02
日中はレオナを芽唯が甘やかし、夜はレオナが芽唯を甘やかす。
レオナの膝がとても弾力があって気持ちよく眠れる枕になるなんて初めて知った。
今夜もレオナにしっかり甘やかされた芽唯はレオナの膝の上で既にうとうとと舟をこぎ始めていた。
「あの……レオナ先輩……」
「どうした?」
いつもより少し甘さを含んだ声。たまにするお泊り会ですらレオナはこんな声を出さないのに、夜中に突然来訪してくるレオナはずっとこの調子だ。不思議なことにすっかり慣れてしまった芽唯は耳を打つその心地よさに目を細める。
「今日のこともまた内緒なんですか……?」
レオナの大きな手が芽唯の頭をゆっくり撫でる。髪の間に指を通し、するすると流れ落ちるように梳いてはまた上に戻って落ちていく。
芽唯の言葉に一瞬だけ動きが止まるが、相変わらず眠りに誘うように優しい手は芽唯の頭を撫で続ける。
その手の邪魔にならないように少しだけ頭の向きを変えてレオナを見上げれば、彼は少し困ったように笑って「あぁ」と頷いた。
「他の奴にこんな姿知られたくないだろ?」
「それは……そうですけど……」
ラギー風に言うならば「レオナさんのお世話」をしている芽唯は甘やかされるより甘やかす側と周囲に認識されている。
別にそのことにこだわりはないが、ふにゃふにゃに蕩け切った自分を見せれるのは後にも先にもレオナだけ。
同意するように小さく頷けばレオナが喉をくつくつと鳴らして笑い「寝ちまえよ」といつも通り囁いた。
「……あの、私そんなに寝不足に見えますか?」
「あ?」
「だって、だから様子を見に来てくれてるんでしょう?」
マブたちすらも指摘するのが憚れるほど大きなクマでも出来てるんだろうか。
鏡が映し出す自分にそんなものなかった気はするが、連日寝かしつけられると理由を探してしまう。
閉じかける瞼をどうにか開いてレオナを見上げ続ければ、レオナは困ったように眉間に皴を寄せて、けれど何を言うでもなく芽唯の頭を撫で続けた。
「さぁな」
肯定でも否定でもない。あやふやな返事を聞きながら芽唯はゆっくり瞼を閉じる。
ああ、今日も結局答えがわからなかった。
カーテンの隙間から朝日が差し込む。
目覚ましが鳴るよりも早くに目覚めた芽唯が部屋を見渡せば、やはりそこは自室のベッドの上でレオナの姿は既にない。
レオナの行動の意図がわからない。別に最初から泊まりに来てくれればいいのに。
朝起きた時に寝るまでは一緒にいたレオナがいないのは寂しいという言葉では少し物足りない感情を生み出している。
拗ねたように唇を尖らせた芽唯はレオナが持ってきてくれたのか、枕元に置いてあったスマホを手に取る。
「今日はお休み……」
授業がなければ連絡がない限りレオナと会うきっかけもない。
恋人なのだから理由なしに会いに行ってもいいのだが、芽唯にはまだ少しそれが気恥ずかしかった。今更恥ずかしいことなんてないにも等しいくらい夜中はレオナに甘やかされているが、陽も高いうちに素直に甘えられるほど大胆にはなれなかった。
グリムは適当な時間に起こすとして、今日は一日どう過ごそう。
全寮制のナイトレイブンカレッジは休日でもあちこちから人の気配がする。
トレーニングのためランニングに勤しむ者もいるし、サムの店に日用品を買いだしに行く者、部活は休みではないかもしれないし、平日よりは静かだが放課後とほとんど変わりない。
軽く朝食を取った芽唯はグリムの分をラップに包むと後のことをゴーストに頼んで図書室へと足を運ぶことにした。
特にやることは思いつかなかったが、外の喧騒に混じって散歩がてら新しい本を手に取れたら今日はそれで一日満足できそうな気がしたからだ。
善は急げと寮を出た芽唯が道中すれ違う顔見知りと軽く挨拶を交わしながら歩いていると鏡舎からちょうどエースとデュースが出てくる。
「お、メイじゃん。どっか行くの?」
「図書室、二人こそどこ行くの?」
「麓の街に行かないかって話してたとこ。新しいバーガーショップが出来たらしいんだけど、他に暇してるやつがいなくてさぁ」
だから仕方がなくコイツ、とデュースを指差し笑うエースに不満そうにデュースが彼の指を掴んで反論する。
「そういう言い方はやめろ! 僕は別に興味ないけどお前がどうしてもって言うから……!」
「はぁ〜? そんなこと言ってないんだけど。つーかどうしても行きたいって言ったのはデュースの方じゃん」
「なんだと⁉」
「あーもう! 朝から喧嘩はやめてってば!」
どうして二人はいつもこうなのだろう。
バチバチと火花を飛ばし始めた二人の間に割って入った芽唯は頭を抱える。予定を変えて同行すべきかもしれない。なら寮に戻ってグリムも呼ばないと、仲間外れにされたと知ったら親分を宥めるのに苦労する。
言い合いは止まったが、ふんっ!と互いに顔を背けた二人は放っておいたら仲良くお出かけとはいかなそうだ。
「あの、二人とも……」
「あれっメイくん……⁉」
私も一緒に、そう言いかけた芽唯だったが突然声をかけられ口を閉じる。
新たに鏡舎から出てきた人物──ラギーが目を丸くして芽唯の顔をじっと見つめる。何度か瞬きを繰り返したラギーは「あれー……?」と気まずそうに声を漏らすと芽唯に近づき首を傾げた。
「メイくん、……ッスよね」
「はい」
「誰かの魔法とか、幻とか」
「……そういうのあるんですか?」
「知らないけど……。ってことは……?」
さらに首を捻ったラギーに向かって芽唯も首を傾げる。それは喧嘩をしていたはずのエースとデュースも一緒で、鏡舎の入り口で四人揃って首を傾げた。
何かを考えこむラギーから少し離れたエースとデュースが芽唯の腕を引っ張ると耳元でこそこそと囁く。
「なんかラギー先輩おかしくね?」
「また面倒ことでも起きたんじゃないか?」
アイコンタクトを取ってうんうんと頷く二人は先ほどまで喧嘩していたのが嘘のように息が合っている。
二人が芽唯の肩を掴み、早く逃げようと距離を取ろうとするがそれよりも先にラギーが口を開く。
「メイくんって昨日からレオナさんの部屋に泊ってたんじゃ?」
「……え?」
マブ二人に腕を引かれたが芽唯は不可思議な言葉に振りかえる。
当然、エースとデュースも首を傾げて芽唯を見ていた。
「えっと、私自分の部屋で寝てましたけど……」
というか、夜中はオンボロ寮で会っていた。ラギーはなぜそんな勘違いをしたのか。
芽唯を見るラギーは瞬きを繰り返し、そんなラギーを見つめる芽唯もぱちぱちと瞬く。
「その、変なこと聞くんスけど、レオナさんの部屋に夜遅く来たりとかって」
「してません」
「一昨日も?」
「してません!」
「えぇ……」
頭を抱えたラギーは話にくいことなのか、マブ二人ごと芽唯の腕を引くと鏡舎の影に連れ込む。
「落ち着いて聞いてほしいんすけど、……レオナさんの部屋から女性の声がするんス」
「えっ」
ドキッと心臓が跳ねる。
呼吸が苦しくなると同時に背中に冷たいものが伝う。何も言えないでいると先にエースが返事をしてくれた。
「それってレオナ先輩がメイ以外の女の子を部屋に入れてるってこと?」
「ありえないッス! メイくん以外は部外者でも呼ばない限り男しかいないし、うちの学園のセキュリティがそんなの許すわけない。……まあレオナさんならどうにかできちゃうかもだけど、そもそもレオナさんがメイくん以外の女の子に興味あるわけないんで」
ハッキリと否定するラギーの言葉のおかげでようやく息ができた芽唯は大きく息をはく。
一瞬、エースが疑ってくれたことを想像してしまった。ありえないとわかっているのに、疑ってしまった罪悪感が胸を締め付ける。
「ならラギー先輩の聞き間違いなんじゃ?」
言葉を紡げないでいる芽唯の代わりに今度はデュースがラギーに問いかける。
男子高校生でも声が高い生徒は珍しくない。声変わりを経ても女性と間違うような声をしているものも探せばきっといるだろう。
「いや、あれは確実に女の子ッス。ハイエナの聴力舐めないで欲しいッス」
ぱたぱたと耳を動かすとラギーは考えるように腕を組む。
「メイくんじゃないとしたらアレは誰の声なんスかねぇ」
「さ、さあ……」
知るわけがない。
そもそも昨日も一昨日も、芽唯はレオナとオンボロ寮で会っていた。ならレオナの部屋にいる二人はそもそも誰なんだろう。
秘密にすると約束してる以上、芽唯は自分の中で生まれた疑問を三人に打ち明けるわけにはいかなかった。
「でもさ、ラギー先輩がいくら否定しても実際に女の子の声がしてるわけっしょ? だったら真相は確かめておかないと」
「そうだな。メイも気になるだろ?」
「う、うん。もちろん」
頷けばエースとデュースは既に乗り込む気なのか芽唯の手を引き鏡舎へと戻り始める。
「あ、あのラギー先輩っ」
慌ててラギーの許可を取ろうと声をかけるが、何故かラギーは「遠慮しないで入っていいッスよ!」とにこやかに手を振って芽唯を引きずる二人を止めるそぶりはない。
というか、先ほどまでの深刻そうな表情はどこに消えたのか。シシシッと笑って自分たちを見送る姿に違和感を覚えつつも芽唯は気が付けばサバナクローへの鏡をくぐっていた。
◇◆◇
「にしても、やっと付き合い始めて安心したのにどういうこと?」
「私だって知らないよ……」
乾いた荒野に出た三人を呼び止める生徒は幸いいなかった。芽唯が中心にいるし、なんだかんだでエースとデュースもサバナクローに足を運ぶ機会が増えていた。主に芽唯とレオナに関することで。
また何かあったのだろう。そんな視線に見守られながら談話室を横切るとふいに声が掛けられる。
「おい、三人揃ってなんの用だ」
「ジャック!」
「ちょうどいい、ジャックも巻き込もうぜ」
「は? なんのことだよ……ってオイ! 引っ張るな!」
ぐいっとエースに腕を引かれたジャックは珍しくされるがまま芽唯の前へと移動させられる。
「……またレオナ先輩絡みで何かあったのか」
居心地悪そうに自分の首に手を添えたジャックは芽唯を見下ろしながら問いかける。きっと談話室に残っていた生徒の誰もが聞きたがっていたことで、周囲が聞き耳を立てているのがわかる。
「まあ、えっと……あっちで話すよ」
流石にここで話すのは気が引けるので、レオナの部屋に向かう道中なるべく小さな声で説明すればジャックは「は⁉」と大きな声を一瞬出したが、すぐに自分の口を塞いで声を抑えた。
「あの人に限ってそんな……」
やはりラギー同様レオナを信じているのかすぐに否定する。けれど獣人属の耳を疑う必要がないことは種族が違えど同じ獣人であるジャックには言うまでもない。
あっという間に問題のレオナの部屋にたどり着いた四人は息を潜め、ぴたりと扉に耳をつけるが人間の聴力では物音で推測して中に誰かがいることまでしかわからない。
眉を顰めた芽唯はエースとデュースを見るが彼らも芽唯と同じなのだろう。小さく首を振られたので、今度は三人でジャックを見る。
大きな狼の耳をこれでもかと言わんばかりに扉に付けたジャックは大きく目を見開いて、数度瞳を瞬かせると困惑したように芽唯を見つめる。
そのまま何かを思案するように瞳を彷徨わせてから立ち上がり、ジャックは芽唯の手を引きレオナの部屋から離れるようにエースとデュースにも促した。
なるべく人のいない廊下の隅を選んで止まるとジャックは大きく息を吐く。
「なあ、ラギー先輩はなんて言ってたんだ」
「女性の声がする、って。だから私が居たんだと思ってたって」
「思ってた……? 断言してたわけじゃねぇのか」
「誰かとは判別つかなさそうな感じだったな。声からして女の子な気がする、くらいの」
デュースが補足すればジャックは首を傾げてレオナの部屋の方へと視線を向ける。
「……ありえないだろ。ラギー先輩なら、……獣人属なら誰でもわかる」
「それって声の主が誰かってこと?」
エースが問えばジャックが頷く。
「あの声は間違いない。メイ、お前だ」
「えっ」
迷いなく言い放つジャックは芽唯を見てそう言うと、もう一度レオナの部屋を見る。
「なんでラギー先輩は女の子なんて曖昧な言い方を……」
「いやデュース! そこじゃないって! メイはここにいるのに。中にいるメイは誰なんだよ」
「え、あ、そうだな⁉ え、双子か何かか⁉」
「バカ! んなわけないだろ!」
芽唯の頭上でがやがやと揉めだしたエースとデュースの声を聞きながら、芽唯は頭の中で次々と浮かぶ疑問に瞳を瞬かせる。
双子なんて自分にはいない。そもそもこの世界にはひとりで来た。けれどジャックの耳を疑う必要がないのはよく知ってるし、なら同じくらい耳が良いラギーは何故声の主を曖昧にしか言わなかったのか。
「もしかしてドッペルゲンガー? もしくはゴーストとか」
思いついたものから適当に上げているのか、エースは二人芽唯が存在していることを突き止めることに夢中なようで次から次にいろんな単語が飛んでくる。
「……ゴースト?」
頭の中で何かが引っかかる。思わず復唱すれば「覚えがあるのか?」とジャックに問われて慌てて首を横に振る。
嫌な汗が背を伝い、言葉を飲み込む。
確信はないが、芽唯の中では一つだけ答えが浮かび始めていた。
「その、もしドッペルゲンガーなら鉢合わせたら大変なことになっちゃうし。一旦解散しない?」
我ながら少し厳しい言い訳な気がする。けれど、他にパッとこの場を離れる理由が思い浮かばない。
「けど……」
「本気で突き止めたいなら後からでもレオナ先輩に聞けばいいし、もしかしたらレオナ先輩がそのドッペルゲンガーを私から引き離してくれてるとかかもしれないじゃない?」
「……それ、本気で言ってんの?」
冷めた視線がエースから向けられ思わず顔を背ければ彼は深いため息をつく。
「ま、いいけどね。そういうことにしてやっても」
呆れたように背を向けるエースはデュースとジャックの腕を引っ張る。
「ただし、ちゃんと解決することが条件だかんな。今は丸め込まれてやるけど、なんも行動してなきゃまた声がする時にレオナ先輩の部屋に乗り込むからな」
「わ、わかった」
「おい、二人だけで話を進めるなよ」
「いいのいいの、デュースとジャックはオレと一緒にバーガー食いに行こうぜ。なんか無駄に疲れたわ」
「はっ⁉ 待て、俺は行くなんて一言もっ……!」
どこにそんな力があるのか。ずるずると二人を引きずるように離れて行ったエースは最後にもう一度だけ振り向くとフンッと鼻を鳴らして去っていく。
その背中を見送った芽唯はエースが気を利かせてくれたことくらいわかっているが、なんとか状況を治められたと安堵の息を零す。
「ゴースト……ゴーストカメラ……」
部屋に置いているはずの変わったカメラ。多分、答えはアレが握っている。
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