07


 執務室を訊ねてもそこには誰も居なかった。
 机の上に置かれた選手リストは数名にチェックがされており、その片隅には「心配するな。必ず戻る」と見慣れた文字で手書きのメッセージが添えられている。本当に彼がここにいたのだというなによりの証拠だ。

「俺じゃなくお前を呼べばよかったんだ」

 一緒に入ってきたレオナはメッセージに目を通すとぼそっと呟く。

「会えるのは短時間だけだとラギーは知ってたらしいじゃねぇか。なら、俺じゃなくお前を連れてくるべきだろ」
「それは……レオナさん、レオナくんに伝えたいことがあったんじゃないかなぁ」

 十五歳の、若き日の自分に伝えたいことがなにかあったのかもしれない。
 芽唯でも、他の誰でもない。レオナ本人だからこそかけられる言葉がある。この国で誰よりもレオナを知っているつもりだが、レオナ以上にレオナを知る人物なんてきっといない。

「伝えたいこと、ねえ……。牽制されただけな気がするが」
「牽制……?」
「なんでもねぇよ。選手はこの中から選べばいいんだな?」

 肩を竦めたレオナはメモを手に取ると「何人かは顔を合わせたことがあるな」と名前を指先でなぞりながら呟く。選手の一枠はラギーで確定なので選ぶのは入替選手を含めて全部で三名。

「考えるのが面倒なら去年のままでもいいと思うよ」

 レオナの手元を覗き込み、候補の中に去年の選手がいるのを確認した芽唯が頷くがレオナの返事はない。

「レオナくん?」
「……それでキファジに勝てるのか?」
「え?」
「あいつのことだ、どうせ俺に守護者の授業をまともにやらせようと対抗チームの一つや二つねじ込んでくるんだろ」

 ハッと鼻で笑ったレオナは目を眇めて芽唯を見る。確かにその通りなのだが、なぜわかったのだろう。不思議に思いながら頷けば「やっぱりな」とレオナは嫌そうに首を横に振る。

「あいつはそういうやつなんだ。俺が普段苦労させられてるのが目に浮かぶ。余計なことばっかしやがって」

 パシッと裏手でメモを叩いたレオナはため息をつく。

「こいつらの特徴を教えろ。去年と同じじゃ必ず欠点を突かれて負ける。いつ元に戻るかはわからねぇが、自分で守護者の授業をやるのもごめんだし、元に戻ったあいつに俺のせいで授業をやる羽目になったなんて言われるのも癪だ」
「わ、わかった。えっと……」

 どこで相談するのがいいだろう。この場所でもいいのだが、レオナがいつも考え事をする時には必ずあれが見えていた。
 きょろきょろと室内を見渡しながら悩んだ芽唯は「そうだ!」と脳裏に過った場所を口にする。

「お庭のガゼボ! 星も見えるしあそこで話しましょう!」
「は? 別にここでも……おいっ待て!」

 制止するレオナの声を無視し、彼の手を引く。
 少しだけ抵抗したが、すぐに大人しくなったレオナは庭へ向かう途中で無理やりブランケットを手繰り寄せると芽唯の体に巻き付ける。

「こんな時間に外に出るなら掛け物くらい用意しろ……。自分の身体のこと、わかってるんだろうな?」 
「ご、ごめんなさい。……レオナくんがまたお話してくれるようになったのが嬉しくってテンション上がっちゃったみたい」

 足を止め、レオナの方へ振り向けば安堵したように息を吐くと一瞬困ったように笑ったレオナは「まったく」と呟いて瞼を閉じる。

「お前にも大概苦労させられてそうだ」
「……す、すみません」

 否定できない。
 面倒な女だという自覚はあるし、レオナにも度々そう呼ばれ続けて今に至る。けれど、きっと悪い意味ではないと思いたい。言葉とは裏腹にレオナの表情は穏やかだ。
 くいっと一瞬手を引かれ隣に立たされた芽唯がもう一度謝れば、フハッと笑ったレオナの方が芽唯の手を引いて歩きだす。

「なあ、俺はどう選んでた」
「え?」
「生憎だが、俺の生活で選手選抜なんて縁遠くてな。なにせ王子サマなもんで」
「あー……。うーん、レオナくんもチェス好きでしょう? それに見立てて選んでたかなぁ」

 ある時はチェス盤を見つめながら、ある時は星空を眺めながら。
 作戦を練るのはきっと目の前の彼も好きだろう。チェスはキファジと昔からやっていたと聞いたことがある。

「学生の時にこの国に呼ばれた時はちょっとしたアクシデントで一人出られなくなっちゃって代打の人に頼んだの。その人は普段から鍛えてるわけでもなければ、体格が特別大きいってわけでもなくて」

 夕焼けの草原に来るなり熱中症で倒れたジャック。そんな彼に無理をさせるでもなく、レオナはすぐに他の選手をチームに招いた。たまたま来賓として招かれていたカリムだ。当然戦士としての素養はまったくない。
 けれど、そんなカリムが、まさか優勝するきっかけになるとは巻き込んだレオナ自身も思っていなかっただろう。

「そこからも色々あって最後の作戦はほとんど役に立たなかったんだけど、レオナさんが事前に決めた作戦はそれこそチェスみたいだったの」

 選手それぞれの特徴を掴み、生かし、勝利に導く。まるでポーンがキングを討ち取るように、どんな兵でも作戦次第でチェックメイトをかけられる。
 チェスは既に駒が用意されているが、レオナが天才司令塔と呼ばれたマジフトも、直接関与できないキャッチ・ザ・テイルも選手選びのコツは同じはず。

「……あのね、内緒なんだけどレオナさんが作戦立ててるのを横で見るの好きなの」
「好き……?」

 黙って耳を傾けていたレオナが首をかしげながらぽつりと呟く。
 話に夢中になっている間にいつのまにかガゼボに到着していたので芽唯はゆっくりと腰を下ろしながら頷いた。

「楽しそうっていうのもあるんだけど、ちょっとだけね、レオナさんの内面に触れられる気がしたの」

 あの日もレオナは同じような星空の下で考えていた。

「百獣の王の時代には星は死んでいった歴代の王たちであり、王家の者を見守っていて、孤独を感じた時や悩んでいる時、正しい道に導いてくれると信じられていた」

 レオナの眉間にきゅっと皴が寄る。この国の王家に連なる者とて嫌というほど聞いた言葉に違いない。

「……って話になると、必ずレオナさんは『あんなのただのガスの塊だ』って言うけど」
「だろうな」

 肩を竦めたレオナも隣に腰を下ろすと芽唯の視線に釣られたように自然と星空を見上げる。

「でもね、サンセット・ヴィラに泊まって、部屋で作戦を立てていたレオナさんは……レオナ先輩は外で星を眺めてた」

 あの時、リリアが指摘するとレオナは特に理由はないと突っぱねたが、レオナと共に過ごす時間が増えると彼が考え事をする時に星を眺めることに自然と気が付いた。

「レオナくんに言うのもあれなんだけどね、頭の中ではガスの塊って理解してても伝承の通りに自分を星が正しく導いてくれるんじゃないかって思わず見上げちゃうんだろうな、って私はずっと思ってて」
「…………」
「そんなものは信じていないって賢く論理的に生きてる反面、そうだったらいいのにって縋っちゃう部分がある人なの。でもそんな自分が嫌で、それが色々あってオーバーブロットとかしちゃうんだけど」
「おいっ」
「ふふ、そんなところがかわいいって話だから許して?」

 眉間に皴を寄せた目の前のレオナにとっても愉快な話ではないのだろう。
 レオナ・キングスカラーという男にとって、きっと最も柔らかで触れられたくない部分だ。

「レオナさんってね、かっこいいのに凄くかわいいの。この国でレオナさんが何を見て、何を聞いて、どう思ったのかいっぱい聞いた」

 レインツリー・マーケットのおいしい食べ物、エレファントレガシーの王族のみが使用を許された温泉、地平線に沈む夕日の美しさ、口さがない使用人、兄と比べられ正当な評価を受けられない第二王子。

「それなのに、この国で暮らしてるのは私のワガママ」
「ワガママ?」
「実は他の国で暮らす選択肢もあったの。あのね、学生時代に魔法植物で色々あって、今はそれの売買で個人資産が結構あるの。それなりに不自由しないくらいには」

 何年経っても変わることなく窓辺を彩る妖精が住むあの花は今日も二人の愛を証明している。

「それでも、私はレオナさんの育った国で暮らしたい……ってお願いしたの。レオナさんがそこでどんな苦労をするかとか、何を言われるかとか全部わかってたのに」

 もしかしたら、レオナを慕ってくれている者がいるとあの年のタマーシュナ・ムイナについていかなければ知ることもなく、そんな風に思うこともなかったかもしれない。

「……別に、俺が良いと言ったならそれまでだろう。お前の選択を受け入れたのは俺自身だ」
「うん。レオナさんもそう言ってた」

 時折、酷く疲れた顔のレオナが帰って来る。
 きっと公務に関することで、反論したくても反論できない何かがあった時だと芽唯は思っている。
 第二王子という立場は自由なようで不自由だ。必ず頭の上には兄であるファレナがいて貫き通せないことも多くあるだろう。
 子供の頃にいわれなき言葉で傷つけられた時以上の理不尽さをきっと感じている。
 その不満を芽唯にぶつけてくることはないが、強く抱きしめられ、温もりを求められることは少なくない。

「私ね、この国が好きでね。……ちょっと嫌い。レオナさんに酷いことするから。でも、多分もう離れられない」

 嫁入り直後は慣れなかった強い陽射しも、青臭い緑の香りも、雨季の湿った風も、すっかり日常になった。
 住めば都と言うが、暁光の都はもう芽唯の第三の故郷と言ってもいい。……第二の故郷はもちろん古めかしく、ぎしぎしと音が鳴り、白くてやわらかいひんやりとした家族が迎えてくれるあの場所だ。

「好きと嫌い、相反するものがずーっと一緒にあって……レオナさんもきっと同じ」

 嫌いになって見切りをつけられた方がずっと楽に違いない。
 この国は自分を正当に評価しない、もっとわかってくれる場所で生きていくと、そう思えたなら。
 それでもレオナは自分なりに国と向き合い、第二王子という立場とも改めて見つめ合うことにした。

「それが星空を眺める理由と一緒だと」
「信じてないけど、信じてて、いつか本当にそうなるんじゃないかって夢見ちゃうでしょ」
「ハッ、言ってくれるじゃねぇか」

 顔をくしゃりと歪めたレオナは目の前のテーブルに選手リストを置くと息を吐く。そして星空を見上げると芽唯との距離を詰める。肩と肩が触れあって、レオナの方を向けば彼のサマーグリーンの瞳の中でキラキラと輝く星が瞬く。

「……同じレオナ≠ニして言わせてもらうが、気が変わってお前がこの国にいるのが嫌になったらすぐに言えばいい。お前と、……胎の子のためなら俺は迷わずこんな国捨ててやる」
「それは……、レオナさんの子供だから悪く言われるってお話?」
「あァ、なにせ俺は気難しい上に恐ろしい魔法を使うらしいからな。よくない感情を抱くやつは必ずいる」

 思わずお腹を撫で、まだ性別もわかっていない我が子の未来を考える。

「間違いなくチェカと比べられることになる。どう育つかなんて知らねぇが、俺の子だからな。大体の想像はつく」
「私は案外チェカくんと仲良くやれるんじゃないかなぁって思ってるんですけど」
「……俺が知るチェカはまだ赤ん坊で、あれがどういうガキに育ったかは知らねぇが兄貴の子だぞ?」
「はい、ファレナさんの息子さんです。でも、レオナさんのこと大好きなの」
「は? 俺……?」

 きょとんと眼を丸くしたレオナが目を瞬かせる。

「おじたん、おじたんって。小さい頃はお腹に飛び乗ってるのとか見たことあるし」

 太陽のような髪色をした可愛らしい小さなライオンの王子様。未来の王はレオナの複雑な心境に反し、彼をとても慕っている。

「今もレオナさんみたいになりたいからってお勉強頑張ってて、いとこが生まれるのも凄く楽しみって会うたびに言ってくれて」

 レオナとファレナのように拗れてしまう可能性もあるが、少なくともチェカは産まれる前から我が子に好意的だ。

「レオナさん自身も凄く頑張って、まだまだ受け入れてもらえないことも多いけど、少しずつ国のために動いてる。この子が生まれてくる頃には、きっともっとずーっとみんなレオナさんのこと好きになってくれてるんじゃないかなぁ」

 それこそ過去から来たレオナにとっては星に纏わる王の話のように縋るためだけにある御伽話と同じに聞こえるかもしれない。けれど、これは現実だ。
 レオナの努力が、不屈の精神がもたらした、昔ならありえなかったこと。

「レオナさんは何も覚えてなかったからきっとレオナくんは元に戻ったら今日のこの話も……こっちに来てからのこと全部忘れちゃうと思うの。それでも、今この時代にいる間だけでもいいから覚えてて。あなたが研いだ爪も牙も、力も知識も、全部無駄な努力なんかじゃなかったって」

 星空を映していた瞳がこちらを向き、芽唯の姿とガゼボを静かに照らす灯りがサマーグリーンを染めあげる。
 まるで星のように輝くそれは、何度も、何度も瞬くと、この時間を噛み締めるようにゆっくりと瞼の裏に閉じ込められる。

「レオナくん」

 名を呼べば、触れていた肩の先が動き、大きな手に己のそれが包み込まれる。

「レオナくん」

 もう一度呼びかければサマーグリーンはまた芽唯を映し出してから星空に向けられる。
 キラキラと輝く瞳はまるで星を閉じ込めたように瞬いてどんな宝石もこの美しさには敵わないだろう。

「……やっぱり、凄く綺麗」

 芽唯の脳裏にレオナがオーバーブロットした時のことが蘇る。
 視界を奪い周囲を覆う砂塵、その中心で絶望を孕んだ咆哮を上げるレオナ。その悲しく美しい姿から目が離せなくなったこと。
 まだ十五歳のレオナは元の時代に戻れば五年後のマジフト大会で同じ結末を辿るのだろう。
 辛く、悲しい出来事であると同時に芽唯にとっては彼に心を奪われた瞬間。
 あの時と同じ気持ちでこぼれた言葉を拾ったレオナの耳がぴくぴくと動いて立ち上がる。そして芽唯に向けられた瞳はまるで夫のレオナのように甘さを秘め、そのままフッと息を吐いたレオナはくしゃりと笑う。

「知ってる」

 レオナの悲しみが、ただ辛いだけのものでなければいい。
 少なくとも、目の前の彼が抱えた痛みは十年という時の流れで、彼の強さに変わっているのを芽唯は知っている。

「もう少しだけ、ここでお話してていい?」
「……少しだけならな」

 まだ伝えたいことが山ほどある。すべてを伝え切れる気はしないけれど、可能な限り多くのことを。
 そうすれば、サマーグリーンの瞳がもっともっと輝く気がした。

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