08


 放課後になればレオナと芽唯、そしてグリムもそれぞれの時間を過ごすことになる。
 大きな欠伸を零しながら部活へ向かうレオナを見送り、美食研究会の活動へ向かうグリムと共に途中まで同じ道を歩く。

「今日は何を食べるの?」
「そりゃあ美味いもんに決まってる!」
「グリムの美味しいってあんまりアテにならないからなぁ……」
「にゃんだと⁉」
「だって、変な黒い石食べてるし……」

 グリムはよくわからない黒い石をつまみ食いしていることがある。周りが止めても聞くことはなく、ばりぼりと音を立てながら石に齧りつく。
 到底おいしいとは思えないその見た目からゲテモノと呼ばれていたこともあったし、そんなグリムが研究する美食が芽唯には信用できなかった。

「オレ様のタンキューシンをバカにすんなよ! 絶対子分にも美味いって言わせてみせるんだからな!」
「ちょっと、グリム走らないで!」

 地団駄を踏んだグリムが一気に走り出す。そのまま見送ってもよかったのだが、あの勢いでは誰かにぶつかりかねない。
 仕方がないと芽唯も駆け足でグリムを追えば、その瞬間後ろでガシャンッと何かが割れる音が響いた。

「なに……?」

 振り向けば、先ほどまで己が立っていた場所に何かが落ちている。誰かの落とし物だろうか?
 近づいて、その正体を確かめれば砕け散った鉢植えが転がっていて、芽唯は思わず真上を見る。幸いなことに続け様に降ってくることはなさそうだが、物が物だけに少し心臓が早鐘を打つ。自身も含め、誰にも当たらず運が良かった。

「誰かいますか……?」

 学園内に植物が飾られていた記憶はない。植物園から持ち出したのか、それともサイエンス部が育てたものだろうか。見上げた先に恐る恐る声をかけてみたが返事はない。
 けれど、よく見れば転がっているのは鉢植えだけで肝心の土や育てていたものは見当たらなかった。

「空っぽの鉢植えが降ってきた……?」

 返事はないし、中身もない。疑問だけが残るが割れたものをそのままにしておくのも気が引ける。
 学園内にはグリムやルチウスのような小さな生き物たちも暮らしている。靴を履いた生徒や教師ならともかく、彼らが踏んでしまっては怪我をしてしまう。

「ゴーストに掃除道具貸してもらおっと……」

 しょうがないのでグリムを追うのを諦めた芽唯は来た道を戻り、植木鉢の持ち主もいるであろう校内に戻る。
 清掃を行っているゴーストを見つけて事情を説明すれば片付けてくれるというのでその言葉に甘えることにした。

「でも、変だねぇ。中身は入ってなかったんだろう?」
「そうなんです。サイエンス部とかかな、って思ったんだけど活動場所違いますよね……?」
「校内に土を持ち込まれたら適わんからねぇ。材料として持ち込むにしろ、しっかりと土を落としてからでないと困っちまうよ」

 わしらの仕事が増えてしまうと笑うゴースト達はそう言って芽唯の傍から離れていく。
 一人残された芽唯が首をかしげていると、無人のはずの廊下で己を呼ぶ声が聞こえてきた。

「お嬢さん、お嬢さん」
「……誰?」
「私だよ。奥の肖像画」

 廊下のあちこちに飾られている肖像画。その中の人物が芽唯に語り掛けている。
 声のする方へと歩みよれば大きな髭を誇らしげに蓄えた中年層の男性の肖像画と目が合った。

「君は何か恨みを買ったりしたかね?」
「恨み……ですか?」

 まったく覚えがない。ぱちくりと瞳を瞬かせる芽唯に男性が「ふむ」と声を漏らすとその隣の肖像画も喋り出す。

「恨みなんてのは本人に身に覚えのないこともある。聞くだけ無駄なんじゃないか?」
「この学園の生徒なら多かれ少なかれ誰かに恨みを買うこともあるだろう」

 そうだそうだと他の肖像画も話に加わり始め、無人のはずの廊下に声が溢れる。
 目の前で肖像画が喋りだす。この世界で初めて目にしたときは魔法の世界だと胸が高鳴ったものだが、自分を蚊帳の外にしてあれやこれやと好き勝手に騒がれるのは生きている人同様に気分のいいものではない。

「あのっ! 何か見たんですか!」

 思わず大きく声を張り、肖像画達の声を遮ればいくつもの視線が芽唯に集中する。
 ぎょろりと目玉だけが動くその姿は恐ろしいが、彼らは言葉が通じるし、襲い掛かってくることもない。
 落ち着けと自分に言い聞かせた芽唯は何故そんなことを言い始めたのか、その理由を知る為目の前の肖像画と向き合った。

「見たんだよ」
「ガリガリとした枝のような手足」
「けれど逃げ足は早かった」

 窓の方に視線を送り、次に廊下の奥を見る。恐らく、次々に肖像画達が上げる特徴の人物が先ほどまでここに居たのだろう。

「振り上げて、ガッシャン」
「……もしかして、植木鉢?」

 肯定しているのか、声が止む。芽唯が彼らの見ていた窓に近づき、そこから下を見下ろせばちょうどゴーストが清掃している様子が見え、それと同時に背筋に冷たいものが走る。

「意図的に落とされた、ってことですか?」

 自分に向かって。植木鉢が。
 明確な殺意であるそれに己の身を無意識に抱きしめる。
 この学園の生徒だろうか。いや、そうであるならば彼らはきっと直接名前を口にしている。
 額縁によって文字通りその場に張り付けられている肖像画達は学園内のことをとてもよく知っている。
 それこそ生徒の名前や成績、知られたくない秘密。
 隠し事をするならばゴーストはもちろん肖像画にも気を付けろと入学したての頃にレオナに言われたことを思い出す。
 そんな彼らが断片的な情報しか口に出来ない人物で、その目の前で犯行に及んだということは学園のことをよく知らない者だということは明白だ。

「なんで……」

 学園外の誰かに狙われる理由が思い浮かばない。
 麓の街を除けば芽唯の世界は学園内だけ。外の世界から訪れた人物に命を狙われる理由がわからない。
 徐々に青ざめていく芽唯を気遣った肖像画の一人が静かに沈黙を破る。

「お嬢さん、なるべくあの王子様から離れないように。私たちは手も足も無ければ動く術も持たない。何かあっても助けてあげられないよ」
「わかり……ました」

 忠告ありがとうございます。頭を下げた芽唯は鞄に付けたばかりのお守り袋を握りしめる。
 まずは人が、知り合いがいる場所に行こう。硬直したように重い足を無理やり動かし、建物から逃げるように出た芽唯はまっすぐ運動場へと向かう。
 なるべく窓の近くを避け、何も降ってこないように祈りながら。
 すれ違う生徒達の笑い声がどこか遠くの世界のものに思えてならなかった。

◇◆◇

 広く開け放たれた運動場でなら流石に真上から物が降ってくることはないだろう。
 見えない何かから逃げるように足を速めてレオナの姿を探していた芽唯は漸く一息つく。

「……でも、飛べる人ならそんなの関係ないか」

 補習だろうか。芝生の片隅ではバルガスが見守る中、何人かの生徒が箒にまたがり飛ぼうと試みては少し浮くだけを繰り返している。

「早く先輩を見つけよう……」

 レオナに会って、無理にでも捕まえて学園長にも報告して、身の振り方を考えなければ。
 狙われたという事実に足が竦むが、そうして怯えて震えていれば助けてもらえるだなんて甘い考えはこの学園の生徒に相応しくない。

「メイ、どうした。青い顔して」
「ジャック……」
「何かあったのか?」

 とぼとぼと運動場を歩く制服姿はきっと目立ったのだろう。
 駆け寄ってきたジャック、そしてデュースが芽唯に声をかけた。二人は振り向いた芽唯の血の気の引いた表情にぎょっとし距離を詰める。

「ど、どうした⁉ も、もしかして誰かになにかされたのか⁉」

 肩を掴んだデュースから「おとしまえ」「焼きを入れる」などぽろぽろと物騒な言葉が零れ始め、いつもなら優等生がそれでいいのかと笑ってしまうのに安堵の方が先に来た。

「その……レオナ先輩を探してて……。ちょっと、怖い目に遭ったというか……。何か起きてるかも……みたいな」

 自分で見たわけではない。けれど肖像画達が証言した。彼らには目も口もある。証言台に立つのは難しいかもしれないが、少なくとも芽唯にとってはゴースト達と同じように信用できる存在だ。
 様々な部活がそれぞれ縄張りのようにスペースを区切るように使っている運動場はかなり広い。
 加えて、マジフト部は競技の性質上その範囲が他の部活動よりも多めにとられている。まだ運動場の入り口に立ったばかりの芽唯には山吹色のサバナクローカラーを目印にしてもレオナを見つけるのは困難だった。

「そういうことなら俺がひとっ走りレオナ先輩呼んできてやるよ。どうせ走り込みしてるんだから変わらねぇ」
「ありがとう、ジャック……」
「なら、キングスカラー先輩が来るまで僕はメイの傍にいる」
「あぁ、そうしてくれ。一人で待たせてたら風に煽られただけで倒れそうだ」
「そんなこと……」

 ない、と否定しようとしたが足が震える。友人の傍で安心したからだろうか。あんなに硬くなって重たかった足が今では逆に柔らかすぎて、確かに少し突いただけで折れてしまいそうなくらい脆く思える。

「……部活の邪魔してごめんねデュース、ジャック」
「大丈夫、マブの力になれないよりずっといい。あっちに休憩用のベンチがあるんだ。キングスカラ―先輩が来るまでそこで待とう」

 走り出したジャックに背を向けデュースと二人で陸上部用のスペースで腰を下ろす。
 途中上級生と思われる生徒にデュースがサボりかと絡まれたが、傍にいるのが芽唯だと気づくと察したように「他のやつには言っといてやる」と去っていった。

「あの先輩、サバナクロー寮生なんだ」
「なるほど……」

 レオナ風に言うのであれば躾が行き届いている、だろうか。
 相変わらずサバナクロー生に「姫さん」と呼ばれるのは慣れないが、困っていたら助けてくれるし、レオナという彼らの王様の傍にいることを許されているようで悪い気はしない。
 群れという性質を模したような獣人たちの輪に受け入れられていると少しだけレオナに近づけた気すらする。

「……少し顔色が良くなってきたな。さっきまで卵の殻みたいに真っ白だった」
「心配させてごめん……。ちゃんと後で話すから……」
「もちろんだ。僕だけじゃなくエースやグリム、それにジャックも味方だから」
「うん。わかってる。ありがとう」

 きっと本当はレオナを待たずに何が起きたのかを聞き出したいに違いない。自分だって大切な友人たちに何か起きたのなら真っ先に内容を知りたい。
 それでもデュースもジャックも、迷わずレオナを呼び、彼の到着を共に待ってくれる。
 恵まれた友人関係を噛み締めながら、レオナにどう説明すべきか頭の中で話を整理していると箒に跨ったレオナが衝突するのではないかと思うくらいのスピードでやってきた。ジャックはきっと置いてきてしまったのだろう。かなり後方を走っている姿が目視できる。

「何があった。いや、何をされた」

 ジャックに多少話を聞いたのだろうか。芽唯が口を開く前に事情を知っているかのように心配したレオナの手が芽唯の頬に伸ばされる。
 親指が目尻を撫でるように往復し、自然とレオナと視線が絡む。
 漸く戻ってきたジャックの隣に立ち上がったデュースが並ぶと彼が座っていた場所にレオナが腰を下ろす。

「キングスカラー先輩、後はよろしくお願いします!」
「あァ」

 直角に腰を曲げるような勢いで礼をしたデュースの隣でジャックも静かにお辞儀をすると二人はすぐに己の部活に戻っていく。
 礼を言いそびれたと名残惜しくその背を見送っていると優しく頬が少しつねられる。

「こっち見ろ。……説明出来るか?」
「それが……」

 真っ直ぐなレオナの瞳に促されるまま、ここに来る前の出来事を話す。
 鉢植えが降ってきたこと、肖像画の目撃証言。芽唯が話している間、レオナの尻尾が苛立たし気に揺れ続けた。

「……って感じで、レオナ先輩はどう……思いますか?」

 ぐるぐると喉が鳴る。威嚇している時に出すその音は彼が不機嫌であることを表している。
 お前の勘違いだろう。考えすぎだ。そう否定して欲しかった。けれど、レオナの反応を見るに自分の覚えた恐怖は間違いではなかった。

「教師ども……クロウリーにこのことは」
「まだ、です。学園長も先生もどこにいるのかわからないから。最初は居場所がわかってる先輩に会って安全を確保したほうがいいかなって……」

 まだ狙われているかもしれない。それなのに無防備に校舎の中を宛てもなく歩くより、マジフト部の活動を行っているレオナを捕まえる方が簡単だ。
 おずおずとレオナの運動着の裾を掴む。少し汗を吸ったそれは不思議と不快さは感じない。それどころか安心感を覚える。

「それに……真っ先に浮かんだのがレオナ先輩の顔だったから……」

 誰かを頼らねば自分の身は守れない。腕力でも魔法でも、自分がどこまでも無力なことはよく理解している。もっと勝気な少女であったなら己の力でどうにかしようと孤軍奮闘しただろうか。腕に覚えがあったのなら、返り討ちにしようと策を練っただろうか。
 どちらかと言えば運動は苦手だ。腕力もない。異性どころか同性にだって身体を使って争うことになったら勝てないのが目に見えている。
 不安な心のまま、レオナの服を掴む力を強めれば上からレオナの手が重ねられる。裾を握る手は解かれたが、代わりにレオナの指が絡まる。思わず顔を上げれば、それまでの苛立ちが嘘のように口角を上げたレオナが目に入った。

「恋人に真っ先に頼られるってのは悪くねェな。すぐに他人を頼ろうと思った判断も間違ってない。自分が非力な存在だってことを理解して、確実に守ってくれる強者に助けを求められるのはちゃんと頭を使ってるってことだろ」

 不安に思ったことを的確にレオナの言葉が拭っていく。そのまま掴んだ手を引っ張るようにレオナが立ち上がれば引き上げられるように芽唯も自然と立ち上がる。

「まずはクロウリーを捕まえるぞ。部外者が入り込んでるのは間違いねェ。セキュリティがどうなってんのか問い詰める」
「あ、あの、部活は大丈夫なんですか? 部長ですよね……?」
「あ? ラギーがなんとかするだろ。俺が抜けたくらいで騒ぎ立てるような部員の躾はしてねぇよ」

 迷いなく歩き出したレオナはクロウリーの居場所がわかるのだろうか。急に運動場に背を向け歩き出すので芽唯が思わず振り向けばデュースとジャックがこちらに手を振っている。
 引きずられる形でとぼとぼと歩きながら手を振り返し見ていれば、遠くの方で箒に跨ったラギーも同じようにしているのが見えた。レオナの言う通り、部長の不在は差ほど騒ぐ事態ではないらしい。
 快く見送られたことに安堵した芽唯が少し駆け足でレオナの隣に並ぶ。追いついてしまえばレオナの歩くスピードは自分に合わせてくれているのでもう駆ける必要はない。
 歩きやすいように手を繋ぎ直して寄り添えば、頭上でレオナがふっと笑う。

「ったく、青っ白い顔してたくせに随分調子がいいみたいだな」
「だって、レオナ先輩が傍にいてくれればもう何も怖くないじゃないですか」
「そうかよ」

 来るときはあんなに不安だった道中をまったく別の気持ちで歩く。足が軽い。

(王子様から離れないように……か)

 肖像画の忠告を思い出した芽唯はレオナの顔を仰ぎ見る。

(離れられないよ……。こんなに安心できる場所……)

 誰になんと言われても手放したくない。元の世界が恋しくて、別れることを前提に日記を書き連ねていた頃の自分が見たら驚くだろうか。いや、納得してくれるかも。
 かつての自分は既にこの王子様から離れがたくて、それでも元の世界に残してきた母や友人が恋しくて板挟みになっていた。
 自分の意志とは別に帰らなくてはならない可能性だってきっとある。
 今でもその状況は変わらないのに、レオナの傍にいるだけで抱えた不安は全部なくなってしまう。
 きっとレオナがどうにかしてくれる。期待や信頼で温かい気持ちになれる。レオナの隣はそんな場所だ。
 分不相応なことはわかっている。挙げればきりがないほどレオナの魅力は数多く、比べて自分は平凡だ。問題だって山ほど抱えている。
 それでも、レオナ本人がこんな面倒な女が良いと言ってくれた。
 彼の隣に立っていいのだと、己を肯定するのにこれ以上の理由はない。

(絶対、離れないよ)

 誰になんと言われても、どんなに辛い状況に立たされたとしても譲れない。
 力も牙もないけれど、レオナが求めてくれる限り彼の隣は自分だけの場所だ。

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