18
陽が落ちたサバナクローで乾いた風が芽唯の前髪を揺らす。
未だに彼女は眠っていて、レオナの大きなベッドに我が物顔で沈んだままだ。
彼女を心配してはいるのに意外にも平然と離れた相棒は今はラギーの部屋で休ませている。「レオナが傍にいるなら大丈夫」と彼らしくもない冷静な態度で背を向けて部屋を出た。
男たちを完全に縛り上げ、その場をクルーウェルに任せたクロウリーは彼らを一旦謹慎部屋へと入れると言っていた。
本来は度が過ぎた悪さをした生徒をぶち込むための場所だが、言い換えれば魔法士すらも閉じ込めることが出来る場所だ。魔力も使えないひ弱な男共を幽閉するには丁度いい。
男たちに芽唯が捕まる直前、なんでもない日の茶会で薬を仕込んだのは自分だとエルは白状したという。芽唯の日常を脅かしていた者が立て続けに姿を現し捕らえられたというのに、肝心の彼女が目覚めない。
風に揺られ、少し乱れた前髪を整えてやりながら、レオナは己の耳を疑うような真実とやらを思い出していた。
「毒を自ら飲んだぁ⁉」
「バッ、なん、しかもお前が勧めたってどういうことだよグリム!」
声を荒げるトランプ兵の二人にグリムは小さな首を縦に振る。
「大丈夫なんだ。アイツが言ってた。レオナがいればすぐ解けるって」
「それは、どういう……キングスカラー先輩に解毒薬を作れとかそういう?」
「それで済むならクルーウェルでも、ヴィルでも、魔法薬に精通した魔法士なら誰でもいい。俺を名指しする必要性がない」
「そっか……そうだよな……」
仮にそういう話だったとしても、これが即効性の毒薬だったら、材料が足りなければ、間に合う保証はどこにもない。
ベッドの片隅に転がっていた瓶を拾い上げていたレオナは僅かに残っていた液体の匂いを嗅ぐ。魔法薬にしては珍しく、甘ったるいその香りにはどこか魔法の気配を感じる。
「アイツと言ったな、誰に言われたんだ?」
「それは……オレ様は言えねぇんだゾ。そういう契約だ」
「契約……? つまりお前は毒を何らかの効果はあるものの安全なモノへと変えるためにそいつと契約をしたということか?」
「ふなっ! え、えーっと、えーっと!」
掌の中で教鞭をしならせたクルーウェルに跳ね上がったグリムは口を押え、どこまで話しても大丈夫なのかと目を回している。
この毛玉からこれ以上聞き出すのは無理だろう。下手をすればその契約とやらに違反しかねない。
どうなんだ、と詰め寄るトランプ兵たちに囲まれたグリムから情報を得ることを諦めたレオナは立ち尽くしたまま顔色の悪いエルを睨みつけた。
「お前なら話しても問題ないんじゃねぇか。何か知ってるんだろう?」
「お、俺……は……」
ごくり、と息を呑む。真っ青な顔をして、芽唯から目を逸らさない青年はようやくレオナを見たかと思えばすぐに視線を外す。
だが、意を決したのか。集まった視線に答えるように周囲を見渡したエルは震える唇を開く。
「全部、多分、わかる。……グリムと違って、話しても大丈夫なはず。けど、解決できるかは……」
「良いから話せ、ごちゃごちゃとした前置きやテメェの主観を聞いてる暇はない」
不機嫌なレオナの尻尾がクルーウェルの教鞭のように音を立てながらベッドを叩く。その音に怯え、肩をも震わせたエルは「姉さんと、きっと一緒だ」と芽唯をもう一度見て呟いた。
「どこから話せばいいのかな……。俺の姉さんも、メイと同じように寝たままなんです。姉さんの場合は毒じゃなく刺されたんですけど……」
思い出すのも辛いのだろう。苦々しい顔をしたエルは何度も何度も唇を噛みしめ、それでも続きを絞り出す。
「いわゆるストーカーって奴です。好きだなんだ勝手に押し付けて、応えなければ悪意に変わる」
憎らしい相手の顔を思い出したのか、エルはぎゅっとこぶしを握り締める。
「被害に遭ってるのはずっとわかってて、俺も姉さんも両親も、恋人も、みんな警戒してて、でも今日みたいに間に合わなくて。部屋の中には姉さんが倒れていた」
「それ、さっき言ってたお姉さんのことッスか? 花が関係あるんスよね。愛の証明、だっけ?」
「愛の証明?」
話に割って入ったラギーから聞きなれぬ花の名が飛び出した。頷くエルに対し、クルーウェルが何かを考えこむ。
「そういえば君もアイツって言ってたッスね。小鳥達に伝言してもらってた、とか。それってグリムくんの言うアイツと関係あったり?」
探らせていた分、ラギーの方がエルの事情に幾分か詳しい。恐らく、三人と一匹でオンボロ寮に来た理由もそこにあるのだろう。
情報を集めることに徹したレオナは二人のやりとりに耳を傾ける。芽唯が息をしている証明に上下するシーツと、指先に触れる彼女の体温がレオナを冷静でいさせていた。
「……キングスカラー、その花の種。パッケージはお前が持っているはずだな。出せるか?」
「あぁ。ラギー、財布に入ってるはずだ。お前が持ってるだろ」
「もしかして、あの汚ねぇ紙切れッスか?」
思い当たる節があったのか、預けている財布を取りだしたラギーは迷わず目的の物を取り出した。
何度見てもほとんど文字が読み取れないパッケージからは花の品種どころか、販売していた会社すらもわからない。
「メイくんも、よくまぁそんなわけわかんないもの気軽に植えたッスよね。好奇心旺盛というか、あのフュシャって妖精のこと信じすぎじゃないッスか?」
当然の見解だが、レオナは頷かなかった。芽唯の中でフュシャを信じると言うことはレオナを信じるということに直結するとレオナだけが知っているからだ。
「やはり、以前お前に相談された時以上のことはわからんな……。仔犬、話を続けろ」
「はい……。えっと、姉さんもその花を育ててたんです。それ、魔法植物で、まさかあんなことになるとは思ってなくて姉さんの話をよく聞いてなかったから詳しくはわからないんですけど」
土地に魔法という名の根を張り、魔力を吸い上げていた。この花が魔法植物であることはすでにわかっている情報だ。
続きを促すように動きだけで促せば、エルは蕾に近寄った。
「妖精が、宿ってるらしいんです。この花は愛を証明することで咲く。その時に目覚める花の精。多分、メイはその妖精の祝福に守られて眠ってる」
「愛を証明、とは? 随分曖昧な定義だが」
「真実の愛……。それを証明すれば魔法は解けるってパッケージには書いてありました。だけど、当時の姉さんの恋人がなにをしても目覚めることはなかった。やがて諦め、あの人には今別の恋人がいる。そう考えると、確かに真実の愛ってやつじゃなかったのかもしれない」
肩を竦めたエルは諦めたように苦笑する。眠り続ける恋人を放って他の女に走る男。未来の見えない状況で、不安に思い心が離れるのは仕方がないことだろう。
けれど、レオナにはその男の気持ちが理解出来なかった。何故恋人を目覚めさせるための努力に時間を使わない。彼女を取り戻したくなかったのか。諦めてしまえる程度の気持ちだったのか。
触れていた芽唯の指先を握りしめたレオナは芽唯の顔を覗き込む。
毒を飲んでも眠っているのは妖精の祝福……なんらかの契約によって守られているからだという。
咄嗟のことで芽唯自身は契約を結ぶ間もなかった。そんなことが出来たのは口を噤んでいる魔獣。恐らく夢で交わしたのだろう。アイツ、アイツ、と以前から発していたグリムは予てよりその妖精とやらに接触されていたと思っていい。
花が開花することで目覚めるという妖精はだいぶ力が未熟なようだ。芽唯とエルの姉が同様の祝福を贈られていることから考えて、蕾のまま唯一使える魔法なのだろう。
フロイドのユニーク魔法のようにあらゆる効果を跳ね飛ばす、けれど代償として愛とやらを証明できなければ目覚めることの出来ない眠りへと誘われる。ユニークすぎて、嫌味の一つも出てこない。
「花の妖精がメイを守った、ってことはわかったんだけど結局どうしたらいいわけ?」
「そういや、キスがどーとか言ってなかった? レオナさんとメイくんにさせたかったとか」
「はァ?」
話を聞きながら芽唯の頬を撫でていたレオナは思わず顔を上げた。なんだ、それは。
「愛の証明って本に書いてあったし妖精もそう言ったって動物達が教えてくれたんだ! 二人にキスさせられれば姉さんにかけられた魔法も解くことが出来るって」
「どう……いう、いや、いい。後は何を知ってる」
恐らくエルは本当に見聞きしたことを行っていただけなのだろう。そこには理由づけも出来ていなければ、確証もない。藁にもすがる思いというやつだ。
それにこうなればグリムの言葉も気になってくる。レオナなら助けられるのだ、と。
自分が何をさせられるのか、何を試されるのか。段々と見えてきたレオナはどうしたものかと息を吐く。
「本は図書館で借りられたから、探せばあるはず。グリムは話しちゃダメっぽいけど、動物達から動物言語を使えるなら違う情報が聞き出せるかも。俺があいつらの言葉で唯一ちゃんと理解出来たのは、花が咲けば妖精が姉さんを目覚めさせてくれるって、それだけなんだ。あとは断片的にしか聞き取れなくて……」
「なるほど……。本は後で借りに行くとして……キングスカラー、ミステリーショップへ行くぞ」
「は? いきなりなんでだよ」
出来れば芽唯の傍を離れたくない。クルーウェルを睨みつけたレオナはベッドへ体重をかける。ギシリとオンボロなベッドが軋む。
「子犬はトラッポラ達にお前の部屋へ運ばせておけ。その調子じゃ、自分の縄張りに置いておかなければ落ち着かないだろう」
「だから、なんで購買なんかに」
「これのことを詳しく問いたださなければならない男がいる。あとから情報共有しに行くのも面倒だ。お前が立ち会った方が話が早い」
種の袋をちらつかせたクルーウェルは己の懐にすぐにしまうと背を向ける。否を言わせないその姿勢に舌打ちをしたレオナは立ち上がると仕方がないとすぐさま追う。
「お前ら、わかってんだろうな」
「メイのことは俺達に任せてください!」
「ラギー先輩も一緒だから大丈夫で〜す」
「無理そうだったらジャックくんも呼ぶんで安心してくださいッス」
振り向きながら声をかければトランプ兵もハイエナも早く行けと言わんばかりに手を振っていた。
能天気なその声にまた舌打ちをしたレオナはため息を吐く。本当に大丈夫だろうか。芽唯の傍を離れたくない。
けれど、情報を自分の耳で直接聞く大切さはよくわかっている。すぐに気持ちを切り替えたレオナは先を行く白黒の教師を追い越す勢いで歩を速めた。
「Hey! 珍しい組み合わせでのご来店だね!」
「サム、どうせ来るのはわかっていたんだろう」
「当然さ。こちとらそれが売りの商売だからね」
大げさに、両手を広げて自分達を歓迎したサムにクルーウェルがぴしゃりと放つ。それに対してにんまりと口角を上げた食えない男はレオナとクルーウェルを一瞥すると真新しい紙パッケージと数枚の用紙を取り出した。
「……これは」
クルーウェルが預けていたパッケージを取り出し並べる。大きさも、多少自分が持っていたものはくすんではいるが色もほぼ同じ。同じ商品だと思っていいだろう。
「テメェ、やっぱり知ってやがったな」
「すまないねぇ。でも、言っただろ『教えることはできない』って。だけど商談なら別さ」
「商談だ……?」
なんのことだ。一緒に並べられた紙と関係があるのだろうか。首を傾げたレオナにサムは紙を指さした。
「これは権利書だよ。この花の種の流通に関するすべてのことを握ることが出来る」
「なんでんなもんお前が……。まさか……」
「俺はただ託されただけさ。これもいつも言ってるだろう。俺には秘密の仲間がいっぱいいるんだ」
そう言って怪しげな商人は笑うだけ。痺れを切らしたレオナは見守るに徹しているクルーウェルを一度睨みつけると大人しく契約書に目を通した。
「proof of Love? 花の名前か……。なんの捻りもねぇな」
オンボロ寮で嫌というほど聞いた言葉、愛の証明。少しずつ繋がっていく。
権利書と言うにはやけに簡潔なそれには品名。そして別紙にはこの商品に関するすべての権利をとある条件を満たした者に譲渡するということだけ書かれていた。
「真実の愛を証明し、解呪薬の生成に再度成功したものに譲る……?」
「この花はとても古いものなのさ。恋人に贈るのが流行ったこともある。蕾を花開かせることが出来れば永遠の愛を約束され、降りかかる危険を払うと言われていた。大切な人に誰も彼もが贈って、真実の愛とやらを夢に見た」
この間は口を噤んだというのに、やけに今日はべらべらと喋る。
時間が経ったことで、レオナが商談相手になったということか。条件はなんだ。あれから変わったこと。花が蕾を付けたこと?芽唯が眠りについたこと?
「随分と悪趣味なやつなんだな、この権利を今握ってるやつは」
「夢見がちなただの老人さ。真実の愛ってやつを追い求めたね。……と言っても、今はもうこの世に居ないから永遠に夢を見ているかもしれない」
「それで? 俺にこれを見せて何をしろって言うんだ。まだその愛とやらは証明出来てないんだが?」
「焦らない焦らない。商品には大抵必ずついてるものがある。パッケージを開けてごらん?」
サムに促されるまま、真新しい紙を開く。彼の口ぶりからして遠い過去に流行ったものだ。それにしては芽唯が持っていたもののような劣化は見られず、新品同様と言って良いだろう。
「説明書か……」
パッケージは裏も表もデザインを凝っていたせいで成分表すら記されていない。中身もシンプルに種だけだった。
しかし、サムの出してきた袋には小さく折りたたまれた紙切れが中に同封されていた。つまり、芽唯があの妖精に授かったものは欠品だったと言うことだ。
「あのやろう……」
これがちゃんと入っていれば芽唯は最初から自分に相談して植えたに違いない。みっちりと文章が印刷されたそれには、この種が魔法植物であること。周囲の魔力に馴染むための見えない根もはるので迂闊に植え変えないこと、などレオナが危惧していたことの全てが記されていた。
思わず強く握りしめかけたレオナは深呼吸をして怒りを散らす。あまり感情的になるのは得策ではない。まだ考えなければいけないことは山ほどある。
「それを部屋でじっくり読むといい。契約は別に後日でも大丈夫、まだ条件も満たしきれてないみたいだからね」
「……なんで、俺をこのタイミングで連れてきた。知ってたのか?」
まさか共犯ではないだろうか。黙したままのクルーウェルを睨みつければ彼は黙って首を横に振る。
「俺は何も知らん。ただ、頃合いを見計ってキングスカラーを連れてこいとだけ言われていた。いつごろかとは言われていなかったが、状況から察して今だろうと思ったまでだ」
「ったく、腹の底の見えねぇ教師ばっかりだな」
なにが問いたださなければならない男がいる、だ。初めから尋ねれば勝手に喋り出すと知っていたんじゃないか。
悪態を吐き出すと共に舌打ちをしたレオナは説明書と共に芽唯のモノであるパッケージだけを手に取ると、残りをサムへと突き返す。
「商談とやらはまた今度だ」
「あぁ、いつまでも待ってるよ。ゴーストになったって俺にとってはお客様さ」
「んなに待たせねぇよ。……帰る」
ニコニコと、冗談なんだか本気なんだかわからない男に背を向けて、クルーウェルも残してレオナはミステリーショップを去る。
前回訪ねた時には芽唯も一緒だったな、などとらしくもない感傷に胸が少し締め付けられた。
「愛の証明、ねぇ」
物思いに耽っていたレオナは凝った字体で説明書に記された文字を指でなぞる。
大きなレオナのベッドでなら、彼女が寝ているところに潜り込んでもまだまだ余裕がある。芽唯を抱えるように寝転んだレオナは説明書の文字をひたすら追った。
愛を証明する、ということ自体があやふやで花に名付けた生産者の顔が見てみたい。
エルの姉の元恋人は色々手を尽くしたが、それは一つも愛とやらの証明には至らなかった。
「真実……」
真実の愛、それこそどうやって証明するというのだろうか。
愛に嘘も偽りも、……まああるか。真実や永遠の愛だのと、芽唯が喜びそうな話だ。
「お前ならどう証明する?」
まるで眠っているかのように……実際に眠っているのだが、瞳を伏せ続ける芽唯の頬に触れ顔を引き寄せたレオナは額を合わせる。
いつもならこれだけ近づけば赤く色づくはずなのに、ただされるがまま、人形のように動かない。
息をしている、温もりもある。けれど応えてくれない。
喉が封じられていたのもあって、芽唯の声を長らく聴いていなかったレオナは寂しさを感じていた。声が聴きたい、名を呼んでほしい。自慢の耳で一音たりとも聞き漏らさず、我儘が下手糞な恋人の本音をあの手この手で聞き出したい。
芽唯はいつもレオナに己らしくない感情を植え付けていく天才だ。
それは物言わぬ今も変わらない。
「……めんどくせぇ女」
愛おしくてたまらない。これが真実の愛とやらでないとしたら、レオナは一体何に愛と名付けたらいいのだろうか。
最愛を腕の中に抱き、夢のような時間なはずなのに、悪夢と等しい時間を砂のように噛みしめながらレオナは行き詰った思考をひたすら巡らせた。
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