03
ガチャ、と扉が開く音がする。
「あ、レオナ先輩来たのかも」
先にゲームを切り上げて夕飯の準備に取り掛かっていた私はエプロンをしたまま玄関で彼を迎える。
「いらっしゃい」
「ん。何も起きてねぇな?」
「昨日の今日でいきなり来ませんよ。まだ悪いことが絶対起きるって決まったわけじゃないですし」
「お前はそうやってすぐ油断するんじゃねぇよ」
ため息交じりにそう言って、レオナ先輩が談話室へ入るとエースとデュースが同時に振り返る。
「レオナ先輩おじゃましてまーす!」
「部活お疲れ様です!」
いつの間にかゲームをやめて夕方のニュースを見ていた二人はグリムをテレビの前に残して立ち上がるとレオナ先輩に会釈する。
「おじゃましてます……ってオンボロ寮はレオナ先輩の寮じゃないんだけど……」
なんとなくエースの言葉が引っかかって零せばレオナ先輩の耳がぴくぴくと動く。
「そう言われても、あちこちレオナ先輩にもらったもんが置いてあって、居なくてもすげー存在感あるんだけど」
「しかも合鍵使って入ってきてるんだよな?」
ソファにかけられているブランケットを始め、レオナ先輩の私物や頂いたものは確かにオンボロ寮中に置いてある。
今身に着けているエプロンだって私が買おうか悩んでいたら買ってくれたものだ。
「キングスカラー先輩の部屋はサバナクロー寮にあるのはわかってるんだけど、ここに居るのが自然というか……」
「一緒に談話室に入ってきた時、新婚かと思ったわ」
「しっ……⁉」
「ハッ、いいこと言うじゃねぇか」
気分が良くなったのかレオナ先輩は私を抱き寄せると自分の肩に私の頭を乗せ、その上にこてんと自分の頭を乗せて笑う。
「ちょ、ちょっと! 何してるんですか……!」
当たり前のように友人二人の前で抱き寄せられて赤面する私を他所に、エースとデュースはやれやれと肩を竦めるとソファの前に戻っていった。
つけっぱなしにしていたテレビでは淡々とした声がウェーブがかかった綺麗な黒髪の女の子の写真の説明と共に情報提供を呼び掛け、身寄りのいない少女や家出をした子の失踪が相次いでいると子供を持つ親への注意喚起をして次のニュースへ移る。
水に関連する事故でもあったのか人工呼吸の方法をレクチャーされるアナウンサーの様子が映し出されて興味を失くしたのかグリムが振り向く。
「イエデにシッソウってなんだ?」
「あ? あぁ、今やってたニュースか」
戻ってきたエースに問いかけるグリムは大きな瞳を丸くさせ、意味がわからないまま見ていたニュースの内容を反復するように声に出した。
「え……っと……」
「家出は……そのままの意味だな。家に居るのが嫌になって自主的に出ていくこと。失踪は家族や警察が探しても見つからないってことで……家族は心配してるだろうな」
咄嗟に言葉が出なくて口籠っているとすぐにデュースがフォローしてくれる。
「なんか多いらしいな。それも学生の女の子ばっか。ま、寮生活のオレらに家出とか関係ないけど」
話ながら顔を曇らせたデュースの隣でリモコンを片手にチャンネルを変えたエースはため息をつく。
「オレらが共感して暗くなっても仕方ないっしょ。場所は賢者の島じゃないみたいだし。ここは男子校で女の子もメイ以外はいないんだし」
「それもそうか」
自分達に無関係な話題と判断するとすぐに興味を失くすとエースとデュースはキッチンへと向かう。
「レオナ先輩が来たならオレらも手伝うし早く飯にしようぜ」
「……うん、そうだね」
頷いて二人の後を追う私の中にだけちくちくとしたものが残った。
◇◆◇
結局、ハーネスさんは来なかった。
やはりというべきか……警戒しすぎなんだと思う。だって昨日の今日で私に会いにくるなんて、どう考えてもあり得ない。
そんなことを言えば怒られてしまうのだろうけれど、ただの杞憂なんじゃないかなと思ってしまう。
まず彼が私に執着する理由なんてない。ただの学生……ううん、身寄りのない人間なんてアズール先輩の例え話が現実じゃない限り価値がないはず。
「メイ」
ゲストルームの前まで来るとレオナ先輩が手招きをする。
エースとデュースは既に自分達に宛がわれた部屋に入っているので廊下に残っているのは私たちだけだ。
「なんですか? 一緒の部屋で寝るのは嫌ですからね」
「ちっ……。そうじゃねぇよ。それは……もうわかった」
普段だったら泊まりに来た時はレオナ先輩も私の部屋で一緒に寝ている。けれど、流石にエースとデュースも来ているのに一緒の部屋で寝起きするのは憚られた。
エースには「オレらに遠慮することないって」と揶揄われたけど、全力で拒絶したら何故かレオナ先輩の方が傷ついた顔をしていた。別にそんな顔をさせたかったわけじゃないし、レオナ先輩と一緒に寝るのが嫌なわけじゃないのでなんだか悪いことをしてしまった気分だ。
「…………」
無言でレオナ先輩は私を抱き寄せると額を合わせて何か言いたげに見つめてくる。
サマーグリーンの瞳をぱちぱちと瞼が何度か隠してから、レオナ先輩は「夕方……」と口を開く。
「ニュースを見たあと様子が変だっただろう」
「えっ……」
「……少しでいい、話がしたい」
「あの……」
「いや、話せなくてもいい。話したくないならそれで構わない。お前の時間を俺にくれないか」
私に優しく触れる手に少しだけ力が籠められる。
選択肢を与えてくれるレオナ先輩の優しさに頷きながら私は目を閉じた。
私の部屋にレオナ先輩を招き入れるとグリムは掛け物もかけずにお腹を大きく上下させながら既に眠っていた。
「むにゃ……もう食えねぇんだゾ……」
ぽりぽりとお腹を掻いて寝返りを打つグリムをベッドの中央でちゃんと寝かせてあげて、私たちは彼の眠りを妨げないようベランダへと出る。
ブランケットを羽織って待っていたレオナ先輩は私が近付くと包み込むように広げて中に入れてくれる。
「………………」
そのまま星を見上げた先輩は何も言わない。
私が自分から話し出すのを待ってくれているんだろう。
少しだけ触れあっていた手に指を絡ませればレオナ先輩の視線がこちらを向く。
「夕方のニュース、エースは自分たちに関係ないって言ってたじゃないですか」
「ああ」
確かに賢者の島での事件でもなければ、知り合いが絡んでいるわけでもない。
世界のどこかで起きている自分と無関係の出来事。
大半の人にとってはそうだろう。
「でも、私……グリムに家出と失踪の意味を聞かれて咄嗟に答えられませんでした」
ぎゅっと胸が締め付けられる感覚に襲われて喉で言葉がつっかえた。
「私、きっと元の世界でそういう扱いになってると思うんです。誘拐なのか、とか家族や友達にマスコミがおしかけて」
あの写真の子みたいに私も顔写真が放送されて情報を求められているかもしれない。
お母さんが必死に周囲の人に目撃情報の提供を呼び掛けているかもしれない。
テレビに映し出された非現実は、私の元の世界で繰り広げられているであろう現実だ。
「全然知らない、関係ないことなのに自分を重ねてずっと胸が苦しくて。お母さんに会いたくて……」
レオナ先輩は何も言わない。けれど絡んだ手に込められた力だけは私の言葉に応えるように強くなる。
「なのに、いきなり『養父になりたい』って知らない人に勝手なこと言われて……。しかも『必ず君のためになる』って決めつけるんです」
あの日、学園長と一緒に会ったハーネスさんの言葉がずっと脳内で繰り返される。
それは本当に私のためなんだろうか。
確かに、この世界で確立した居場所を得られるに越したことはない。けれど別に焦る必要なんてないと思ってる。
今は学園に居場所があるし、卒業までに元の世界への戻り方が見つかるかもしれない。
そうでなくとも、私は手を取るのはレオナ先輩だけだともう決めているのに。
「私ってそんなに可哀想ですか? 知らない人から家族になってあげるって一方的に言われて、相手がお金持ちだからってやったーって諸手を挙げて喜ぶのが普通の反応なんですか?」
「ンなわけねぇだろ。それは全部お前が決めることだ」
レオナ先輩はまっすぐ私を見つめたまま続ける。
「嫌なら断ればいい。お前の言葉を聞かないなら俺が間に入ってやる。前に話したように面倒な奴ならなおのこと俺が必ず守ってやる」
握られていた手がいつの間にか背中に周り距離が縮まる。
「……元の世界でお前がどう扱われてるかはわからねぇが、一番お前のためになるのは母親と再会することだろ。勝手に決めつけてくる奴の言葉なんか気にしなくていい」
大きな手が頭を撫でてくれる。
その優しさで思わず目の端から涙が零れる。
「この世界でのことも、元の世界でのことも、全部俺が一緒に考えてやるから。だから、そんな顔するな」
「は、いっ……うぅ……っ!」
溜まっていた不安をぶちまけてしまったからか、あふれ出る涙が止まらない。
レオナ先輩の胸を借りてわんわん泣き始める私を先輩は黙って抱きしめてくれた。
やっぱり私は新しく家族になるのならレオナ先輩がいい。
お母さんとも絶対に再会して、この人と家族になりたいって……。そう紹介するのが私の夢。
レオナ先輩の腕の中、止まらない涙に溺れながら自分の気持ちをしっかり抱きしめた。
◇◆◇
お泊まり会は終わり、平日になれば授業が始まる。
いつも通りの日常を送っていると帰宅するのを見計らったように宅配ゴーストが訪ねてきた。
「こんばんは〜お届け物で〜す」
「お疲れ様です!」
「おやおや、誰からだい?」
荷物を受取っているとオンボロ寮に住むふくよかなゴーストが後ろから腕の中を覗き込んできた。
「えっと……ハーネスさん……って書いてある……」
「確かに渡したからね〜」
ぱたりと扉が閉まるのを見つめながら立ち止まってしまった私は首を傾げる。彼からいったい何が贈られてきたのだろう。
「開けてみないとわからないな……」
捕食者、喰われる、そんな言葉を並べられながら彼のことを話した日以来の接触だ。
彼は一体私に何を求めているんだろう。断るだけじゃダメなんだろうか。先輩たちの言う通り裏の思惑があるのだろうか。
疑問を抱きながら談話室までダンボールを運ぶとゴーストが三人とも私の周りに集まってきた。
「あぁ、これが例の」
「メイに惚れてるっていう〜」
「惚れてる? そんな話だったかのう」
隣で好き放題騒ぐゴーストたちを横目にガムテープをはがして箱を開く。少し大きめで重さもあるので中身がぎっしり詰まっていることは外からでもわかる。
いったい何が入っているんだろう。期待と不安を抱きながら中を覗き込む。
「……化粧品……?」
可愛らしい小瓶が揺れてかちゃりと音を立てる。乳液にチークにリップに、とにかくいろいろな化粧品が詰め込まれている。
「これこの間グリ坊が見ていたニュースに映ってたなぁ」
「若い女の子に人気らしいねぇ」
「そうなんだ……」
適当に手に取っては箱に戻す。
私が喜ぶと思って彼は贈ってくれたのだろうか。申し訳ないけれどそっと蓋をして談話室の隅に置く。
「ヴィル先輩に頂いてるのがあるし……」
言い訳のようにそう呟いて、一応レオナ先輩にこのことをマジカメで知らせた私はまたいつもの日常に戻る。
……けれど、そんな言い訳が通じないようになってきたのは何日か経った後だった。
「また贈られてきた……」
数度目になるダンボールを受け取って私は肩を落とす。
差出人の名前はすっかり見慣れたハーネス・マッケンの文字。レオナ先輩には必要以上に触れるなと言われたものの中身を確認すれば正体はワンダー・リンクで遊べるゲームソフト。
二週間もしないうちに彼からは化粧品に始まり、洋服、日用品、そして娯楽品が贈られてきた。
流石にこうも頻繁に物が贈られてくれば、もし彼を警戒していなかったとしても気味が悪いと感じ始める頃だろう。こうなってしまえば受け取り拒否をしたいところだけれど、返送されてきた品物を見て彼がどう思うか想像すると断ることもできない。
なにより不思議なのが、オンボロ寮でこのソフトがプレイできることを知っていることだった。S.T.Y.X.の一件後、イデア先輩にお詫びの品としてもらったから機械があるけどハーネスさんにそんなことを話した覚えはない。
「レオナ先輩に処分してもらおう……」
不気味なそれらをただ捨てていいのか迷った私は談話室でスマホを手に取って連絡先からレオナ先輩の名前を探す。
探すと言っても頻繁にやりとりをしているので履歴の一番上には常にレオナ先輩の名前がある。
「っ⁉︎」
少しだけ息を吐いてからその名前を押そうとするとその前に画面が勝手に切り替わる。着信を知らせるその画面に並んだ数字には覚えがあった私は迷いながらも緑のマークをタップした。
「……もしもし」
『贈り物は受け取ってもらえたかな』
通話が始まると低音が耳を打つ。
「はい。……えっと、マッケンさん……ですよね?」
『ああ、すまない名乗りもせず。けれど電話に出てくれてよかったよ』
「差出人の電話番号と一緒だったので……」
念のため、ダンボールとは別に保存している数枚の送り状にはハーネス・マッケンの文字と共に先ほど画面に表示された番号が書かれている。差出人を何度も確認したのでなんとなく頭の片隅に残ってしまっていた。
『なるほど、良い着眼点だ』
ハハ、と笑う彼が満足そうに頷くのが目に浮かぶ。切れ長の瞳を月夜に浮かぶ三日月のように細めて笑う彼は全体的な雰囲気も相まってニヒルな男性……おじさまと呼ぶのが相応しい人だ。
「あの……、どうしてこんなに……?」
『寮生活というのはなにかと不便が多いだろう。その手助けが出来ればと思ってね。種類も量も多いから分割して送ることになってしまってすまないね』
「そう、ですか……」
我ながら歯切れが悪い。ぎこちなさは相手にも伝わっているだろう。
けれどハーネスさんが気にする素振りはない。
『それにしてもマッケンさん≠ゥ。よそよそしくて実に悲しい。君にはハーネス……いや、お父さんと呼んでもらいたいんだがねぇ』
「すみません。その件でしたらあの日もお伝えした通りお断りしたくて……」
『まだ答えを出すには早急じゃないかい。私たちは会ったばかりだろう』
「でも……」
どうしてもハーネスさんは引く気はないようでぐいぐいと詰めてくる。
現状は本当に悪い話ではないのも事実で強い言葉を使えない。
「メイ」
小さく名前を呼ばれて振り向けばいつの間にか談話室の入り口にレオナ先輩が立っていた。
私の電話でのやり取りをいつから聞いていたのか、レオナ先輩はダンボールを覗き込むと顔をしかめて砂に変えてから私のスマホに耳を傾けるように傍に立つ。
『なにも急がなくていい。卒業してからでも構わないんだ。私にもう少し時間をおくれ』
懇願するような声が耳元でする。
嫌です、と跳ねのけるのは簡単。けれど、彼がこうまで私に入れ込む理由をわからないまま断ち切れば彼は別の方法で接触してくるのかもしれない。
「……わかりました。もう少しだけ考えてみます」
『あぁ、ありがとう。困ったことがあったらいつでもこの電話にかけてくれて構わないからね』
「はい……。はい、……はい、失礼します」
私の返答に満足したのか、何度か甘い言葉を重ねた彼がようやく電話を切る。しっかり通話が終わったことを確認してから画面を見ると元に戻ってレオナ先輩の名前が書かれているがもう電話をする必要はない。
砂の山を見つめてから砂にまみれていない別の机にスマホを置いた私はようやく一息つくとレオナ先輩を見つめて口を開く。
「せめて外に出してから砂にしてください。談話室が砂だらけじゃないですか」
「なっ」
目を丸くさせたレオナ先輩の耳がぺしょりと下向きになる。そのままへなへなになったお耳は上を向くことなく、レオナ先輩の視線も私からスッと逸らされた。
「……俺を放って電話し続けたお前が悪い」
「はいはい」
そうですね、と納得するしかない私は肩を竦めて微笑んだ。
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