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 事情を話せば我が事のように怒ってくれた友人。そしてサバナクロー寮生に守られた芽唯の日常は平和そのものだった。
 魔法が暴発しても、誰かが魔法薬を零しても、芽唯に脅威が降りかかる前に周囲が退ける。
 しかし、初めの二、三日は強かった警戒も学園生活上で考えうる危機以外が起きない時間が長く続けば少しずつ気が緩む。
 そんな周囲の心とは裏腹に、もう大丈夫なのではという安心感と解決していない不安感に板挟みにされた芽唯本人の気持ちだけは摩耗し続けていた。



「平和すぎて拍子抜けなんだゾ」

 机の上に座り込み、パンに齧りついたグリムが不満そうに尻尾を机に叩きつけた。ぺちぺちと音を立てるそれを煩わしそうに掴んだレオナは息を吐くと軽く舌打ちをする。

「ならお前はこいつが危険な目にあった方が良いって言うのか? あ?」
「そんなこと言ってねぇんだゾ! その、あっちからやってきてくれねーと反撃も出来ねぇってことだ!」

 ぽろぽろと頬に付いたパンくずを落としながらグリムが慌てて言葉を紡ぐ。必死に捻りだしたであろう言葉だったが的を射ている気がした芽唯が頷く。

「確かに、今もどこかに潜んでるんだと思うと気味が悪いし……このままじゃ何も起きないけど解決も出来ないですよね……」

 クロウリーが肖像画達から得た情報はすぐに芽唯達、そして学園中のゴーストや肖像画に伝えられた。
 ひょろひょろの手足、ボロボロの服。芽唯に伝えてくれた情報以上目新しいものはなく。また潜伏先も不明で何一つ新しい情報を掴めていない。

「夕焼けの草原から来た刺客でその特徴ならまずスラムの人間ってのは間違いねぇんスけどね……」

 どこか冷めた目をしたラギーは己の取り分の料理をかき込むように口に大量に含んでは咀嚼する。
 空になった皿を見つめる瞳はどこか遠くを見ているようで落ち着かない。

「オレから言えんのは『間違いなくなんでもやる』ってことくらい……。自分の為、家族の為、食いつないで生きるために必死な場所に住んでる奴らッス」

 ニッとわざとらしく口角を上げたラギーの袖から覗く腕がやけに目に入る。
 レオナの物を譲り受けたという制服から見え隠れする腕はレオナとの体格差を差し引いても非常に細く、彼が口で語る以上にスラムという環境がどれほど過酷なものなのかが嫌でも想像出来てしまう。

「お偉いさんからの依頼ってことは払いもいいだろうし、事件も適当にもみ消される……とか思ってんのかな。オレならンな仕事怪しすぎてごめんスけど」
「怪しい……ですか?」
「めちゃくちゃ怪しいッスよ。ゴーストを騙して潜入するための道具もどうせ雇った奴が用意したんだろうけど、帰りはどうするとか、もし失敗して捕まったらとか。そういう後手の部分はぜーったい空っぽ。それどころか成功してなんとか帰国しても口封じとして最悪消される可能性だってある」

 指折りながら自分で考え付く数多の可能性を上げ、ラギーは刺客が引き受けたであろう内容の危険性を強く説く。
 そんな危険な仕事でも引き受けなければいけないほど生活に切羽詰まった人なのか、それともそこまで考えが及ぶほどの教育を受けることが出来なかった人なのか。
 スラムという存在が異国や物語の世界だけの話だった芽唯には理解できない部分が多いが、背に腹は代えられないと言うし、それだけ危険な仕事を……誰かを傷つける仕事を引き受けてでも守りたい暮らしや家族がきっといるのだろうと想像することしかできない。

「私を傷つけることで……生活が守れると信じて……でも罠かもで」

 なんだか夢みたいな話しだ。
 どこにでもいる普通の女の子でしかなかった芽唯がまるで賞金首のように景品を餌に狙われている。
 そして狙い道理にその首を討ち取ったところで得られるものは幻想かもしれないなんてまるで悪夢だ。
 ちまちまと食べ進めていた手がついに止まり、自然と視線が下がっていく。
 自分の置かれた状況も、誰かの悪意も、それに利用されてる人も、全てが暗く重くのしかかる。

「お前ならもっと美味い仕事を見極めて選ぶもんなァ、ラギー?」
「もちろんッスよ! じゃなくって!」

 ククッと喉を震わせて笑うレオナにラギーが机を手のひらで叩いて反論する。ガタンッと揺れた食器に驚き思わず顔を上げれば二人とグリムの視線が自分に向いていた。
「あーっと……」言葉を探すラギーが続けて「いてっ」と肩を跳ね上げる。レオナが机の下で彼の足を踏みつけたからだ。
 二人のやり取りを気にすることなく口をもごもごと動かし、食事を続けていたグリムは口の中の物を呑み込むとおもむろにデザートの皿へと手を伸ばす。

「子分はしょうがねぇ奴なんだゾ。オレ様のプリン分けてやるから元気出せ」

 彼用の小さなスプーンですくわれたプリンが芽唯の口元へ向けられる。

「ありがとう……。でも、それはグリムが食べて? 私は自分の分があるから。気持ちだけもらっておくね」

 小さな親分がいつもデザートを楽しみにしているのに分けようとしてくれた。その気持ちだけで充分胸がいっぱいだ。

(私が落ち込んでたら心配させちゃうよね……)

 グリムの小さな頭を撫でながらレオナとラギーの方を見れば、自分の様子を窺う様な視線が向けられている。
 グリムだけでなく二人にも心配をかけてしまったことに気付いた芽唯が困ったように笑えばラギーもレオナも眉間に皺を寄せた。
 みんなが守ってくれているから身の危険はあまり感じていない。
 けれど、硬直したままの状況にもどかしさを覚える程度の時間はとっくに過ぎた。せめてこの騒動の解決の糸口を早く見つけ出したい。
 まるで出口のない迷路に閉じ込められたような気分を諫めるため、己の分のプリンに手を伸ばした。

◇◆◇

 咲き誇る薔薇は赤。艶やかなケーキに温めたカップに適温で注がれた紅茶。ティーポットには眠り鼠を入れ、鼻に塗るジャムも忘れずに。

 ──なんでもない日という名目で開催されたティーパーティー。

 入学した時よりは緩く、それでも厳しいルールの元開催されるそれが自分の為だということに芽唯は気づいていた。
 右隣にグリム、そして左隣では珍しく一緒に招待されたレオナがつまらなさそうに庭を見渡し「それなりだな」と零す。曖昧な言葉は悪く受け取るものもいるだろうが、これはレオナなりの褒め言葉だと芽唯は知っている。

「メイ、足りないものはない?」

 ティーポットを片手に持ったエルが芽唯のカップに紅茶を注ぐ。並々と満たされた黄金色の水面がゆっくりと机に降ろされる。

「大丈夫だよ。ありがとうエル。本当は私もお手伝いしたいんだけど……」
「君はゲストなんだから、そこでじっとしてて」

 じゃあ、と手を振ってエルがすぐに離れていく。同じように顔見知りが何度も声をかけてくれるのは自分を心配してのことだろう。
 次から次へとテーブルにケーキやお皿を運んでくれる寮生たちは笑みを見せれば「楽しんで」とだけ告げ去っていく。

「気を遣わせちゃってますよね」
「こういうのは黙って受けてやるのが礼儀だ」
「……そう、ですよね」

 だからレオナも付き合ってくれているのだろう。世話しなく走り回る寮生がようやく準備を終え、リドルがパーティーの開幕を宣言すればトレイ手作りのケーキが皿を彩り甘い香りが鼻孔を擽る。

「いただきます……!」

 小さく手を合わせ作り手であるトレイと招待してくれた友人たち。なによりパーティーを催してくれた寮生とリドルに感謝をささげる。
 フォークを刺せば力を籠めることなくするすると解けるように一口サイズに切り取れたケーキを口に放ればそれだけで幸せだと思えてしまう。

「トレイ先輩のケーキってやっぱり魔法みたい」
「おかしいな、まだ魔法はかけてないはずなんだが」

 近くの席に居たのか、照れくさそうにズレた眼鏡を上げ直したトレイがこちらを見ていた。

「元気出たか?」
「はい! こんなおいしいケーキ食べて『ダメでした』なんて言ったら色んな人に怒られちゃう」
「大げさだな……。でもよかったよ。俺は学年も違うからあまりサポート出来ないし、犯人探しも難航してるからこんなことしか出来ないけど……」
「そんな……十分です! むしろ凄いです!」

 華やかな会場は見ているだけで気分が躍るし、トレイのケーキはとてもおいしい。時間があればフラミンゴとハリネズミを使ってクロッケー大会だって開かれる。不必要なまでに厳しいルールから解放された『なんでもない日のパーティー』はいつでも芽唯に元気をくれた。

「エースやデュースからキミの元気が無いからパーティーを開きたい……と言われた時には驚いたけど喜んでもらえたようだね」

 芽唯とレオナの目の前。空席だった場所にリドルが腰を下ろす。
 その両サイドには名前の挙がったエースとデュースが既に座っていて、芽唯の周りには見知ったメンバーが揃う。
 黒と金、そして真っ赤な薔薇と純白の薔薇を彷彿とさせる寮服を身にまとう彼らに囲まれた自分とグリムにはすっかり慣れたが、山吹色のベストを着こんだレオナが隣にいるのが珍しい光景でなんだか不思議な気分にさせられる。

「みなさん、ありがとうございます。迷惑かけてるのに凄くよくしてもらって私……」
「お前が気にすることないっしょ。悪いのは全部人の恋路にちょっかい出してくるうざいやつだし?」
「そうそう、メイちゃんとレオナくんは胸張ってお付き合いしてればいいよ。けーくんがめっちゃ映える写真撮ってあげるからマジカメにアップしちゃえば?」
「そ、それはちょっと……」

 スマホのカメラを向けてくるケイトはどこまで本気なのか。
レオナが自ら恋人との写真をマジカメに上げるタイプとは思えないし、芽唯もあまり積極的にそういった行動をするタイプではない。それに王子としてレオナの知名度が多少なりあることを考えればあまり派手なことをするのは得策ではないだろう。

「……なーんて、けーくんなりの冗談なんだけどね。個人情報とかちょー怖いし。でも、思い出として二人の写真をいっぱい撮っておくのはマジでオススメだよ」

 シャッターを切る音と同時にレオナの「勝手に撮るな」という静止の声がかかる。
 しかし、そんなことは知ったことではないと言わんばかりにケイトは手元の操作を進め、芽唯のスマホが彼から何かが送られて来たことを知らせる通知音を鳴らす。

「わっ……」

 タップして開いた画像の中には不満そうな顔のレオナと驚いた自分の姿が収められていた。
 監督生の仕事として自分が撮る側に回ることは多々あるが、撮られる側に回ることがあまりなかった芽唯は被写体としての自分が珍しくて食い入るように画面を見つめる。

「二人って結構お似合いだよね。一緒の画角に入っててバランスが良いって言うか……美女と野獣?」
「ダイヤモンド先輩、それだとキングスカラー先輩が野獣ってことになりますけど……」
「獣人属だし分類的にはあってるんじゃない?」
「そんな適当な……」

 確かに同じ獣という文字が入っているがどうなのだろうか。デュースのツッコミも気にしないケイトが盛り上げた場は芽唯も含めて笑顔に満ちていた。
 何を言うでもなく、止めることもなく会話を見守っているレオナも怒っているということはないだろう。

「先輩、パーティー来てよかったですね」
「そうかよ……」

 声をかければ芽唯の手元をじっと見つめたレオナが「……あとで俺にも送っとけ」と小さく呟く。
 あえて芽唯からデータを貰おうとするのはそれを伝えればケイトが調子に乗ると思っているからだろう。

「ふふ、わかりました。じゃあいっぱい撮ってもらわないと」
「余計なことは言わなくていい」

 ぺちんとレオナの尻尾が背凭れ越しに芽唯を軽く叩く。
 楽しい会話と甘いケーキ。そこに恋人とのやりとりが加わればそこには幸せ以外に何もない。

「あ、空っぽ……えっとお茶は……」

 話が弾めば喉が渇く。飲み干してしまったティーカップに気付いた芽唯は近くのティーポットへと手を伸ばした。
 隣のグリムはケーキを食べることに夢中で飲み物は減っていないし、背凭れに身を完全に預け腕を組んでいるレオナもあまり進んでいない。向かいの席は気にするほど距離が近くないので割愛し、自分のカップにだけお替りを注ぐ。
 魔法がかかったティーポットには時間が経っても湯気が出るほど温かい紅茶が入っている。適温で蒸された茶葉から旨味が抽出された黄金色の液体でカップが満たされる。たったそれだけのことでまた気分が良くなるのだから人というものは不思議なものだ。
 喉を潤せばもっと満たされるはずだとキラキラと艶が出るほどに磨かれたカップに口を付ける。

「あつっ」
「おい、気を付けろよ」

 舌先に触れた紅茶が想像以上に熱く、思わず唇を離した。口に含んだ少量を熱さに耐えながら喉に通してカップを置けば少し舌先がひりひりする。

「ったく、なにしてんだ……」

 いつもなら注いだ時点で適温になっているので油断していた。少し冷ますべきだったかなと反省し、呆れたように目を眇めたレオナに笑い返そうとしたとき、芽唯は違和感を覚えた。

(あれ……?)

 舌先だけでなくじりじりと喉が焼けるように痛い。
何か熱いものに押し付けられているような、じわりじわりと鉄板の上で焼かれているような、徐々に水分を奪われていく。そんな痛みが喉に走る。上手く空気が吸えなくて、段々と呼吸も苦しくなる。
あまりの痛みに耐えかね身体が自然と縮こまり、地面にはぽたりと額から滴る汗が落ちた。

「っ……ぁっ……!」

 ヒューヒューと息が漏れる音が零れ、必死に空気を求めるたびに焼け落ちるような痛みが喉を苦しめる。
 燃えるように喉が痛い、息が出来ない、呼吸をしても喉が痛い。最悪な悪循環に陥った芽唯は目の前が徐々に白み始めていく。

(喉が……くるしっ……)
「メイ……? メイ!」

 事態に気付いたレオナが椅子を跳ねのけ立ち上がり、ガタンと大きな音を立てて倒れた椅子に会場が騒めき始めるが芽唯にそんなことを気にする余裕はない。
 痛む喉に手を当て、苦しみに耐え続けついに全身から冷や汗が流れ落ちる。

「おい、どうしたっ……!」

 土がつくことも気にせず芽唯の前に膝を付いたレオナが肩を掴んで無理やり顔を上げさせれば芽唯の顔は苦悶に満ちていた。
 眉間に寄せられた皺が痛々しく、唇が何かを訴えるように震えている。しかし、そこから音が発せられることはない。

「苦しいのか? おい、メイッ!」
(たす……けっ……!)

 パクパクと必死に唇を動かしても音が出ない。ざわつく周囲の声が意識から遠ざかる。
 痛みと混乱で上手く息をすることもままならない芽唯の白く霞んでいく世界の中でレオナのサマーグリーンの瞳だけが最後まで輝いていた。

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