04


 ぽつぽつと語られた少しだけ未来の話。
 まるで日記を紐解くように語る女の顔は綻んだ。
 その物語に俺の名前が一緒に刻まれているのが不思議でならない。
 そんな甘ったるい話の中で俺はこの苦しみを忘れてしまうのだろうか。
 変わってしまったのだろうか。

◇◆◇

 ナイトレイブンカレッジでの出来事を聞き終えるとレオナはしばらく黙ったかと思えば芽唯たちを残して立ち上がる。
 慌てて追いかけてようと立ち上がれば「ついてくるな」と強く芽唯を拒む。

「ど、どうしたのレオナくん……。私、何か変なこと言っちゃった?」

 ゆっくりと近づいて手を取れば、振り向きざまにレオナが芽唯の手を振り払う。

「っ」

 パチンと音を立てて落ちた芽唯の手が行き場を失くして彷徨うとレオナの方が傷ついたような顔をして息を呑む。

「……っ俺に構うな! どうせ、少し経てば『お前のレオナ』が戻ってくる。今の、……愛してないやつを相手にしても時間の無駄だ」
「レオナくん……?」

 名を呼ぶとハッとしたレオナは唇をぐっと噛み締めそのまま背を向け中庭を去ってしまう。

 ずっと動揺はしていたものの、グリムがいるとはいえ芽唯を一人にすることをなるべく避けていた彼が初めて芽唯を置いて行った。

「昔のこと……話すべきじゃなかったのかな……」

 オーバーブロットすること、二人で咲かせた花のこと、他にもたくさん……レオナとの思い出はそれこそ山のようにある。二人にとってはいい思い出だが、自分の未来の話だと聞かされるレオナは嫌な気持ちになってしまったのかもしれない。

「子分が気にすることじゃねぇんだゾ」

 ぱらぱらと手に付いた食べかすを払ったグリムが芽唯に動くよう促す。

「これ以上ここに居たら冷えてくるんだゾ。子分が身体を冷やしたらオレ様がレオナやゴーストのおっちゃん達に怒られちまう」

 小さな掌に足を押された芽唯は気を付けながら先ほど躓いた段差を降りる。
 今転んでも受け止めてくれる人は傍にいない。

「少しずつ心を開いてくれてるみたいだったけど、調子に乗っちゃったかな」

 レオナが入れ替わってまだ一日半ほどしか経っていない。
 あまりにもレオナが十年後の未来を受け入れるのが早かったからとぺらぺら喋りすぎてしまったのかも。
 ため息をついた芽唯は労わるように自分のお腹を優しく撫でる。

「お家、入ろうか」

心配そうに自分を見上げるグリムと共に屋敷に戻る。ブランケットの暖かさだけが芽唯を包んでいた。



 その日の夜、レオナは寝室に閉じこもって晩御飯も取らなかった。ノックをしても返事がなく、無言の壁を感じた芽唯はそれ以上彼に近寄らなかった。踏み込むべきではないのだろう。
 そのまますっかり夜が更け、リビングでひとりお茶を飲んでいるとふらりとキファジがやってきた。

「メイ様おひとりだとお聞きしましたので」
「……ありがとうございます」

 芽唯が立ち上がろうとすればキファジの手がそれを制し、メイドが代わりに彼の分の茶を入れる。

「メイ様は相変わらずですな」
「すみません。もてなさなきゃってどうしてもなっちゃって」
「まったく、困りものですな。貴女も、レオナ様も」

 ちらりと長い廊下の向こうにある寝室の方へ視線を送ったキファジは目を細めて温かな紅茶を口にする。芽唯も同じく一口飲めば、少し冷え始めた身体がすぐに暖まる。

「レオナ様はまだ……?」
「十五歳のままです。レオナさんはすぐに戻るって言ってたけど、レオナさんの『ほんの少し』とか『すぐ』ってあんまり当てにならないから」

 なにせ『ほんの数年』早く生まれたと聞いていた兄との年齢は十も離れていた。初めてその事実を知った時は心底驚いたものだ。

「キファジさん、レオナさんってチェカくんが生まれた頃ってどんな感じだったんですか?」

 レオナが自分で語るのと周囲からの見え方はきっと違う。
 芽唯の質問にゆっくりと瞳を伏せたキファジはカップを置くと息を吐く。

「あの頃のレオナ様にかける言葉をこの老いぼれは持ち合わせておりませんでしたからな。きっと、今メイ様が感じているものと似たようなものかと」

 キファジはあくまで王に仕えている。そしてレオナは小さい頃から聡く、言葉にしなくともある程度のことは汲み取ってしまうほど敏感な子供だったという。
 きっと、言葉を探しても見つからず。腫物を扱うように遠巻きに、もしくは避けるようにしか過ごせなかったこともあったのだろう。

「『嫌われ者の第二王子』か……」

 ふと、レオナが時折口癖のように呟いた言葉が脳裏を過る。
何度も聞いたその言葉はまるで彼が自身にかける呪いのようだった。

「ここにはレオナさんを嫌ってる人なんて一人も居ません。王宮の方には……まだ、いるかもしれないけど。全部誤解で。レオナさんは理由もなく誰かを傷つける人じゃない」

 もしレオナが牙を向くとすれば、それは彼の大切なものを傷つけたか、彼自身に矛先を向けたから。
 面倒ごとを嫌うレオナがわざわざ何の利益も無しに荒事を起こすはずがない。

「でも、私たちがいくらそう言ったところでレオナくんには届かないんですよね。彼を傷つける人はいなくならないから」

 レオナの人生はずっと彼を傷つけている。
 望んでも王になれない立場。
 忌み嫌われるユニーク魔法。
 そして、まるでそれが当然なのだと予防線を張るように何度も何度も自分を傷つけるレオナ自身。

「なのに、あなたはこの先たくさんの人に好かれて、愛されますって。そんなこと伝えても混乱するだけで……」

 なんとなく自分を……妻の存在を受け入れてくれたから大丈夫だと思い込んでいた。
 思い出を語っている間に少しずつレオナと心の距離が開いていることに気づけなかった。

「やっちゃったなぁ……」

 柔らかなソファに寄り掛かれば全身が包み込まれる錯覚に陥る。

「レオナくんが抱えてる痛みをレオナさんもきっとまだ持ってると思うんです」

 だって、レオナが望んだことは何一つ叶っていない。

「『変えられない世界なんて全部砂に変えてやる』レオナさん、オーバーブロットした時にそう言ってて。確かに、世界が大きく変わったなんてことなくて」

 レオナがずっと足掻いているのを隣で見てきた。
 部屋に大切に保管しているスクラップ記事は彼の軌跡だが、一歩一歩頑張ってつけた足跡が簡単に消されてしまうこともある。

「……『たとえ王になれなくとも、お前は賢い。この国のために出来ることがたくさんあるはずだ』」
「え?」
「昔、ファレナ様がレオナ様にそうおっしゃったそうで」
「それは……」

 言われた時のレオナを想い、キュッと胸が締め付けられる。
 凄く、残酷だ。
 今では芽唯の義兄にあたる人物……ファレナは優しさからそう言ったのかもしれない。願った立場とは違っても国を思う気持ちを果たせるのだと。

「ファレナ様がよかれと思って言った言葉がレオナ様の神経を逆なでることは珍しくありません」
「あはは……」

 なんて相性の悪い兄弟だ。
 レオナの複雑な心境を考えれば致し方がないことなのだろうが、お互いの立場がそうさせてしまうのかもしれない。

「時にはそうした優しさまでもレオナ様を傷つけました。王にどうしたらなれるのかと聞く彼に答えを出せなかった私も含め」

 深く息を吐きだしたキファジは懐かしむような、後悔するような、複雑な笑みを浮かべる。

「それでも、やはりレオナ様は賢い。ファレナ様がおっしゃる通り。だから、今は少しだけ待ちましょう。どうせお腹が空けば嫌でも部屋から出てくるはずです」
「……はい」

 レオナが己の心を整理できるまで。
 少し寂しいけれど仕方がない。

「邪魔しないように医務室のベッドでも借りようかな」
「そうおっしゃると思って侍医に話はつけてありますよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」

 すっかり飲み干してしまったカップを置けばキファジがさっと手を差し出してくれる。

「今宵のエスコート役をさせていただいてもよろしいですかな?」
「ふふ、お願いします」

 わざとらしくかしこまったキファジの手を取りリビングを出る。
 同じ屋根の下にいるのにレオナの心が遠い。けれど、きっと大丈夫だろう。
 たとえ十五歳でも彼はレオナなのだから。

「おやすみなさい、レオナくん」

 届くわけがないとわかっていたが、ぽつりとレオナがいる部屋に向かって呟いた。

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