15


 喉も治らない。犯人も捕まらない。もちろん花も咲いていない。
 完全に停滞しきった状況はあまりいいとは言えないだろう。
 レオナと過ごすサバナクロー寮での時間は悪くない。グリムもなんだかんだで賑やかなサバナクロー寮生と馴染んで楽しそうに日々を送っている。
 このまま転寮するかと冗談めかして言ってくれるレオナはきっと芽唯を元気付けようとしてくれているのだろう。
 ぼーっと教室の窓から珍しく飛行術の授業に参加している彼を眺めていた芽唯の口からはため息しか出てこない。
 そんな芽唯のため息をかき消すように鐘が鳴り響くと、いつものようにエースとデュースがすぐそばにやってきてくれた。

「メイ、大丈夫か?」
「なんか元気ないけど……」
『大丈夫だよ』

 用意していた定型文と化した画面を二人に見せれば、二人は困ったように顔を見合わせた。
 それもそうだろう。何を聞いても芽唯はそうとしか答えない。答えられない。
 現状を打破する方法を誰も持っていないのだから。

「あの、メイ……ちょっといいかな」

 困った顔の二人を見ながら相変わらず寝てしまうことが多いグリムを抱え、芽唯が立ち上がるとおずおずとクラスメイトの一人が声をかけてきた。

「エル……?」

 どこか申し訳なさそうに眉を寄せ、ほんの少し唇を噛みしめたクラスメイトの顔はどこか曇っている。
 彼と話すのはなんでもない日──芽唯が倒れたあの日以来だった。
 もちろん彼が芽唯に茶を給仕したのをエースとデュースは知っていて。かといって露骨に疑うことはするなとレオナに釘を刺されていたので芽唯に近づかないよう、それとなく警戒するだけに留めていた。

「なんのようだよ」

 けれどあちらから接近して来ればまた別だ。
 ぐいっと芽唯とエルの間に入り込んだエースが彼を睨む。
 デュースを手で静止して、芽唯の傍にと目配せをする。抱き上げていたグリムが何かに反応したように「ふなっ」と小さく唸る。
 それを合図にしたように、エルは「あの」と口を開いた。

「メイと話がしたいんだ。出来れば二人っきりで……」
「そんなのオレらが許すわけねーじゃん」
「どうしても、ダメかな……」

 視線を床に落として身を縮めながらもエルは引かない。

「大事な話なんだ……」

 彼は拳を痛いのではないかと思うほどぎゅっと握って、ついには頭も下げる。
 しかし、二人っきりでなんて要注意人物として警戒していた相手に対して簡単に許可できる内容ではない。
 仮に許可したところで芽唯も不安だし、後でエースとデュースはレオナにぼこぼこにされてしまうだろう。
 眼前のクラスメイトが必死に頭を下げる。少し異様な空気に包まれた教室の片隅。既に他の生徒は自分の時間を過ごすために出て行ってしまった。

「オレとメイくんセットでなら、話を聞いてやってもいいッスよ」
「うわっ⁉ ら、ラギー先輩⁉」

 誰もが言葉を発しない沈黙が流れていたのに、それを打ち破る声はやけにあっけらかんとしていた。
 シシシ、と特徴的な笑い声付きで現れたハイエナはエルをまるで獲物のように上から下へと凝視する。

「ちょーどオレも色々聞きたいことがあったんスよね。いい機会だし、はっきりさせたいなー、なんて。メイくんもオレと一緒なら怖くないっしょ?」
『はい』
「ってことで、オレらはこれ以上譲歩できない。この条件が嫌ならさっさとメイくんをレオナさんの所に送りたいんでどっか行ってほしいんスけど」
「い、いや! それでいいです! どうしても、話がしたくて、俺ずっと……」

 ニコッと笑ったかと思えば表情を冷たく切り替えて。突然現れたラギーに場をかき乱されたのもあるのだろうが、エルは彼なら同伴してもいいと頷いた。

「ブッチ先輩、僕たちもこっそりついていきましょうか……?」
「いや、二人はレオナさんとこに向かって欲しいッス。部活がそろそろ始まるからスマホじゃあの人捕まえられないかもしれないんで」
「うっす……!」

 小声で少し作戦会議をしている三人を横目にエルを見れば一瞬目が合う。
 なにかに怯えた様に、もしくは傷ついたように視線を逸らしたエルは話したいという割に芽唯を見ようとしなかった。

(なんなんだろう……)

 彼のことをラギーはあの日から探りを入れていた。聞きたい事と言うのはその事についてなんだろう。
 だが、彼からも話があるというのはなぜだろう。本当にお茶に薬を仕込んだのが彼で謝罪をしたい?なぜ今のタイミングで?
 作戦会議を終え、エースとデュースが教室から出ていく。残された三人と一匹は念のためとラギーが芽唯を背にかばい、エルから距離を取る。

「んで、話なんスけど……」
「出来たらっ! その、オンボロ寮でしたいんですけど」
「はぁ?」

 さて話し合い。と、思ったところでエルが急に水を差してきた。
 理由が分からない。ラギーと芽唯は顔を見合わせ首を傾げた。教室では何か不都合があるのだろうか。
 当然そんなことを言われても納得なんてすぐには出来ない。
 警戒心をむき出しにしたラギーは「いやいや」と目を細めて彼を睨む。

「君ね、そんなこと言える立場だと思ってるんスか? 本当はメイくんに近寄らせるのだってレオナさんに怒られかねないってのに」
「わかってます! わかってるけど、どうしてもオンボロ寮に行く必要があって……」
「(オンボロ寮に?)」

 何故、という気持ちが膨らんで思わず芽唯は唇を動かした。
 エルがオンボロ寮に来たことは一度もない。元々、オンボロ寮に来る人間は限られていて、レオナに女の一人暮らし……というとグリムは怒るのだが……なのにあまり男を上げるなときつく言われているからだ。
 それなのにエルにはオンボロ寮を訪ねる理由があるという。思い当たる節が無く、首を傾げた芽唯にラギーだけは何かを掴んだように質問を投げかける。

「それって、最近君の独り言が多いのとなんか関係あるんスか?」
「っ!」
「やっぱり……。気づいてなかったかもしんないスけど、あの日からオレずーっと君のこと見張ってたんス。レオナさんの命令で」
「そう、だったんですか……」

 ぐっと息を呑んだエルだったが、ラギーに嫌悪を示すことなく、ただ視線を彷徨わせた。
 自分が監視対象になってもおかしくないという自覚があるのだろう。当然だろうと、納得すらしているようだ。

「全部、全部話すんでオンボロ寮に向かってもいいですか。本当に大事なことなんです」
「……どうする、メイくん。俺は別にここで聞き出していいと思うんだけど」

 二人の視線が芽唯に集まる。
 一方は縋るように、一方は警戒心をむき出しにしていて、けれど判断する権利は芽唯にあると委ねるようなものだ。
 声が出せないこともあり、会話を見守り続けていた芽唯はもう一度じっとエルを見る。
 彼の顔色はずっと悪い。何か心配事があるようにも、隠していた罪に押しつぶされそうな、そんな弱く脆い状態に芽唯には見えた。
 芽唯の紅茶やカップに細工をしたのは間違いなく彼だ。だからレオナも彼を探らせたし、ラギーも探り続けていた。
 理由はどうあれ自分を苦しめた原因であることは確かで、正直に言うなら今の状況だってかなり怖い。
 ラギーが傍にいるから冷静を保てているが、二人っきりだったらこちらの方が震えて顔色が悪くなっていただろう。

『場所、移動しましょうか』

 けれど、彼が何かを話そうとしてくれている。仮に罠だというのなら、ラギーが来た時点で逃げているはず。エースやデュースよりもラギーの方がレオナにうんと近い立場だ。彼が来た時点でレオナになんらかの手段で報告が行くとわからないなんてことはないだろう。
 逃げることなく、話したいことがあるのだと、きっと勇気をもって告げてくれた彼の気持ちを無駄にしたくない。それに芽唯ももうそろそろこの状況を打破したかった。

「はー……ったく、メイくんってホント甘いッスね。レオナさんに怒られても知らねぇ……けど、一緒に居て守れなかったらオレも怒られるんスよねぇ……。絶対、オレの傍から離れない。それが移動する条件ね」
『わかりました』
「キミも、メイくんにあんま近寄んない。歩くときは二メートルは離れてマジカルペンも俺が預かるッス」
「それで話を聞いてもらえるなら」

 ためらいなくマジカルペンを取り出したエルが近くの机に置いて数歩下がるとラギーが己の胸ポケットにそれをしまう。
 これで彼が魔法を使って何かをしてくる、ということはなくなって少し安堵した。

「まだ魔法薬とか持ってるかもしんないんだから、露骨に安心しない!」
『すみません!』
「まぁ……そんなもん持ってたら匂いで分かるとは思うけど……。メイくんも自分でちゃんと警戒すること。いいッスね?」
『はい』

 本当にわかってんのかなー。肩を落としたラギーはシッシッと手で払うようにエルに移動するよう促した。
 警戒しろと言われた芽唯は鞄に括り付けていたお守り袋を外して握りしめる。いざとなったら鞄で殴って、守瞳石でレオナに連絡を入れる。芽唯でも出来る身を守る方法の中でこれが最適解だ。
 エルを先頭に三人は教室を出るとオンボロ寮へと向かうが、移動している間はひたすら無言で重苦しい空気が流れていた。
 遠くでは部活を楽しむ喧噪や、バスで麓に降りようかという声すらも聞こえるというのに三人に会話はない。
 幸いな事にオンボロ寮は学校からの距離は近く、そんな時間は早くに過ぎ去ってくれた。
 ぎぃぎぃと音を立てる門をエルが開け、最後尾の芽唯が閉める。
 建物の前まで来るとラギーと芽唯はエルを追い越し、オンボロ寮の玄関を背に芽唯を庇ったラギーがエルとの間に立つ。

「んで、ここじゃないとしたくない話ってなんスか?」
「花……花はどうなったんだ!」

 ラギーの問いに、彼の肩越しにエルが芽唯に問いかけ返す。突然ぐいっと迫ってきた体にすぐさま肩を掴んでラギーはエル押し返すと頭に疑問符を浮かべた。

「はぁ? 花って……花壇なら少し前に全滅したッスよ。クラスメイトなら落ち込んでたことくらい知ってるでしょ」
「でもあの花は無事だろ! 愛の証明!」
「あ、愛ぃ? なんのことッスか……」

 教室の時の様子とは打って変わってぐいぐい迫ってくるエルにラギーは少し押され気味だ。
 必死に押し戻してはいるが、エルは花に対して異様に執着があるようで食いつきっぷりが尋常じゃない。
 困惑しきったラギーは芽唯を振り返るが、そんな名前の花を育てていた覚えはない。

「端の方にあっただろ。真っ赤で、いつまでも蕾で、ここに根付いていた」

 エルが花壇を指さすと騒ぎを聞きつけたのか、森の小動物たちが気が付けばそこに居た。見慣れぬ人物がいるとすぐに森に帰ってしまうのに、今日は珍しくこちらの方へと向かってくる。

「(みんな……)」

 どうしたの?と芽唯が問いかける前に、エルが先に口を開いた。

「お前ら、やっぱこの辺に住んでたんだな!」
「(え……?)」

 動物たちを視界に捉えると身体をすぐさま反転させ、膝を折り、動物達に語り掛けるエルは妙に親し気で、ラギーと芽唯は思わず顔を見合わせた。
 オンボロ寮の周辺に住んでいる動物達は芽唯やグリム、そして頻繁に泊まりに来るレオナとは親しくしているが、たまに用事で訪ねてくるだけのラギーとは未だ打ち解け切ってはいなかった。
 それなのにエルとはどうだ。彼の肩にとまり、ちゅんちゅんと小鳥はどこか嬉しそうに囀っている。

「久しぶり、大変なことが起きたんだ……。花は寮の中……ってなんでそいつに全部教えちゃうんだよ!」
『あの子たち、エルと知り合いなの……?』

 ぴくりと耳を動かし、囀りを聞き取ったラギーは彼らの言葉を訳したのだろう。

「こいつら、そんなこと言ってるんですか?」
「ハァ⁉ わかってないんスか⁉」
「すみません、動物言語不得意で……」

 けれどエルの方は彼らの言葉を理解していなかったのか恥ずかしそうに頬を染めた。
 なにがなんだかわからない。どうしてエルは彼らと仲がいいのだろうか。どうしてあの子たちは花のことを報告するのだろうか。
 緊迫していた空気が一変、現れた動物達に和んだというのは違うだろうが、確実に流れが変わった。

「連絡役に来てたって言うか、あいつはここを動けないから動物達に託してたみたいで。でも、俺は動物言語がわからなくって……。あ、ほら、先輩が独り言が多いって言ってたじゃないですか。それがこいつら相手だったっていうか……」
「(アイツ……?)」

 アイツとは誰だ。
 まるで知っているだろうと言わんばかりにまた別の存在を匂わせたエルは呑気に野うさぎの頬を突く。

「待て待て、そいつらがアンタと親しいのはわかったッスけど、だからってメイくんを傷つける理由にはならないはずッス。あのお茶、キミの仕業ッスよね」
「それなんですけど、本当は違う効果だったはずなんです」
「違う……?」

 ラギーの指摘にポケットから小瓶を取り出したエルは芽唯には近づかないという約束を守っているのか、腕を伸ばしてラギーに手渡す。
 見覚えのあるそれは恐らく二角獣の角の粉末だ。そしてもう一つ、ティーバッグが入っていそうな缶がラギーの手の上に乗せられる。

「メイに呑ませたかったのはこの茶葉なんだ。とある成分が混ざっていて、粉末と反応すると興奮作用……好きな人を求めたくなるというか、奥手なあの子も大胆に! ってフレーズ知らない?」
『知らないよ!』
「いや、それってオレのばーちゃんくらいの頃に流行ったやつじゃ……。たっかい金吹っ掛けて、貴重な薬品握らされて信用しちまうけど、実は単に薬品同士の相乗効果で体温が上がるから飲ませれば相手が薄着になりやすい……みたいな」

 呆れたようにラギーの頬が引きつっていく。ぶんぶんと知らないのだと首を横に振った芽唯を見てエルはそっか……と肩を下げる。

『そんなもの飲ませて私に何をさせたかったの?』
「そりゃあレオナ先輩とキスだよ」
「キ……⁉」
「(っ……⁉)」

 当然のように言ってのけるエルに思わずぽとりとスマホを落としてしまった芽唯は後ろに数歩下がる。ドンと背中が玄関にぶつかったが、気にする余裕はない。
 芽唯と同じように驚いたラギーは何度も首を横に振り、目の前の後輩の言葉をどうにか咀嚼しようと頑張っている。

「いや、いや、本当にそれだけッスか⁉ わざわざクルーウェル先生から貴重な素材を盗んで、なんでもない日の紅茶をすり替えて⁉」
「それだけってなんだよ! 大事なことなんだ! 俺の姉さんの命がかかってるんだ!」
「はぁ⁉ ねーちゃん⁉ 全然話が呑み込めないッス!」

 姉の命。ラギーの言う通りエルの話は脈略が無さ過ぎてまったく理解が出来ない。
 レオナと自分がキスをすることが彼の姉になんの関係があると言うのだろうか。頭がくらくらしてきた芽唯は玄関を背凭れに少し痛む頭を押さえていると不意にガチャリと音が聞こえた。

「(え……? なんで?)」

 何度も聞いて、耳に馴染んだこの音はオンボロ寮の玄関の鍵が開いた音に違いない。
 すっかり興奮しきってエルに詰め寄るラギーはもちろん。彼の言葉を浴びさせられているエルは気づいていない。
 自分が鍵を刺さなければ当然開くはずがない扉。咄嗟に身の危険を感じた芽唯はすぐにラギーに駆け寄ろうと当然足を動かした。
 けれど、彼女が走り出すよりも早く、何者かが芽唯の腕を掴む。

「(──っ⁉)」

 声が出ないから当然悲鳴は出ない。気づいてもらいたくて必死に手を伸ばした芽唯だったが虚しく宙をかくだけだ。
 軽く芽唯を引っ張った何者かは、もう片方の手で芽唯の口をふさぐ。そんなことをしなくても声は出ないのだが、後ろの存在が自分に対して悪意があることはよくわかった。
 鍵を開ける以外物音を立てない存在にラギー達が気づく様子は未だない。当然だ。エルとラギーの言い合いに、動物達も混ざってぴーちくぱーちくと大合唱状態になっている。
 せめてもの足掻きにと己を引きずり込む力に争いながら芽唯は鞄を振り上げると彼らに向かって全力で投げた。
 教科書やノートの重みであまり遠くまで飛ばなかったそれが、ドサリと音を立てるのと閉まった玄関の鍵がかけられるのはほぼ同時だった。

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