03


 他人の……レオナの妻の城であるキッチンを勝手に使うのには抵抗を覚えるが、これからしばらく世話になるレオナからの指令だ。芽唯に断る術はない。
 仕方がなく彼の妻に心の中で謝罪しながら手ごろな棚を開けては閉め、調理器具の場所を確認する。
 パタパタとあちこちを開けてわかったことは、レオナの妻はなんとなく自分と感覚が似ているということだ。
 入っていてほしいと思った場所に願ったものが収納されているし、普段使いしているであろうお皿も芽唯の背の高さで十分取りやすい。もしかしたら背格好も似ているのかもしれない。

「冷蔵庫開けますね」
「好きにしろ。入ってるもんは適当に使っていい」

 確認を終えた芽唯はいよいよメニューを決めねばと冷蔵庫へと手をかけた。
 きっと肉ばかりに違いない。レオナの妻も肉食の獣人かもしれない。そんな想像をしたままドアを開いた芽唯はこちらの時代に来てから数度目になるが目を見開いて瞬いた。

「お味噌……?」

 最初に目に入った茶色はどこからどう見ても味噌。
 その次に目に入ったのは作り置きらしき肉じゃがの入った鍋。ちゃんと食べてね、とメモまで貼ってあるのはレオナへのメッセージだろう。
 どこからどう見ても和食のそれに顔を上げた芽唯が振り向けばレオナは黙ってじっとこちらを見ていた。

「あ、あの……これって……」
「どうした?」
「奥さん、和食好きなんですか……? っていうか、こっちの世界に和食って……」
「ん? あぁ、東方の料理か。極東にある国でアイツが好んで定期的に食材を取り寄せてる」
「へ、へぇ……。こっちの世界にもそんな国があるんですね。あの、私の国の料理に似てるっていうか……」

 一瞬、元の世界に戻ったかのように錯覚させられた。ツイステッドワンダーランドに来てからは洋食がメインで和食なんて夢のまた夢だった。
 よく見れば納豆も数パック、醤油もあって、想像していた冷蔵庫の中身だとだいぶ違う。

「ミステリーショップでも取り寄せてもらえますかね……?」
「そりゃ大丈夫だろ。アイツの決め台詞を思い出してみろ」

 お決まりの英語のフレーズが脳を過る。
 それに伴い、沈み続けていた気分が少しだけ浮上した。サムに感謝だ。元の時代に戻ったら早速取り寄せてもらって故郷の料理なのだと彼に、レオナに食べて欲しいと……。そう思ってすぐまた落ち込んだ。

「です、よね。帰ったらお願いしてみようかな、なんて……」

 ハハ、と乾いた笑みを浮かべているとそんな芽唯を叱るように冷蔵庫が大きく音を鳴らす。開けすぎだと、扉を閉めろと催促する音に芽唯は適当な食材を手に取り急いでドアを閉める。
 日本の料理がまた食べれるかもと、レオナにも共有出来ると……すぐに彼のことを考えてしまった自分に対してため息を吐く。

「奥さんが和食好きなんて、その……ヘルシーでいいですね。レオナ先輩お肉ばっかりだから……」

 もしかしたら、レオナの健康を考えての選択かもしれない。
 メモ付きで鍋ごと押し込まれていた肉じゃがだって、レオナに野菜と肉を両方食べさせるためではないだろうか。味がしみ込んでいておいしいとレオナに詰め寄る姿がなんとなく想像出来る。
 ほんの少し解像度が上がったレオナの妻像からレオナを想う気持ちが伝わってきて、嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちが押し寄せる。

「晩ご飯……どうせなら和食にしましょうか。奥さんの作り置きもまだ残ってるみたいだし……久しぶりに和食食べたいし……」

 適当に手に取ったのは魚だった。豪華なキッチンには魚焼きグリルが付いているのは確認済みだ。
 肉じゃがをおかずに軽く塩を降って焼いた魚と白いご飯。納豆の他に梅干しも見かけた気がするので、好みに合わせて使ってもらえば完璧な日本の食卓になる。
 語尾に行くにつれ小さくなった芽唯の声を拾ったレオナが「それでいい」と頷いているのだけはなんとか見えた。

「じゃあ、ちゃちゃっと作っちゃいますね」

 ふらふらと力の入らなくなった足を奮い立たせ、芽唯は夕飯の準備に取り掛かった。

◇◆◇

 夕飯が出来上がるころにはすっかり日が沈んでいて、並べた不揃いの食器にレオナが顔をしかめたように見えたのは煌々とつけられた灯りのせいと思うことにした。
 この家はレオナと、その妻のモノだ。当然と言えば当然だが、食器を手にすれば大半のモノが揃いで用意されていて、嫌でも妻の存在を感じさせられる。
 そのまま妻のモノを借りればいいのはわかっているが、それが癪でレオナには恐らくいつも通り、自分には無理やり奥から引っ張りだした普段使いして無さそうな不揃いのものを用意した。
 芽唯に出来たせめてもの抵抗だ。キッチンも、エプロンも、調理器具から食材まで何もかも、レオナの妻が選んだものを借りていて、食器まで彼女のものを借りてレオナと食卓を囲むのがどうしても嫌だった。
 偶然とはいえ妻の不在を良いことに、本来彼女がいるべき場所を代わりに埋めることになるのが耐えられなかった。彼の妻からしたら自分の存在の方が不快かもしれない。レオナの態度を見るに芽唯の存在など気にかけないような人物かもしれないが。
 妻の存在を常にちらつかせてくるくせに、芽唯がその場所に踏み込むことを良しとするレオナの意図はよくわからない。
 夫婦仲が悪いようには思えない。むしろ、端々から互いに思い合っていることが伝わってくる。
 それなのに、あまりにも自分を自由にさせるレオナが不思議で仕方がない。

(諦めさせたいのかな、……なんて)

 ざぱざぱと水をくぐった皿を綺麗に並べながらぼーっと思考を巡らせる。食事を終えると同時にレオナは風呂へと向かい、レオナの視線が無くなったおかげで漸く芽唯はゆっくりと今の状況を考えることが出来た。

(奥さんのこと大好きなんだろうな……)

 アイツ、アイツと名こそ出さないが、妻のことを語るレオナは幸せそうで、芽唯の入り込む隙など微塵も感じさせない。
 納豆なんて匂いがキツイと嫌いそうなのに、慣れた手つきでかき混ぜ始めた時には驚いてしまった。
 定期的に取り寄せているという発言も合わせて、妻に食卓の権利は完全に委ねているのだろう。そうして、出されたモノに文句も言わず完食する。
 手料理が食べたいと言われた時には素直に喜んでしまったが、焼き魚の他はほとんど作り置きを皿に移しただけで妻の手料理と言ってもいいだろう。味もケチの付け所がない、むしろ芽唯好みの味がした。

(お料理は惨敗かな……)

 別に勝負をしていたわけではないのだが、これでも学生時代はレオナの胃袋を握っていたという自負がある。
 もしかしたら今の芽唯だけが見ている束の間の夢で、もう少ししたらまだ見ぬ彼の妻に立場を奪われるのかもしれないが、少なくともナイトレイブンカレッジに居る間だけは彼を満足させていたのは自分のはず。
 美味しそうに黙々と箸を使うレオナを見て、嬉しくもあり悲しくもあった。
 芽唯の知っているレオナは箸の使い方なんて知らないだろうし、箸というもの自体知らないかもしれない。
 元の時代に戻った時、サムに頼んで食材を取り寄せてもらおうと思った気持ちは徐々に萎みつつある。自分の味を知ってもらっても、やがては妻の味をレオナの舌は覚えることになる。
 そうして「久しぶり」と言われるくらいには忘れられた昔の味になってしまうくらいなら、レオナに自分の味なんて覚えて欲しくなかった。

(なんか……私凄くかっこ悪い)

 レオナが誰を選んだのかなんてわからない。知りたくもない。けれど嫉妬心だけは膨れ上がる。
 元の時代に戻った時、自分と同じ時間を生きるレオナにどう向き合えばいいのかわからない。

「知りたくなかったな……」

 幸せなのは喜ばしいことなのに、彼をそうさせたのが、そうさせているのが自分じゃないのだと思うたびに胸が痛む。

「早く帰りたい……」

 帰って、今見ているのはすべて夢だったのだと忘れてしまいたい。なんで未来に飛ばされてしまったのかはわからない。鏡が未来につながるなんてこと教師は教えてくれなかった。魔法の世界はいつも芽唯を驚かせて未知の恐怖で追い込んでくる。

「先輩……」

 未来のレオナじゃない、学生のレオナに会いたくて仕方がない。きゅっと唇を結んでもスンッと鼻から漏れる音が隠せなかった。

◇◆◇

 召使いに一人で平気かと何度も問われてようやく入った大きな風呂を出て袖を通した服はほぼ芽唯にぴったりのサイズだった。
 先ほど思った通り、レオナの妻はやはり背格好が似ているのかもしれない。ほんの少しだけ胸の部分がすかすかするのが気になるが、大した問題ではない。
 自分の想像したレオナの妻像を大笑いされた理由をなんとなく理解しながら鏡の前でおかしなところがないか最後の確認をする。
 召使いが用意してくれた服を言われるがまま着用したが、実に芽唯好みの服だ。自分で選んだと言ってもおかしくない。異性の好みが似ていると服の趣味まで似るのだろうか。
 レオナの妻への興味が湧けば湧くほどどうしたらいいのかわからなくなる。同じようなものを好み、同じ人を好きになり、そして……レオナに選ばれた女性。

「はぁ……」

 自然と漏れたため息を咎めるものはいない。
 ここで暮らす間の助けとして宛がわれた召使いは芽唯が頼まなくてもするりと立ち去り、気にならない距離で待機してくれる人だった。今も脱衣所の前で芽唯が出てくるのを文句も言わずに待ってくれている。
 早く行かなければ彼女を待たせすぎている。自分を寝室に案内するまで彼女の今日の務めが終わらない。
 最後に軽く前髪を整えて扉を開ければ壁際にピタリと張り付いていた女性がすぐに通路の真ん中へと戻って頭を下げる。

「それでは寝室へとご案内いたします」
「お願いします」

 こちらからもぺこりと返せば少し困ったように彼女は笑い廊下を進みだす。迷いのない足取りの後を追えば衛兵と思わしき人たちと時たますれ違った。鏡を抜けて現れた自分の存在はさぞ怪しいだろうに、レオナの言いつけは絶対なのか敵意はまったく向けられず。時折「あの方が……」と小声の会話が聞こえるので、噂話をしたくなる程度の興味は持たれているらしい。
 何人かの召使いや兵と話したがたまに「お……かくさま」と不自然に噛むのだけが気になった。言い慣れていないのだろうか。確かにレオナは自宅に頻繁に客人を招くタイプとも思えないが。

「こちらが寝室にございます」

 そう言って案内するとすぐに扉の前から避けた彼女に促されるままドアノブに手をかける。軽く扉を押しながら前に進めばベッドサイドでテーブルランプが室内を優しい光で照らしていた。

「えっ、あ、な、なんでレオナ先輩が……?」

 淡い光に映し出された黒い影。一方から当てられる光で陰影が濃くなったシルエットは獣人のソレで、暗闇になれた視界の中ではよく知るライオンがベッドに優雅に腰かけている。

「そりゃあ俺はいつもここで寝るからな?」

 何故そんなところに案内されたのか。慌てて振り返るも既に扉は閉められていて、召使いの姿はもうどこにもない。
 芽唯が扉に駈け寄れば、レオナはゆったりと立ち上がり歩み寄ってくる。その道中、何かをぱたりと伏せてからこちらを見やると口角を上げていつもの意地悪な笑みを浮かべる。

「俺達の寝室にようこそ」
「べっ、別室への案内を希望します!」
「そりゃ残念だが聞けねぇな。うちに寝室はここしかない」

 背後に立ち、それ以上何もしてこないレオナだが、逃げなければと慌てた芽唯はドアノブを下げようと必死に足掻く。けれどぴくりとも動かないそれにはきっと魔法がかかっているのだろう。
 レオナは学生の頃からしょうもないことに魔法を使うことがよくあった。大体は芽唯の反応を楽しむためだったが、今のこれも恐らくそうだ。

「意地悪反対!」
「人聞きが悪いな、ベッドを貸してやるって言ってんだよ」
「レオナ先輩が使ってください! わ、私はリビングのソファを貸して頂ければ結構です!」

 ふかふかすぎて身が沈む。オンボロ寮のベッドやソファがその名で呼べなくなりそうなくらいには質が違いすぎるあのソファなら十分ベッドとして使えるだろう。
 ドンドンと扉を叩き続ければ、しょうがないなと言わんばかりにレオナが深くため息をつく。

「そんなに別室が良いなら自分で探せ。案内させてたやつはもう帰ったぞ」
「そうさせてもらいます!」

 息を吐いたのが合図だったのか、ドアノブが何事もなかったように簡単に下げられた。
 足元を申し訳程度に照らすライトだけがついた廊下に躍り出た芽唯は、本当に行くのかと言わんばかりに片眉を上げてこちらを見やるレオナに向かって頬を膨らませる。

「……奥さんに電話でもしてあげたらどうですか。私なんかで遊んでるよりよっぽど有意義だと思います」

 レオナにどういう意図があるのかはさっぱりわからない。けれど、出産を間近に控えた妻がいる身の上で、突然現れた後輩を弄んでいるよりは妻に優しい言葉の一つや二つかけるのが夫としての務めではないのだろうか。
 ちらりとどこかに目配せをしたレオナの視線の先には時計が見えた。

「もう少ししたらな」

 不満げに、唇を尖らせたレオナはおもちゃを取り上げられたような子供のような声音で呟くと芽唯の代わりに扉を閉める。

「……なんなんだろ」

 浮き沈みが激しすぎてレオナの感情の起伏がわからない。芽唯を追い詰めていた時にはあんなに尻尾を揺らしていたのに、妻のことを話題に出した途端しょんぼりと大人しくなってしまった。

「奥さんのことだけ考えてればいいのに……私のことまだ想ってくれてる……ってことは流石にないよね」

 あれだけ幸せそうにしていたのにありえない。それに学生時代に自分に気があったというのも芽唯の憶測に過ぎないのだから。
 扉の向こうのレオナを睨みつけるように視線を向けても何も返ってくるはずもなく。静かになった廊下で芽唯は一人ふらふらと寝床を求めて離宮の探検を始めた。

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