06


「肉か」
「へっ……」

 久しぶりに聞いたレオナの声に肩を跳ねさせた芽唯は一瞬何を言われたのかわからなかった。

「あっ、ば、晩御飯ですか? 今日もお肉ですよ」

 今日も風が強いからとグリムに早々に撤収を促され、ラギーと共に夕飯の準備に取り掛かったのが少し前。
 まさかレオナが声をかけてくれるとは思っていなかった。早鐘を打つ心臓が落ち着きなく騒ぎ続ける。

「レオナさん、包丁持ってる子に後ろから話かけない!」

 両手を腰に当てたラギーがこらっ!とレオナを叱るとわかりやすくレオナの耳が伏せられ、反省しているのがわかる。普段のレオナならここで反論の一つもしそうだが、どこか落ち込んでるようにも見えるレオナは少し覇気がない。

「お腹いっぱい空いてますか?」
「……あぁ」
「ふふ、なら早く食べれるよう頑張りますね」
「メイくんレオナさんを甘やかさない!」
「だってレオナくんかわいいんだもん。しょうがないじゃないですか」
「かっ……」

 ピンッとレオナの尻尾がまっすぐのびる。
 ぱちぱちと目を瞬かせ、ぐっと眉間に寄った皴を己の手でなんとか伸ばそうとする彼は口を開きかけてすぐ閉じたるとふらふらといつもの席に腰を下ろし、黙ってこちらを見つめ始める。
 思わずそんなレオナに手を振れば、少しだけ机の下から顔を見せた右手がひらひらと宙を舞う。

「ら、ラギー先輩! 見ました? ねえ、見ましたか?」
「はいはい、料理に集中して欲しいッス。いちゃつくのは後にしてー!」

 肩を掴まれぐるりとまな板に向き合わされた芽唯は仕方がなく切りかけだった食材に手を伸ばす。

「あっ」

 そうだった。流石にそろそろ野菜も少しは食べて欲しい。手に取ったきゅうりを見て思い出した芽唯は窺うようにレオナを見る。

「あの……お野菜もちょっとは食べて欲しいんだけど、だめ……?」

 芽唯の言葉を受け、少し悩んだレオナは視線を彷徨わせると唸るように低く呟く。

「少しだけだぞ……」
「わっ、よかった! 味はどうにもできないけど量はなるべく減らしますね!」
「別に味が嫌いだから食わない訳じゃない。必要が無いから食わないだけだ」
「はいはい。レオナさんもいつもそう言うんですよ」
「おい、適当に流すな」

 騒ぐレオナをスルーした芽唯はリズミカルに目の前の食材たちを刻み始める。
 なんだかいつものレオナが帰って来たみたいだ。

「メイくん、なんか嬉しそうッスね〜。こりゃ〜誰かさんのおかげッスねー!」

 わざとらしく大きな声で言うラギーに「うるせぇぞ!」ともっと大きな声が飛んできたのが面白くて、自然と笑みが漏れた。



 そのままご飯が出来上がるまで席を外していたグリムを入れて三人と一匹で夕飯を取っているとふいにラギーが口を開く。

「そういや、レオナさんとの話はどうなったんスか?」
「レオナさん?」

 ラギーは二人のレオナを呼び分けていなかったが、これは恐らく夫のレオナの話だと芽唯にはすぐにわかった。レオナがレオナと話をするというのならそれ以外にない。

「え、レオナさんとお話できたんですか? なんで?」
「こうなることわかってたあの人が対策取ってないわけないっしょ。制限付きだけど事前に魔法でちょちょいのちょいッスよ。見た目十五歳なんで一瞬混乱するけど、中身はまんま俺らの知ってるレオナさん」

 マジカルペンを振るように、フォークを何度か振ったラギーはそのままハンバーグを口に放り込む。
 一方、問われたレオナは無言で添えられたサラダと見つめ合ったまま微動だにしない。

「……レオナさんとレオナくんが話してるところ見たかった」

 中身が入れ替わっているのだから違和感はあるだろう。けれど右と見ても左を見ても好きな人がいる。なんて贅沢な空間だろう。思わず漏れたため息にレオナが不思議そうに首を傾げる。

「そこは、レオナと話したかった……じゃないのか?」
「えっ?」
「……あいつは会いたがってたがな」
「うーん。話したいことはいっぱいあるけど、レオナくんが傍にいてくれるから不思議と寂しくはない、かな?」

 話せてはいなかったけれど、レオナが傍にいてくれることに変わりない。
 かわいくて、優しくて、当然かっこよくて、ちょっと不器用な大切な人。

「あぁ、でもこうやって考えだしちゃうと会いたくなっちゃうなぁ」

 それでぎゅっと抱きしめてもらって、きっとキスもおまけで付いてきて。かわいがっているのか、かわいがられているのかわからなくなるくらい、互いに相手をもみくちゃにする。
 流石に、十五歳のレオナには望めないことだ。

「やっぱり、あいつの方が良いんだな……」

 ムッと唇を尖らせたレオナは視線を逸らしてそっと皿をはじに寄せる。添え物のサラダはまだ手付かずのまま。

「あのね、レオナくんがまたお話してくれるようになったら聞きたかったんだけど。……もしかして、レオナさんに嫉妬した?」
「なっ⁉」
「ンぶっ、っは、レ、レオナさんがレオナさんに嫉妬⁉ なんッスかそれ!」

 飲んでいたものを吹き出しそうになりながら少し咽たラギーが盛大に笑いだすので、浮かんだ涙を隠すことなくひーひー腹を抱え始めた彼の椅子をレオナが勢いよく蹴り飛ばす。

「いって! だ、だって同一人物なんスよ? メイくんはあんたのもんじゃないッスか」
「あーあー、俺もお前みたいに単純に考えれたらよかったんだけどな!」
「いた! いてぇ! やめっ、いって!!」

 ガッ、ガッと何度もラギーの椅子を蹴るレオナは終いにはラギーの足まで蹴飛ばしそうだ。
 笑い出したラギーよりも何故か息を切らせたレオナの頬は赤く染まり、蒸気したそれを隠すように片手で覆って机に肘をつく。

「私にとってもレオナさんもレオナくんもどっちも大好きな人なんだけど、レオナさんってそういうの難しく考えそうだから。なんとなく、そうなのかなって」

 サマーグリーンの瞳がそれ以上言うなと言わんばかりにこちらを睨んでくるが、伊達に彼との付き合いが長くなっていない。そんな姿すらもかわいく見えてしまうのだから怖くなんてまったくない。
 そんな気持ちが隠しきれていなかったのか、レオナはますます不機嫌そうに身を縮ませ、そろそろ顔と机がくっつきそうだ。

「ねぇ、ほら。レオナくん」

 レオナが端に寄せたサラダを彼のフォークで突き刺し、差し出す。

「あーんして?」
「は?」
「はい、あーん」
「待て待て、やめろ」

 顔を上げたレオナは一瞬目を丸くさせると芽唯から距離を取る。

「だってレオナくんこのままじゃ食べてくれないでしょ? ちゃんとドレッシングもかけてあるからおいしいよ?」
「そういう問題じゃない!」

 椅子をずらして近付けば、その分レオナの腰が逃げていく。

「おい、ラギーッ」
「助けないッスよ。昔からレオナさんはメイくんに食べさせてもらうと大人しく食うから本気で嫌じゃないの知ってるし」
「っ、くそっ……!」

 頼みの綱が消え、固まったレオナは目の前に差し出された野菜と向き合う。
 本当に嫌なら椅子から降りて、今朝までのようにふらりとどこかに行けばいいのに。
ラギーの言葉を否定しない辺り、夫のレオナだけでなく今のレオナも芽唯手ずから食べさせてもらうのが内心悪い気分ではないようだ。
 ぶつぶつと「誰がこんな」「ガキ見てぇな……」と呟いているが、その目が野菜から逸らされることはない。もう一押ししたら口を開いてくれそうな気がするのは長年の勘から来るものか。

「レオナくん、あーん」

 ずいっとフォークをもう一度差し出す。

「…………」
「…………あー」
「わかった、わかったよ」

 どうにでもなれ!そんな雰囲気を纏ったレオナが目を閉じて、眉間に皴を寄せながら口を開く。
 大きく開かれたそこにそっと野菜を入れてあげれば唇が閉じられるのでフォークを引き抜き、彼が咀嚼するのをじっと見守る。
何度か同じやりとりを続ければ、ほんの数回で皿の上から野菜がすべて消えたが、むすっとしたレオナは納得いかない顔で不機嫌そうに頬杖をつく。

「はい、ごちそうさまでした。ふふ、全部食べてくれて嬉しいです」
「無理やり食べさせたの間違いだろ……」
「おいしくなかったですか?」
「そうじゃない! ったく……どうも頭が上がらねえ」
「夕焼けの草原の男なんてみんなそういうもんッスよ」

 メイくんの言葉否定しないんスねぇ。そんな言葉を続けながらラギーが肩を竦める。

「ふふ、あと残る問題はタマーシュナ・ムイナだけですね」
「あー……そうだった」

 レオナとようやく向き合えた。話し合えるならばこれ以上彼と溝が広がる心配はいらないだろう。となれば向き合う問題は唯一つ。守護者としての務めをどうするか。

「ねぇ、レオナくん」
「やらない。くそ、こっちはそんな時期だったのか……」

 忌々しそうに舌打ちをしたレオナの喉が唸る。
 貴賓席に座っている時はまんざらでもなさそうなのに、授業の存在がこうも彼をキャッチ・ザ・テイルから背を向けさせるらしい。
 学生時代からなんだかんだと上手く授業をしないで済むよう手を回しているので、いまだに芽唯は『守護者の授業』というものの大変さがよくわかっていないが、面倒なことはわかる。
 レオナは基本的に物事を天秤にかけ、わずかでも面倒が少ない方を選ぶタイプだ。
 いつも出場枠を一枠もらって自らが選んだ者を立たせているが、その選出や指導にだって多少なりとも手間はかかる。
 つまり、そんな手間がかかっても惜しくない程度に、授業の方が遙かに面倒ということだ。

「あのね、キファジさんには既に相談してあるんだけど。今年も自分たちで選んだ人たちに出てもらおうと思ってて」
「オレ様たちが声をかけて回ってやったんだゾ!」
「一応オレもその選手の一人ッスよ」

 感謝しろと胸を逸らすグリムの隣でひらひらとラギーが手を振れば、何のことかとレオナが首をかしげる。

「今年も=H」
「『授業はやった』って口裏を合わせてくれる人たちが優勝者なら、面倒ごとはしなくて済むでしょ?」

 多少一緒の空間にいたと思わせられる時間を作らなければならないと思うが、本当に授業をすることに比べたら偽装するための辻褄合わせの方がよっぽど楽だ。
 ラギーや近衛兵ならば、『屋敷内で行った』と言えばその真偽をわざわざ確かめようとする者も、その権利がある者もいない。
 芽唯の言葉にぱちっと瞬いたレオナは一瞬きょとんと眼を丸くさせたが、すぐに口角を上げるとにやりとした笑みを浮かべる。

「もしかしてお前が考えた案なのか?」

 最高だ。そう言わんばかりの表情に勢いよく頷いてみせる。

「ふふ、そうです! って言えればよかったんだけど……、これレオナさんが学生の頃からやってるの」

 入学から最初の数年は「忘れた」などと言って欠席していたらしいが、少なくとも芽唯がこの世界に来た年からはこの方法で『守護者の授業』を回避している。

「今、レオナさんは水道事業を推進してて、雨乞いのお祭りであるタマーシュナ・ムイナを蔑ろにするわけにはいかないの」
「水道か……。なるほど。確かに、古臭い伝統を重んじる重鎮も、国民も、タマーシュナ・ムイナに出席しない第二王子の言葉になんか耳を傾けなくなるかもしれねぇな」
「でしょう? だから、レオナくんには選手候補の指導と当日まで元に戻らなければキャッチ・ザ・テイルへの出席もお願いしたくて……」
「へぇ……?」

 流石に引き受けないとは思わない。なにせ、これはいろんな意味でレオナの将来に関わることだ。
 けれど、値踏みするような視線を向けてくるレオナに思わず身が縮こまる。

「…………だめ?」

 芽唯が下から覗き込むようにお願いするとレオナは大きく息を吐きだして、瞼を伏せる。

「なんでそんな下手に出るんだよ。これは俺自身の問題でもあるんだろ」
「だってあんまり乗り気じゃなさそう……」
「出来ればやりたくはないが、やらないとは言ってない」
「ほんとに⁉ よかったー!」

 レオナの言葉にいっきに肩の荷が下りる。力が抜けて、胸をなでおろした芽唯がラギーの方を向けば、同じように彼も安堵している。

「あ、選手選びはレオナさんの執務室に名簿置いてあるんで、二人で確認して欲しいっス」
「わかりました。どんな選手なのかは私から説明しますね」
「ま、あんたもレオナさんだし特徴を聞けばレオナさんが選びそうな選手はわかるっしょ」

 無言で頷いたレオナは「あいつのことは大体わかる」と呟いた。

「……レオナくん、レオナさんの気持ちわかるんだ?」
「俺のことだからな」

 ぽろっと零せば当然だと頷きながらの返事が返ってくる。その態度にぱちぱちと瞬いた芽唯はずっと疑問に思っていたことを口にする。

「あのね、ずっと疑問だったんだけど……レオナくんがレオナさんと同じように私のことを好きでいてくれるのはわかるの」

 でなければ嫉妬なんてしない。
 未来の自分と今の自分を比べた結果の拒絶もなかったはず。

「でも、……その、これはレオナさんもなんだけど……」

 結婚した今でも実は知らないことがある。
 ラギーは知っているような口ぶりだが、自分ではレオナに何度聞いても言葉巧みにかわされてしまって謎のまま。

「いつから好きなの? ……私のこと」

 きっかけはなんだったのだろう。
 ずっと、ずっと抱えていた疑問だ。
 向けられる愛情を疑ったことはない、理由を言って欲しいなんて面倒なことを……他の面倒はたくさんかけているが、言ったこともない。
 それでも、共に過ごした時間がこんなにも短い目の前のレオナからも強い情を向けられるのが不思議でならない。

「なっ……」

 尻尾と耳をピンと伸ばし、言葉を詰まらせたレオナを見てラギーがぶふっとまた笑う。
 数度室内をぐるぐると彷徨った視線は迷うように芽唯に向けられ、チョコレート色の肌に朱色が少し混ざる。

「……知らないのか」
「まったく……」

 だって、言ってくれないんだもん。
 むっと唇を尖らせみせれば、困ったようにレオナが唸る。

「……あー。そうだな……。……あァ、そうだ。元に戻る頃にでも教えてやるよ」
「え、なんで今じゃないの⁉」
「さあなんでだろうなァ?」

 少し悩んだレオナは何か思いついたのか、パッと一瞬で表情が明るくなったどころか悪そうな笑みを浮かべてくつくつと喉を鳴らす。

「あーあー……」

 レオナの言葉の真意がわかるのだろう。ラギーが肩を竦めて大げさに息を吐く。

「もう……いじわる」

 でも、知れるならいっか。
 笑うレオナと苦笑するラギーに納得する芽唯。
 三者三様の人間たちの姿を見て、グリムは呆れたようにつぶやいた。

「レオナはやっぱりレオナなんだゾ……」

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