれた。か、顔の良い人の睨みこわ。
▽
「御国さん!」
放課後、部活に行く途中で名前を呼ばれて、ビクリと肩を震わせる。
やはり、どうにも人から話し掛けられる感覚というのには慣れそうにない。振り向いて微妙な笑みを浮かべると、声を掛けてきた――武田先生は、ん?と首を傾げた。
「どうかしましたか?」
「ああいえ……慣れないなあと……」
「ん?」
「こんなしょっちゅう私を見つけて声を掛けてくる奇人、武田先生くらいですよ」
そう言って苦笑を向けると、武田先生はやはりピンとこないようで首を傾げた。どういうわけか、武田先生は私のことを正常に認識できているらしい。私の場合認識されないのが常なので正常に認識、が正しい表現なのかはさておき。
一、二回ならともかく、こんなに何回も当たり前みたいに見つけて声をかけてこられると言うのはつまりそういうことなんだろう。これだけ私を普通の子と同じように扱ってくる人は初めてだ。
「よく分かりませんが……それで御国さんを見つけてマネージャーに誘えたなら、僕は奇人でも変人でも構いませんよ」
「……先生のそういうところどうかと思います」
「え!?」
こっ恥ずかしいことを笑顔で言ってのけた先生から顔を隠して、悪態をついた。うーん、この先生は羞恥を感じる部分がちょっと麻痺しているに違いない。いやちょっとどころか、かなり。
「いや、まあでも……折角マネージャーになったんで、いつも通りバレー部の皆に迷惑をかけない程度にこそこそ頑張ってみようかなって思ってます」
「こそこそ?」
「はい、そもそも認識されないし、土曜日は良くしてもらいましたけど……やっぱり話しかけるたびに驚かせるのも申し訳ないので」
「そんなの良くないですよ!」
「……え?」
強く止められて、目を瞬く。武田先生は真剣な目で私を見ている。
「しっかり部員とコミニュケーションを取るべきです。人と関わっていくのに迷惑とか、考えなくていいんです。勿論全く考えなくていいわけじゃないですけど……一生懸命話して、仲良くなろうとしてくれる後輩の姿はきっと先輩にとっても嬉しいものだと思いますし。迷惑かどうかは、まずやってみてから考えましょう」
言い切った武田先生を見返して、俯く。そうだろうか、と頭の中で呟いて、逡巡した。
ああでもなんか、この人が言うならそうなんじゃないかと思えてくるから不思議だ。
「……分かりました。ちゃんと、皆と話してみます」
「はい、頑張って下さいね」
後ろから聞こえたその声が、妙にこそばゆかった。
▽
「あ」
武田先生と別れて体育館に向かう途中、ジャージ姿で自販機の前に佇む影山の姿を見つけて立ち止まる。
影山にはどうも、幽霊だと言われた印象が強くて(しかも悪気なしで)苦手意識がついてしまったように思う。正直あんまり話したくない。自分のことをナチュラルに幽霊だと思っていたような、しかもそれを真正面から伝えてきたようなやつとなんか。だけど。
「武田先生と……約束、したし……」
呟いて、頷いた。幽霊呼ばわりがなんだ。今までいることにすら気付かれずに過ごしてきたんだ、今更人からどう思われていようが気にすることなんてない。私のことが記憶に残ってるだけマシじゃないか。幽霊として、でも。
そう無理矢理納得して、影山に近付く。お金を入れて、何かボタンを押そうとしている。私はそれに手を伸ばして、右下端っこのカフェオレのボタンを押した。ガタン、と自販機からジュースが落ちてくる。
「……!?」
突然のことに動揺する影山。バ、と振り返って、少しして、私を認識した。
「ぅ、うわっ!?」
「や、やっほー影山」
「お、おう……御国、だった、よな」
うんそう、と頷きながら、自販機から私の押したボタンで出てきたカフェオレを取り出す。
影山、あの一回でちゃんと名前覚えてたのか。最低もう一回は名乗る覚悟してたのに。
「それ俺の金……」
「あっいや勿論お金は払うんだけど! つい好奇心が行き過ぎて押しちゃったというか、」
勿論お金は払うつもりだったとは言え、やっぱりほぼほぼ初対面でふざけすぎた。塩梅が難しいというか距離感がバグってしまったというか。とにかく間違えてしまった意識が強く、弁解しながらパッと目を逸らして鞄から財布を取り出す。
「いや、いい」
「え」
「奢る」
「い、やいや、大丈夫! 冗談だから! あの、ちょっと……その、コミュニケーションを取ろうと思って! ね!?」
本気で奢ろうとしてくれているらしい影山を慌てて止めるが聞いてくれそうもない。
「いや……ずっと幽霊だと思ってたやつが目の前に現れてびっくりしてたとはいえ……いい気持ちはしねえだろ」
「そりゃそうだけど……え、ずっと?」
そんなに長いあいだ幽霊だと思われてたのかよ、とまた複雑な気持ちになってつい顔を顰める。
「話したのは一回きりだったけどな。それきり見たことはない。だから余計に幽霊だと思ってたんだが……」
「え、話したことあるの?」
「……覚えてねえのか」
「うん……ごめんいつの話……?」
影山は少し黙って、ふい、と視線をそらした。
「俺も覚えてない」
「はあ?」
いや絶対覚えてるじゃん。
▽
「こ、こんにちはー……?」
なんて言って入ればいいかわからず、つい少し小声になってしまう。そのせいか周りに気づかれた様子はない。いや、うん。皆とちゃんと関わるって決めたんだからもっと大声出さないと。ちゃんと……
「こっ、こん…」
「そこ邪魔」
「うわあ!?」
思い切って大声を出そうとした矢先、後ろから声を掛けられて思っていた大声とは違う大声を出してしまった。周りが私に気付く。なんかちがう……
「あ、えっと、御国さん。お疲れ様」
「や、山口……お疲れ様。……それと月島」
月島に驚かされたので少しばかり睨むと、気付いた月島に馬鹿にするような顔を向けられる。
「何その目。入り口で唸ってる方が悪いんでしょ」
「うぐ……」
「あ、あー山口に月島、それに御国。こんにちは」
「あっ、ちわっす」
「こ、こんにちは……」
「……お疲れ様です」
言い合いを始めそうだった私と月島を見兼ねたのか、澤村先輩が仲裁するように話に入ってきた。私の挨拶に合わせるように挨拶をされて更に恥ずかしかった。聞こえるように皆までは言えていないが、言いかけたところは聞こえたようで察してくれたらしい。
後山口ので思ったけど全然「お疲れ様です」で入れば良くないか? なんか無駄に恥かいてる……
「ったく、お前らは影山と日向か。喧嘩ばっかりしてないで仲良くしなさい」
「あの常に勝負してる奴らと一緒にしないでください」
「常に言い合いしてるんだから一緒だろ。月島は会うたび嫌味を言わない、御国は反応しない」
「……ハイ」
「はい……すみません」
納得行かないながらも素直に頷く。なんだかお父さんに叱られている気分だ。お父さんいないからよく分かんないけど。頭を掻いて、少し不満げな顔を見せる。それに気づいて、澤村先輩が笑う。
「御国は結構嘘が吐けないな」
「えっ、あ、いや」
「いや、いいよ。先輩からの説教なんてさらっと聞き流しちゃえば」
「あの、いやその。……す、すみません……」
「あはは、冗談、冗談。まあ二人なりのコミュニケーションの取り方なのかもしれないし、別にいいけどさ。ちょっとは控えような」
「……はい」
やっぱりお父さんみたいだ、と思う。正直記憶のある限りお父さんという存在も仲のいい先輩、というものもいた事はないけど、澤村先輩はちょっと二つ年上とは思えない。二年でこんなに差がつくものだろうか。不思議だ。それともこれが人間性ってやつか。
「なんだ大地〜、早速一年に説教?」
「スガ。いやそんなんじゃ……」
「あ、月島、御国。山口もやっほー」
菅原先輩が割って入ってきて、私達に向けてへラリと笑って手を振る。その可愛らしい仕草に笑みがこぼれて振り返すように手を振った。意外とコミュニケーション、とれているのかもしれない。勿論多少失敗はあるけども。
菅原先輩に苦笑した澤村先輩はパンパンと手を叩いて、月島と山口には練習、私には仕事をするよう促した。今度は素直に頷いて、仕事をしている潔子さんのところに行った。話しかけるとやっぱり驚かれて、苦く笑う。すみません、と謝ると潔子さんは首を傾げた。
「なんで千景ちゃんが謝るの? こっちこそ毎回驚いてごめんね」
「えっ……いや、あの、元はといえばこんな体質してる私が悪いわけで……存在感ないし驚かせちゃって、あの……すみません」
あはは、と口元に笑みだけ浮かべてそう言うと、潔子さんは無言で私の頭を撫でた。え、と顔を上げると、軽く微笑んでいる潔子さん。
「千景ちゃんが入ってくれて私は嬉しいし、助かってるよ。だから謝らなくていい。大丈夫」
「潔子さん……」
嬉しくて、少し泣きそうになった。
大きく頭を下げて、よろしくお願いします、と小さな声で告げた。潔子さんはうん、と微笑んでくれた。美しかった。
▽
その日、二年生ともちゃんと会話をして、それなりには仲良くなったと思う。田中先輩に「千景ちゃんと呼んでも……!?」と聞かれたのは驚いた。怖い人だと思ってたけど見た目だけで、中身は案外そうでもないようだ。
「あ、日向」
「っ!? っ、あ、御国さん、」
「? どうしたの?」
まだ日向とちゃんと話してないなーと思って日向に話しかけると、やはり驚かれた。……が、私に驚いているだけではなさそうなその様子に、首を傾げる。なんだか青い顔をして震えている。体調でも悪いのか。土曜はあんなに元気だったのに……
「あ、いや、」
「? 言えないならいいけど」
「……あ、明日さ、」
「うん」
「れ、練習試合、じゃん。おれ緊張しちゃって、」
真っ青になりながら言われたその言葉に、つい驚いてしまう。何か、日向は勝手に緊張とかしないタイプかと思ってたから。いや偏見なんだけど。なんとかなる!みたいな楽観主義タイプなのかなと。
「試合に出れるのは勿論嬉しいけど……し、失敗とかして迷惑かけたらどうしようって、」
「……」
「おれ、下手くそだから……」
酷く自信がなさそうに、小さくなっているその様子に少し、言葉が詰まる。日向みたいな、あの試合みたいなすごいことができる人でもこんな風に落ち込んでしまうことがあるんだな、と思うと、何か言葉をかけてあげたくて、必死に頭を巡らせる。
「……失敗しない人なんていないんじゃない……かな」
「え、」
「迷惑とか、考えなくてもいい。し……その、もし失敗したら、その時にどうするか考えたらいいんじゃないかな」
……なんて、さっき武田先生に言われたことだけど。私にとってのコミュニケーションも、日向にとってのバレーの練習試合も、突き詰めれば多分一緒なのかもしれない。
でも言ったあとに少しだけ恥ずかしくなって、呆けた顔をしている日向に「なんてね」と声を掛けて立ち上がった。
「明日頑張って、期待してるよ」
結局その一言が追い打ちをかけてしまったことなんて、私は知らない。
「あ、お疲れ様です、御国さん!」
「! た、武田先生」
それから練習も終わり、帰ろうとしたらまた武田先生に声をかけられた。何故かドキリとして、肩を竦める。……な、なんか、変だな。私。
「バレー部の子とコミュニケーション取れましたか?」
「あ、はい。お陰様で……結構話せたんじゃないかなって……」
「! よかったですね!」
「っ、」
まるで自分の事のように喜んでくれるその姿に、私はまた胸が高鳴るのを感じて首を傾げた。なんかこう、むずむずするというか、そわそわするというか。嬉しそうな笑顔を見ると、こっちまで嬉しくなる。夜なのに、武田先生の姿だけ妙に明るく見えた。
「あ、の」
「? 何ですか?」
「……マネージャー、誘ってくれてありがとうございました」
最初は面倒くさかったし怖かったけど、でもこうやって関わりを増やしていけるっていうのはいいことだと思うし、なにより今日、楽しかった。とても。
「はい。こちらこそ」
全部全部、武田先生のお陰だ。