13


「メイ、大丈夫か?」

 声が出せないことの不便さを感じたのは友人たちと合流してからすぐだった。
 パクパクと唇を動かしても彼らは当然何を言っているのか理解してくれない。
 サバナクロー寮にいる時はレオナが共に居るおかげで彼には伝わっていたし、下手をすれば言葉にする前に自分の心を先読みされることすらあった。
 しかし、授業は流石に学年が違うためそうはいかない。エース達と合流すれば、レオナは後ろ髪引かれながらもラギーに連れていかれて己の教室へと向かうので傍にいない。
 スマホを片手にメモへ逐一打ち出しながら会話をするとなるといつもよりワンテンポずれが生じる。そんなことを数日繰り返し、やっと慣れてはきたがスムーズとまではいかなかった。

『大丈夫だよ。喋れない以外体に不調はないもの』
「ならいいんだが……」

 心配そうに眉根を寄せたデュースは荷物をまとめる手が完全に止まっている。

「過保護なのもいいけど、早くしないとヴィル先輩怒り出すぞ」

 そう言ったエースは既に身支度を終え立ち上がっていた。それを見て芽唯も慌てて荷物をまとめグリムを抱える。
 廊下に出れば授業中と同じくエースとデュースがそれぞれ左右を埋める。鉢植えが落ちてきて以来、二人はずっとこの体勢を取ってくれているが、なんでもない日からさらに警戒心が高まったように思う。
 ギラギラと周囲を睨みつけるデュースの迫力が凄く、一部の生徒は蜘蛛の子を散らすように去っていく。

「今日はヴィル先輩のとこ送ってったらオレらはお役御免だっけ?」
『部活が終わり次第レオナ先輩が迎えに来てくれるはずだよ』

 歩きながら文字を打つのにもだいぶ慣れてきた。画面を見せれば「オッケー」と頷いたエースが「にしても……」と言葉を続ける。

「いつになったら治るのかね、その喉」

 微量しか飲んでいないのにやけに効果が強い。そうクルーウェルが唸っていたのが数日前。
 本来ならば摂取した量によって継続時間が異なり、ほんの一口含んだだけならばとっくに効果が切れていてもおかしくないのだと彼は語っていた。

『ごめんね迷惑かけて。不便だよね』
「そ、そんなことない! 声を聞けないのは寂しいけど、迷惑だなんて思ってない! そうだよな!」

 慌てたようにデュースがエースの背をどんどん叩く。痛いと抗議の声が飛んでくるがデュースは聞こえていないのか。やめるどころか叩く力が増していく。

「っもー! いい加減にしろっつーの! せんせー、デュースくんが殴ってきます! 暴力反対!」

 わざとらしく茶化すようなエースの声が廊下に響く。本気で怒ってるような、ふざけているような。いつものやりとりに自然と笑みが零れてしまう。
 くすくすと笑う声こそないが、二人のやりとりに笑いだす芽唯にデュースとエースはもちろん。彼女の腕の中のグリムも安堵して息を零す。

「……別にオレら迷惑とかマジで思わないからさ。どっちかっていうとただ心配つーか」
「お前が落ち込んでるとその方が迷惑なんだゾ」
「グリム、お前言い方ってもんが……」
「本当のことなんだゾ。レオナだって笑ってる方がいいって毎日言ってるの忘れちまったのか?」

 どうなんだと問いかけるアーモンド形のくりくりとした瞳が腕の中で芽唯の顔をじっと見つめる。

「(そうだね……)」

 あえてスマホに打ち込まず、唇を動かした芽唯は静かに頷く。
 声が出なくなってからはやり取りの不便さや不安。改めて狙われていることを実感した恐怖で些細なことで気持ちが暗くなることが増えてしまった。
 レオナの隣に居れば安心感に包まれるが、彼には彼の、芽唯には芽唯の生活がある。四六時中共にいることが出来ない中、日常を過ごしていくうちに自然と視線は下がってしまう。
 夜が来るたびレオナに甘やかされ、朝日が昇ると現実に引き戻される。ジェットコースターのように上がり下がりの激しい気分に時折感情がついていかなくなる。
 それでもレオナは笑えという。穏やかな笑みを浮かべ、慈しむように優しく触れ。何度も、何度も。

「笑ってる方がいいねぇ……。それってお前自身にとって? それともレオナ先輩?」
『どっちだろう』

 言葉の最後にニヤリと口角を上げたエースに芽唯は肩をすくめて自身も笑いながら返す。

「キングスカラー先輩が絡むとメイはすぐに笑顔になるな」
『うん!』

 今の芽唯の原動力はレオナが好きという気持ちだ。
 今回のゴタゴタはそのレオナとの関係が問題となっているのだが、それはそれ、これはこれ。
 レオナがいるから怖くても頑張れる。レオナがいるから笑顔になれる。

「(好きだなぁ……)」

 ぽつりと唇だけ動かして今頃部活に励んでいるであろう人の背を思い出す。

「ほら、好きだなんだ惚気てないでさっさと行こうぜ!」

 肘で芽唯を突いたエースがその手を取り少し早足で歩きだす。

『声に出してないのになんでわかったの⁉』
「んなもん顔見りゃわかるっしょ!」

 なぁ!とデュースにエースが目配せすれば慌ててついてきた彼も頷く。

「結構顔に出てる!」
『そんなことない!』 

 鏡舎へ向かう三人と一匹。芽唯の腕の中でグリムはその声を聴いて微睡んだ。

◇◆◇

 エースとデュースを見送れば、代わりにルークが芽唯をエスコートしてくれる。
 と言ってもヴィルの部屋に付くまでの短い距離だが遠慮したところで「警戒を怠ってはいけないよ」と注意深い狩人は窘めてくるだけだろう。
 通い慣れた廊下の先、扉をくぐれば優雅に足を組んでいた部屋の主が姿を現す。ヴィルが片手を上げれば閉まる扉と共にルークは去っていく。

「お茶会はしばらく出来ないと思っていたのだけれど、案外早かったわね」
『こんにちは。突然すみません』
「別にいいのよ。アンタもレオナとじゃがいもの相手ばっかじゃ飽きちゃうでしょ」

 恋愛相談という名のお茶会はレオナと恋仲になった今でも続いていた。レオナは弱みを握られるようだと良い顔をしないが、マブ達には少し話しにくい話題でもヴィルになら不思議と話しやすく、相変わらずヴィルとは定期的に同じ時間を過ごしている。
 ヴィルに促されるまま机を挟んで向かい側の席に座った芽唯は降ろした鞄を枕にグリムを寝かせる。
 相変わらず親分は夢の中に連れ込まれてしまう時間が長い。

『そういうわけじゃないんですけど……、ちょっと相談というか……お願いというか……』
「お願い?」

 必死にスマホに文字を打ち込みヴィルに画面を見せていく。
 幾度かに分け繰り返すとヴィルは芽唯の顔をまじまじと見つめ息を吐く。

「なるほどね……。あの男にそんな特技があったのは良いけど、見つめられて困ってる、と」

 目を細めたヴィルの視線が芽唯の唇に注がれ思わず手で隠した芽唯だったが、彼の視線が鋭くなったので観念してゆっくりと外す。
 今自分の唇はどうだろうか。乾いてないだろうか、荒れていないだろうか。あろうことか皮がめくれでもしていたらヴィルから烈火のごとく罵声が飛んでくるに違いないので大丈夫だと信じたい。

『レオナ先輩とのお話はすごく楽しいんですよ』

 芽唯の声が出なくなった分、レオナから話してくれる時間が自然と増えた。周囲が寝てばかりと言うが、彼の話の引き出しの数は非常に多く。そんな言葉が嘘のように思えた。
 狙われ始める前からも時折レオナの部屋に泊まることはあったが、その時話すのは芽唯自身のことが多かった。今はそれが逆転し、レオナの色々なことを知れるので声が出せないのも案外悪くない。
 それにレオナとのやりとりにはスマホが不要だった。唇の動きで相手の言いたいことを音なしで理解する読唇術。彼はそれを平然とやってのける。
 すごいな、流石レオナ先輩。最初の夜はそんなことを気にする余裕もなかったし、事件の疲れもあってそんな風に思っていた。
 けれどその事をエースとデュースに話すと思わぬ言葉が飛んできた。

『ってことはおじたん、お前の唇ずーっと見てるってことじゃん』

 まさに寝耳に水だった。
 言われた直後、少し時間が止まった気さえした。

「そ、そうだよね⁉」と大声で叫びだしたい気分だった。実際には声は封じられていて、無理に音を出そうとしたせいで少し喉を傷めたがこの事はレオナには内緒だ。

『唇を見られてるって、そのことを意識し始めてから気が気じゃなくて……』
「元々キスを迫られて焦ってたのに、ほんとアンタって不運よね」
「ッ……!」

 ぶわっと顔に熱が集中する。真っ赤になった芽唯を気にすることなくヴィルは魔法でいくつかのコスメを手繰り寄せる。

「鈍いアンタが気づくほどわかりやすく、けれど傷つけないように無理やり踏み込みはしない。相当我慢してるだろうに未だにご褒美を貰えないなんてアタシでもレオナに同情しちゃう」

 何本か机に並べたヴィルは適当に選んだ物のキャップを外す。くるくると底を回せば真っ赤なルージュが顔を出した。

「いっそのこと待てが出来たご褒美にアンタの方から熱烈なのを贈ってあげたら尻尾を振って喜ぶんじゃない?」
『む、無理です!』

 首を必死に横に振れば「アンタにこの色はまだ早いわね。チークも不要なくらい真っ赤になっちゃって」と冷めた目でキャップを閉じてポーチへと投げ入れる。
 ポトリと音を立てて消えたルージュ。けれどまだ何本も机の上に並んでいて居心地が悪い。
 膝の上に行儀よく並べた手をぎゅっと握りしめた芽唯は握りしめていたスマホに改めて文字を打つ。

『普通にリップクリームでいいんです。匂いがするのは嫌だろうし、色がついてるのもなんか……ちょっと恥ずかしいし……』

 意識し始めてからリップを塗る回数がとても増えた。レオナに会う前、少し席を離れた時、食事の後にだってもちろん塗って。そのせいでヴィルに以前貰ったものがだいぶ早く短くなってしまった。
 なくなったらすぐに言うこと、という約束の元頂いたのでこうしてポムフィオーレを訪ねたのだが、案の定根掘り葉掘り聞かれてしまい、来たことを少し後悔している。
 委縮し、肩を萎めた芽唯とは反対にヴィルはなんだか楽しそうだ。

「そう? 別にお膳立てしてやるつもりはないけど、キスで慣れれば見られてても平気になるんじゃないかしら」
『そんな荒治療イヤです……!』

 そもそもで慣れる気がしない。抱きしめられるのは意外と慣れた。しかし、あれは抱きしめられることによって安堵するからだろう。
 体温を分け合って、時折こちらからも抱き寄せて。ハグをすることでストレスがどうのというのも聞いたことがあるし、きっとそういうことだと思っている。
 けれどキスは全然違う。
 生憎とこちらは生粋の日本人だ。挨拶としてキスをする文化など無いし、恋人もレオナが初めてだから所謂ファーストキスというやつは未だに大事に取ってある。
 無意識に唇をなぞった芽唯は強請るような、縋るような、レオナの熱い視線を思い出す。

『ちゃんとしたいんです。そういう大事なことは……。今は抱えてる問題もあるし、声も出ないし……』
「もしかしたらキスすれば声も治るかもしれないわよ?」
『(え?)』

 ヴィルの想定外の言葉に芽唯は目を瞬かせる。ぱくぱくと唇だけで形作られた疑問にヴィルは今度は本を魔法で引き寄せる。

「アンタ呪いについては授業でどこまで習った?」
『一年生で呪いの授業なんてそんなに出てきません。みんなまだ基礎で唸ってる段階です』
「そうだったわね。でも祝福と呪いは同じもの、言い方が違うだけっていうのは知ってるでしょう」

 それについてはレオナにも何度も言われた。なにかと妖精が縁がある身として忘れたくても忘れられないほど。

「この世界にはいくつもキスで呪いが解けたという伝説が残っているの」

 魔法史にも時折出てくる夢のような事実。
 トレインが疑問視をする歴史家もいれば肯定し続ける人もいると教科書に出てくるたびに繰り返していたのを真面目に授業に耳を傾けていた芽唯は覚えていた。
 そうでなくとも、うっとりするようなおとぎ話のような歴史に芽唯は夢中だったのだが。

「この本の作者は生涯の研究をその伝説に捧げた」

 ぱらぱらとめくられていくページは真新しく、この本に興味を示す人物がこの学園に少ないことを物語っている。

「ユニーク魔法が呪いに関するからなんとなく手に取ってみたんだけど、さほど興味をそそられる内容じゃなかったわ」

「アンタは好きそうね」と芽唯に手渡すと本をヴィルは顎で指す。読んでみろということだろうか。
 芽唯が机の上で本を開けば著者近影から始まり、数多の伝説、祝福と呪い、そしてキスとの関係性。
 まるで御伽話のような伝説は確かに芽唯の興味をそそるが魔法に関しての詳しい説明はさっぱりだ。

「興味があるならレオナに解説させながら読むと良いわ。アタシはもういいから読み終えたらアンタから図書館に返しておいて。……今の問題はここよ」

 細く美しい指先がページをめくってある項目を指す。

 『キスと解呪の因果関係』と題されたそこにはあらゆる魔法士が解くことが出来なかった呪いがキスによって解かれた理由の憶測が書き記されている。
(真実の愛……)

 愛されることで解かれる強い魔法。それが祝福であるか呪いであるかは関係なく、大切な人を苦しめる数多の原因が愛し愛されるもの同士のキスで消えた。関連を否定する者もいれば肯定する者もいる。そして著者は絶対に関係があるのだと声を大にして謳っていた。
 文字を追いながら無意識に自分の喉に触れた芽唯はレオナの顔を思い浮かべる。
 彼とのキスでまた声が出せるようになるのだろうか。確かに、レオナはこれを魔法による封印だと言っていた。
 焼けるような痛みも苦しみも声帯が魔法によって封じられる過程で起きる反応で、喉自体にはなんの傷もついていないらしい。

「呪いにかかるのも解くのも姫や王子が多かったけれど、立場的に命を狙われることが多いから事件件数も多く、後世への資料として古い記録も残ってるんじゃないかっていうのが著者の見解」

 美しい指先がページをめくる。ヴィルの語った多くの症例が王族に連なる者が多いことへの解説が載っている。
 トントンと「真実の愛があれば誰にでも解くことは可能だと言えるだろう」という締めの文章を叩いた指先が離れると同時に「まぁ」と発したヴィルが目を細める。

「アンタの恋人はどちらにしろ王子様なんだし、関係ないわね」
「(…………!)」

 意地悪く、けれど美しい笑みを浮かべた女王は目の前で真っ赤になった芽唯に満足したのかぱたりと本を閉じた。

「この著者、変わり者だと有名だったみたいで本業も研究職じゃなかったみたい。眉唾物かもしれないけれど色んな意味で丁度いいでしょう?」
「(い、ろんないみ……)」

 ぱく、と音が出せない唇が動く。
 キスのことか、呪いのことか、はたまたその両方か。
 ぷるぷると震えて真っ赤に染まる芽唯に機嫌をよくしたヴィルはコスメポーチの底から無難な薬用品として売っているリップクリームを取り出した。
 色もなく、香りもなく、ただ唇を保湿する役目を持ったどこにでも売っている普通の品。

「アンタの欲しいリップって結局こういうことでしょう? 今日はこれをあげるから、オシャレの一環で欲しくなったらまた相談に乗るわ」

 ころころと手元に転がってきたリップを手に取った芽唯はただ頷いてポケットにそれをしまう。
 ついでに本も鞄の中に押し込めているとコンコンとドアをノックする音が響く。

「計ったようなタイミング。流石王子様ね」
「(ヴィ、ヴィル先輩……!)」

 普段は玉子だなんだと顔だけしか取り柄がないとレオナを王子扱いなどしないくせに、こういう時だけこれでもかと彼を王子と呼ぶのはどう考えても芽唯への意地悪だろう。

「開いてるわよ」
 形の良い唇の角を持ち上げたまま、扉の外にヴィルが声をかければすぐにレオナが姿を現す。
「話は終わったのか?」
「えぇ、ちょうど」

 ニヤリと笑ったヴィルには目もくれず、芽唯の傍に歩み寄ったレオナは彼女の顔を覗きこむ。

「顔が赤いな? 熱でもあるのか?」

 手袋越しに、そっと芽唯の頬に優しく触れる。
 当然熱などない芽唯は慌てて首を横に振る。目の前で美しく悪の華の名を欲しいがままにしている女王様のせいですから!とはとても言えず、心配してくれるレオナの手にそっと自分のそれを重ねるので精一杯だ。

「なら良いが……」

 どこか不満そうなレオナにこれ以上この場で追及されないように、芽唯は急いで鞄を手に取りグリムを抱き上げ立ち上がる。

「それじゃあ、本を返すの忘れないでね」
「本?」
「(えっと、あの、あとで話します……!)」

 ぐっとレオナの背を押した芽唯は退室を促しながらヴィルに頭を下げるのも忘れない。
 ぺこぺこと別れの挨拶代わりに頭を下げればヴィルは小さく手を振ってくれた。
 まるで逃げるような芽唯に押されて部屋から出たレオナは不思議そうな顔で芽唯をじっと見る。レオナの視線がどうしたのかと問いかけているのは分かっているが、なんと返せばいいのかはわからず彼の方を見られない。
 熟考の末、視線を何度も彷徨わせてから芽唯はレオナの腕にぎゅっとしがみつく。
 頭を彼の腕に乗せ、身も預け。誤魔化すようにすり寄れば、レオナは特に言葉は発しなかった。
 代わりに、ただポンポンと頭の上に手を乗せて、その手で芽唯が握りしめていた鞄を奪う。
 緊張した面持ちで顔を上げれば、穏やかな笑みを浮かべ自分を見下ろしているレオナが居て心臓がぴょこんと跳ねた。
 けれど、それもすぐに落ち着いて芽唯も穏やかな気持ちで彼に寄り添えた。ぐりぐりと頭を腕に押し付けて、言葉なしに甘えてもレオナが答えてくれるのがとてもうれしい。
 ポムフィオーレ寮からサバナクロー寮に戻るまで、会話はなかった。それでも幸せだった。
 芽唯が甘えるようにすり寄るたびにレオナの尻尾がピンッと逆立ったのは彼本人だけが知っている。

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