幕間1


 ここは十年後。
 いきなりそんなことを言われて素直に「はい、そうですか」と言えるような育ち方は生憎としていない。
 けれど疑うには歳を喰ったキファジだけでなく、やけに自分の心配をするハイエナや、妻だという女性の存在が俺を黙らせた。
 兄貴の元から少しでも離れたかったのか、それとも彼女の言う通り『妻のため』なのか。俺の知らない屋敷は随分とぬるい空間だった。……暖かい、と言うのかもしれない。
 木々の上からガゼボで休む妻だという女の動向を見ながら、悟られないようにため息をつく。
 彼女から距離を置いて今日で三日だ。
 食事を終えるとすぐに消える俺を追うこともなく、探すでもなく。彼女は魔獣と二人でよくガゼボで風にあたる毎日を繰り返している。

「子分、今日はちょっと風が強いからいつもより早めに帰るんだゾ」
「わかってるって。毎日少しでいいからお散歩してくださいって言われてるのを守ってるだけだし」
「ラギーが来たらすぐ戻るからな!」
「はいはい」

 確か、グリム……と呼んでいただろうか──グリムを軽くあしらった彼女は鼻歌交じりにファイルを開く。寝室で嬉しそうに見せびらかしてきたものだ。……未来の俺に関する記事がファイリングされているらしい。
 隣から覗き込んだグリムに楽しそうに何かを説明しながらページをめくる。俺が立案した事業が簡単に成立するとは到底思えないが、そんなにも明るく話せることがあるのだろうか。
 この国にはあらゆるものが眠っている。資源、人材、才能。それを活かそうとしない兄貴やその周囲が変わったとは到底思えない。
 なによりも、兄の言う通りに『王になれなくとも国のために尽くす自分』が想像できない。
 あの柔らかな手がページをめくる。明るい声が聞こえる。そこに記されたことが気にならないと言えば嘘になる。

◇◆◇

 食事だけは共にした。
 でないと彼女が食わないからだ。
 あの日の夜、寝室に籠って眠った俺は夕食を食いそびれた。起きていても食いに行ったかは疑わしいが。
 けれど何日も食わないわけにはいかないので、引きずりすぎる前に翌朝すぐ部屋を出るとリビングには前日の夕飯だったであろうラップがかけられた食事が残されていた。
 その前で頬杖を付いていた彼女は俺を見ると笑みを浮かべる。

「あ、レオナくん! おはよう、今温めるね」

 そう言って立ち上がった彼女は文句を言うでもなく、俺の行動を咎めもしない。
 いそいそと彼女は自らレンジを使って飯を温めだすが、それが二人分あるということは彼女も昨晩は食事を取っていないということだろう。
 流石に、それを見て『いらない』『構うな』と拒絶の言葉は吐けなかった。何も食べていなかったし、なにより……どれも美味そうだった。
 俺は彼女に胃袋を掴まれる、というのをされたのだろうか。そんな単純な男だった覚えはないが、彼女の語った馴れ初めや、確かに舌に合う食事にそう思わされる。
 俺が選んだという俺の妻。そんな出会いがあることがいまだに信じられない。
 返事をしない俺に笑みを浮かべて一緒に食事をする彼女の姿がやけに目に焼き付いた。



 後片付けをするという彼女を残し、屋敷内を適当にうろつき始めた俺は彼女が昨夜寝室に来なかったことが気になった。
 適当な兵士を捕まえて話を聞けば医務室に泊まったらしい。
昼食の時に何故だと問いそうになったが、俺に気を使ってのことだろうと思うともやもやとしたものが胸を過って言葉が出なかった。気が利きすぎるというのも問題だ。……話をするきっかけを見失った。
 それから何日も、ただ食事を共にするだけの関係が続いている。
 黙々と皿だけを見つめて食う俺と、そんな俺を見つめて微笑む彼女。実に奇妙な食卓だ。時折、あの魔獣もその輪に加わった。
 流石にグリムは騒がしく、それに対して彼女もいくつか言葉を投げかける。
 三人で料理を囲む。一匹魔獣が混ざっているが、奇妙な親子関係に見えなくもない。十年後の己を取り囲む環境がいまだに理解できない。
 ナイトレイブンカレッジでいったい何を経験したのだろうか。彼女に対しどんな想いを育んだのだろうか。
 ……父になる、ということに対し何を思ったのか。
 何も、何もわからなかった。

◇◆◇
 
 彼女を避けるように屋敷の周辺をぶらりと歩けば結界の綻びが気になった。個人の屋敷にかけるには随分と大掛かりで、術者が自分自身だということはすぐにわかった。……それほど、彼女が大切だということだろう。
 綻び自体は大したことがなく、一般的な技能と知識を持ち合わせた魔法士ならば簡単に直せるものだったので近くにいたやつを呼びつければ『寮長』と聞き慣れない呼び名で慕ってくる衛兵に軽く眩暈がした。そんなに尻尾を振って俺を呼ぶ者などこの国で見たことがない。
 彼女に聞いた時は明らかに面倒そうな役職に自分が付いたらしい事実にも驚いたが、その群れに属したものがこうして近衛兵として卒業した今も傍にいるなんて訳がわからない。

「……話は聞いてるんだろ」
「え?」

 ぱちぱちと瞬きをして、何のことか首をかしげた男の耳が情けなく伏せられる。

「あ、あー! そうだ、魔法でなんとかって!」
「馬鹿やろう、でかい声出すんじゃねぇ!」
「すんません! 聞いてはいたんスけどいつも通り過ぎて!」

 九十度に腰を曲げて頭を下げた男は多分相当の馬鹿だ。馬鹿の後に正直なんて言葉がつくかもしれない。
 恥ずかしそうにデレデレと頬を緩ませ「すんません」と繰り返した後、「でもいつも通りだったんで」とも繰り返す。

「……つまり、変わってないってことか?」
「え? そうですけど……?」
「…………」

 ぎゅっと自分の眉間に皴が寄るのがわかる。
 なら、なぜこうもこいつは俺を慕っているのだろう。俺が変わったから、周りも変わったのではないのか。
 今の、この俺のまま、慕ってくれるやつを俺は知らない。好かれる俺を、……愛される俺を知らない。

「お前、俺が怖くないのか……?」
「寮長が怖い……?」

 なんのことかと首をかしげる男は瞬きを繰り返し、俺の顔をじっと見てはまた首をひねる。

「……とにかく、結界直しておけよ」
「そりゃもちろん、姫さんと寮長に何かあったら一大事! 任せてくだせぇ!」
「……本当に大丈夫なんだろうな」

 不安だ。仮にも名門校と呼ばれるナイトレイブンカレッジの卒業生なら問題はないだろうが、目の前の男はあまり賢そうには見えない。
けれど、にぱっと笑みを浮かべた男は魔法石のついた武器を構え直して大きく頷く。こんな男が俺の群れにいるというのだから、サバナクロー寮というのが概ねどんな寮だったかは想像がつく。

「……頭痛がしてくるな」
「医務室行きますか?」
「いや、いい……。気にするな」

 コテンとまた首をかしげ始めた男を手で留めると不思議そうな顔で瞬きを繰り返す。

「あっ」

 小さく声を上げ、後ろを指さす男に倣って振り向けばハイエナの獣人──ラギーと呼ばれていた男がにやりと笑う。

「やーっと見つけたッスよレオナさん」
「あいつに言われて何か文句でも伝えに来たのか」

 シシシ、と特徴的な笑い声をあげながらラギーは俺に近づくと小声で囁く。

「レオナさん≠ノ会いたくないッスか?」
「……どういう意味だ?」
「どうもこうも、そのまんまの意味ッスよ」

 おかしな状況になったせいで今『レオナ』は二つの意味を持っている。
 一つは俺自身。そして未来の……この時代の俺。
 彼女は敬称で呼び分けていたが、そうでないこの男が今呼んだのが未来の俺だと直感的にわかったのは妙に鼻についたからだ。

「……会ったところでどうなる。面倒なだけなら」
「いやいや、あんたに拒否権はないッスよ。一応あんたもレオナさんだから聞いたッスけど、オレの王様直々の命令なんで」
「何……?」

 どうだ、気になるだろう。
 そんないやらしい笑みを浮かべ、口角を上げたラギーはにやにやとしたまま俺を見る。

「あくまでもお前の『王様』とやらは未来の俺ってことか」
「そうッスね。いくら過去の同一人物って言ったってこんな腑抜け顔の王様持った覚えはないんで」

 肩を竦め、わざとらしく両手を広げたラギーは「で?」ともう一度俺に問いかける。

「……会わせろ」

 手段はわからないが、俺自身に問えるのならば話が早い。未来の俺がどういう男なのか直接見れるいい機会だ。

「そうこなくっちゃ。あー、よかった。ユニーク魔法で無理やり連れてくのは面倒だったんで」

 頭の後ろで腕を組んだラギーはそう言って背中を見せると首だけひねって視線をこちらに向ける。ついてこい、ということだろう。

「お前は結界直しておけよ」
「ぅあ! は、はい!」

 俺たちのやりとりを見つめていた衛兵に声をかければ姿勢を正してバカでかい返事をする。
 少し耳がキンッとなって顔をしかめれば「すんません」とまた何度も繰り返す。本当に俺はこいつのような奴らの面倒を見ていたのか……?
 もう行けと示すように手をひらひらと振ってやれば、男は礼をして去っていく。
 本当に心配でたまらないが、名門校と呼ばれるナイトレイブンカレッジの卒業生なら直せなくはないだろう。

「……終わったら確認しに行くか」

 この男が俺を慕ってやってきて、俺の群れの一員だというのなら過去未来などに拘って面倒を見ないのは王としての沽券にかかわる。

「少しだけ俺≠フ苦労は見えてきたな……」

 思わず出たため息に乗せた感情は複雑すぎて説明できそうにない。ただ、ずっと掴めなかった十年後の自分の影に少しだけ手が届いた気がした。



 ラギーについていくと屋敷の一室に入れと促された。

「レオナさんの執務室ッス」
「あいつから聞いてる」

 一度だけ屋敷の中を案内された。その時、ここが執務室で、入っても構わないが仕事に手を付ける必要はないと説明を受けた。
 未来の俺がどんな仕事をしているのか興味がないと言えば嘘になる。
 けれど、実際に目の当たりにしてショックを受けない自信もなかった。
 ドアノブに手をかけ、ゆっくりと手首をひねる。簡単に開くそれがやけに重々しく感じるのは、ここが一番未来の俺に関する情報を得られる場所だからか。
 最初に目に入ったのは本棚だ。鉱石やエネルギーに纏わるものから、水路や土壌、土地に関するあらゆる資料と文献。この国を現代的に発展させることを意識する者ならば当然目を通すであろう書籍が並んでいる。
 それと同時に机の上にある書類の山が目に入る。
 しばらく仕事をする必要がない状態になっていると言っていたから急ぎのものではないのだろう。けれど、俺が目を通さなければならないものが既にこんなにも溜まっている。

「……これは」

 そんな執務机に付箋が大量に貼られた本がいくつか乗せられている。

「名前辞典……子育て……」

 直近で取り組んでいる事業に関する物かと思えば表紙に赤ん坊の絵が描かれ、淡く優しい色使いのそれはどう見ても王族の仕事に関係がある物ではない。

「随分と楽しみにしてたみたいだな」
「そりゃもちろん。まだ性別はわかんねぇってのにこれ見てくださいよ」

 嫌味で言ってやったのにまったくだと頷いたラギーは紙の束を指さした。
 手書きのそれにはいくつかの単語が並び、丸をされたものやバツを付けられたもの。かと思えば隣にもう一度同じ言葉が並んでいたりする。
 どれも最後にキングスカラーと書かれていて、生まれてくる赤ん坊の名前を考えていたことは明らかだ。
 彼女の腹はまだ膨らみもなく、無事に生まれてくるかもわからない。それでも楽しみだということが隠しきれない男の姿がこの紙切れだけで目に浮かぶ。
 そんな浮かれた男が未来の自分だというのだから、また頭痛がしてきそうだった。

「どんだけ親馬鹿なんだよ……」

 思わずぽつりとこぼれた言葉にラギーが「シシシ」と笑って頷いた。

「馬鹿で悪かったな」
「は」

 聞こえた声に思わず息が詰まる。
 この部屋にはラギーと俺以外いないはず。いや、それ以前にこの声の持ち主を俺は嫌でも知っている。
 顔を上げるとその人物はラギーに早く扉を閉めるように促し、引かれたままだった椅子に王のようにふんぞり返って腰を下ろす。

「ほーら、レオナさん。レオナさん≠ノ聞きたいこと山ほどあったんでしょ? よかったッスねー」

 言われるがまま扉を閉めたラギーは男の隣に仕えるように立つと小声で耳打ちをする。

「へぇ?」

 にやりと笑った男の尻尾がゆらりと動く。
 思わず数歩下がった俺は、目の前に突如現れた半透明の男──レオナ・キングスカラーと向き合った。

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