14
大きな温もりに後ろから包まれた芽唯がゆっくりと瞼を上げれば、室内には朝の日差しが差し込んでいる。
恥ずかしさに負け、結局本は一緒に読めなかった。
キスで魔法が解けると謳っている本を一緒に読むなんて「キスしてください」「試してみましょう」と強請っていると解釈されてもおかしくない。
本ってなんのことだったんだ、と詰め寄るレオナと押し問答のような戯れを続けて、気がつけば彼の腕の中で眠っていたので防衛は成功したと思っていいだろう。
自分用のスペースには彼を模したぬいぐるみと共に鞄が鎮座していて、あの本はもちろんまだその中だ。
レオナの腕の中からそっと抜け出した芽唯は本を取り出しパラパラとページを捲る。
ヴィルの語る通り、この本に出てくる伝説のようにレオナが魔法を解いてくれるだろうか。
夕焼けの草原の王子様。第二王子だと自分を卑下するが、身分が重要だったとしても彼は条件を満たしている。
(真実の愛……)
愛し愛され、真実の愛が芽生えていれば悪き魔法は必ず解けるだろう。
著者の言う真実の愛とやらが自分達の間にあるかと問われれば芽唯は迷わず頷ける。お互いにこんなに誰かを好きになれることなんてきっと二度とない。そう断言できる恋をしている。
これが真実の愛と呼べなければ芽唯はもう何も信じられなくなってしまう。
表紙を隠すように裏返しにライオンのぬいぐるみの腕の中に本を押し付けた芽唯は、いまだにすやすやと寝息を立てるレオナの顔にかかった立派な鬣を指で梳く。
ダークブラウンのそれを寄せて現れた負けず劣らず長いまつ毛が時折震える。
整った顔立ちで、立ち振る舞いから圧を感じることも多いが眠っているレオナの顔は少し幼い。
そう見えてしまうのは恋人の特権というやつだろうか。
やわかなチョコレート色の頬に手を寄せれば、擦り寄るように近寄ってきて彼のそれが芽唯の手の自由を奪う。
まるで意識があるように絡め取られた指先が愛おしくて笑みが溢れた。
恋心や愛を伝える手段は多くある。
言葉にする。文字にする。抱きついて、キスをして……。
芽唯はただ隣に寝そべって、時折指を絡めて、視線も絡めて、温もりを分け合うだけで十分幸せだ。
けれど、レオナがその先に進みたがっていることも気づいている。
「(勇気、出さなきゃ)」
呪いを解きたいからではない。
レオナの気持ちに応えたい。ただそれだけだ。
不安がないといえば嘘になる。唇を重ねるだけのそれにこんなに勇気がいるのかと芽唯は驚いたけれど、事実なのだから仕方がない。
見つめられるとドキドキする。それが熱っぽければなおのこと。
抱きしめて、キスをして。いつかきっと、さらにその先へ。
自分のためにとレオナが歩幅を合わせてくれているように、自分もレオナの熱に応えたい。求めてもらえる幸福を、自分も同じなのだと彼にも伝えたい。
「(もう少し待っててね……)」
彼の頭を撫でるように髪を梳きながらぽつりと呟く。
今はこの幸せな時間を噛み締めるだけで胸がいっぱいだ。
◇◆◇
「(うそ、なにこれ……)」
レオナと顔を合わせるのも忘れ、芽唯は無意識に唇を動かした。
彼の部屋で寝泊まりするようになってからも定期的にオンボロ寮へは戻っていた。花の世話があるからだ。
せっかく咲き誇ったのに見る時間が減ってしまったのが残念だが、手入れを怠るわけにはいかない。
幸いにも、芽唯が留守の間も森の動物たちがせっせと面倒を見てくれていたようで花壇は常に美しかった。
──けれど、それは昨日までの話。
思わず膝をついた芽唯は倒れた花を一輪手に取る。
根本からむしられたであろうそれは人で言うならぐったりと力なく横たわっていた。
他の花もほとんど同じような状態で、ひどいものは花も葉もちぎられ、茎すらもバラバラだ。
地面には複数の足跡が刻まれていて、ひとりの犯行ではないことが窺える。
土に塗れた花びらが風に吹かれて飛んでいく。
その儚い一瞬の光景は胸を締め付けるのには十分だった。
「(ひどい……)」
せっかく綺麗に咲いていたのに。
誰ともわからない相手を責める言葉しか浮かばない芽唯の隣に立っていたレオナは導くように1箇所に集まった動物たちに視線を向けた。
「あれを見てみろ」
労わるように肩に手をおき、芽唯から少し離れた場所をレオナが指差す。
確かあちらはフュシャの種を蒔いた場所だ。
「!」
思わず立ち上がった芽唯が急いで駆け寄れば逃げるように動物たちが散っていく。
膝をつき、大きく目を見開いた芽唯は目の前に残っていた最後の希望に静かに瞳を震わせた。
じわじわと目元から溢れる水を拭うにも手は土に塗れて真っ黒だ。
どうしたものかと歪んでいく視界に慌てた芽唯がレオナを仰ぎ見れば、彼の大きな指は優しく目元を拭ってくれた。
「……これだけでも無事でよかったな」
「(っ、はい……!)」
出ないはずの嗚咽が漏れそうになった喉が震えた痛みで少し眉間に皺を寄せた芽唯が涙ながらに頷けば、目の前で紅が揺れる。
荒らされてしまった花壇の片隅で、まるで何かに守られているかのようにフュシャの花だけが未だ開かぬ蕾を携えたまま天に向かって伸びていた。
その後、急いで植物園へと向かった芽唯とレオナは適当な鉢植えを手に取りオンボロ寮へと戻ってきた。
これ以上荒らされないよう、軽くレオナが魔法をかけたので戻ってくるまでにフュシャの花すらもダメになっていたという事態は避けれた。
花のすぐそばに膝を付いた芽唯は根を傷つけないよう優しく周りを手で掘って、周囲の土ごと鉢へ移す。
荒れてしまった花壇の手入れは後日にするとして、この花だけでも守らなければ。
「(これ、どこに置きましょう……)」
足元では心配そうに野ウサギたちが身を寄せあい、小鳥はレオナと芽唯の肩に止まる。
どうやらこの花のことを彼らも気にかけているようだ。
「本当なら俺の部屋、と言いたいところだがこの花、今はここに根付いてやがるからな……」
「(根付いて……? 根っこまでちゃんと取りましたよ?)」
「そうじゃない。魔力の話だ」
思わず鉢植えの底を覗きこめばレオナが首を横に振る。
魔力が根付く。また芽唯にはわからない言葉が飛び出した。
そういえばそんな記述を植物図鑑で読んだ気もするが、魔法の絡んだ難しい話で意味を理解しきれなかった。
「オンボロ寮に満ちていた魔力の話は覚えてるか」
もちろんだ。すぐに頷いた芽唯にレオナはオンボロ寮を仰ぎ見る。
特に外見的に変わった様子はないが、兼ねてよりレオナとグリムは寮内に満ちる魔力をずっと気にしていたのだから忘れるはずがない。
「あれはこの花がオンボロ寮に根付いていた証拠。要は縄張りみたいなもんだな。ここは俺のモンだってのに勝手なことしやがって」
「(オンボロ寮は先輩の物じゃありません!)」
「……魔法石が周囲のエネルギーを吸収して生まれるように、この花も周辺のエネルギーを養分にしていた。どんな土地にもエネルギーは存在していて、まだ蕾で魔力が安定しきっていないこの花の環境を変えることは推奨できない」
芽唯のツッコミを無視して話を続けたレオナは風に揺られる紅い蕾に目を眇めると息を吐く。
エネルギーや根付いているなど特有の言葉を使われるとしっくりこないが、要は無闇に植え替えを行うことはよくないと、そういうことだろう。
動物も自分の匂いがしない環境にはなじみにくくストレスも感じてしまうので、寝床などの清掃後は元からあったものを少し混ぜてあげて落ち着く空間にしてあげるというのを聞いたことがある。
「(じゃあ、私の部屋とかどうでしょう)」
「それがいいだろうな。細かい世話はゴーストに頼んどけ」
レオナの言葉に再度頷いた芽唯は鞄から鍵を取り出し、久しぶりの我が家へ入る。
たまに換気はしていたが、それでもやはり使っていない間に埃っぽさは増してしまう。戻ってこれたらまた掃除からだな、と肩を竦めた芽唯は自室に花を運び入れた。
どうせ使っていないのだからと書き物机の真ん中に堂々と置かれた花は部屋の雰囲気を少し明るくする。
「(先輩、ゴーストのみなさんへの説明はお願いしますね)」
「あぁ……そうだった。お前喋れないんだったな。わかったよ」
忘れてたと顔に書いてあるレオナの腕を引きながらお願いすれば、面倒そうに眉間に皺を寄せつつも「おい」とすぐにゴースト達へ声をかけてくれるのだからレオナは優しい。
レオナが説明をしている間に蕾を少しでも日の当たる場所にずらした芽唯は小さなふくらみに優しく触れる。
「(綺麗な花、咲かせてね)」
無意識に出たその言葉にいつぞやの夜のマレウスの姿が蘇る。
本当に自分はこの花を咲かせることが出来るのか。他の花は皆ダメになってしまった。最後に残った一番大切な花。
未だ蕾のこの花が咲き誇るきっかけはなんなのだろうか。
自身も魔力を持ち、このオンボロ寮周辺の魔力も吸っていたという花。思えば成長過程も独特だった。
やっと芽が出たかと思えば他の花に追い抜くほどの急成長。かと思えば今度は長い間蕾のまま。
マレウスの口ぶり的に、しっかりと育てても年に数回、たった数時間しか咲かないという月下美人のように特殊な周期で咲く花なのかもしれない。
(私が咲かせる……)
もしかしたら、自分が何かしてあげなければならないのか。マレウスの言葉は「お前なら」と芽唯自身を指していた。
あれは花の育成に対してではなく、芽唯自身の行動を指すものだったとしたら?
「(私の何かを待ってるの……?)」
蕾のまま。まだかまだかと、何かを待ちわびているのかもしれない。
確か花が大きく伸びた日はレオナが泊まりに来ていた週末だった。
けれど特別なことはしていない。ただ話して、笑って、一緒に眠って。関係があるとは到底思えないが、魔法の花はきっと芽唯の理解を超えている。
考えても答えにたどり着けない。花が何かを語ってくれたらいいのに。じっと見つめても紅い蕾は何も返してくれないが、恨めしくそう思いながら見つめてしまう。
レオナがゴースト達と話を終えるまで、芽唯は蕾を見つめ続けた。けれどやはり答えは見つからなかった。
「任せておくれ」と見送ってくれるゴースト達を信頼していない訳ではないが、やはり咲かない花が心配で何度もオンボロ寮を振り返りながらサバナクロー寮への帰路を辿った。
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