幕間2
ゆっくりと息を吐きだし、眼前の男を睨みつけるように見据えたが男は気に留めることなく口角を上げたままにやにやとこちらを見ている。
よく見れば男の身体は少しだけ透き通っていて、恐らくなんらかの魔法でこちらの世界に干渉していることがわかる。
男は、未来の俺は──俺≠フ姿をしている。
当然だ。入替の原因になったユニーク魔法の効力は切れていない。ならば俺が二十五歳の俺の身体に入っているように、未来の俺も十五歳の俺の身体に入っているはず。
どうやって
「そう警戒するなよ。俺が俺≠ノ危害を加えるわけないだろう?」
まるで王のように椅子に座る姿は己のモノなのに、知らない人物に見えてくる。
鏡で見飽きた己の姿に畏怖の念を抱くとは思わなかった。
「なんか『俺』が飽和してきてよくわかんなくなるッスね。レオナさんに『俺を呼んでこい』って言われた時も最初訳わかんなかったし」
「ニュアンスでわかんだろ。つっても話しにくいってのは確かだな。互いに名前で呼べば多少はマシになるか?」
「ますます混乱しそうッス」
肩を竦めたラギーが首を振ると俺が……レオナがくつくつと笑う。
本当に不思議な気分だ。外見は十五歳の俺のモノなのに、中身が二十五歳というだけでこうも見え方が変わるものなのだろうか。
「そっちはどうだ……と聞くまでもないか。俺の顔でしけた面すんじゃねぇよ。メイを泣かせてないだろうな?」
「泣かせては……ない」
困らせてはいる、かもしれない。
俺の返答に片眉をくいっと上げたレオナは訝し気に俺を見つめると深く息を吐きだす。
「んなことだろうと思ったぜ」
椅子に座ったままレオナは窓から空を見上げると立ち上がって庭を見下ろす。
「……あいつは室内に戻った頃だろ。ここ数日は風が強いから早めに切り上げろって魔獣が促してたからな」
「そうか。ま、グリムがついてるなら心配ねぇな」
あの魔獣によほどの信頼を寄せているのか、レオナはすぐに椅子に戻ると真っ直ぐに俺を見据える。
ぱらぱらと片手で名前候補をめくると片手を顎に沿えて首をひねる。
「まだ名前が決まらねぇんだ。こっちでやることは済んだが、お悩み相談室を開くほど暇じゃない」
「そういうなら最初から入替なんて起きないようにして欲しかったッス。オレたち事後処理すんげー大変だったんスけど!」
「うるせえ、それがお前の仕事だろ」
「あー、もう! あんたほんとそういうとこッスよ!」
腹を立てたように地団駄を踏んだラギーは近くに転がっていた本を適当に掴むと棚に戻し始める。
よく見れば部屋のあちこちに物が転がっていて、それらを拾い上げては元の場所に戻してく。
「気にするな、昔からあれはあいつの仕事だ」
不思議そうに見ていたのに気づいたのか、レオナはラギーを見ていた俺に声をかける。
昔……というのは、ナイトレイブンカレッジに入学してからのことを言うのだろう。
「……たった、たった十年でそんなに変わるのか」
「あ?」
「兄貴の下で働く俺なんて想像すらできねぇ。ありえないと否定したばかりだ。それに、この屋敷には俺に陰口を言うやつがいないどころか馬鹿みたいにキラキラとした瞳を向けてくる」
つらつらとここに来てから抱えていたものが溢れ出す。
レオナは目を細め、興味なさそうに俺を見ているが視線が逸らされることはない。
「学園生活とやらで変わったのか? この俺が? まさか妻とやらができて、愛だのなんだの、お寒い感情のお陰だとでも?」
たった十年、兄貴より遅く生まれたせいで重しを乗せられ続けていたこの俺が。
たった十年、一握りの誰かとの出会いでこんなにも身を置く環境が変わるというのか。
人生は不公平で、頭の固い国のしきたりや偏見を持つ者の考えは変わらなくて、それなのに俺自身に変化を望み、俺はそれを受け入れたというのか。
「ハッ、そんなに言葉を並べなくてもお前の言いたいことなんて手に取るようにわかる」
鼻で笑ったレオナは目を眇めたまま俺を見ると「兄貴なんてクソくらえだ」と吐き捨てた。
「『たとえ王になれなくとも、お前は賢い。この国のために出来ることがたくさんあるはずだ』だったか」
「うわ、なんスかそれ。嫌味?」
「お優しい兄上のありがたいお言葉だよ。残酷すぎて笑えてくるだろ。人のいい面してテメェにかしずいて仕えろとおっしゃる」
「最悪〜!」
俺の姿で兄貴の言葉を言い放ったレオナが肩を竦めるとラギーが腹を抱えてゲラゲラと笑いだす。
「……レオナはさておき、お前はそれでいいのかラギー。仮とはいえこの国の王はあくまでもあいつだろう」
「ん? あぁ、ファレナさんのことオレが悪く言うの不思議ッスか?」
ラギーは片付けの手を止めたまま首をかしげる。
「オレの王様はあくまでレオナさんなんで。支払いが良い限り、オレはどこまでもレオナさんについていくッス」
「金の切れ目が縁の切れ目だと? そうかそうか」
「あ、いや、今のは言葉のあやって言うか! レオナさんが働きに見合った報酬ちゃーんとくれるのはわかってるし!」
慌ててゴマをすりだすラギーを笑ったレオナは愉快そうで、少なくとも俺はそんな風に誰かとの会話で笑みを浮かべる自分は知らない。
……また、知らない俺だ。
「それで、なんだ。俺が変わったかだったか。……そう見えるか?」
ギラギラと野心を向きだしたような笑みを浮かべたレオナは半ば諦めを孕んだ俺よりも、よっぽどレオナ・キングスカラー≠轤オい。
強く。賢く。愛される。俺がそうあるべきだと夢見たレオナ・キングスカラー。
けれど、今の俺から変わったわけではないという。
わからない。わからない。わからない。
俺からずっと視線を逸らさない男の前に椅子を引っ張り出し、机を挟んで向き合うように腰を下ろす。
知らないことが、なによりも恐ろしかった。
◇◆◇
レオナは彼女が……メイが先日話したことをより詳細に語った。
学園で俺がオーバーブロットを起こしたこと、何度も起こる問題に彼女が同じ数だけ首を突っ込んだこと。
懐かしそうに微笑む男は彼女の知らない視点の話をしてくれた。……俺の内側に踏み込んだことだ。
どんな言葉が、行動が、己に響いたのか。
レオナの内に届いた言葉が俺に届かないわけがない。こいつは俺自身なのだから。
「とんでもねぇ女だな……」
思わずこぼれた言葉にレオナがくつくつと喉を震わせる。
「あぁ、とんでもなく面倒で、最高の女だよ」
自慢げに笑うレオナはニヤリと笑って俺を見る。
すっかり日は落ち、ラギーはそんな噂のメイの様子を見てくるように言われて部屋をとっくに出て行った。
……だから、俺はあえてレオナに問いかけた。
「初めてあった時、お前もそうだったのか」
「あ?」
「……放っておけないと、自分の群れに……傍に置いておくべきだと思ったのか」
俺は、そうだった。
状況がわからず困惑した俺に説明するキファジの口から妻という言葉が出た時は半信半疑だった。
この俺が、まさか国のために誰かと結婚したのかと疑った。
けれど恋愛結婚だというので、ますます疑問は大きくなった。
恋愛?この俺が?それこそ信じられない。けれど、訝しむ俺を他所に「そこまで言うならお連れします」と出て行ったキファジよりも先に部屋に飛び込んできたメイからは嫌というほど自分の匂いがして、嘘だとは言えなくなった。
移り香というには濃く、マーキングというよりは独占欲の表れと言った方が正しいそれに未来の俺のことがいっきにわからなくなってしまったが、なによりも一目見てこの女が自分のモノだということにえらく興奮したことをその時の困惑ごとまだ覚えている。
「まァ……そうだな。本能的なもんに近い」
ゆっくりと息を吐きだし、背もたれに体を預けながら天井を見上げるように零したレオナは瞳を伏せる。
出会った時のことを思いだしているのか、口角が少し上がる。
「あいつは、最初に言った通りこの俺の尻尾を踏みやがった」
するりと動いた尻尾が揺らめく。ヒトである彼女には想像できないのだろうが、痛みは相当なものだったろう。
「『どうしようネコチャンの尻尾踏んじゃった!』……俺の尻尾を掴んだかと思えば血相変えて踏んだ箇所を撫で始めた時はどうしたもんかと思ったぜ」
異世界から来たというメイが暮らしていた世界に獣人属はいないらしい。
まさか尻尾の先にいるのが毛の塊でなく、ヒトだなんて夢にも思わなかったのだろう。
いろんな話を聞かされたおかげか、そんな彼女を困惑したまま見つめていたであろう自分の姿が簡単に想像できた。
「尻尾の主が俺だとわかると青くなって赤くなって、今思えばそんな姿も俺には好ましく映ってたんだろうなァ?」
俺が初対面でメイに目を奪われたことを考えれば、痛みと怒りで多少判断は鈍ったろうが、それほど悪印象ではなかったに違いない。
「詫びとしてできることは飯を用意するくらいだと何度も頭を下げる女に向かって野郎を相手にするようにキレる訳にもいかなくてな。仕方がなくその提案を受け入れた」
既にラギーを小間使いとして使っていたのだから不要だったろうに、それでもメイの提案を受け入れた時点で絆され始めていたと言っていい。
「あそこが男子校で、あいつが唯一の女だったこともある。各寮長が躾けていたが、十代後半の青臭いガキばかりの学園に放り込まれた女性に野郎が何をするかもわからねぇ。特に、俺の寮生は血の気が多かった。けれど、俺の庇護下に置いた女に手を出すほど馬鹿じゃあない」
幾人か、元寮生で俺を追いかけてこの国の衛兵になったという男達が脳裏を過る。
確かに俺が目をかけている女生徒に粗相をすることはないだろう。群れの恥は王の恥だ。俺がそんなことを許すわけがないし、させるわけもない。
「……出会ってすぐにあいつのことが頭から離れなくなって、退屈な学園生活とやらが多少マシになればいいとは思った。まさか、こんなに長い付き合いになるとは夢にも思わなかったがな」
愛おしそうに見つめる先には二人が写った写真が並ぶ。
結婚式の写真。卒業式の写真。学園行事なのか、見知らぬ土地で撮られた写真も多くある。
執務室にそんな写真を飾るほどレオナはメイを思っているということだ。
「一目惚れ、……ってことになるのか」
自分の口からそんな言葉が出る日が来るとは思っていなかった。ここに来てからそんなことばかりだ。
「それ以外、なんになる?」
認めるように大きく頷いたレオナは愉快そうに笑いだすが、俺はそんな恋に落ちる自分を簡単に受け入れられそうにない。
ぐっ、と言葉に詰まる俺を見たレオナは「それで?」とにやりと笑う。
「俺の妻に一目惚れをしたものの、学生時代の話を聞いたお前は俺≠ニ自分≠フ差を受け入れられず、違うものだと感じてメイを遠ざけた……と」
「なっ」
「ラギーから話は聞いてる。確かに、お前は『メイの愛した俺』じゃあないな?」
いまだにくつくつと肩を震わせ笑うレオナは随分と楽しそうだが、こちらとしては最悪な気分だ。
「俺は、お前とは違う……。ナイトレイブンカレッジに行くことを選んでいない。そんな風に笑うこともない。十年分、埋まらない溝がある」
ここまで話を聞いて、レオナが感じたことを聞かされ、それには多少なり共感できた。けれど、やはり自分とは違う存在だと思ってしまう。
「くくっ、お前の言いたいことはわかる。俺自身のことだからな。けど、メイにそれは通じねぇ」
「どういうことだ?」
「あいつは、俺とお前をわけて考えてないってことだ。お前の延長線に俺がいて、俺の延長線にお前がいる」
「……意味がわからねぇ」
「だろうな」
過去と未来、確かに繋がってはいる。
けれど、積んでいない経験分の差は俺だけでなく、彼女もよくわかっているはず。
「なァ、あいつがどう思ったかなんて建前は捨てちまえよ。お前はもっと別のことを思ったはずだ。一目見て、メイが欲しくて欲しくてたまらなくて、自分のモノだと知って浮かれたんだろ?」
「……俺は」
ざらりと砂を噛み締めたかのように喉が渇く。
「俺のモノなのかと、未来でこの女が手に入るのかと気分が良かった。けれど、すぐにそうじゃないと気が付いた。あいつはお前のモノだ。俺は……そこに至る努力を何もしていない」
「わかってるじゃねぇか」
満足そうに笑ったレオナは「メイは俺のもんで、俺を愛してるからな」と付け足した。
あの日、芽唯が語った思い出の中に俺は確かに存在しているのに、それが自分じゃないと強く感じた。
何の苦労もせず、栄光だけを手に入れるなんて兄貴のようで腹が立つ。
俺は、俺の力で、俺の努力で、渇望したものを手に入れる。
「確かに、俺はいつかお前になる。このユニーク魔法が解けたら苦しみから逃げるためにナイトレイブンカレッジに行くんだろ」
そこでいつかメイと出会う。
最悪な出会いが最高の始まりで。紆余屈折を経てハッピーエンドとやらを掴み取る。
たった十年間の出来事だ。……奇しくも、兄貴との年齢差と同じ。
「あいつが欲しくて、たまらなくて、努力した姿。それがお前で、……俺なんだ」
俺であって俺じゃない。けれど、確かにお前は俺なのだと認めるしかない。何故なら、今も彼女が自分のものでないことが悔しくてたまらないから。
「ふっ、そこまでわかってるならしょうがねぇ。もうしばらくの間貸しといてやるよ」
「貸し……?」
「メイのことだ。あいつが俺に向けてる愛情を仕方ないからわけてやる。お前がこの先の人生でどれだけ愛されるようになるのかを実感してみろ。俺が羨ましくて魔法が解けないように努力し始めるかもしれねぇな」
「…………」
眉間にぐっと皴が寄る。仮に抵抗したところで
「勝てるわけないだろ」
「ハッ、勝てない試合を努力とやらでひっくり返すのが俺のやり方だ」
「それでオーバーブロットしてたら世話ねぇな」
「おい……」
低い声で威嚇されるが相手は俺自身だ。当然怖くはない。
鼻で笑ってやれば「かわいくねぇ」だの言われるが、自分自身にかわいいなんて思われたくもない。
「ったく……元に戻ったら覚えてろよ」
「古典的な捨て台詞だな」
この野郎……、と唸るレオナがおかしくて、ようやく俺も笑えそうだ。
さて、メイに会ったらまず何から話そうか──。
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