04


 行く宛もなく一度案内されただけの屋敷内を朧げな記憶頼りに長い廊下を突き進む。
 本気でリビングで過ごすことも考えたが一度は寝室に案内された手前、明日朝一番であの召使いに見つかったらと思うとその選択肢は選べなかった。
 日中はいくつか素通りした部屋もあったので泊まれる部屋もきっとあるに違いない。レオナは客室などないと言っていたが、他人の……しかも元ナイトレイブンカレッジ生の言葉は安易に信じてはいけないことを芽唯はよく知っている。
 しかし、せめて何か目印になるものはないかと目を凝らしながら歩いてはいるがめぼしいものは見当たらない。
 薄暗い屋敷の中は不気味とは言わないが、心許ない明かりで足元だけを照らされた廊下にはもう人影すらなく、一人取り残されたようで不安な気持ちにはなってしまう。この時間では少数の衛兵を残して他の者たちはもう帰宅してしまったのだろう。

「どうしよう……」

 闇雲に歩いても無駄なだけだと足を止めた芽唯は廊下の隅にうずくまる。こんなことなら日の出ているうちに寝室についてしっかりと話し合っておくべきだった。
 まさか夫婦の寝室に自分を連れ込むだなんて本当にレオナは何を考えているのだろう。もう学園にいた頃とは関係も立場もなにもかもが全く違うというのに。
 以前、アズールとの賭けでオンボロ寮を奪われた時は彼の部屋に泊まり、ベッドも同じものを使ったがその延長とでも考えているのだろうか。

「奥さんいるくせに……」

 レオナの行動の真意がわからず、ただ妻に対して不誠実な男として映ってしまう。レオナがそんな男性だとは思いたくなくて必死に嫌な考えを振り払おうと首を横に振って誤魔化した。
 膝に顔を埋めた芽唯は左右に伸びる廊下を見つめて無理やり意識を逸らす。この後一体どうしたらいいのだろう。
 勝手に部屋を開けるのは憚られる。いくら相手があのレオナで、ある程度は自由にしていいと言われても人様の家を漁るような真似はしたくない。
 それにここは彼だけの家ではないのだ。彼の妻のプライベートに見も知らぬ自分が踏み込むのはあまりよろしくないだろう。

「……結婚、してるんだ」

 何を今更と自分でも思ってしまうが、改めて口に出して噛み締めると苦々しい気分になる。
 レオナのことを考えているだけなのに自然と彼の妻に配慮せねばと思ってしまう。
 まるで芽唯とグリムが学園内でニコイチ扱いだったのと同じだ。ここではレオナとその妻が二人で一つ。もう、芽唯の知っている『レオナ先輩』ではないのだという事実が否応でものしかかる。
 膝を抱える腕に力が入る。早く帰りたい。悪夢のような現実から逃れたい。

「鏡の部屋、探そうかな……」

 この時代に来て、最初に放り出されたあの部屋は誰の部屋というわけでもなさそうだった。
 何部屋か連なっていて、確かソファもあった気がする。あそこでなら一晩過ごすことも可能だろう。
 目的地を定めた芽唯はよろけながらも立ち上がり、再び屋敷の中を歩き始めた。



「あそこは……?」

 開いた扉の隙間から灯りが漏れている。しかし、レオナ達の寝室でないことは確実だ。流石に出てきた部屋くらいは覚えている。
 明るい……ということは誰かしらがいるに違いない。やはりというべきか、結局迷子になっていた芽唯は誰かはわからぬがこれ幸いと部屋の中にいるであろう人物に頼ると決めた。

「すみません。あの……」

 コンコンと軽くノックと共に扉を押せば「おや?」という声がする。少し広がった隙間から覗き込めば初老の白衣を纏った獣人の男性が回転式のチェアに身を預けながらこちらに向かって振り向いた。

「おやおや、貴女は。はは、もしかして殿下から逃げてきましたか?」
「えっと……」
「あの方もやんちゃが過ぎると言いますか。まあ仕方がないことだとは思うのですが、貴女もさぞ戸惑われたことでしょう」

 診療所のような配置で家具が置かれた空間の片隅でパソコンに向かい合っていたらしい男は、中へと手招きしながらくしゃり皺を寄せて笑い、当然のように芽唯の為に椅子を用意する。

「……レオナ先輩は、その……いつもそう、なんですか?」
「そう、とは?」

 促された手前、断るわけにもいかず席に着く。座ると同時に差し出された温かいカップを両手で包み込むように握りしめながら問えば男は小さく首を傾げた。
 凍えるほどとは言わないが、陽が落ちた室内をふらふらと歩いていた身体に温かさが心地いい。まるでその温かさに溶かされたようにほろりほろりと口から本音が零れ落ちる。

「奥さんがいるのに他の女性と仲良くしたり……とか」

 王族だから許される……といった芽唯の知らない常識があったりするのかもしれないが、一般的な家庭出身の芽唯からしたら妻が不在の間……しかも出産間近という理由で家を空けている間に旦那が他の女性を連れ込んでいたらと思うと自分のことのように嫌な気分になる。
 正確には芽唯の方からこの屋敷に転がり込んでしまったのだが、寝室に招き入れた時点で同じようなものだろう。

「あぁ、なるほど……」

 スッと両目を細めた男は何かを察したように頷くと「殿下も人が悪い」と呟いて自分のカップの中身を飲む。

「安心してください。殿下は奥さまのことを心から愛していますよ。それこそ貴女が心配するような他の方との関係なんて噂もされないくらいにはね」

 そう言って男は開かれていたブラウザ画面の検索欄に「愛妻家」とだけ打ち込んだ。
 すると検索欄に表示された文字の羅列のあちこちにレオナの名前が現れた。

「愛妻家レオナ・キングスカラー殿下……。麗しのレオナ殿下・姫さまと真昼のお忍びデート、あのヴィル・シェーンハイトが語るレオナ殿下の妻への愛……」

 少しだけ身を乗り出し、いくつかの記事をタイトルだけを読み上げた芽唯は浮かせた腰をしっかりと椅子へと降ろす。確かに、世間的にはレオナは愛妻家で通っているようだ。

「ヴィル先輩も奥さんとお知り合い……なんですね」
「えぇ、稀にご友人としてこちらにもいらしていますよ。多忙な方ですが、時間を作ってわざわざ来てくださっているようで奥さまはいつも喜ばれています」

 学生時代もヴィルはトップクラスの人気を誇るモデルであり俳優でもあった。数年経ったこの世界で彼の忙しさは想像を絶するに違いない。
 そんな忙しい合間を縫ってまで会いに来るとはよほど仲が良いのだろう。もちろん妻の方と。レオナに会いに来ているのかと問えば両者から叱られてしまう。

「そんなに奥さんが大好きって世間的にも有名になっちゃう人が、なんで今更私なんかにちょっかいかけるんだろう……」

 数多の記事と目の前の男の話を信じるならば、レオナが妻を悲しませることをするはずがない。
 けれど今は実際に不可抗力とはいえ芽唯を泊まらせ、自らの意志で寝室に招き入れたりと彼らの話す人物像とズレが生じている。まさか自分が相手だからとでも言うのだろうか。そんなの……あり得ない。

「不満ですかな。それとも不安?」
「……どっちも、です。その、内緒にしてほしいんですけど……その……好き、だったんです。過去形にするのが正しいのかわからないけど」

 芽唯にとっては学生のレオナが今で、けれどここが未来だと言うのならばこの時代を……もしかしたら元の世界で生きている自分はきっとレオナをもう過去のことにしているはずだ。

「とてもじゃないけど伝える勇気がなくて、言ったことはないし、きっとこの先も言えないままだったのかな……なんてこの時代を見て思ったんですけど」

 レオナにずっと想いを寄せたまま、元の世界に帰る日を想像する。それでいいのだと思う反面、ぎゅっと胸が苦しくなる。

「先輩、ずっと優しい目を向けてくれるんです。それこそ奥さんのことを話す時みたいな。だから、私のこと好いてくれてるのかと思ってて」

 植物園や廊下ですれ違ったとき、レオナが見せる柔らかな視線が妻を語るレオナと重なる。その瞳は鏡の中の自分と似ていて、芽唯はそれが愛なのだと思っていた。
 けれど在学中に起きた鏡の事故に関することを覚えてないのを見る限り、彼にとって「白藤芽唯」という存在はその程度だったということ。
 急にいなくなっても心配しない。何かがその身に起こったとしても気に留めない。気が向いたときに多少世話を焼いてやっただけ。

「ここが未来だって言われても、私にとっては学生のレオナ先輩が今で。そんな今の先輩が私は好きで。そんな人がこうして幸せな家庭を築けてるのはすごく安心したんです」

 妻について語るレオナは幸せそうだった。学生時代の……それこそマジフト大会の時に見せたような怒りも、焦りも、不平等な世界への絶望など忘れてしまったかのように。今この時を大切な時間だと噛みしめているようにすら見えた。
 それなのに不誠実な男性のように自分を己のベッドへと招き入れようとする。
 大好きな人がそんな不実な男だったのかという不安と、もしかしたら自分に対して気があって、今もひっそりと想ってくれているのかもしれないという期待。そして、本当にそうなら何故共に居た時に気持ちを告げてくれなかったのかという身勝手な不満が心を支配し続ける。

「奥さんの事大好きなら、奥さんの事を大事にする人でいて欲しい……」

 もちろん、子供が生まれるというのならその子のことも。
 大好きな人が大切な人を見つけて、その人との間に大切な子を授かるのなら嫉妬はするがおめでとうと手を叩く努力はする。
 手の届かない存在になってしまったのなら、思わせぶりな……元の時代に戻ったらなりふり構わず好きだと告げてしまえば己のモノになるのではないのかなんて、変な希望は見せないでほしい。
 これからどうにかして自分は彼と過ごす学生時代に戻る。未来を変えれる可能性はきっとゼロじゃない。

「フ、ハハ! ハハハハ!」
「⁉」

 何がおかしかったのか、腹を抱えるように笑い出した男はちらりと芽唯の背後に視線を送る。

「だ、そうですよ不誠実な殿下」
「誰がだよ。ったく……生意気な侍医だな」
「いえいえ、それはこちらの過去からいらした大切な方からの名誉ある称号ですよ。是非受け取って頂かなければ」
「レオナ先輩⁉ い、いつからそこに……!」

 殿下、と男が呼んだ瞬間まさかと思って振り向けば、眉間にぐっと皺をよせ、ため息をついた獅子の尻尾が視界の中でぐにゃりとうねる。
 あれは不機嫌なときに見せる動きだ。届くものなら床をびしんと叩いているに違いない。

「さあ、こちらをどうぞ」

 そういって男……侍医はチャリッと音を立てて芽唯の掌に何かを落とした。

「これって……」
「客間の鍵ですよ。貴女は必ずこちらに来るだろうから、適当に話を聞いて宥めたら送ってやってくれと言われていましてね。どうやら耐え切れずに自らこちらに来たようですが」

 くふふと肩を震わせ笑うと侍医はレオナを見て細い瞳をさらに細く伸ばしてしなやかな弧を描く。

「テメェがわざとらしく開けたまま話をしてるからだろ。生憎俺は耳が良いもんで、廊下を歩いてたら話し声が気になっちまったんだよ」
「はいはい、そうですか。そう言ってこの間奥さまに怒られたのはどこの誰でしたかねぇ」

 侍医の返しにレオナが珍しくぐっと黙り込む。レオナが言い負けるなんて、少なくとも学生時代にはあまり見かけなかった光景だ。
 しかし、そんなことよりももっと気にかけなければならないことがある。

「あ、あの。本当にどこから聞いて……」
「俺が妻がいる身で他の女を連れ込んでるのかとお前が疑ってた辺りから、だな」
「最初からじゃないですか!」

 椅子から降りて駈け寄れば、レオナは悪びれる様子もなく芽唯を真っすぐ見下ろした。

「お前が馬鹿みたいに一人でうじうじ悩んでるからだろ。どうせ俺には素直に吐かねぇだろうからこうして借りを作りたくもねぇ相手に待ち伏せまでさせたんだ。聞かないでどうする」
「借りって……自分のお抱えのお医者さん相手に使う言葉じゃないと思うんですけど……」

 未だにくふくふとレオナと芽唯を見ては笑っている侍医は相当に食えない男らしい。そうでもなければキングスカラー家……しかもあのレオナの屋敷で侍医などやれないのだろうが。

「あとはお二人で話をどうぞ。貴女もここまで聞かれてしまえば洗いざらい吐いてしまった方が楽でしょう?」
「内緒にしてくださいって言ったのに……」
「私はその言葉に返事はしていません。頷いてもいません」

 何か問題でも?と笑みを浮かべた侍医を見て芽唯は肩を落とす。柔らかな雰囲気の印象とは真逆の人物だったようだ。どちらかと言えばナイトレイブンカレッジ生の性質に似ているのかもしれない。

「もういいだろ、そいつと話してたらそれだけで夜が明ける」
「わっ、ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

 かすめ取るようにレオナの手が芽唯の手を握って、開けたままの扉から廊下へと連れ出す。
 室内からの光が差し込んだ廊下はぽかりと穴が開いたように一部だけが明るく照らされている。扉が閉まればまたあの暗い世界に戻るだろう。

「先輩と話すことなんて……」

 まさか直接言えと言うのだろうか。学生時代に好きだったのだと、貴方も自分に気持ちを向けてくれていたのではないかと。
 もうレオナが誰かと結婚しているのに、過去から来た自分が可能性があるならば振り向いてもらえるよう努力をしてこの未来にならないよう頑張ってもいいかと聞けと言うのか。

「無理だよ……」

 迷いなく廊下を突き進むレオナに手を引かれ、その背を見ながらぽつりとつぶやいた芽唯の言葉は闇の中へと吸い込まれて消えていった。

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