03
順調に計画は進んでいる。……かと思えば芽唯がサバナクロー寮内にハーツラビュルのオトモダチを連れ潜り込んでいてレオナはその時態度には表さなかったものの深いため息をつく羽目になった。
これだけ選手の怪我が続けば怪しまれるのは当然だ。流石にあのクロウリーでも調査に踏み出すのは想定内。
なにせマジフト大会は中継がある。有望な選手が大半怪我で出場せず、鈍臭い素人だらけの迫力に欠ける試合をされたら学園の威厳とやらに関わる。
だが、その調査に芽唯を利用するのは流石のレオナも予想できなかった。いくらなんでもやる気がなさすぎるのではと事件の首謀者ながら思ってしまう。
彼女は魔法が使えないどころかなんの力も牙も持たない。連れ歩いている魔獣もお世辞にも強いとは言えない。
あの日のレオナの忠告通り上手くハーツラビュル生を味方につけてはいたが、彼らを連れて自分に歯向かってくるのだから微妙なところだ。
結局のところ彼女もまたレオナの思い通りにならないモノの一つなのかもしれない。
◇◆◇
大会前日、犯人探しをするハーツラビュル生に嗅ぎつけられたラギーが追い回される事件は起きたものの当初の予定通りディアソムニアを……あのマレウス・ドラコニアをヌーの群れの如く移動する大衆に巻き込むことに成功した。
しかし、ラギーのユニーク魔法がバレたのが痛手となり、対策を立てられ妨害を許すこととなる。当然寮生全員で企てていたことが露呈していて問い詰められ、さらにレオナはオーバーブロット。苦労の甲斐もなく、それどころか怪我の恨みやオーバーブロットの疲れといった諸々が募りに募った結果、去年までとさほど変わらない大敗。その上保健室送りになるという屈辱を味わう羽目になってしまった。
「…………なんだよ」
「えっと……」
しかも、その保健室でグリムの無茶なシュートを後頭部に受けて気絶した芽唯と共に一晩過ごすことになるなど、彼女を突き放した日のレオナは夢にも思っていなかっただろう。
何か言いたげに身を起こしままこちらを見つめる少女の瞳は不思議なほどにまっすぐだ。
あの日は露骨に顔に浮かんでいた困惑や此度の作戦に対しての嫌悪感。オーバーブロットを起こした相手への畏怖など、もう少し複雑な感情を向けてきてもいいのではないだろうか。
「お、甥っ子さん可愛いですね?」
「ぶふっ……」
「……世間話をするなら俺は寝るぞ」
なんとか捻りだしたと言わんばかりにこてんと首を傾け、語尾に疑問符が付いていそうな口調で何を言い出すのかと思えば先ほどようやく帰った甥の話が芽唯の口から飛び出した。あれほど大笑いしたにも飽き足らずまだ笑い足りないのか、怪我の痛みに耐えかね先に横になったラギーが寝ながら笑いを堪える声が室内に木霊する。
「あ、えっと、そうじゃなくて。会える家族がいるのが羨ましいな……って。レオナ先輩が会いたいと思ってるかはともかく」
そう言って寂しそうに笑うと「すみません」と付け足した芽唯はベッドの上で膝を抱えるように座りなおした。
その後は何を言うでもなくレオナから視線を逸らすと窓の外に浮かぶ月を眺めて芽唯は黙り込む。
──家族、というものはレオナにとって複雑なものだが芽唯にとってもそうだった。
異世界から来たという信じられない身の上話は昼食を共にしていた時に聞いていたので、淋しいと言う感情を持て余していることはすぐに理解できた。それをぶつけても優しく慰めてはくれない男だと思われていることもわかる。なにより、自分は一度彼女を突き放した。頼られることはないのだろう。
じっと見つめてきた理由が本当にそうだったのかはともかく、甥……チェカという学園関係者以外の登場が芽唯の心を揺さぶった。だからといってレオナの責任ではないのだから何かをしてやる義理はないのだが。
「…………」
「…………」
ラギーの笑い声も止み。芽唯は黙って月を見つめ、そしてレオナはその横顔から目を逸らす。
カチカチと規則正しい時計の音だけが聞こえてくる。とっくの昔に消灯時間が過ぎた学園内は当然静かで、他の生徒の声が聞こえることもない。
世間話だったかはともかく、芽唯の方から話を深掘りすることを避けたように思えたレオナは宣言通り横になって目を閉じる。自室のものと違って硬いベッドだが、昼寝に使うこともあるので不満があるというわけではない。なのに、もやもやとした不快なものが内で膨らみ続け、眠りにつけそうにない。
少し時間が経った頃に寝返りを打ち、また数分後にもう一度。そうやって何度も繰り返せば繰り返すほど眼が冴える。自分が立てる衣擦れの音以外何も聞こえないので芽唯はきっとまだ起きているのだろう。
女性の様子を盗み見るというのは如何なものか。そうは思うも他にやることが思い浮かばない。
せめてもの配慮にと芽唯がこちらに気づかないよう出来うる限り物音を立てないように彼女の方へと首だけをひねる。
月明かりが照らす室内は夜行性の動物であるライオンの遺伝子を持つレオナにとって視界に問題のある環境ではない。暗闇の中、しっかりと捉えられた芽唯のシルエットは先ほどとなんら変わらなかった。
膝を抱え、そこに顔埋め。唯一違うとすればもう月を見上げるのはやめている。
降ろされた視線が何を見つめているのかはわからない。けれど、何かを見ているというよりはただそちらに向いているだけで、そこにある何かを見ているわけではないのだろう。
ただじっと、一点を見つめて。手の届かないものを想う。
ぱちぱちと瞬きを繰り返す少女の瞳から涙がこぼれないのが唯一の救いか。もし頬に向かってポロリと水滴が零れ落ちようものならレオナにはそれを止める手段がない。
渇きを忌み嫌う故郷では恐れられたユニーク魔法も水分を奪い取るだけで、心の傷から湧き出るものにはまるで無力だ。
(こういう時、兄貴なら見て見ぬ振りせず口を出すんだろうな……)
それを優しさとはレオナには到底思えないが、レオナの中での兄……ファレナのイメージはそういう男だった。
目の前で起こった事象を見過ごさず、相手のことをさもわかったようにお優しく正しい導きの言葉を投げかける。まるでそれが輝かしい希望のように。
例えば、そう。今ここに居たならば芽唯に向かって「学園長が帰る方法を探してくれているのだろう、ならば彼を信じろ」と。仮に信じたところで彼女は今家族に会いたくて憂いているというのに、ただ「正しい現状の対処方法」を突きつける。
もしかしたなら「泣いてもいい」などと悲しむことすら肯定するのかもしれないが、だからといって芽唯が理不尽に家族や友人と引き離された現実を変えることも、それで受けた傷を癒すことも出来やしないのに優しい言葉を口にする。
いくら相手に理解を示そうと結局は他人だ。相手と全く同じ立場で声をかけられるわけがない。どんな優しさも苦しみを抱えている人間にとってはただの雑音でしかない。
そんな仮初めの優しさも、かける言葉も持ち合わせていなかったレオナは、ただ芽唯をじっと見つめては段々と己の意識が微睡んでいくのを感じる。
レオナの瞼がゆっくりと閉じるまで結局芽唯と視線が絡むことは一度もなかった。
けれど、意識が途絶えるその寸前「おやすみなさい」と柔らかな声を拾った気がした。
◇◆◇
魔法医術士のカウンセリングを受けたり、来年こそはと朝練を始めたり。変わったようでいて、結局何も変わらなかった日常がまた過ぎていく。
オーバーブロットしたあの日、一番の被害者と言って良いほど干乾びたというのにラギーも変わらずレオナの小間使いを続けていた。
そんなラギーがいつもの時間を過ぎても昼食を運んでこない。
相変わらず植物園で寝転んでいたレオナは管理された空調の心地よさを感じながら大きな欠伸を零す。
今日は麓のパン屋でも来る日だったろうか。特にそんな記憶はないが、パン屋が来ると食堂はえらく混む。ただでさえ食べ盛りの高校生男子は一食の量が多い。
そこに普段は食べることが出来ない品が追加されるのだから皆血眼になって入手しようと毎度のことながら長蛇の列が出来上がる。
「ったく……またしくじりやがったか?」
まだ痛みが引かないのだとここぞとばかりに嫌味を言ってくるが、実際そうなのだろうと思うから強く言うことも出来やしない。だからと言って、昼食を用意する仕事を引き受けているのはラギーなのだから雇用主として文句を言う権利がある。
売れ残ったちゃちなパンを運んでこようものなら報酬を無しにしてやろうかと寝返りを打つとようやく足音が耳に届く。
「……?」
だがこの音はラギーではない。しかし、聞き覚えがないわけでもない。
ぴくぴくと音を拾う己の耳を疑いながら身を起こしたレオナは入口の方へと視線を向けると目が合った人物の姿に目を見開いた。
「は? なんでお前が……」
いや、待てよ。もしかしたら午後の授業が魔法薬学か錬金術なのかもしれない。
反射的に問いかけたレオナはすぐに口を閉じるが、ぱちくりと瞬く相手の姿を上から下までじっくり見てはもう一度口を開いた。
「……なんでお前が飯を持ってくるんだよ」
「だって昼食係ですし……」
「解雇したはずだ」
「しばらく来なくていいとは言われましたけど……」
首を傾げながら抱えた鞄を大事そうにおろした芽唯はレオナの訝しむ視線も気に留めず昼食を広げ始める。
どこから突っ込めばいいんだ。
待てと口にしたいのに、そこから先の言葉が思い浮かばず口をつぐんだレオナは広げられる弁当がいつもより力が入っている気がしてますます何も言えなくなる。
確かに最初は「しばらく」という言葉を使って彼女を遠ざけた。けれどその次に会った時に「自分に関わるな」ともっと距離を取ったはずだ。
まさか忘れたのだろうか。そう問いかけるべきかと芽唯を見ればニコリと笑みを浮かべる。
「マジフト大会の件があったから突き放したんですよね? だから、もう作戦もダメになったし大会も終わったからいいのかなって」
よくない。何もよくない。
何をもっていいと判断したのかさっぱりわからない。
「はい、どうぞ」
食器を手渡され、振り払うのも違う気がして黙って受け取れば芽唯はさらに綺麗な笑みを浮かべた。
にっこりと。まさに笑顔と呼ぶにふさわしいその表情はどこか違和感を覚える。
……あぁ、そうだ。義姉が、女性が本気で怒っている時のそれと重なるのだ。
ヒステリックに声を荒げるでもなく、大きな声を出すでもなく。相手を責める汚い言葉を使うこともなければ、詰め寄るなんてこともせず。
それでも怒っているのだと表現できる笑みは存在する。今まさにレオナの目の前に。
怒りを買っても仕方がないのだとは思う。なにせレオナは彼女を自分の都合で傍に置き、自分の都合で切り捨てた。いくら恩恵があったとはいえ、振り回された身としては怒りを覚えるのも無理はない。
「食べないんですか? あ、いくら待ってもラギー先輩は来ませんよ? そもそもラギー先輩からのご依頼なので」
「ラギーからの?」
「もう作戦も終わったから仕事に戻ってきてもらっていいッスか、って。レオナ先輩が文句を言うなら身体が痛くて痛くて仕方がないんでって押し通して欲しいって頼まれてます」
「お前な……」
「私もちゃんとレオナ先輩とお話したかったのですぐに引き受けちゃいました」
「……俺に話すことはない。言っただろ、何かあればもう俺じゃなくハーツラビュルのお坊ちゃん方を頼れって。大会の時言った通り、所詮俺は王になれない第二王子関わるだけ」
無駄。
レオナがそう言い切る前に、芽唯は握りしめていたフォークで勢いよく弁当箱に入った卵焼きを貫いた。
ガッと箱の底ごと突いた音と共に持ち上げられた卵焼きは無言でレオナの眼前に差し出される。
あまりの勢いに目を見開くほど驚いたレオナは数度視線を泳がせた後、仕方がなく半端に開いた口を広げてそれを受け入れる。
程よく口の中で解ける卵焼きの味だけは以前と変わらず悪くない。
「私、第二王子だからレオナ先輩と仲良くしてたわけじゃない。ってこの間も言いましたよね」
この間──芽唯が生徒に絡まれていた日のことだろう。確かに、そう言っていた。
言われなくともレオナ自身わかっている。そもそもこの少女は異世界からの来訪者。相手が王子だから取り入ろうなどと思うほどこの世界の事情は知らないはず。
「あれからずっと私怒ってるんです。いきなり遠ざけられたことも、勝手に『もういい』って話を聞いてくれなくなったことも、全部全部一方的すぎます」
頬をぷくりと膨らませた芽唯は大きな瞳を彼女なりに吊り上げてこちらを睨みつけているのだが、まったくと言っていいほど怖くない。
それどころか拗ねているようにすら見えるのだから不思議なものだ。先ほどまで浮かべていた笑みの方がよっぽど恐怖を感じさせられた。
反論すべきか少し悩んだレオナはこういう時はちゃんと聞いているのだと適度に相打ちを打ちながら、女性の言い分を全て聞いてからの方がいいはずだと口を閉ざす。下手に口をはさんで言葉選びを失敗した時どうなるかも義姉から学んでいる。……彼女、というよりは愚かな兄からなのだが。
「エースもデュースも、リドル先輩もトレイ先輩もケイト先輩も……ハーツラビュルの皆さんはレオナ先輩と知り合ったときと比べてすごくよくしてくれるようになりました。とっても仲良くなりました」
指折り、入学以来縁が深まった相手の名を挙げる芽唯の顔に影が差す。
木漏れ日と呼ばれるはずの麗らかなそれが隠してしまってどんな表情をしているのかはわからない。悲しんでいるのか。怒っているのか。はたまた別の感情か。
それでも震えた声が遠ざける時に使った言葉が彼女を傷つけたことを教えてくれる。
「けど、レオナ先輩にしか話せないこともあるし、ラギー先輩じゃないと相談出来ないこともいっぱいあります……。勝手に相手を自分に絞るなって怒るかもしれないけど、レオナ先輩だから聞いてほしいことだってある」
名を挙げるたびに伸ばした指をもう片方の手で包み込んだ芽唯がこちらを見る。向けられたのは縋る様な、捨てられることに怯えた瞳だ。
「……本当に私が迷惑ならちゃんとそう言ってください。第二王子だとか、守ってくれるからとか、そんな理由でお昼係続けてたわけじゃないんです。この時間が凄く好きなんです。レオナ先輩がどう思ってたかはわからないけど、出来るならこれからも続けたい」
「俺は……」
煩わしいと、本気でそう思ったのなら早々に告げていた。
それこそ頼れる相手を早く見つけろと発破をかけて植物園に来るなと言っていただろう。けれど必要に迫られるまで……作戦の邪魔となるであろうギリギリまで芽唯に辞めろと告げられなかったのが現実。
「……課題は、どうなったんだ」
「え?」
「毛玉のせいで追加で出されたって言ってただろ。……だいぶ前になるが」
「あっ、明後日が提出期限で、まだちょっと埋まりきってなくて困ってます。他のみんなも別に課題があるから時間を貰うのも憚られて……」
えっと……と首を傾げた芽唯は窺うようにレオナを見る。質問の意図を計りかねているのだろう。
芽唯の返答を聞いたレオナはポケットからスマホを取り出すとラギーに短文で指示を送る。「机の本、もってこい」と。芽唯を寄越したのが彼ならば、これだけでレオナの意図は汲み取れるはず。
「飯食うぞ。終わったら課題見てやるよ」
「えっ」
「持ってねぇのか?」
「も、持ってます! けど……なんで?」
「お前が続けたいって言ったんだろ、この時間を」
「そうですけど、なんでそれが課題に……?」
「俺は他の奴らと違っていちいち勉強なんてしなくてもいいからな。別にお前のオベンキョーに時間を取られようと困らねぇ」
レオナの言葉を飲み込みきれないのか、芽唯は二度三度と瞬きを繰り返し、それを見ながら弁当を食べ進め始めたレオナの様子にようやくいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「お肉、多めに入れてきたから優しく教えてくださいね……!」
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