06
新しい家族と対面するのにふさわしく空は青く澄んでいる。
屋敷の前で堂々と腕を組んで仁王立ちするレオナのすぐそば……の柱の陰で芽唯はそんな青空を見ることなく地面をじっと見据える。
レオナが幸せであればそれでいいと割り切りはした。けれど、妻が不在の間に屋敷に転がり込んでしまった罪悪感だけは拭いようがない。不可抗力とはいえ、子供が生まれるのと同じころレオナを独り占めしてしまった。なんだお前はと妻や彼女が抱えて帰ってくるであろう子に罵られても文句は言えない。
「まだンな端っこにいんのかよ。もうすぐ来るぞ」
「だって……そもそもで私は場違いですし……」
スマホを片手にこちらを見るレオナは傷がある方の目を眇めながら芽唯を見ると深くため息を零す。
呆れたような彼の反応に芽唯も肩を窄めるが、自分の言い分の方が正しいとも思うので彼の方に顔を上げはしない。
雇われている召使いたちはまだわかる。今も門の前で屋敷の安全を守っている衛兵だって、そこにいるのが彼らの仕事だ。けれど芽唯は召使いでもなければ、レオナの家族でもない。感動の親子の対面に立ち会う理由が全くない。
「言っておくがお前がいることはアイツらに話してあるからな」
言外に逃げるなよと釘を刺され、渋々顔を上げればムッと唇を尖らせたレオナと目が合いすぐに視線を戻す。
「知ってますよ。……なんて伝えてるのかは知らないですけど」
ただの客人……もしくはかつての後輩、といったところだろうか。友人という言葉が自分達に当てはまるとは思えないし、誰かを友と紹介するレオナも想像出来ない。
どんな言葉を並べて訳のわからない『過去からの訪問者』を客人として迎え入れていることを妻に話したのか知らないが、子供が生まれたという連絡があった翌日の朝、未だに少し妻に対する遠慮を見せながらキッチンを使う芽唯に対して「アイツにお前が使ってるってのは言ってある」と大きな欠伸を零しながら告げるレオナには心底驚かされた。
どう伝えたのか、奥さんは嫌がっていなかったのか、聞きたいことを一気にまくしたてる芽唯に対して煩わしそうに耳をぺたりと伏せて聞き流したレオナは何一つ答えてくれなかった。つまり芽唯に出来ることは彼の妻が怒っていないように祈ることだけ。
なるべく荒らさず、汚れもほとんど残さないように普段以上に気を使ってキッチンを使う日々は少し息苦しかったが使い勝手は悪くなかった。それこそ、将来結婚して家が持てるならこんな素敵なキッチンが自分も欲しいと思ってしまうほどには。
現実には芽唯がこれから出会う男性たちの中に同規模のキッチンを用意出来る者などいないだろう。まあ学園内になら何人か思い浮かぶ人物はいるが、彼らと懇意になる自分の姿は想像出来ない。
そんな何の益にもならない無駄な妄想は早々に切り捨て、顔を上げないままちらりと諦めはしたがやはり大好きな人の表情を覗き見る。
なんだかんだと自分の方に気を向けてはいるが、愛する妻と生まればかりの我が子に漸く会えるのにいつまでもこちらに意識など向けてはいないだろう。
そう思って視線を向けた……はずだったのに。
「……な、んで、そんな顔してこっち見てるんですか」
「さぁな、なんでだと思う?」
「わからないから聞いてるんですってば……」
思わず顔を上げて問いかければ、質問に質問が返される。
絵にかいたような呆れを浮かべていたはずの顔は頬を緩ませ唇は柔らかな弧を描き、サマーグリーンの瞳は甘く蕩けた様に温かさを滲ませている。まるで愛おしいものを見るように。
──レオナを思い浮かべた鏡の中の芽唯と一緒で、時折芽唯の時代のレオナが向けてくるあの表情そのものだ。
なんで、どうして。まだ自分にそんな顔を向けるのかと自然と唇が動きそうになる。
抑えきれなくなった言葉を吐き出すために息を吸い込む。もうすぐ妻が、ダメ、待って、そんな理性的な自分を振り払って感情だけが先走る。
「なんっ、なんで……!」
「にゃっはー! やっと着いたんだゾ。たっだいまー!」
「へっ⁉」
詰まりながらも決壊したダムのように口先からまた本音が零れ落ちそうになったが聞いたことのあるフレーズと声が耳に届く。なんならカチカチと石畳と爪がぶつかる特有の足音さえも聞こえてくる。
「オレ様の帰宅なんだゾ! やいレオナ、ちゃんと出迎えに来てるんだろうな!」
「ぐっ……ぐり、グリム……?」
レオナを見上げていた視線をぐっと降ろして慣れた高さに合わせれば、ふわふわとした毛並みの想像した通りの姿がそこにある。
まさか自分と同じようにグリムもこちらの時代に来てしまったのか。しかし、そんなはずはない。毎日のように鏡の部屋には通っていたがあの鏡はうんともすんとも言わなかった。どれだけ触れても普通の鏡でどこにも繋がらない。
それに元の時代のグリムは自分が来る寸前にはエースに抱えられていた。芽唯がどこかに転移させられた鏡の危険性を考えれば誰もがグリムを鏡から遠ざけようと画策するだろう。
「なんだ? もしかして子分なんにもわかってねぇのか?」
くりっとしたアーモンド型の瞳に見上げられ、ぱちくりと瞬くそれに合わせて芽唯も瞳を瞬かせる。
「ぐ、リムなんで……。いや、あの、えっ? なんで私がいるのを疑問に思わな……。というか、なんでレオナ先輩のお家にグリム……?」
無意識にしゃがんだ芽唯の膝にグリムが飛び乗る。安心感すら覚えるその重さをぎゅっと抱きしめれば間違いなくグリムであることがわかる。しかし、芽唯が知るグリムより幾分か毛がふわふわとしていて手触りもいい。まさか本当にここに住んでいるのだろうか?ただいま、と。帰宅を知らせる言葉をグリムは……我が親分は口にした。
自分はグリムが……おそらくこの時代のグリムが目の前に現れたことに動揺しているのに、彼はそんな素振りは一切ない。むしろ驚いているこちらに対して疑問を抱いた。
上手く目の前の出来事が呑み込めなくなった芽唯は、一番状況を理解しているであろうレオナに助けを求めようと彼の方を仰ぎ見る。
「せ、先輩、これって……」
一体どういうことなのか。
そう続けようとした芽唯の言葉なんて届いてないようにレオナはまっすぐ前を見つめては笑みを浮かべる。
先ほどの甘い笑みを少し崩してくしゃりと眉を顰めてはいるけれど、それはきっと喜びから来るものだ。少し泣きそうにも見えるその顔は幸せで仕方がないのだと物語っている。
「……おかえり、メイ」
「っ……」
きゅっとサンダルで音を鳴らしながら一歩踏み出したレオナは腕を広げて前方から歩いてきた人物を包み込む。
待ちきれないと、少し速足で前へとのめり込むように進んだ彼の口から出た名前に思わず息を呑んだ芽唯はそのまま固まり、彼の姿を目で追えないでいる。
──今、彼はなんて言った?誰の名前を呼んでいた?
「子分、まーたレオナに意地悪されてたんだな?」
膝の上のグリムが大きく息を吐いたのをきっかけに、金縛りにあったかのように固まっていた身体が少しほぐれる。それでもギギギッと音を立てるようにゆっくりとしか動かせない首をなんとか捻って振り返った芽唯はようやくレオナの腕に包まれた彼の妻の姿を目にする。
「……わ、たし」
「ふふ、ただいまレオナさん! それと……ごめんね私」
同じ声のはずなのに、片方は震え、もう片方は弾んだような音を出す。
どて、と間抜けな音を立ててグリムを抱えたまま後ろに崩れ落ちた芽唯は軽く尻もちを打つ。
すっかり地べたに座り込んでしまった芽唯だったが、脱力していく身体を起こすことは難しく、腕の中の親分を抱えているだけで精一杯だ。
「あっ、えっ……⁉ あっ……なんっ」
「くっ……くくっ……フッ、ハハッ! お前は生まれたばっかの赤ん坊かなんかか? こいつが起きちまったのかと思ったぜ」
ぱくぱくと言葉にならない音を発するだけの芽唯の声をかき消すように、もう一人の芽唯を抱きしめていたレオナが大きく笑いだす。
肩を震わせて笑いながら、それでも腕の中の存在を手放すつもりはないのか。片腕だけ外して彼女の肩を抱き寄せ並び立つ。
レオナに抱き寄せられた……どこからどう見ても自分らしき女性は赤ん坊を抱えていて、脳は理解を拒むが状況だけを顧みれば彼女がレオナの妻であるのは確かだろう。もしくは……。
「レオナ先輩のとこで召使いとして雇われてる……とか」
本当の妻が後ろにいるのではないか、赤ん坊の世話役として呼ばれたのではないか。そんなあらゆる可能性を想像して、二人の後ろに誰かいないのかと体を横にずらして視線を向ける。
「だれも……いない……」
もごもごと居心地の悪さに声を詰まらせながら呟いた芽唯を見守るように、腕の中のグリムも目の前の二人も口を噤む。
いっそ早く答えをぶつけてくれればいいのに。
恐らく自分はとんでもない勘違いをしていて、ずっとずっとレオナに揶揄われていたのだと、グリムの先ほどの言葉が芽唯がようやくたどり着けた答えを裏付ける。
急激に込み上げてくる恥ずかしさと、嬉しさと、一度には抱えきれない感情に包まれた芽唯はただ叫ぶしかなかった。
「しっ……、信じられないっ!」
キッと真っ赤な顔でレオナを睨む芽唯はニヤニヤと笑ったライオンとその隣で困った顔で笑う妻を見て頭の中がくらくらとする。
信じられないのは目の前の現実ではない。レオナのあまりの意地の悪さについてだ。
もちろん、レオナも、自分自身である彼の隣で笑う女性もそんなことは言わなくてもわかっているのだろう。
「っ……だって、ほんと……ば、ばかぁっ」
終いにはぼろぼろと涙が零れ落ちて来て、それ以上何も言えなくなった芽唯を顔を見合わせた夫婦が楽しそうに笑うものだから溢れたものを止めるなんて不可能に近い。
「し、しんじられっ……う、……うっ……うぅあぁあん!」
「あーあー、もう。レオナさんが意地悪するから……。私すっごく可哀相……」
自分の声が他人事のように泣き出した己に対してコメントをする。なんて不思議な気分だろう。
わんわん泣き出してしまった学生服の芽唯の腕の中、ふぅと息を吐いたグリムだけが芽唯に同情していた。
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