12


 さらさらと額で何が揺れる。大きく温かなものが芽唯の前髪を揺らしている。
 ゆっくりと左右を往復し、時折頬に優しく触れ、そんな温もりとはまた別の何か……大きな熱を持った塊のようなものが迫ってくる気配がしたかと思えば額に静かに何かが落とされた。
 それが離れていくのが寂しくて、追いかけるように意識を浮上させた芽唯が瞼を開いて最初に目に入ったのは形のいい眉をハの字に下げ心配そうに自分の顔を覗き込んでいるレオナの姿だった。

「……ッ」
「無理に喋ろうとするな、喉を傷めるだけだ」

 名が呼びたくて、唇を開いたのに紡がれたのは空気の抜ける音だけだった。
 労わるようにレオナの掌が芽唯の喉を優しく撫でる。あぁ、先ほど自分に触れていたのはこれだと確信した芽唯は差し出すように喉を逸らす。

「……まだ痛むか? 苦しいか?」

 レオナの問いに無意識に口を開きかけた芽唯は慌てて閉じると首を横に振る。
 意識が途絶える前の息苦しさも熱さももう感じない。けれど違和感が残る喉に手を伸ばし、レオナの手に己のそれを重ねればレオナが深く息を吐く。

「しばらく声は出ない。喉が傷ついたわけでも、声を奪われたわけでもない。リドルの首輪が魔法を封じるように声を封じられたと言えばわかりやすいか?」

 頷いた芽唯は周囲を見渡す。どうやら気絶している間にレオナの部屋に運び込まれたようだ。
 既に陽は沈み窓の外には月が顔を出している。ベッド脇に腰かけていたレオナは芽唯を抱きかかえるようにベッドの中央へと転がり込む。

「ったく……とりあえずは目が覚めて安心した」
「(お、重い……)」

 のしかかるようにレオナに体重を預けられた芽唯は彼の腕の下で必死にもがく。
 完全に安堵しきっているのか、力の入っていないレオナの体を押しのけることが出来ないと早急に悟った芽唯はすぐさま諦め苦しくない位置取りをするために身を動かす。
 レオナはもぞもぞと己の腕の中で動く芽唯を抱え直し、横向きに寝転がらせるとコツリと額を合わせた。

「暫く声を出そうとするな。無理にやれば声帯が傷つく」

 真剣な瞳に再度頷いた芽唯は唇だけを動かし「(でも)」と零す。

(会話が出来ないのは困る……)

 こういう場合、筆談をするのがお決まりだろうか。レオナの部屋はどこに筆記用具があったか記憶を遡りながら身を起こそうとするがレオナの拘束がほどけない。

「(あ、あの、このままじゃお話しできないから離してください……!)」

 身を捩じり、レオナから逃れようとするが力が緩まるどころかますます強くなる。

「(離して〜っ!)」

 いくらもがいても離れてくれないレオナに諦め、大人しく腕の中に納まることにした芽唯は「(もう……)」と唇だけ動かす。

「もう、……なんだよ?」
「…………?」
「何か言いたいことがあるんだろ?」

 首を傾げたレオナに同じように芽唯が首を傾げる。自分は今声に出しただろうか。いや、そんなことはないはずだ。
 それに音を出そうとしても今の自分の喉は音を出すことが出来ないとレオナが言ったばかりじゃないか。

「(どうして……)」
「唇の動き。見てれば大体言いたいことはわかる」

 大きな親指の腹が芽唯の唇をなぞる。

「だから、音は出さずにそのまま喋ればいい」

 ぱちくりと瞳を瞬かせる芽唯を見つめたままレオナは枕に頭を預けると微睡み始める。このまま見つめあっていては彼が眠ってしまう。慌てて「(えっと)」とまた唇の動きだけで紡いだ芽唯を見てレオナが頬を緩ませた。

「お前、声が出なくても最初は『えっと』なんだな」
「(だ、だって……)」

 聡明なレオナと違ってパッと言葉など出てこない。どうしたら相手に伝わるか。そもそも自分が何を伝えたいのか整理するだけで精一杯だ。

「夜は長いんだ。焦らなくていい」

 芽唯の顔にかかった髪をレオナの大きな手が後ろへ流す。そのままその手が顎に添えられ真っすぐ視線が絡むように顔の向きを変えられる。

「(あの後、どうなったんですか……?)」

 朦朧とした意識の中、最後に見えたのはレオナの瞳だけ。周囲が異変に気付いたのは騒めきで察したが、それ以上のことは何もわからない。
 今グリムはどうしてるんだろうか。せっかくのなんでもない日も台無しになってしまった。そもそも自分に何が起きたのか。わからないことだらけだ。

「……順を追って説明したほうがいいだろ」

 まるで幼子をあやすようにレオナの手が頭を撫でる。少し瞳を伏せた後、レオナは言葉を選ぶようにゆっくりと語り始める。

「お前は苦しみだしてすぐに気を失ったのは覚えてるか」

 きゅっと何かに締め付けられるように痛む喉。それに伴い呼吸をするのもつらくなり、やがて意識を失った。
 あの時の恐怖が蘇り、震えながら小さく頷けば「もう大丈夫だから安心しろ」とレオナの声音が一層優しくなる。
 無意識に指先はレオナの服を握っていたが彼はそれを咎めない。

「俺はお前の介護。赤い坊ちゃんとトランプ兵たちは大慌てで魔法か毒かと犯人を捜し始めた。……あァ、毛玉は大泣きしながらお前にしがみついてたな」
「(グリム……)」
「今はラギーの部屋にいる。陽が登ったら顔見せてやれ」

 きっと彼はまた泣いてしまうのだろうな。大切な相棒が自分を想って泣く姿が想像出来た芽唯の表情が少し綻ぶ。不謹慎だとは思うが、誰かに心配してもらえるのは心地いい。この世界に身一つで来たのに居場所があるのだと安心できる。

「(それで、原因はわかったんですか?)」
「一応、な。……けれど、それで余計にわからなくなった」
「(わからなくなった……?)」
「お前のカップにだけ二角獣の角の粉末がかけられていて、お前が注いだ二杯目……というよりはテーブルに置いてあった全ての紅茶にその粉末と掛け合わせることで劇物反応を起こす成分が混ぜられていた。大方茶葉にでも混ぜられていたんだろ。あの成分はお湯に溶けても反応する」
「(それって先生が盗まれたって言ってた……)」

 クルーウェルが言っていた盗難事件がここに来て繋がった。
 目を丸くし驚く芽唯にレオナは頷いて眉間に皺を寄せる。頭が痛くなっても仕方がない。
 外部犯だとばかり思っていたのに今回の件に生徒が関与しているというのだろうか。

「茶単体なら毒にも薬もならない。だが、お前のカップ限定で自らを苦しめる薬物を生み出すことになった……。胸糞悪い話だ」

 あの粉末は無味無臭。唯一使われていると判断出来る材料が振りかけられた容器の光沢が強くなることと、特定の成分と組み合わさることで急激な温度変化をもたらすという部分だけだったはず。

「(だからあんなに熱かったんだ……)」
「他にも不可解な点はあるが、お前の声を奪った原因はそんなところだ」

 未だに腹の虫が収まっていないのだろう。レオナは苛立たし気に尻尾でバシンとシーツを叩く。語るにつれ眉間に寄った皺は深まるばかりで先ほどの穏やかな表情が嘘のようだ。

「(そんなに怒らないで……)」

 自分は無事だったのだから……、なんて甘いことを言えばもっと怒らせてしまうだろうか。

「(でも、なんで一杯目は大丈夫だったんでしょう?)」

 粉末と紅茶に溶けた成分が毒となったというのなら一杯目の時点で自分は倒れていたはずだ。しかし、実際には何事もなく飲み干している。レオナの言うことが事実なら一杯目を口にした時点で異変が訪れていたはず。

「それについては気になることがあってラギーに調べさせてる」
「(気になること?)」
「色々と匂うんだよ。今回の件、そう単純な話じゃないのかもしれない」

 スン、と鼻を鳴らしたレオナは芽唯をかき抱くように引き寄せ首元に顔を埋める。
 ぐりぐりと押しつけられる頭を軽く撫でながら芽唯はレオナに教えられたことを脳内で反芻する。
 レオナの兄、ファレナからの忠告。肖像画の証言。これによって学園内に外部の者が存在するのは明らかだ。
 しかし、なんでもない日のカップやお茶に彼らが手を加えるなんて出来るのだろうか。
 パーティーに参加しているのはハーツラビュル生か自分達のように招待されたもののみ。
 植木鉢を落として以来、身を潜めている犯人たちが危険を冒してまでこの日を狙ってくる理由が思い浮かばない。
 それにニ角獣の角の粉末は授業中に拝借されたものである可能性が高い。ならば生徒が関わっていると考えるのが妥当だろう。
 この事にレオナや周りの先輩たち、そして教師が気づいていないとは考えにくい。
 自分なら真っ先にその生徒を探し出すことに注力する。けれど、レオナはそんなことは言っていなかった。

(お茶を入れてくれたのはエル……だよね)

 ハーツラビュル寮生であの日実験にも参加していた。
 なにより、彼は粉末がなかったと自分達の分から使用したはず。
 もし、なかったと言ったあの言葉が嘘だったら?犯行に利用する為に人目を盗んで持ち出したんじゃないか?
 知人を疑いたくなくて嫌な汗が背中を伝う。
 抱き返していた指先から動揺が伝わったのか、レオナは顔を上げ少し距離をとって瞳を覗き込んでくる。

「余計なこと、考えてんだろ」
「(あの……)」
「考えすぎるのはお前の悪い癖だ。……まだ、結論を出すには判断材料が少なすぎる」

 落ち着かせるようにレオナの手が背を撫でる。トン、トン、とゆっくりと。子供をあやすかのようにリズムを刻む。

「……隣にいたのに守れなかった男はもう信じられないか?」

 ペタリと形の良いレオナの獣耳が項垂れるように伏せられる。
 しょんぼりとした犬や猫を彷彿とさせるその仕草に芽唯は弱い。もしかしたら、そのことを把握してわざとやってるのかもしれないと思う程度には的確なタイミングでレオナの耳はいつも可愛らしく伏せられるのだから厄介だ。

「(そ、そんなことないです! でも、気になることが……)」
「わかってる。皆まで言うな」

 塞ぐようにレオナの指先が芽唯の唇をなぞる。

「お前が気づいてて俺が気づかないわけないだろ?」

 なァ?と目を細めるレオナに芽唯はこくりと頷く。
 そうだ、レオナが気づいていないはずがない。
 あの実験の日、レオナだってそばにいた。エルが言っていたことも、自分達の席から材料を渡したことだって覚えているはず。

「(じゃあ、どうして……?)」

 ラギーに探らせているというのが彼のことなのだろうか。ならば何故そう言わないのか。芽唯の中でさまざまな疑問がよぎる。

「言ったろ。単純な話じゃないかもしれないって。こういう狩りは焦らず慎重に、時には獲物を泳がすことも必要だ」

 目を細めたレオナは獰猛な獣が狙いを定めるように舌で唇を潤す。その瞬間、彼の瞳が妖しく光ったように見えて芽唯は思わず肩が跳ねらせる。

「俺を信じてくれるんだろ? なら、何も言わずに……どちらにしろ今は言えないが。……ただ見守っててくれよ」


 信じる。信じる……。
 レオナを──信じている。


 芽唯は頷く。迷うことなく、レオナを見つめて。
 手紙を書いていた頃の自分とはもう違う。妖精の種の件も、一連の事件も、レオナが信じろと言うのなら芽唯は何も疑わない。

「(前も言ったけどレオナ先輩のこと信じてます)」

 一言も違えず知ってほしくてゆっくりと唇を動かす。
 本当なら音に乗せて伝えたかった。
 レオナのようにはいかないが、甘く優しく彼の心にまで染み渡るような。そんな声で。

「(私、決めたんです。レオナ先輩が言葉にしてくれたことは全部信じるって。前は勝手な思い込みで動いてしまったから、私も出来る限り言葉にするし、レオナ先輩が言ってくれたことは絶対に信じる)」

 芽唯もレオナも、人間関係に関してはどちらかといえば不器用な方だ。
 相手のためだと口を噤んで無意味に話を拗らせてしまったあの日のことを本当に反省している。
 傍にいるからわかるなどと、同じ気持ちだろうと決めつけるなんて烏滸がましいのだと学んだ。

「全部ねぇ。なら、お前に嘘は付けねぇな」

 ククク、と肩を揺らすレオナは満更でもなさそうに笑みを浮かべる。

「(嘘をつく予定があるんですか?)」
「必要な嘘ってもんもあるだろ。……まあ、俺も無駄に走り回るのは趣味じゃねえ。籠の小鳥が逃げ出さないように適度に囀ってやるよ」
「(小鳥って……)」
「そうやって唇を尖らせるところが小鳥なんだろーが」

 ムッとした芽唯とは逆に笑い続けるレオナ。馬鹿にされているのか、可愛がられているのか判断に少し苦しんだがレオナが楽しいのならばそれでいいかと芽唯は自分を納得させる。
 空いた隙間を埋めるようにぴたりと寄り添えばレオナの鼓動が耳を打つ。目を閉じ耳を澄ませていればやがてレオナは笑うのをやめ、再び芽唯の頭を撫で、彼の指先が髪の間を滑り落ちていく。

「疲れただろ、今日はもう休め」

 彼の胸に顔を押し付ける形になっていた芽唯は答えるために小さく頷く。
 不可解な点は多く、問題の解決の兆しも見えてこない。それでも安らげる場所がある幸福感に包まれて穏やかな時間がゆっくりと過ぎていった。

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