03


 嬉しそうな女の声が耳に残る。
 にやりとしたハイエナの何かを含んだ笑みも。
 誰かにそうも愛される俺を、俺は……知らない。

◇◆◇
 
「それじゃ、ごゆっくり」

 ラギーの声を背に部屋に入れば変わらずレオナはベッドの上で横になっていた。
 いつのレオナも寝ることに貪欲らしい。
 邪魔しないようにゆっくりと歩を進めると、レオナが片目だけを開けてこちらを見た。

「……起こしちゃいました?」
「別に」

 寝起きの低い声を短く放つとレオナは起き上がって芽唯の前に立つ。
 くわりと大きなあくびを零すと髪をぐしゃぐしゃとかきむしり、芽唯にそっと手を差し出した。

「……?」
「手」
「あ、はい」

 なぜわからない。そう言わんばかりの視線に驚きつつもそっと手を乗せればほんの数歩手を引かれて一緒に寝室に来た時と同じようにベッドの端に座らされ、隣にレオナも腰を下ろす。

「レオナくんも心配性……」

 ぽろっと呟けばレオナの視線が何か言いたげに向けられるが唇が動くことはない。
 代わりにサマーグリーンの瞳が上下し、芽唯の足元から天辺までを不躾に眺めては目を細める。

「お前が、俺の妻……か」
「……不満?」

 ゆっくりと、何かを噛み締めるように、だけどどこか他人事のような、複雑な声音が芽唯の耳を打つ。
 先ほどと同じく「別に」と短く返されるかと思ったがレオナは言葉を詰まらせ黙ってしまう。

(レオナくん、何考えてるちょっとわかんないな……)

 十年後の未来は十五歳のレオナにどう映っているのだろう。
 甥であるチェカが産まれ、王座が完全に手の届かなくなった絶望を受け止めたばかりで、もしかしたら自分の未来に関心が持てなくなっているのだろうか。
 自分がレオナにいつから好かれたのかは結婚した今も知らないが、ただ妻だと紹介されただけにすぎない相手はきっと魅力的な人物には見えないだろう。芽唯という妻の存在はレオナを困らせているだけなのかもしれない。

「えっと……」

 二人の間を微妙な空気が流れる。なんと切り出すべきなのか。

「はぁ……」
「あっ」

 掴まれたままだった手が離され、レオナはベッドへあおむけに倒れる。
 ベッドの外に足を投げ出したまま天井を見上げたレオナは瞳を伏せてぎゅっと眉間にしわを寄せる。
 眠っている時以外、レオナはずっとこの調子だ。
 何かを考えるように苦しそうな顔をして、時折芽唯をじっと見て。
 レオナが考えることに疲れて学園へ行くことを選んだと言っていた理由が少しわかった気がする。きっと、ずっとこうして過ごしていたに違いない。
 そして、十年前の王宮はこんな状態のレオナに対して優しくなかった。
 ユニーク魔法の側面だけを見てありもしないことに怯え陰口を言う使用人。国のためにその才能を使うべきだと優しく諭す朗らかだけど残酷な兄。

「……レオナくん」
「なんだよ」
「その、頭撫でてもいい?」
「は?」

 驚いて目を見開いたレオナの疑問に答えるように彼の頭に向かってそっと手を伸ばす。
 拒絶されるかもしれないと思ったが、意外にもレオナはそのまま黙って動かない。

「……好きにしろ」
「うん、……触るね」

 耳に触れないよう気を付けながら髪をゆっくり撫でるとぴるぴると動いた耳が伏せられ、そのまま目を閉じたレオナが黙って受け止めてくれるから芽唯も何も言わずに彼の頭を撫で続ける。
 せめて少しでもレオナの心が安らぐように、彼が好きだと言ってくれた触れ方で何度も、何度も。
 ここにいる間くらい悩むのをやめたらどうか……とは言えない。
 ましてや「十年後のあなたは幸せそうですよ」なんて口が裂けても無理だ。もどかしい想いをいくつも抱えていることを知っている。王でなければ成せないことが山のようにあるのも芽唯は知った。
 難しい議題に芽唯が口をはさめないのと同じように、目の前のレオナが抱えた気持ちはレオナだけが答えを出せる。

「…………」

 黙ったまま芽唯を受け入れるレオナの宝石のような瞳が姿を現し、芽唯を見つめては天井に向けられる。
 言葉を交わすことはなかったが、少しだけレオナと何かを伝えあえた気がした。

◇◆◇
 
 翌日もレオナの精神は十五歳の彼と入れ替わったままだった。
 重く息を吐きだして、何かをずっと考えている。
 幸いなことに彼の悩みの種であるチェカと鉢合わせるということはない。
 あの小さかったチェカも立派に成長し、王家の男子としてあらゆることを詰め込むために日々勉強に追われている。少なくともレオナが元に戻るまでは教育係がこの屋敷にチェカが向かう隙を作ることはないだろう。

「レオナくん、お庭に出てみませんか?」

 ただぼーっと過ごすレオナの手をさりげなく握ってみるが相変わらず拒絶されることはない。
 芽唯が触れた手をじっと見つめてから握り返すとレオナは視線を少し泳がせてから「わかった」と頷く。
 丸一日、十五歳のレオナと接してわかったことは、触れ合う程度なら彼は芽唯を拒まないということ。
 自分のことをどう受け入れているのかはわからないが嫌われてはいないだろう。
 ブランケットを片手に中庭へと降り立つとレオナが太陽の眩しさに目を細める。

「本当に、この国は変わらない。強い陽射しも。青臭い緑の香りも……」

 芽唯も空いている方の手を使ってなんとか前を見るが、掌で遮っても抑えきれない眩しさで目がくらむ。

「わっ」
「っ……!」

 そのせいでおろそかになっていた足元からぐらつき、いつもレオナに注意される場所で躓いた。

「っあれ……?」

 けれどなんの痛みもなく、立ったままの自分に驚いて温もりを感じた方を見れば、目を見開いたレオナが抱きしめる形で芽唯を支えている。

「ご、ごめんなさい……」

 そっと彼の肩に手を置いて距離を取る。
 息を詰まらせたように止めていたレオナが肺の中の空気をゆっくり吐きだし、じろりと睨んでくるから芽唯は身を縮こませて頭を下げた。

「ったく……気を付けろ」

 ようやく降ってきた言葉は吐き出した息と同じくらい重い音をしていたが、体に回された手は離れることはなく、触れ方も優しいまま。
 レオナはそのまま芽唯の手を引っ張りガゼボの椅子へと座らせる。いつのまにか気遣うように優しく体に巻き付けられたブランケットの柔からさが心地いい。

「そんなんじゃ未来の俺は気が休まらないな」
「ち、ちが。いつもはちゃんと気を付けてるんです。レオナさんが事前に言ってくれるから……」
「そりゃ気が利かなくて悪かった。次があればちゃんと指摘してやるよ」

 気を付けたところで転ばないとは言っていないが、にやりと笑ったレオナが楽しそうだったので言葉を飲み込む。
 もう……と頬を膨らませた芽唯にくつくつと喉を震わせるレオナの姿はまるで元に戻ったみたいだ。
 レオナは芽唯との間に一人座れるくらい距離を開けて腰を下ろしたが、それでも心の距離は昨日よりも近い気がする。いつもならぴたりと寄り添ってくれるレオナが少しだけ遠いところに居るのは少し不思議な気分だった。
 だが、ガゼボ内に用意されたテーブルに肘をつき、芽唯の顔を覗き込むようにこちらを見ているレオナの浮かべる笑みがだいぶ心を開いてくれたものに見えて心が弾む。
 いまだに笑っているレオナと一緒に芽唯も笑えば、その声につられて小鳥が庭に下りてくる。その囀りに合わせてレオナの耳がぴるぴると動いたかと思えば彼の目がきょとんと丸くなる。

「……そんなんじゃねぇよ」
「小鳥さん今なんて?」
「『今日はここでデートか』だとよ。ただの散歩だ、散歩」

 レオナの返事に不思議そうに首をかしげた小鳥たちが芽唯を見る。いつものレオナなら鳥相手にも盛大に惚気て芽唯を困らせるのに、十五歳のレオナは煙たそうにしっしっと小鳥たちを追い払おうとしている。事情を知らない彼らにしてみれば確かに不思議だろう。
 ふふっ、とまた笑った芽唯が「ごめんね、今日はこういう日なの」と手を振ると顔を見合わせた鳥たちはしばらく二人を見上げてから諦めたように空へと飛び立つ。
 その背を追うように空を見上げれば、まるで流れ星のように一瞬きらりと光った何かがガゼボに向かって降ってくる。

「ふなーっ!」

 ズドンと大きな音を立てながら、目の前に落下した物体はギリギリ二人にぶつからずに動きを止める。

「な、なんだ?」

 咄嗟に芽唯を庇ったレオナは上がった土煙から顔を手で守りながら目を凝らす。
 その背中越しに落下物を覗き込んだ芽唯は想像通りの姿が見えてきてから口を開く。

「おかえりグリム。おつかい出来た?」

 砂埃の中からメラメラと燃える青い炎が顔を出す。

「オレ様使いが荒いんだゾ!」
「ごめんってば。でもグリムだからお願いしてるんだよ?」

 苛立ちを隠さずグリムが吠えれば地団駄を踏む魔獣の姿に警戒を強くするレオナ。けれど当然彼が誰か知っている芽唯はその背中からするりと抜け出し駆け寄った。
 数日前から留守にしていた芽唯の親分ことグリムは自分を訝し気に見るレオナに先ほどの小鳥たちと同じように首をかしげる。

「レオナどうしたんだ?」
「あぁ、ほら。レオナさんが前に言ってたやつ。入れ替わっちゃうの。アレが昨日からでね。今のレオナさんはレオナくんなの」
「レオナくん……?」

 芽唯の言葉を復唱したグリムは紐で体に巻き付けるように持って帰ってきたカバンごと荷物をすべて芽唯に預けるとてちてちと器用に二本足で歩いてレオナに近づく。
 当然のように言葉を交わす魔獣が未来の自分とも知り合いであることを察したレオナは大人しく席に戻って一人と一匹の様子を見守っていたが、ふいに近づいてきた魔獣に上半身だけを後ろに少し下げる。

「どう見てもいつものレオナなんだゾ」
「見た目はね。でも中身は十五歳なの。レオナくんなの」

 ふーんと興味なさそうにレオナを見上げたグリムは椅子によじ登るとレオナの顔を覗き見る。

「……なんだよ」
「辛気臭い顔して、確かにレオナらしくねぇんだゾ」
「は、……なにをっ」
「子分と一緒にいるレオナはいつももっと偉そうだし、もっと……幸せそうなんだゾ」

 レオナの隣に腰を下ろしたグリムは芽唯が広げた自分の荷物からクッキーを二枚取り出した。

「しょうがねぇからわけてやる! レオナもオレ様の子分だからな!」

 小さな掌にクッキーを一枚押し付けられたレオナは困ったようにグリムと芽唯を交互に見る。

「もうグリムってば、まずはレオナくんに自己紹介が先でしょ」

 パキッと音を立ててクッキーを食べ始めたグリムはめんどくさそうにレオナを見上げる。

「オレ様はグリム様なんだゾ。子分の親分で、つまり子分の番だからレオナもオレ様の子分なんだゾ。元は子分の子分だったんだけどな!」
「……俺はいつもこいつの相手もしてるのか?」

 信じられない。そんな目でグリムを見下ろしたレオナは受け取ったクッキーを渋々食べる。
 グリムの荷物を整理し終えた芽唯が近くのメイドにそれを渡して自分の席に戻ると、ちょうどレオナと芽唯の間にグリムが挟まれて座る形になる。

「いつもと言うか、ずっとですね。私たち家族だから」

 そう。これがオンボロ寮からずっと続いている。
 学園に居た頃はさらにゴーストたちも混ざっていたが、彼らは今も変わらずオンボロ寮で暮らしているのでここにはいない。

「あ、ゴーストのおっちゃんたち元気だったんだゾ」
「よかったー。このブランケットのお礼喜んでくれてた?」
「そんな〜いいのに〜って言うくせにウキウキで受け取ってたんだゾ。産まれたら絶対に会いたい、なんなら会いに行くって張り切ってたし」
「ふふ、そっか。あ、えっとゴーストって言うのは学園で一緒に暮らしてた人たちなんだけど」

 きょとんと瞳を丸くしたままのレオナに気づいた芽唯はなんと説明すべきか考える。
 そもそもでゴーストが見えること自体珍しいのだが、あれは確か学園敷地内の強い魔力が影響していると聞いたことがある。

「……学園ってのは、まさかナイトレイブンカレッジか?」
「そうですよ。レオナさんと私もそこで出会ったんです」
「そう、か」

 レオナの尻尾がぴくりと跳ね、耳がぺたりと伏せられる。

「俺は、あの学園に行くことを選ぶのか」
「……、はい。一度は断ったそうですけど」

 そうだ。このレオナは自分がナイトレイブンカレッジに通うことを知らない。まだその選択をしていない。
 記憶を辿り、レオナが話してくれた彼の軌跡をなぞる。

「レオナさんね、一年遅れて入学して、しかも一回留年しちゃうんです」

 芽唯の言葉にレオナが目を眇める。一瞬視線を彷徨わせてから納得したのか、もう一度芽唯を見ると話を促すように顎をくいっと動かした。

「私が出会ったレオナさんは三年生で、でも学園にいるのは四年目で。ちょうど二十歳。……レオナくんには五年後のこと」

 ざわざわと庭の木々が風に揺られて音を立てて騒ぎ出す。
 目を細めて芽唯の声に耳を傾けるレオナの心を表しているようだ。
 これから芽唯が語ることは希望を持てる話じゃない。夢があるわけでもない。それでも、愛だけはある。
 心が疲れたレオナにどんな形で届くのだろうか。
 それが、少しだけ怖かった。

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