幕間
レオナが傍らにその少女を置き始めたのは新学期が始まってすぐのことだった。
泣き言を吐かず、仕事も丁寧で、ラギーにとっても彼女の存在はありがたかった。なにより彼女の口から出るお小言にはあまりレオナが文句を言わないのが最高だ。
お国柄で女性に優しいとか。意外と女好きなのではとか。彼をあまり知らぬ者は口々に好き勝手言いたい放題な噂話をしていたが、あのレオナに関しては違う事情があることを側近のハイエナはよく知っている。
女子供と言うのは非常に立場が弱い生き物だ。それが男子校という存在自体がイレギュラーと化す場所ならなおのこと。
そんな場所であの少女が一人ふらふらとしていれば揉め事の火種になるのは明らか。そしてなにより頭の痛くなる話は恐らく自寮生が一番火遊びを始めそう、ということに他ならない。寮長としても夕焼けの草原の男としてもそれだけは避けたい。
もちろん、サバナクロー生はレオナの他にも夕焼けの草原出身の生徒が多い。ラギーだってそのうちの一人だ。記憶の中の王宮で働く強靭な近衛兵の姿を思い出せばすぐに尻尾が垂れ下がる。夕焼けの草原の女性はとても強かった。
そうでなくとも女性とは怒らせると非常に怖い。大半の男は口では女性に敵わない。あのレオナすら電話越しに義姉に尻尾を下げては辟易としながらも、ただ黙って相手が満足するまで聞き手に徹することを余儀なくさせられているのを幾度となく見かけたことがある。
心身共に屈強なあの女性達と違って芽唯はひ弱な草食動物だが、彼女が困るのをわかっていて見て見ぬふりをしたと故郷の女性に知られた時のことを思えば背筋が震える。
ラギーも自身の祖母にそんなことを伝えたら何をされるかわからない。
学園内の全ての生徒がそうであるならばよかったが、ナイトレイブンカレッジにはあらゆる国の生徒が集まり趣味趣向から種族や常識すらも多種多様であり、誰もが女性を尊重するとは限らない。この世界のことすら右も左もわからない彼女には厳しい場所だ。
しかし、そんな少女にもちょっとした居場所を与えてやるだけでレオナの群れの獣達は単純というか、よく言えば躾が出来ていた。
『異世界から来た少女は寮長の食事係を任されている』という話もくだらない噂と同じくらい。いや、それ以上の速さで広まった。
サバナクローは性質上獣人の生徒が多い。故に確かに寮長の匂いが芽唯からかすかにするぞ。と愚か者でもすぐに気づいたし、パタパタとお弁当を片手に駆け回る姿も幾度となく目撃されて噂は事実として認識された。
ならば、そんな寮長が目をかけている少女に絡んでしまえば彼女だけでなくレオナに喧嘩を売っていると思われてもおかしくない。
縦社会がきっちり出来上がっているサバナクロー寮でそんな誤解を受ければ結末はわかりきっていて、あまり賢くない寮生たちも芽唯に愚かな絡み方をするという悲劇は流石に起こさなかったし、サバナクロー寮長という知名度を考慮すればある程度であれば他寮生への効果もある。
レオナは多少なり関わりを持ってしまった女性を自分の影響力や立場を利用して何の労も費やさず。それどころか常々愚痴っていたラギーの負担を軽くするというおまけ付きで見事に芽唯の……少なくともサバナクロー内での地位を確立してみせたのである。
(ほんっとこういうのは上手くやるッスよねぇ……)
図書館から戻ってきたばかりのラギーに自室へ夜食を運ぶよう要求したかと思えば、食べ終わるなりすぐに眠ってしまったレオナを見下ろしながらため息をつく。
ベッドの上でゴロゴロと惰眠を貪る自分達の王様。彼が散らかした洗濯物を適当に集めたラギーは机の上に少し前まで夜食が乗っていた皿を下げる代わりに一冊の本を置いた。
(昼飯作らせて、最近では勉強まで見てやってるっぽいけど、別にそこまでしてやる必要ねぇよなぁ)
流石は我らが王様。とその手腕に拍手を送りつつも彼女との関係を考えるたびに少しだけ疑問が生まれる。
懐に入れていないと言えば嘘になる程度には『面倒ごとを避けるため』以上の施しを彼女にしているのが気になってしまう。
噂の中では一目惚れをしただのというのもあるが、まさかあのレオナが本当に?
首を何度捻っても出ない答えを求めてレオナを見れば片目だけ開けてこちらを睨みつけてくる獅子と目が合い肩が跳ね上がった。
「うわっ!? ちょっと、起きてるなら言ってくださいよ!」
「ジロジロ見てたのはお前だろ。視線が気になって寝れやしねぇ」
「ンな繊細じゃねーっしょ!」
いつもぐーぐー寝ている姿を見せられているのだから言い返しても許されるだろう。くわっと牙を見せつけるかのように大きくあくびをして伸びをするレオナは時計を見やっては外から流れ込んでくる風とその鬣を遊ばせる。
つまらなさそうに目を細め、どこか遠くを見つめる姿からは何を考えがえているかは読み取れそうにない。
「そーだ、これ。頼まれてた絵本ッス」
机の上に置いたばかりの本を見せつけるように持ち上げれば「……あぁ」と相槌と共にレオナが頷く。
『“子供でもわかる”まほうと古いれきし』と書かれた本は絵が多く、文字の少ないそれはどこからどう見ても絵本だ。レオナに図書館から借りてこいと言われた時には自慢の耳を疑ったが、芽唯の顔がすぐに浮かんで理由を問う必要はなかった。
「飯作らせる代わりに傍に置いてやって、今度はおベンキョーまで見てやるつもりッスか?」
「あ? お前の勉強だって見てやってるだろ」
「それはそうッスけど……なんかその分あの子から見返り増やしたんスか?」
「…………」
「ほらね」
肩をすくめてわざとらしく「らしくない」と体で表現すればレオナはまるで逃げるようにラギーに背を向ける。
別にレオナが本当にあの娘に一目惚れとやらをしたのならそれでもいい。報酬がもらえるなら恋のキューピッドとやらもやぶさかではない。けれど……。
「もうすぐマジフト大会ッスよ、レオナさん」
「わかってる。お前は指示した通りに仕事をすりゃいいんだよ」
己にようやく視線を向けたレオナがニヤリと笑う。そうだ。そうだ。その顔だ。
自分達にか弱い異世界からの少女を庇護している時間なんて本当はない。なんてたって今年こそあのマレウス・ドラコニアから天下を奪ってやらねばならぬのだ。
「頼りにしてるんスから!」
的確に、バレぬように。
潰さなければいけない相手は妖精王だけではない。それにはレオナの作戦が何よりの頼みの綱だ。
「わかってるって言ってるだろ」
フンっと鼻を鳴らしたレオナはあいも変わらず三日月が浮かぶ夜空を見上げる。
シシシ、とラギーの特徴的な笑い声だけが響き。レオナはくすりとも笑わなかった。
◇◆◇
一人、また一人と事故を装い怪我をさせる。スカラビアのジャミル。ハーツラビュル……はリドルを狙ったのにトレイが怪我をしたがまあ概ね成功。
自分だけの唯一の武器──ユニーク魔法が役に立つのは鼻が高いし気分がいい。しかも将来に繋がる大事な試合がかかっているから自然とやる気も込み上げる。
そのユニーク魔法を使って芽唯と一緒に暮らしている魔獣から昼食を奪うなんてこともしたが、まあ作戦に支障はないだろう。
マジフト大会が近づいて他寮の有力選手を潰し始める少し前、ラギーが絵本を届けたあの晩からレオナが芽唯から距離を取った。せっかく借りてきたのにと思わなくもないが、大会が近いのだからと促しもしたし文句はない。
突然昼食係をやめさせられた芽唯がアレからどうしているかなど知ったことではないが友人たちと楽し気に過ごしていたので問題はないだろう。
(あるべき関係に戻っただけだし)
別にこうなることは想定内だ。というより、彼女を遠ざけるのが少し遅かったようにも思える。
芽唯はレオナとの連絡手段としてラギーを訪ねてくることもままあった。ちょろちょろとうろつかれれば計画実行時に目撃されかねないリスクがある。
もちろん、寮生たちと結託して彼らの背に隠れて実行していたし、周囲にも気を配っていた。鼻も利かぬただの少女に不意をつかれるなんてことはないに等しいのだが。
不意に不思議そうな顔をして魔獣が勝者の証のデラックスメンチカツサンドを手放すのを見つめた芽唯の姿を思い出してしまって込み上げた笑いにレオナが顔を顰める。
「ンだよ……気持ち悪りぃな」
「なんでもないッス!」
今日の報告をするため部屋を訪ねていたラギーは変わらず浮かぶ三日月をちらりと見ては妙に機嫌の悪いレオナと向き合う。
「メイくんちょっと元気ないけど平和にやってるぽかったッスよ」
「あァ? なんでアイツの話になんだよ」
「いやー、流石のレオナさんもナワバリから追い出した女の子がどうなったかくらい気になるかなーって」
「ハッ、お前の中の俺は随分優しい男みてぇだな?」
「そりゃーオウジサマだし?」
シシシ、と茶化すように笑って誤魔化しながら笑みを浮かべて細めた瞳で様子を伺う。
レオナの機嫌が悪い日はままあるが最近は特にそんな日が多かった。
けれどレオナは理不尽にキレたりしないことをラギーは知っている。ラギーや寮生たちには理解出来ないスケールで物事を考えもするが、基本的には同じ血の通った人間だ。
不機嫌になるのは嫌なことが起こったり言われたりした時だし、当然失礼なことを言われれば誰だってムッとする。ハイエナであるラギーはありもしない誹謗中傷をあたかも事実のように言われる理不尽がこの世にあることも知っている。
レオナが何を抱えているかなんて知らないけれど、人にはそれぞれ何かしらの地雷があるものだ。
大体レオナの機嫌が悪い日はそんな地雷を誰かが踏んだ時なのだが。こうも連日機嫌が悪いとなると原因は別にあると思って間違いない。
(メイくん遠ざけたのって作戦の為だけじゃないんだろうな)
何があったのか察するに至るまでには情報が足りないが、時期はピッタリと合う。無関係と言い切るには無理があるほどに。
ラギーから見てもレオナは芽唯のことをそれなりに気に入っていたように思う。他の奴らが噂するような特別だとか、恋だとか。そういう感情についてはよくわからないが。少なくとも彼女はレオナの中に一つの個としての居場所を作り上げたのだ。でなければわざわざ絵本を借りてこいだなんてレオナが命じてくるはずがない。
理由はともかく、あれは「芽唯のために」レオナが行動を起こしたなによりの証拠だ。
彼女の手元に渡ることなくレオナの部屋に残されたままのそれをレオナが触った様子はないが、返してこいと言われないのは自分に借りた理由を失ったことを悟らせないためか。まだ彼女と接触するつもりがあるからなのかはわからない。
(別に二人がどうなろうがオレには関係ないけど、レオナさんの機嫌が悪いままなのは困るんだよなぁ)
学園にいる間はレオナにゴマを擦っていれば色々と安定するのは間違いない。卒業した後も付き従うのも報酬次第で悪くないが、そこに芽唯が必要かと言われればそんなことはない。
けれど、芽唯と接し始めてからのレオナは以前に比べて扱いやすかったのもまた事実。
(どう立ち回るのが正解なんかなぁ……わっかんねー)
兎にも角にも今はマジフト大会でサバナクローが優勝するのが最優先だ。そのためには芽唯に周りをうろつかれるのは邪魔。レオナだってそう思っているはず。
ここ数年の雪辱を晴らし。あのマレウスすら討ち取ってサバナクローが、なによりもレオナが一番なのだと学園中……いや、世界中に知らしめる。活躍すれば自分にだってプロスカウトのチャンスも巡ってくる。
(大会が終わって、まだ二人が接点を持とうと思ってるなら取り繕う……とか?)
そうだ。きっとそれがいい。
ラギーもレオナも体は一つしかないのだから。二頭を追うものは一頭も得ず。まずはマジフト大会を。それが終わってからまた芽唯と向き合えばいい。もちろん我らの王様が望むのならば、だが。
ハイエナは骨まで残さず平らげる。そこに レオナが傍らにその少女を置き始めたのは新学期が始まってすぐのことだった。
泣き言を吐かず、仕事も丁寧で、ラギーにとっても彼女の存在はありがたかった。なにより彼女の口から出るお小言にはあまりレオナが文句を言わないのが最高だ。
お国柄で女性に優しいとか。意外と女好きなのではとか。彼をあまり知らぬ者は口々に好き勝手言いたい放題な噂話をしていたが、あのレオナに関しては違う事情があることを側近のハイエナはよく知っている。
女子供と言うのは非常に立場が弱い生き物だ。それが男子校という存在自体がイレギュラーと化す場所ならなおのこと。
そんな場所であの少女が一人ふらふらとしていれば揉め事の火種になるのは明らか。そしてなにより頭の痛くなる話は恐らく自寮生が一番火遊びを始めそう、ということに他ならない。寮長としても夕焼けの草原の男としてもそれだけは避けたい。
もちろん、サバナクロー生はレオナの他にも夕焼けの草原出身の生徒が多い。ラギーだってそのうちの一人だ。記憶の中の王宮で働く強靭な近衛兵の姿を思い出せばすぐに尻尾が垂れ下がる。夕焼けの草原の女性はとても強かった。
そうでなくとも女性とは怒らせると非常に怖い。大半の男は口では女性に敵わない。あのレオナすら電話越しに義姉に尻尾を下げては辟易としながらも、ただ黙って相手が満足するまで聞き手に徹することを余儀なくさせられているのを幾度となく見かけたことがある。
心身共に屈強なあの女性達と違って芽唯はひ弱な草食動物だが、彼女が困るのをわかっていて見て見ぬふりをしたと故郷の女性に知られた時のことを思えば背筋が震える。
ラギーも自身の祖母にそんなことを伝えたら何をされるかわからない。
学園内の全ての生徒がそうであるならばよかったが、ナイトレイブンカレッジにはあらゆる国の生徒が集まり趣味趣向から種族や常識すらも多種多様であり、誰もが女性を尊重するとは限らない。この世界のことすら右も左もわからない彼女には厳しい場所だ。
しかし、そんな少女にもちょっとした居場所を与えてやるだけでレオナの群れの獣達は単純というか、よく言えば躾が出来ていた。
『異世界から来た少女は寮長の食事係を任されている』という話もくだらない噂と同じくらい。いや、それ以上の速さで広まった。
サバナクローは性質上獣人の生徒が多い。故に確かに寮長の匂いが芽唯からかすかにするぞ。と愚か者でもすぐに気づいたし、パタパタとお弁当を片手に駆け回る姿も幾度となく目撃されて噂は事実として認識された。
ならば、そんな寮長が目をかけている少女に絡んでしまえば彼女だけでなくレオナに喧嘩を売っていると思われてもおかしくない。
縦社会がきっちり出来上がっているサバナクロー寮でそんな誤解を受ければ結末はわかりきっていて、あまり賢くない寮生たちも芽唯に愚かな絡み方をするという悲劇は流石に起こさなかったし、サバナクロー寮長という知名度を考慮すればある程度であれば他寮生への効果もある。
レオナは多少なり関わりを持ってしまった女性を自分の影響力や立場を利用して何の労も費やさず。それどころか常々愚痴っていたラギーの負担を軽くするというおまけ付きで見事に芽唯の……少なくともサバナクロー内での地位を確立してみせたのである。
(ほんっとこういうのは上手くやるッスよねぇ……)
図書館から戻ってきたばかりのラギーに自室へ夜食を運ぶよう要求したかと思えば、食べ終わるなりすぐに眠ってしまったレオナを見下ろしながらため息をつく。
ベッドの上でゴロゴロと惰眠を貪る自分達の王様。彼が散らかした洗濯物を適当に集めたラギーは机の上に少し前まで夜食が乗っていた皿を下げる代わりに一冊の本を置いた。
(昼飯作らせて、最近では勉強まで見てやってるっぽいけど、別にそこまでしてやる必要ねぇよなぁ)
流石は我らが王様。とその手腕に拍手を送りつつも彼女との関係を考えるたびに少しだけ疑問が生まれる。
懐に入れていないと言えば嘘になる程度には『面倒ごとを避けるため』以上の施しを彼女にしているのが気になってしまう。
噂の中では一目惚れをしただのというのもあるが、まさかあのレオナが本当に?
首を何度捻っても出ない答えを求めてレオナを見れば片目だけ開けてこちらを睨みつけてくる獅子と目が合い肩が跳ね上がった。
「うわっ!? ちょっと、起きてるなら言ってくださいよ!」
「ジロジロ見てたのはお前だろ。視線が気になって寝れやしねぇ」
「ンな繊細じゃねーっしょ!」
いつもぐーぐー寝ている姿を見せられているのだから言い返しても許されるだろう。くわっと牙を見せつけるかのように大きくあくびをして伸びをするレオナは時計を見やっては外から流れ込んでくる風とその鬣を遊ばせる。
つまらなさそうに目を細め、どこか遠くを見つめる姿からは何を考えがえているかは読み取れそうにない。
「そーだ、これ。頼まれてた絵本ッス」
机の上に置いたばかりの本を見せつけるように持ち上げれば「……あぁ」と相槌と共にレオナが頷く。
『“子供でもわかる”まほうと古いれきし』と書かれた本は絵が多く、文字の少ないそれはどこからどう見ても絵本だ。レオナに図書館から借りてこいと言われた時には自慢の耳を疑ったが、芽唯の顔がすぐに浮かんで理由を問う必要はなかった。
「飯作らせる代わりに傍に置いてやって、今度はおベンキョーまで見てやるつもりッスか?」
「あ? お前の勉強だって見てやってるだろ」
「それはそうッスけど……なんかその分あの子から見返り増やしたんスか?」
「…………」
「ほらね」
肩をすくめてわざとらしく「らしくない」と体で表現すればレオナはまるで逃げるようにラギーに背を向ける。
別にレオナが本当にあの娘に一目惚れとやらをしたのならそれでもいい。報酬がもらえるなら恋のキューピッドとやらもやぶさかではない。けれど……。
「もうすぐマジフト大会ッスよ、レオナさん」
「わかってる。お前は指示した通りに仕事をすりゃいいんだよ」
己にようやく視線を向けたレオナがニヤリと笑う。そうだ。そうだ。その顔だ。
自分達にか弱い異世界からの少女を庇護している時間なんて本当はない。なんてたって今年こそあのマレウス・ドラコニアから天下を奪ってやらねばならぬのだ。
「頼りにしてるんスから!」
的確に、バレぬように。
潰さなければいけない相手は妖精王だけではない。それにはレオナの作戦が何よりの頼みの綱だ。
「わかってるって言ってるだろ」
フンっと鼻を鳴らしたレオナはあいも変わらず三日月が浮かぶ夜空を見上げる。
シシシ、とラギーの特徴的な笑い声だけが響き。レオナはくすりとも笑わなかった。
◇◆◇
一人、また一人と事故を装い怪我をさせる。スカラビアのジャミル。ハーツラビュル……はリドルを狙ったのにトレイが怪我をしたがまあ概ね成功。
自分だけの唯一の武器──ユニーク魔法が役に立つのは鼻が高いし気分がいい。しかも将来に繋がる大事な試合がかかっているから自然とやる気も込み上げる。
そのユニーク魔法を使って芽唯と一緒に暮らしている魔獣から昼食を奪うなんてこともしたが、まあ作戦に支障はないだろう。
マジフト大会が近づいて他寮の有力選手を潰し始める少し前、ラギーが絵本を届けたあの晩からレオナが芽唯から距離を取った。せっかく借りてきたのにと思わなくもないが、大会が近いのだからと促しもしたし文句はない。
突然昼食係をやめさせられた芽唯がアレからどうしているかなど知ったことではないが友人たちと楽し気に過ごしていたので問題はないだろう。
(あるべき関係に戻っただけだし)
別にこうなることは想定内だ。というより、彼女を遠ざけるのが少し遅かったようにも思える。
芽唯はレオナとの連絡手段としてラギーを訪ねてくることもままあった。ちょろちょろとうろつかれれば計画実行時に目撃されかねないリスクがある。
もちろん、寮生たちと結託して彼らの背に隠れて実行していたし、周囲にも気を配っていた。鼻も利かぬただの少女に不意をつかれるなんてことはないに等しいのだが。
不意に不思議そうな顔をして魔獣が勝者の証のデラックスメンチカツサンドを手放すのを見つめた芽唯の姿を思い出してしまって込み上げた笑いにレオナが顔を顰める。
「ンだよ……気持ち悪りぃな」
「なんでもないッス!」
今日の報告をするため部屋を訪ねていたラギーは変わらず浮かぶ三日月をちらりと見ては妙に機嫌の悪いレオナと向き合う。
「メイくんちょっと元気ないけど平和にやってるぽかったッスよ」
「あァ? なんでアイツの話になんだよ」
「いやー、流石のレオナさんもナワバリから追い出した女の子がどうなったかくらい気になるかなーって」
「ハッ、お前の中の俺は随分優しい男みてぇだな?」
「そりゃーオウジサマだし?」
シシシ、と茶化すように笑って誤魔化しながら笑みを浮かべて細めた瞳で様子を伺う。
レオナの機嫌が悪い日はままあるが最近は特にそんな日が多かった。
けれどレオナは理不尽にキレたりしないことをラギーは知っている。ラギーや寮生たちには理解出来ないスケールで物事を考えもするが、基本的には同じ血の通った人間だ。
不機嫌になるのは嫌なことが起こったり言われたりした時だし、当然失礼なことを言われれば誰だってムッとする。ハイエナであるラギーはありもしない誹謗中傷をあたかも事実のように言われる理不尽がこの世にあることも知っている。
レオナが何を抱えているかなんて知らないけれど、人にはそれぞれ何かしらの地雷があるものだ。
大体レオナの機嫌が悪い日はそんな地雷を誰かが踏んだ時なのだが。こうも連日機嫌が悪いとなると原因は別にあると思って間違いない。
(メイくん遠ざけたのって作戦の為だけじゃないんだろうな)
何があったのか察するに至るまでには情報が足りないが、時期はピッタリと合う。無関係と言い切るには無理があるほどに。
ラギーから見てもレオナは芽唯のことをそれなりに気に入っていたように思う。他の奴らが噂するような特別だとか、恋だとか。そういう感情についてはよくわからないが。少なくとも彼女はレオナの中に一つの個としての居場所を作り上げたのだ。でなければわざわざ絵本を借りてこいだなんてレオナが命じてくるはずがない。
理由はともかく、あれは「芽唯のために」レオナが行動を起こしたなによりの証拠だ。
彼女の手元に渡ることなくレオナの部屋に残されたままのそれをレオナが触った様子はないが、返してこいと言われないのは自分に借りた理由を失ったことを悟らせないためか。まだ彼女と接触するつもりがあるからなのかはわからない。
(別に二人がどうなろうがオレには関係ないけど、レオナさんの機嫌が悪いままなのは困るんだよなぁ)
学園にいる間はレオナにゴマを擦っていれば色々と安定するのは間違いない。卒業した後も付き従うのも報酬次第で悪くないが、そこに芽唯が必要かと言われればそんなことはない。
けれど、芽唯と接し始めてからのレオナは以前に比べて扱いやすかったのもまた事実。
(どう立ち回るのが正解なんかなぁ……わっかんねー)
兎にも角にも今はマジフト大会でサバナクローが優勝するのが最優先だ。そのためには芽唯に周りをうろつかれるのは邪魔。レオナだってそう思っているはず。
ここ数年の雪辱を晴らし。あのマレウスすら討ち取ってサバナクローが、なによりもレオナが一番なのだと学園中……いや、世界中に知らしめる。活躍すれば自分にだってプロスカウトのチャンスも巡ってくる。
(大会が終わって、まだ二人が接点を持とうと思ってるなら取り繕う……とか?)
そうだ。きっとそれがいい。
ラギーもレオナも体は一つしかないのだから。二頭を追うものは一頭も得ず。まずはマジフト大会を。それが終わってからまた芽唯と向き合えばいい。もちろん我らの王様が望むのならば、だが。
ハイエナは骨まで残さず平らげる。そこに旨味が残っているのなら、みすみす逃す手はない。そのためには色恋と同じくらい謎だらけなレオナのこ レオナが傍らにその少女を置き始めたのは新学期が始まってすぐのことだった。
泣き言を吐かず、仕事も丁寧で、ラギーにとっても彼女の存在はありがたかった。なにより彼女の口から出るお小言にはあまりレオナが文句を言わないのが最高だ。
お国柄で女性に優しいとか。意外と女好きなのではとか。彼をあまり知らぬ者は口々に好き勝手言いたい放題な噂話をしていたが、あのレオナに関しては違う事情があることを側近のハイエナはよく知っている。
女子供と言うのは非常に立場が弱い生き物だ。それが男子校という存在自体がイレギュラーと化す場所ならなおのこと。
そんな場所であの少女が一人ふらふらとしていれば揉め事の火種になるのは明らか。そしてなにより頭の痛くなる話は恐らく自寮生が一番火遊びを始めそう、ということに他ならない。寮長としても夕焼けの草原の男としてもそれだけは避けたい。
もちろん、サバナクロー生はレオナの他にも夕焼けの草原出身の生徒が多い。ラギーだってそのうちの一人だ。記憶の中の王宮で働く強靭な近衛兵の姿を思い出せばすぐに尻尾が垂れ下がる。夕焼けの草原の女性はとても強かった。
そうでなくとも女性とは怒らせると非常に怖い。大半の男は口では女性に敵わない。あのレオナすら電話越しに義姉に尻尾を下げては辟易としながらも、ただ黙って相手が満足するまで聞き手に徹することを余儀なくさせられているのを幾度となく見かけたことがある。
心身共に屈強なあの女性達と違って芽唯はひ弱な草食動物だが、彼女が困るのをわかっていて見て見ぬふりをしたと故郷の女性に知られた時のことを思えば背筋が震える。
ラギーも自身の祖母にそんなことを伝えたら何をされるかわからない。
学園内の全ての生徒がそうであるならばよかったが、ナイトレイブンカレッジにはあらゆる国の生徒が集まり趣味趣向から種族や常識すらも多種多様であり、誰もが女性を尊重するとは限らない。この世界のことすら右も左もわからない彼女には厳しい場所だ。
しかし、そんな少女にもちょっとした居場所を与えてやるだけでレオナの群れの獣達は単純というか、よく言えば躾が出来ていた。
『異世界から来た少女は寮長の食事係を任されている』という話もくだらない噂と同じくらい。いや、それ以上の速さで広まった。
サバナクローは性質上獣人の生徒が多い。故に確かに寮長の匂いが芽唯からかすかにするぞ。と愚か者でもすぐに気づいたし、パタパタとお弁当を片手に駆け回る姿も幾度となく目撃されて噂は事実として認識された。
ならば、そんな寮長が目をかけている少女に絡んでしまえば彼女だけでなくレオナに喧嘩を売っていると思われてもおかしくない。
縦社会がきっちり出来上がっているサバナクロー寮でそんな誤解を受ければ結末はわかりきっていて、あまり賢くない寮生たちも芽唯に愚かな絡み方をするという悲劇は流石に起こさなかったし、サバナクロー寮長という知名度を考慮すればある程度であれば他寮生への効果もある。
レオナは多少なり関わりを持ってしまった女性を自分の影響力や立場を利用して何の労も費やさず。それどころか常々愚痴っていたラギーの負担を軽くするというおまけ付きで見事に芽唯の……少なくともサバナクロー内での地位を確立してみせたのである。
(ほんっとこういうのは上手くやるッスよねぇ……)
図書館から戻ってきたばかりのラギーに自室へ夜食を運ぶよう要求したかと思えば、食べ終わるなりすぐに眠ってしまったレオナを見下ろしながらため息をつく。
ベッドの上でゴロゴロと惰眠を貪る自分達の王様。彼が散らかした洗濯物を適当に集めたラギーは机の上に少し前まで夜食が乗っていた皿を下げる代わりに一冊の本を置いた。
(昼飯作らせて、最近では勉強まで見てやってるっぽいけど、別にそこまでしてやる必要ねぇよなぁ)
流石は我らが王様。とその手腕に拍手を送りつつも彼女との関係を考えるたびに少しだけ疑問が生まれる。
懐に入れていないと言えば嘘になる程度には『面倒ごとを避けるため』以上の施しを彼女にしているのが気になってしまう。
噂の中では一目惚れをしただのというのもあるが、まさかあのレオナが本当に?
首を何度捻っても出ない答えを求めてレオナを見れば片目だけ開けてこちらを睨みつけてくる獅子と目が合い肩が跳ね上がった。
「うわっ!? ちょっと、起きてるなら言ってくださいよ!」
「ジロジロ見てたのはお前だろ。視線が気になって寝れやしねぇ」
「ンな繊細じゃねーっしょ!」
いつもぐーぐー寝ている姿を見せられているのだから言い返しても許されるだろう。くわっと牙を見せつけるかのように大きくあくびをして伸びをするレオナは時計を見やっては外から流れ込んでくる風とその鬣を遊ばせる。
つまらなさそうに目を細め、どこか遠くを見つめる姿からは何を考えがえているかは読み取れそうにない。
「そーだ、これ。頼まれてた絵本ッス」
机の上に置いたばかりの本を見せつけるように持ち上げれば「……あぁ」と相槌と共にレオナが頷く。
『“子供でもわかる”まほうと古いれきし』と書かれた本は絵が多く、文字の少ないそれはどこからどう見ても絵本だ。レオナに図書館から借りてこいと言われた時には自慢の耳を疑ったが、芽唯の顔がすぐに浮かんで理由を問う必要はなかった。
「飯作らせる代わりに傍に置いてやって、今度はおベンキョーまで見てやるつもりッスか?」
「あ? お前の勉強だって見てやってるだろ」
「それはそうッスけど……なんかその分あの子から見返り増やしたんスか?」
「…………」
「ほらね」
肩をすくめてわざとらしく「らしくない」と体で表現すればレオナはまるで逃げるようにラギーに背を向ける。
別にレオナが本当にあの娘に一目惚れとやらをしたのならそれでもいい。報酬がもらえるなら恋のキューピッドとやらもやぶさかではない。けれど……。
「もうすぐマジフト大会ッスよ、レオナさん」
「わかってる。お前は指示した通りに仕事をすりゃいいんだよ」
己にようやく視線を向けたレオナがニヤリと笑う。そうだ。そうだ。その顔だ。
自分達にか弱い異世界からの少女を庇護している時間なんて本当はない。なんてたって今年こそあのマレウス・ドラコニアから天下を奪ってやらねばならぬのだ。
「頼りにしてるんスから!」
的確に、バレぬように。
潰さなければいけない相手は妖精王だけではない。それにはレオナの作戦が何よりの頼みの綱だ。
「わかってるって言ってるだろ」
フンっと鼻を鳴らしたレオナはあいも変わらず三日月が浮かぶ夜空を見上げる。
シシシ、とラギーの特徴的な笑い声だけが響き。レオナはくすりとも笑わなかった。
◇◆◇
一人、また一人と事故を装い怪我をさせる。スカラビアのジャミル。ハーツラビュル……はリドルを狙ったのにトレイが怪我をしたがまあ概ね成功。
自分だけの唯一の武器──ユニーク魔法が役に立つのは鼻が高いし気分がいい。しかも将来に繋がる大事な試合がかかっているから自然とやる気も込み上げる。
そのユニーク魔法を使って芽唯と一緒に暮らしている魔獣から昼食を奪うなんてこともしたが、まあ作戦に支障はないだろう。
マジフト大会が近づいて他寮の有力選手を潰し始める少し前、ラギーが絵本を届けたあの晩からレオナが芽唯から距離を取った。せっかく借りてきたのにと思わなくもないが、大会が近いのだからと促しもしたし文句はない。
突然昼食係をやめさせられた芽唯がアレからどうしているかなど知ったことではないが友人たちと楽し気に過ごしていたので問題はないだろう。
(あるべき関係に戻っただけだし)
別にこうなることは想定内だ。というより、彼女を遠ざけるのが少し遅かったようにも思える。
芽唯はレオナとの連絡手段としてラギーを訪ねてくることもままあった。ちょろちょろとうろつかれれば計画実行時に目撃されかねないリスクがある。
もちろん、寮生たちと結託して彼らの背に隠れて実行していたし、周囲にも気を配っていた。鼻も利かぬただの少女に不意をつかれるなんてことはないに等しいのだが。
不意に不思議そうな顔をして魔獣が勝者の証のデラックスメンチカツサンドを手放すのを見つめた芽唯の姿を思い出してしまって込み上げた笑いにレオナが顔を顰める。
「ンだよ……気持ち悪りぃな」
「なんでもないッス!」
今日の報告をするため部屋を訪ねていたラギーは変わらず浮かぶ三日月をちらりと見ては妙に機嫌の悪いレオナと向き合う。
「メイくんちょっと元気ないけど平和にやってるぽかったッスよ」
「あァ? なんでアイツの話になんだよ」
「いやー、流石のレオナさんもナワバリから追い出した女の子がどうなったかくらい気になるかなーって」
「ハッ、お前の中の俺は随分優しい男みてぇだな?」
「そりゃーオウジサマだし?」
シシシ、と茶化すように笑って誤魔化しながら笑みを浮かべて細めた瞳で様子を伺う。
レオナの機嫌が悪い日はままあるが最近は特にそんな日が多かった。
けれどレオナは理不尽にキレたりしないことをラギーは知っている。ラギーや寮生たちには理解出来ないスケールで物事を考えもするが、基本的には同じ血の通った人間だ。
不機嫌になるのは嫌なことが起こったり言われたりした時だし、当然失礼なことを言われれば誰だってムッとする。ハイエナであるラギーはありもしない誹謗中傷をあたかも事実のように言われる理不尽がこの世にあることも知っている。
レオナが何を抱えているかなんて知らないけれど、人にはそれぞれ何かしらの地雷があるものだ。
大体レオナの機嫌が悪い日はそんな地雷を誰かが踏んだ時なのだが。こうも連日機嫌が悪いとなると原因は別にあると思って間違いない。
(メイくん遠ざけたのって作戦の為だけじゃないんだろうな)
何があったのか察するに至るまでには情報が足りないが、時期はピッタリと合う。無関係と言い切るには無理があるほどに。
ラギーから見てもレオナは芽唯のことをそれなりに気に入っていたように思う。他の奴らが噂するような特別だとか、恋だとか。そういう感情についてはよくわからないが。少なくとも彼女はレオナの中に一つの個としての居場所を作り上げたのだ。でなければわざわざ絵本を借りてこいだなんてレオナが命じてくるはずがない。
理由はともかく、あれは「芽唯のために」レオナが行動を起こしたなによりの証拠だ。
彼女の手元に渡ることなくレオナの部屋に残されたままのそれをレオナが触った様子はないが、返してこいと言われないのは自分に借りた理由を失ったことを悟らせないためか。まだ彼女と接触するつもりがあるからなのかはわからない。
(別に二人がどうなろうがオレには関係ないけど、レオナさんの機嫌が悪いままなのは困るんだよなぁ)
学園にいる間はレオナにゴマを擦っていれば色々と安定するのは間違いない。卒業した後も付き従うのも報酬次第で悪くないが、そこに芽唯が必要かと言われればそんなことはない。
けれど、芽唯と接し始めてからのレオナは以前に比べて扱いやすかったのもまた事実。
(どう立ち回るのが正解なんかなぁ……わっかんねー)
兎にも角にも今はマジフト大会でサバナクローが優勝するのが最優先だ。そのためには芽唯に周りをうろつかれるのは邪魔。レオナだってそう思っているはず。
ここ数年の雪辱を晴らし。あのマレウスすら討ち取ってサバナクローが、なによりもレオナが一番なのだと学園中……いや、世界中に知らしめる。活躍すれば自分にだってプロスカウトのチャンスも巡ってくる。
(大会が終わって、まだ二人が接点を持とうと思ってるなら取り繕う……とか?)
そうだ。きっとそれがいい。
ラギーもレオナも体は一つしかないのだから。二頭を追うものは一頭も得ず。まずはマジフト大会を。それが終わってからまた芽唯と向き合えばいい。もちろん我らの王様が望むのならば、だが。
ハイエナは骨まで残さず平らげる。そこに旨味が残っているのなら、みすみす逃す手はない。そのためには色恋と同じくらい謎だらけなレオナのことを知らなければならない。何を思っているのかは今抱えている仕事を終えてからじっくりゆっくり聞くとしよう。
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