05
あれからレオナは朝になると部屋から出てくるが、食事中は終始無言で、食べ終わるとすぐに部屋を去ってしまう。
「また後で」
毎食後、せめて一言だけでも聞けたらと声をかけるがレオナは芽唯を一瞬だけ見て背を向ける。
「…………っ」
今日もダメかと芽唯はぎゅっと唇を噛み締めた。突然できた壁が分厚くて、どうしたらいいのかわからない。
「子分……」
グリムの声がむなしく響くとそれをかき消すような足音と共にラギーがやってきた。
レオナの仕事がなければラギーも基本的にやることがない。そのため、彼が傍にいないのならと芽唯の護衛を買って出たらしく、毎日朝から芽唯の元にやってくる。
「そこですれ違ったんスけど、まだレオナさんあんなちょうしなんスか? すっげー暗い顔」
「残念ながら……。でも、嫌われたわけではないと思います。声をかければちゃんとこっちを見てくれるし」
ふーんとレオナが去った方を見たラギーが呆れたように肩を竦める。
「なんか、メイくんと喧嘩した時のレオナさんに似てるッス」
「私と?」
「自分のやるべきことはわかってるんだけど、きっかけが掴めない。ほら、あの人王子様だから。他人に頭下げたりとかしたことないんスよ」
「別に喧嘩したわけじゃないけど……」
芽唯が一方的に彼を不快にさせてしまった。いわゆる地雷を踏んでしまったような状態だ。
「だから、それは例えで。会話の切り口に悩んでるだけなんじゃないかな。後はまぁ、余計なこと言いそうだから一旦頭を冷やしてるとかッスかね」
ほとんどレオナの優しい一面しか見たことがない芽唯は首をかしげる。
彼に酷いことを言われた記憶はあまりないが、もし本当にラギーの言う通り頭を冷やしているのだとしたら、やはりしばらくは距離を取るべきなのかもしれない。
「……そんな時に悪いんスけど、メイくん……というかお二人に仕事っス」
そう言ってラギーが振り向くとキファジがタイミングを計ったようにやってきた。
「タマーシュナ・ムイナ、ですか……?」
すっかり忘れていた。
キファジの報告に目を丸くした芽唯はどうしたものかと視線を彷徨わせ、レオナが今どこにいるだろうかと考えを巡らせる。日中、彼は芽唯との接触を避けるためか寝室から姿を消してしまう。
「メイ様もあの行事についてはよくご存じでしょう。特にキャッチ・ザ・テイルをレオナ様が欠席されるのは……今は時期的にも大変よろしくない」
深く息を吐きだしたキファジは用意した書類を芽唯に渡すと窓から外を見る。きっとレオナの姿を探しているのだろう。
──タマーシュナ・ムイナ。意味は天からの贈り物=B
この国で雨季目前に行われる雨乞いの祭りで、その期間に行われる目玉競技『キャッチ・ザ・テイル』の優勝者に贈られる称号『サンセット・ウォーリアー』。そのリーダーの役目を王位継承者の弟であるレオナは担っている。
「レオナくんでも果たせなくはないでしょうけど……」
いつのレオナもこの仕事を大層嫌っていた。
学生の頃はヴィル、リリア、ジャック、そして来賓のカリムまでも巻き込んで『守護者の授業』をしないための策を巡らせたのは記憶に新しい。
「ご存じとは思いますがレオナ様は勤めをサボったこともあります。この数年で改善されたとはいえ、元々イメージがよろしくない」
「けど、雨乞い……。水に関する行事ですもんね……」
「頭が痛い話ですな……」
レオナは水道事業に関する計画を進めていた。
いまだに井戸水に頼る生活を続けている国民もいるこの国で最優先に解決しなければならないことだ。
人は水がなければ生きられない。配管工事の手間はかかるが、安全で綺麗な水を安定して供給できるようになれば汚染された水による病気や怪我の悪化を防ぐことができるし、水質の改善が国に大きな影響をもたらすことは熱砂の国・絹の街が証明している。
そんな水に関する利便性を追求した計画を推進しているレオナが、伝統ある雨乞いの儀を蔑ろにするわけにはいかない。
「あれからレオナ様とは……?」
「ずっと避けられてて……。本当に嫌われちゃったのかも」
一応食事だけは共にしているが、十五歳のレオナが芽唯を遠ざけてから既に五日が経とうとしていた。
レオナの言う「すぐ」とは本当になんのことだったのか。もうすぐ一週間レオナの精神は入れ替わったままということになる。
「いや〜、それだけは絶対ないから安心して欲しいッス」
「ラギー先輩はどういう根拠があって言ってるんですか?」
うなだれる芽唯の肩に手を置いて首を振るラギーは悲観した芽唯の発言を否定した。
確かに芽唯自身もただ拒絶されたわけではないとあの時は思ったが、学園で出会って、芽唯と恋に落ちたレオナならいざ知らず。今のレオナなら芽唯を嫌うのは簡単なことに思える。
「根拠というか。知ってるというか……。ホント、これ以上言ったらクビになりかねないんで勘弁してほしいッス」
ラギーの言葉に芽唯とキファジは不思議そうに首をかしげる。
「レオナさんの方はオレがなんとかならないか動いてみるッス。多分、今はメイくんよりも適任なんじゃねぇかな。二人はなるべくレオナさんが悪目立ちしないで祭りを終えられないか計画考えといて!」
パッと芽唯から離れたラギーは手を振って部屋から出ていく。
残されたキファジと顔を見合わせた芽唯は息を吐きだしながら問う。
「守護者の授業、免除できません?」
「なりませぬ。大切なお役目ですので」
「ですよね……。もう……どうしようかな」
それさえなければどちらのレオナでも試合を貴賓席から見守るくらいしてくれそうなのに。
「いつもみたいに一枠自分たちで誰か出してもいいですよね?」
「例年通りですので異論はありませんよ。メンバーにはいったい誰を?」
「ラギー先輩と……後は」
出場枠は最低三人。先鋒・中堅・大将。その他に代理選手一名の出場も認められているから少なくとも後三人は必要だ。
「ううん……。レオナさんの奥さんとしてどうにかしなきゃ……!」
夫であるレオナのピンチは妻である芽唯のピンチでもある。
自身を奮い立だすように立ち上がった芽唯は己の頬をぺしっと叩く。
「グリム、いつも通り協力してくれそうな人に声かけに行こう」
「しょうがねぇな、レオナも困ったやつなんだゾ」
傍らで大人しくしていたグリムも立ち上がり、芽唯をエスコートするように扉を開けると全身を使って閉まらないように支えてくれる。
「お二人とも、あまり無茶はしないように」
「わかってます。レオナさんに協力してくれる人はお屋敷内で見つけられるだろうし、なるべく遠くまでは出歩かないようにします」
「ええ、そうしていただけますとこのキファジも安心です」
キファジはこれからチェカの勉強を見なければならないので芽唯たちとは一緒にいられない。
緩やかに手を振ればお辞儀で返してくれた侍従長に背を向け、目的地へと向かうべく最初の一歩を踏み出した。
◇◆◇
「寮長、……じゃなかった。レオナ様のためなら頑張りやすぜ!」
「よかったぁ」
早速見つけた人物に声をかければ二つ返事で頷いてくれた。メンバー構成をどうするかは悩みどころだが、今年も参加登録自体はできそうで胸をなでおろす。
彼は元サバナクロー寮生で、今ではレオナと芽唯の屋敷警護にあたっている近衛兵だ。
「ところでそのレオナ様はまだ……?」
「うん。十五歳のまま、だと思う。何日もまともに話せてないからわかんないんですけど」
元に戻ったのならその時点できっとすぐに会いに来て抱きしめてくれる。
「そうなんスかぁ……? おっかしいなぁ……」
不思議そうに首をかしげた衛兵はちょうど巡回をしていたサイの獣人に声をかける。彼もまたレオナを慕って近衛兵に志願した元サバナクロー寮生の一人だ。
「なあ、レオナ様まだ戻ってねぇんだと」
「あ? マジか? あんなに姫さんのこと気にかけてたのに?」
「え?」
二人の会話に芽唯とグリムは顔を見合わせ目を瞬かせる。
「どういうことなんだゾ?」
「もし姫さんが出かけるなら声をかけろ、とか。さっきも裏庭の結界が少し緩んでるから魔法士ならそれくらい気づいて直してみせろ、とか。いつものレオナ様と変わらなかったんスよねぇ」
「レオナくんが……?」
てっきり嫌われてしまったとばかり思っていたのに、それではまるで芽唯のことを大切に守っているみたいだ。
「まあ間違えて寮長って呼んだら不思議そうに復唱してきたんで、あーまだ戻ってねぇんだなぁとは思ったんスけど」
学園にまだ通っていないレオナにとって寮長という呼び名は聞き慣れないものだっただろう。
いまだに呼び方を混同しがちな近衛兵たちは『でも寮長ってやっぱ呼んじゃうんだよなぁ』と照れ臭そうに頬をかく。
「そうなんだ……。レオナくんがどこにいるか知ってます?」
「最近日中はあの木の上で寝てたけど今日は見てないんス」
「あそこ、普段のレオナ様もよく使ってるよな」
うんうん、と頷く二人が指さしたのは中庭で最も大きな木の上。
「まあ今日は姫さんが中庭を使ってないからだろ。さっきまでキファジ様と屋敷で仕事の話をしてたんだし」
「あー、そっか」
当然のように交わされる二人の会話に芽唯がぱちぱちと瞬けば「あっ」と二人が気まずそうな声を出す。
「これ黙ってろって言われてなかったっけ?」
「でもそれってどっちの寮長だ?」
「どっちもな気がする……」
だらだらと冷や汗を流し始めた二人は顔を見合わせると芽唯に勢いよく頭を下げる。
「姫さん! 俺らから聞いたって寮長には内緒にしてくれ!」
「寮長はあそこでサボ……ってはないと思う! ちゃんと仕事を終えて時間が余った時だけ使ってるって言ってたんで!」
「えっと……あの……?」
慌てだした二人の勢いに驚いた芽唯は後ろに数歩下がると唇に手を当て考えをまとめる。
つまり、あの木の上はレオナのサボり……もしくは休憩場所の一つとして使われていて、あそこを選ぶのは芽唯が中庭を使っている時。つまり自分をそこから見守っていたと、そういうことだろうか。
「探しに行くと妙に早く会えたなぁって思った時はあったけど、もしかして……」
偶然を装って先回りしていたのだろう。レオナなら確かにやりかねない。
「あの、ほら、姫さんガゼボでよく寝ちゃうだろ。寮長それが心配なんだって言ってて」
「今は特にお腹に子供もいるんだから体を冷やすのはまずいからさぁ!」
わたわたと手を上下させて屈強な男たちが慌てる姿は少し滑稽だ。
「別に普通に会いに来てくれればいいのに……」
お仕事が終わっているなら咎める必要はない。……サボりでも、会いたかったなんて言われたら絆されてしまうかもしれない。
「姫さんも少しは自分の時間が欲しいかも、とか色々寮長なりに考えがあるんスよ」
「もう……」
これに関しては元のレオナに戻ったら改めて話し合う必要がありそうだ。
肩を竦めて息を吐いた芽唯は夫ではなく、今のレオナに思考を切り替える。
あの日からレオナは食事の時間だけは一緒に過ごしてくれるがその時会話は一切ない。食べ終わればすぐにどこかに消えてしまうので、仲直りするきっかけも掴めていないのが現状だ。
なら、なぜそんなレオナが芽唯を見守っていたのだろう。出かけることがあればついてくる気もあったのだろうか。レオナの考えがさっぱりわからない。
「他にレオナくん何か言ってませんでした? あ、今の……十五歳の方」
年齢だけ小声で言えばぴるぴると獣人二人の耳が動く。あぁ、レオナの可愛らしい耳が恋しくなる。
「俺は特に」
「オレも……。あ、怖くないのかとか聞かれたかも」
「怖く……?」
元サバナクローの寮生がレオナを怖がるなんてありえない。そうじゃなくてもこの屋敷には彼を慕っている者しかいない。
「ほら、オレの尻尾って目立つから。寮長見かけて思わずぶんぶん振っちゃったら、それ見た寮長がぐわーっと眉間に皴を寄せてちょっと呆れた感じにさぁ」
ぶんっと尻尾を軽く振る彼は狼の獣人で確かにその尻尾はよく目立つ。
「そっか……。うん。わかった。ありがとう。行こうグリム」
軽く会釈をしてその場を離れれば二人は手を振って見送ってくれる。確かに、レオナが驚いたのも仕方ないほど狼の彼の尻尾がぶんぶんと揺れているのが遠目でもよくわかる。
「子分何かわかったか?」
「レオナくんちょっと難しく考えすぎなのかも」
この国の精神ハクナ・マタタを掲げて生きろとは言わないが、多少なりレオナは見習った方がいい。
「『お前のレオナ』か……」
出会う前の、十五歳のレオナは確かに『芽唯のレオナ』ではないのかもしれない。
「レオナくんも私の大切な人なんだけどなぁ」
どうやって伝えたらわかってくれるだろうか。そんな時間は残されているんだろうか。
「困ったね、グリム」
目の前をてちてち歩く親分は首をかしげる。きっとまだわかってないのだろう。
苦笑した芽唯はレオナがよく使うという木を眺めてからゆっくり息を吐きだした。
「日記書いてた頃の私みたい」
まさかレオナに対してそんな風に思う日が来るなんて思わなかった。
愛を受け止めるのに勇気がいるのはわかってる。傷ついているなら猶更だ。
「レオナくんに早く会いたいなぁ」
夫のレオナと同じくらい、何故か少し小さく見える背中が恋しかった。
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