05


 レオナに手を引かれるまま歩いた芽唯は中庭へと連れ出された。

「足元、気を付けろよ。いつもそこで転ぶ」
「いつも……? わっ」

 ふいにかけられた言葉が不思議で気が散ったせいか、確かに指摘された場所で芽唯は躓いた。
 想定していたと言わんばかりに腰を支えられ、そのままガゼボの中の椅子へと座らせられた芽唯は小さくお礼の言葉を零しながらレオナを見上げる。

「……お話聞いてたのなら優しくしないでほしいんですけど」
「なんでだよ」
「だって、きっと奥さん不愉快です。レオナ先輩はただ親切心で後輩の面倒を見ているだけの気分かもしれないけど、度が過ぎているっていうか。奥さん、自分以外の異性と親しくしててもなんとも思わない人なんですか?」

 これまでレオナが一方的に語ってくれた人物像からはその辺りのことはわからない。本心を聞かれてしまった手前、引き返せなくなった芽唯は自らを傷つけるとわかっていてあえてそのラインを踏み越えた。
 そもそもで今更学生時代の芽唯が未来のレオナになんて言葉をぶつけようと関係ない。彼が自分を嫌おうが、煙たかろうが、拒絶しようが、レオナはもうすでに彼の妻のモノだ。
もしまだ自分がこの世界に残っているのなら彼との関係を悪くしてしまうかもしれないが、どちらにしろその自分だって過去に同じようにレオナに問いただしたに違いない。

「意外と嫉妬深い女だな。なんでもないって顔をして、そのくせ心底傷ついていると目だけでやたらと訴えてくる。どうしたもんかと問いかけてやれば逆切れすらしてくるぜ」

 ため息のように息を深く吐くけれど、口元は緩んでいて。その言葉が愛情に満ちているものだと思い知らされる。

「……だったら、やめた方がいいですよ。ただの後輩に必要以上に優しくするの。衣食住を提供してくれればそれだけで大丈夫です。じゃないと……」
「じゃないと?」
「……勘違いしちゃう」

 まだ自分には可能性があるのだと。……振り向かすことが出来るのだと、期待に胸を膨らませてしまう。

「ここが未来で、レオナ先輩は確かに大人になってる。けど、私への接し方が学生時代と変わらないというか……もっと優しくなってるというか……」

 柔らかな視線も声も、知っている。けれど、自分が知るものよりもっともっと甘く蕩けそうになる。
 好いている男性に、そんなものを向けられて勘違いするなと言う方が酷というものだろう。

「勘違い……ねぇ。確かに、お前は思い込みが激しくて、早とちりでやらかすところは今も昔も変わってないからな」
「今も……?」

 まさかこの時代の自分は未だにレオナと連絡を取る関係にあるのだろうか。てっきり過去のモノとして記憶の彼方へ置き去りにされてしまったと思い込んでいたのに、レオナの言葉に初めてこの時代の自分の姿がちらついた。
 ぱちぱちと瞬きをしながらレオナを見やれば彼はどさりと隣へ腰を下ろす。

「あの……」

 どうせならば自分がどうなったのかも聞いてしまえ。そう思って口を開いた芽唯を遮るようにレオナのポケットから音楽が鳴り始める。

「……!」

 芽唯よりも早く、すぐにその音に反応したレオナは片手で芽唯を静止すると取り出したスマホを少し操作し顔に近づける。どうやら今の音は着信音だったようだ。

「あぁ、どうなった。……っ、そうか、無事に産まれたか!」

 ごくりと息を呑みながら真剣な声音で電話越しの相手に尋ねたレオナはぐっと拳を握りしめていたが、産まれたという言葉と共に息を吐き出しながら力を抜く。
 緊張した様子のレオナに呑まれ、芽唯まで息をつめてしまったが吉報のようで安堵した。

「……候補はいくつか考えてある。あぁ……わかってる。あとで一緒に決めよう」

 瞳を伏せたレオナはくしゃりと顔を歪ませて、それでも綺麗な顔で笑みを浮かべている。もしや相手は妻だろうか。肩の力が抜けたレオナの声が少しずつ甘いものへと変わっていく。
 仮に相手が妻なのだとしたら、この電話を自分が傍らで聞いていいものかと疑問が浮かんだ芽唯だったが、立ち上がろうとした足にレオナの尻尾が絡んでいることに気付いて浮かせた腰を静かに降ろす。
 本当に、レオナの真意がまったくわからない。
 妻をこんなにも大事にしているのに、何故芽唯にまで心を傾けるのだろうか。
 確かにレオナは器用な男だ。隠し事の一つや二つ誰かに対してすることは容易だろう。けれど一方でレオナは他人の悪意に誰よりも傷つけられてきた。生まれ持ったユニーク魔法を恐れ、陰口をたたき、なにかと兄と比べられる人生にうんざりしているとそう言っていた。
 そんな彼が、こんなにも愛おしそうに声に耳を傾ける相手を謀るなど到底思えない。

「は? あいつが名前をつけたがってる? そんな権利あるわねけねぇだろ、黙らせとけ」

 そのまま何度か相槌を打ったレオナはゆっくりと顔からスマホを離すと通話を終了させてテーブルの上に裏向きに伏せる。

「……おめでとうございます。今日が予定日だったんですか?」
「まぁな」
「もしかしてさっき連絡したらって言ったときに渋ったのって、もう出産が始まってたとか……?」

 無言で頷いたレオナはテーブルに片肘をつくと、手の甲に額を押し当てる。くそ、と小さく零す姿は悔しそうだ。

「その……どうして出産に立ち会わなかったのか、とか聞いてもいいですか……?」

 今の姿を見るにレオナは子に興味がないわけでもなければ、出産という大きな出来事を迎える妻の身を案じていなかったというわけではないだろう。

「……お産の時に男が居ても役に立たねぇって義姉貴に付き添いを禁じられた」

 くしゃりと前髪を掴んだレオナは言い渡された時のことを思い出しているのだろう。眉間にぎゅっと皺をよせ、悔しそうに唇を尖らせる。

「兄貴がチェカの時にそうだったんだと。ただ狼狽えて、仕事も手に付かなくて溜め込んで。おかげで俺はそのしわ寄せで貧乏くじだ」

 レオナの兄……それはつまりファレナなのだが、分娩室の前でひたすらうろうろしている獅子の姿がなんとなく想像出来た芽唯はぷふりと噴き出す。
 何も出来ることがないからこそ、不安になって扉を隔てた先の妻とまだ見ぬ我が子を心配する。
 きっとこの世界でも何度も何度も色んな人が同じ経験をしたはずだが、レオナのそんな姿が見られなかったのは少し残念に思わなくもない。

「……その代わり、少しでも先の仕事に手を付けて、出産直後に長期休暇をもぎ取れるようにしっかりと働けだとよ」
「あー……だからお仕事をしてて、おさぼりしてお庭に居たんですね?」

 尻尾を踏んでしまった日中のことを思い返す。まるで植物園に居たあの頃のように、植物の合間でごろごろとしていた理由がようやくわかった。

「サボってねぇよ。元からそのつもりで大半の仕事は終わらせてたんだ。どっかの最高責任者様と違って優秀なんでな。追い返されたせいでもう書類の一枚も残ってねぇよ」
「……じゃあ、奥さんとお子さんといっぱい過ごせますね」

 あの子供嫌いだったレオナが我が子をその腕に抱く姿を想像する。
 立ち会えなかったことに対しての不満を漏らし、悪態をついているがとても満ち足りた表情をしている。きっと実際にその腕に我が子を抱けばもっともっと彼は満たされるのだろう。

「レオナ先輩……すごく、幸せなんですね」

 こんなにも充実した幸せな未来があのレオナにあるのだと、それが知れたことは良かった。
 自身のユニーク魔法で周囲を砂塵で包み、独りで咆哮を上げた孤独な獅子はもうどこにもいない。

「お前、なんて顔してんだよ」
「え?」
「今にも泣きそうな顔。ほんと……面倒な女だ」

 そう言って、片手で芽唯の頬に触れたレオナはテーブルに付いたままの己の腕に顔を埋める。

「……そうですね、面倒な女です。お世話になった先輩の未来に勝手にやってきて、奥さんに嫉妬して、今は……先輩が幸せそうでなんだかどうでもよくなっちゃいました」
「フッ、なんだよそれ……」
「私もよくわかんないです。でも、そんな感じなんです」

 穏やかに笑うレオナに釣られたのか、芽唯も不思議と頬が緩む。もしかしたらレオナが優しく触れてくれるからかもしれないが、だったら先ほどまで彼に優しくされるたびに感じた不愉快さはどこへ消えてしまったのだろう。

「その……この時代の私ってどうなったんですか。って聞こうと思ったんですけど、やっぱやめにします」
「……いいのか。一番気になる事だろ」
「いいんです。だって、知ったところで何かが変わるわけでもないし」

 大人しくレオナを諦め、元の世界に帰ったのかと思ったが、きっと今もこの世界に居るのだろうということはなんとなくわかった。それ以上のことを知るのは無意味だと、幸せそうなレオナを見て思ってしまった。

「そうじゃない未来にしようと足掻いて、この未来がなくなるのも嫌だし」

 下手に先を知って、大好きな人がこんなに優しい笑みを浮かべる未来を失くしたくない。
 酷い酷いと自分を可哀想な被害者のように扱って、悪夢のようだと思っていたのが嘘のようだ。

「ホント、バカな女だ」
「そうですよ。バカで面倒な女なんです。知らなかったんですか?」
「いや……よく知ってる」

 くっと喉を鳴らして笑うレオナはやはり穏やかな笑みを浮かべていて、幸福とはこうも人を変えるものかとその顔をじっくりと見る。

「本当に……おめでとうございます。レオナ先輩、もうパパなんですね」
「ばーか、嫁の腹に子が出来た時点でもうとっくに父親だろ」

 長い睫毛に縁どられたエメラルドグリーンがきらりと輝く。
 どんな夜空の星よりも、一等綺麗なそれを吸い込まれるように覗いた芽唯は何故かとても満ち足りた気分だった。

◇◆◇

 子が産まれたと最初の一報が届いた翌日、経過は良好であることとおおよその退院日が知らされた。
 あの後、無事に渡された鍵で客室に泊まった芽唯は、初日のあの不安はどこに消えたのかと思うほどレオナと接しても気持ちが穏やかでいられた。
 レオナ曰く「アイツが落ち着いたからお前も落ち着いたんだろ」とのことだが、さっぱりなんのことかわからなかった。
 帰る方法がわからないまま数日が過ぎ、その間芽唯は手持無沙汰なのもあって屋敷の家事を少しだけ請け負っていた。
 何故少しだけなのかと問われれば、あまりにもあれこれやろうとする芽唯に「仕事を奪うなって前にも言っただろ」と一度も言われたことがないのに二度目のように叱られたからだ。
 苦笑する召使いたちは何かを知っているようだったが、芽唯はあの日の晩にもう何も追求しないと心に決めたのでただ「はい」と従った。
 芽唯に許されたのは食事を作ることと、己が泊っている客室。それと召使い達に頼まれ夫婦の寝室の掃除だ。なんでも、レオナの妻が居るときは寝室の掃除は彼女が行っていて、レオナも彼女以外の人間に手を出されるのを嫌うらしい。
 何故そこで自分に白羽の矢が立つのかだけは不思議だったが、仕事が欲しいのに理由を問うのは違う気がして口は閉ざした。

「魔法で貼り付けてあるんだよね……」

 まったく……と息を吐いても剥がせるわけもなく。倒れたままの写真立ては未だに起こすことが叶わない。
 最初の夜、寝室を訪ねてしまった際にレオナがパタリと伏せたのが恐らくこれだ。あの日から今日まで写真立てはその役割を放棄し、ずっと伏せられたままでいる。
 二日目、日中に寝室を訪ねた芽唯は写真立ての存在に気付いて触れてみたが、魔法がかけられていてぴくりとも動かせないことをすぐに理解した。また魔法の無駄遣いだ。

「もう……」

 どうして有り余る才能をこんなことに使うのか芽唯には理解できない。
 大きなベッドの傍らで美しく咲き誇っている真紅の花もレオナが咲かせた魔法植物だというのだが、どうせならこういった素晴らしいことに才能を向ければいいのにと思ってしまう。

「奥さん、どんな人なんだろう」

 言葉では愛おしそうに何度も惚気るのに、何故か頑なにレオナは奥方の写真を見せてはくれなかった。
 姿を見たら未来が変わってしまう可能性があるのかと問えば首を横に振り、じゃあただ見せたくないのかと聞けばそれも首を横に振る。
「会えばわかる」とだけ毎回告げるレオナに首をひねった回数はもう覚えていない。
 今日はついにその「会えばわかる」が果たされる日なので、これ以上芽唯が首をひねることはないだろう。
 芽唯と恐らく同じ背丈で、趣味が似ていて、和食が好きで、料理も上手。もちろん好きな人も同じ。
 総合するに、自分と似たような人物であることは把握していて、ならば何故自分が選ばれなかったのだろうと思わなくはない。けれど、もうそんなことはどうでもよかった。
 妻が帰ってくる日をまだかまだかと待ちわびるレオナの姿をこうして間近で見られただけで幸せだ。
 元々、彼と元の世界の間で揺れていて、告げるつもりもなかった恋心に終止符を打つ良いきっかけになったと思えば悪くない。
 元の時代に戻ったらただの後輩として、レオナの日々にほんの少しでも良い形で自分の跡を残そう。未来のレオナが過去から来た芽唯を見て愉快そうに笑ってくれたように、自分にとっての今のレオナが、同じように遠い未来で過去から来た自分にあの笑みを向けてくれるように。

「おい、そろそろ帰って来るらしいから出迎えに行くぞ」
「わ、わかりました!」

 扉越しに声がかかる。目の前の鏡を借りて前髪と、それから僅かに緩んでいたネクタイも絞め直した芽唯は制服のスカートを翻して声の主の元へと向かう。
 どんな人なのだろうか、どんな子なのだろうか。ついに、レオナの妻と産まれたばかりの子供と対面だ。

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