10


 敵が人魚で、場所は海。
 最悪の状況が続く中、睨み合いが続く。
 さっきはジェイド先輩のサポートのおかげで大半の敵を気絶させることに成功したけど、大男とリーダー格の男性を彼らのサポートなしに私たちだけで倒すのは難しいだろう。
 なにより、その気絶した人たちの姿がもうどこにもない。だんだんと激しさを増す海流に流されたのか、またどこかに潜んでいるのか……。
 水中で自由に動くことができない私たちには一瞬の油断が命取りになりかねない。
 レオナ先輩が二人と睨み合う一方で、私は懸命に周囲に目を凝らす。

「あいつらの様子はどうだ……」
「遠くの方で何度か閃光が見えました。多分、あっちで戦ってるんだと思います……」

 ハーネスさんがどの程度の魔法士なのかはわからない。けれど、あの二人とやりあえるのだからかなりの力の持ち主なんだろう。
 レオナ先輩が私を抱きしめる力を強め息を吐く。

「……あまり長引くとまずい。魔法薬の効果が切れる前に陸に上がるぞ」
「陸に上がる? ハハッ、まーだ逃げられると思ってんのかよ!」

 リーダー格の男性はレオナ先輩の言葉を笑い飛ばすと長い爪をこちらに向ける。

「お前ら陸の生き物が海(ここ)で俺らに敵うわけないだろ!」

 鋭い爪を武器に私たちに斬りかかってくるがレオナ先輩はそれを杖で弾くと同時に魔法を放ち、彼ごと大男を吹き飛ばす。

「ぐぉっ!」

 詠唱が早いレオナ先輩だからこそ出来る技。勢いよくぶつかったから相当のダメージが入ったはず。
 その隙を付いて私たちは彼らから少しでも距離を取ろうと泳ぎだした。
 少しでも陸地に近づかなければ。そんな思いで水をかき、荒れ始めた海を突き進む。
 すると大きな悲鳴が聞こえ、声の方を見ればフロイド先輩に文字通り絞められたハーネスさんとジェイド先輩に絞められたエディリダさんが苦しそうに彼らを睨みつけていた。

「くそ、くそ、こんな学生ごときに邪魔をされるなんて……!」
「学生ごとき? その学生ごときに目を付けていいように弄んでふざけたこと言ってんじゃねーよ!」
「ぐあぁぁぁっ!」

 長い体で絞めつけられ、ついに気絶した二人を魔法で拘束してジェイド先輩が私たちに手を振った。

「大丈夫ですかメイさん」
「はい……! さっきはありがとうございました……!」
「僕たちはあなたを守るという契約ですからね。当然のことをしたまでです」
「トド先輩、デカイのとながっひょろいのは?」
「魔法で吹き飛ばした。だいぶ海が荒れてきたからかこの海流に流されて、戻ってくるにしても時間がかかるだろうな」

 いつの間にか海の中には光が差し込まなくなっていた。
 ということは、きっと海上では今頃空が雲で覆われて太陽が隠れてしまっているんだろう。

「あんなに天気が良かったのに急にどうして……ラギー先輩たち大丈夫でしょうか……。ただでさえ船が沈みそうだったのに……」

 最後に見たのは黒煙を上げる船体と救命ボートが足りずに逃げ惑う人々。
 オルトがなんとかすると言っていたけれど、あの後一体どうなったんだろう。

「……助けが近付いてる証拠だ」
「へ?」
「……いや、とにかく船のことは心配しなくていい」

 レオナ先輩は大きく息を吐くと忌々しそうに舌打ちをして目を閉じる。

「それにしても、本当にメイさんが海に引きずり込まれることになるなんて……。僕は冗談のつもりだったのに驚きです」
「あはは……ほんとに……」

 ニコ、と音がつきそうなほど笑みを浮かべたジェイド先輩は愉快そうに気絶したままのハーネスさんとエディリダさんを見て目を細めた。

「今回の件、叩けば相当埃が出そうで事後調査が楽しみです」
「洗いざらいぶちまけてやれ。二度とこんなことをする気にならないよう徹底的にな。調べた分、報酬は弾むとタコ野郎に言っておけ」
「ふふ、これを虎の尾を踏む……というのでしょうか。レオナさんはライオンですが」
「ってか、呑気に談笑してるけど魔法薬の効果時間とか大丈夫? 余裕ないんじゃね?」

 首を傾げたフロイド先輩が海面を指差す。

「船に戻るのは無理だろうし、早いとこトド先輩と小エビちゃんを陸地まで連れてこーよ」
「それもそうですね。さあ、二人とも僕とフロイドの背に掴まって」

 指示された通りにレオナ先輩と私は二人の背中にそれぞれしがみつく。
 フロイド先輩の背中に私が、ジェイド先輩の背にレオナ先輩。そして彼らは両手でハーネスさんとエディリダさんを運びながら荒れる海中を優雅に泳ぐ。

「僕たちの早さであれば魔法薬の効果時間内に浜にたどり着けるので安心してください」
「アズールだったら無理だったろうけどね〜!」
「そうですね。アズールには船上に残ってもらって正解でした」

 ケラケラと笑う二人の言葉で人魚姿のアズール先輩の姿が脳裏を過る。
 彼はタコの人魚、確か素早く泳ぐのは得意じゃないらしい。

「もう、アズール先輩が知ったらきっと怒りますよ……」

 少し気の抜けた会話に先ほどまで緊張続きだったのが嘘のように身体の力が抜け、自然と笑ってしまって隣のレオナ先輩を見れば彼は呆れたように今日何度目かわからないため息をついていた。
 いつものやり取りにもう大丈夫なのだと安心して目を閉じるとごぼ、と大きく泡が海面に昇る音がする。

「なに……?」
「これは……、フロイド! 早くこの場を離れましょう!」
「っ……⁉」

 急にがくんと身体が揺れ、二人が速度を一気に上げる。
 ジェイド先輩が振り向くのに釣られて後方を確認すると、大きな船体が水中に沈んでくるのが見える。

「船が⁉」
「くそ、ついに沈んだか……!」

 その巨体すらも飲み込む海はただでさえ荒れていたのに船が沈むことで別の海流が生まれだす。それは大きな渦となり、流石にこの流れに完全に飲み込まれればこの二人でも逃げ切ることが出来ないんだろう。
 必死に流れに逆らって泳ぐ背中にしがみつく力を強めれば二人は捕まえていたハーネスさんたちから手を離し私とレオナ先輩の背に手を回した。

「小エビちゃんしっかり掴まって……!」
「はい! ……っ⁉」
「小エビちゃん⁉」

 言われた通りもっともっとと手を回していると急に足が引っ張られる。
 がくん、と身体が揺れ思わず手を離してしまいそうになるが振り向いたフロイド先輩が慌てて私の腕を掴む。

「エ、エディリダさん……⁉」
「僕がっ! 僕がお前を一億で買ったんだ! 逃がしてたまるか!」

 いつから目が覚めていたんだろう。二人が手放したはずのエディリダさんは拘束魔法を自力で解いたのか、未だ気絶したハーネスさんをレオナ先輩たちに投げつけて私の足に絡みつく。

「や、やだ! 放してっ!」
「くそ、こいつ重い……!」

 二人分の体重が一気にフロイド先輩にのしかかり苦しむ彼はなんとかエディリダさんを振り払おうと長く大きな体を振り回すように暴れ出す。

「放せよ……!」
「……っ……あっ!」

 ずる、と一瞬手が滑り、慌ててフロイド先輩の身体を掴み直す。

「っ……フロイド先輩! このまま暴れ続けてください!」
「メイさん! それではあなたまでこの海流に流されてしまいます!」
「大丈夫、大丈夫です!」

 慌ててジェイド先輩が止めに入るけれど、私はフロイド先輩に止まってほしくなくて大きな声で叫ぶ。その間にも私の手がずる……ずる……と再び彼の身体から離れかけるけどきっとこれしか手段はない。

「……っ!」

 まずはフロイド先輩からはぐれないよう必死に握力を強めようとするけれど海中だからか上手く力が入らない。どうにか足でエディリダさんを蹴飛ばしてみるけどびくともしない。
 そんな拮抗する状況にしびれを切らしたようにエディリダさんの腕がさらに私の足を掴む力を強めた。

「っ……きゃっ……!」
「一緒に来て! 金ならいくらでも払うから!」
「こんな時までお金の話なんて……!」

 どうしてこの人たちはお金で人をどうにかできると思うんだろう。
 悩んだところで絶対に理解出来ない。そして私たちの言葉はきっと彼に通じない。

「放してくださいっ!! ……っ!」
「メイ……!」

 ずる、とついに手が滑る。心臓にひやりとしたものが走ったその瞬間、ジェイド先輩に乗ったレオナ先輩が杖を片手に私たち目掛けて飛び込んできた。
 レオナ先輩はそのままエディリダさんを魔法で吹き飛ばすとその反動を利用して海流を遡り私に向かって手を伸ばす。

「レオナ先輩……!」

 もう少しでレオナ先輩に手が届く。
 指と指が触れあって、私とレオナ先輩が互いの手を握りしめた。……その時だった。

「逃がすかっ!」
「⁉」

 気絶していたはずのハーネスさんが私とレオナ先輩に突撃し、吹き飛ばされた私たちはジェイド先輩とフロイド先輩の背中から離れてしまい大きな渦に飲み込まれる。

「トド先輩! 小エビちゃん!」
「フロイド! このままでは僕たちもまずいです!」
「くそっ……!」

 二人の声がどんどん遠くへ離れて行く。

「メイ……!」
「せん、……っぱい!」

 レオナ先輩から離れたくない。そう願って私は必死に手を伸ばす。
 けれど激しい水の流れが私のそんな気持ちをあざ笑うかのように私たちを引き離す。

「やだっ……先輩…………! レオナ先輩……!」

 何度も何度も名前を呼んでいく中で、激しすぎる海流によって意識が段々と朦朧とし始める。

「せん……ぱい……」

 意識が遠のく中、レオナ先輩の姿が見えた気がした──。

◇◆◇

 ザザァ……ザザァ……。
 優しい音が耳を撫でる。音に釣られるように身を起こすと、白く泡たった波が砂浜に駆け寄り、すぐに引いていく。

「浜辺……? 私、流されてここまで来たの……?」

 辺りを見渡せば小さな貝殻が波に転がされキラキラと輝き、空を見上げれば大きな月が顔を出している。あれからどれだけの時間が経ったんだろう。

「っ、そうだ! 先輩! レオナ先輩……!」

 ぼーっと月を眺めていた私は、その見事な弧を見てレオナ先輩と離れ離れになったことを思いだした。
 慌てて立ち上がり、左右を見渡す。

「居たっ……!」

 月明かりに照らされた海岸には私と同様にレオナ先輩も打ち上げられていた。
 濡れた足が砂に沈んで足を取られる。でも弱音なんて吐いていられない。

「先輩、レオナ先輩起きて……!」

 やっとの思いでレオナ先輩の身体に縋りつくように飛びついた私は必死に彼の身体を揺らす。
 けれどレオナ先輩が目覚める気配はなくて、体も冷え切ってしまっている。

「先輩……?」

 もう一度体を揺らす。それでもやっぱりレオナ先輩は目を開けてくれない。

「え、やだ……冗談、ですよね?」

 先輩、先輩、と何度も呼び掛ける。いつもならうるさいと言われそうなくらいに呼んだのにレオナ先輩は微動だにしない。

「レオナ先輩……!」

 慌ててまだ下半身が水に浸かっているレオナ先輩を抱き寄せて、浜辺に全身を引きずり上げる。そのまま私の胸に寄り掛からせる形で頭を抱いてもレオナ先輩はまったく反応しない。
 ぺちぺち、と何度も頬を叩いてみる。
 いつもは温かい褐色の頬は、ずっと水の中に居たせいで死んでいるのではないかと思うくらい冷え切っている。
 まさか海水を飲み込んでしまったんだろうか。
 最悪の展開が頭を過り、一気に血の気が引いていく。

「や、です……いやっ……。レオナ先輩……!」

 ぎゅっと抱えた頭を抱きしめてもやっぱりレオナ先輩は動かない。

「そ、そうだ……じっ、人工呼吸!」

 いつだったか、エースたちが泊りに来た時偶然やっていたニュースが頭を過る。

「お願いレオナ先輩……目を開けて……」

 正しいやり方なんてわからない。なんでもっとあの時ちゃんと見てなかったんだろう。
 目元から零れ落ちる涙を拭うのも忘れたまま私はレオナ先輩に口付けた。
 ただ必死にレオナ先輩の唇に自分の唇を押し当てる。
 人工呼吸なんだから、……そうだ酸素を送らなきゃ。閉じていた目を開けて、息を吹き込もうとしたその時だった。

「っ⁉」

 綺麗なサマーグリーンが私をじっと見つめて弧を描く。

「ん〜〜〜〜っ⁉」

 突然後頭部が押さえつけられたかと思えばぬるりと口内に何かが入り込んだ。
 それは私の舌を捕まえると絡まって、イヤらしい音を立てて私の口内を犯していく。

「ん〜っ! んんん〜〜〜っ!」

 ばたばたと必死に暴れてみるけれど頭を抑える力が緩まることもなければ、舌がおとなしくなることもない。しまいには唇までが私の唇を食むように動き出し、気が付けば背中にまで手が回っている。

「っ〜〜〜〜〜!」

 何度も何度もレオナ先輩の胸を叩いて、ついに私が抵抗をやめた頃ようやく唇が離れて行く。

「随分と熱烈なキスを贈ってくれるじゃねぇか?」

 とぼけた声でそう言って、レオナ先輩はにやりと笑う。

「……目が覚めたようでなによりです!」
「おいおい、そんなに怒るなよ」

 さっと身体を離せばレオナ先輩の手が私をすぐに引き戻す。
 くつくつと笑うその姿が愛おしいのに憎らしくて、ぷいっと顔を背ければレオナ先輩はますます笑いだす。

「レオナ先輩が死んじゃうかもって本気で心配してたのに……」
「悪かった。別にお前を騙すつもりはなかった。お前が駆け寄って来た時点で意識はあったんだが、まさか人工呼吸をしてくれるとは思ってなかったんでなァ?」
「なっ、ん……もう……だって……」

 そう言って体を起こして私を抱きしめたレオナ先輩は魔法を使ってすぐに濡れた服や髪を乾かしてくれる。
 確かに息をしてないと勘違いしたのは私だけど、それならもっと早くに目を開けてくれればよかったのに。

「……いじわる」

 ぷいっと顔を背けても、レオナ先輩は未だにくつくつと笑っている。

「あーあー、ジェイド、オレたちいったい何見せられてるわけ?」
「しーっ、フロイド気づかれてしまいます」

 くすくす、と笑い声が耳を打つ。

「………………」

 機嫌がよさそうにぴくぴくと動いていたレオナ先輩の耳がぺたりと伏せて動きを止める。

「なっ、ななななっ、なんでいるんですか⁉」

 がっ、と一気に体温が上がったまま声に釣られて海の方へ視線を向ければ岩陰にその長い身体を無理やり押し込めるようにして隠れていたフロイド先輩とジェイド先輩と目が合った。

「ああほら、気づかれてしまったじゃないですか。どうぞ、僕たちのことなど気にせず続けてください」
「つ、続けません! もう、ちょっ、レオナ先輩放して……!」

 耳がぺしょっと潰れてしまったレオナ先輩は大人しく私を放すとため息をついて眉間の皴を指で伸ばす。きっと、なんとかイライラを逃そうとしているんだろう。

「……テメェら、いつから居やがった」
「メイさんが目覚めた辺りからですね」
「最初からじゃないですか⁉」

 全然気が付かなかった。
 目覚めてからの一連の行動を思い出し、ますます顔に熱が集まっていく。

「アハハ、小エビちゃん金魚ちゃんみてぇに顔真っ赤!」
「っ、どうしてここが?」
「この方に案内してもらったんですよ。便利な物は利用してこそ、でしょう?」

 どさ、とジェイド先輩が砂浜に向かって何かを投げる。
 ぐるぐるとボロボロのロープで縛られたその人はあまりにもくたびれていて信じられないが私もよく知る人だった。

「ハーネスさん⁉」
「クソっ……ガキ、どもめ……っ」

 苦しそうな声で呻きながら海に揺蕩う二人を睨みつけたハーネスさんの身体が崩れ落ちる。

「こいつとエディリダって奴のせいで小エビちゃん達とはぐれちゃったじゃん? あの後渦が落ち着いてから捕まえて問いつめたらまだ追えるって言うから締め上げながら連れてきちゃった」
「そうか、こいつのユニーク魔法……」

 気絶してしまったハーネスさんを見下ろしながら立ち上がったレオナ先輩は私を立ち上がらせて肩を抱き寄せるとハーネスさんから引き離す。

「じゃあ、もしかして救援も……」
「もうすぐこちらに到着しますよ。ああ、ほらあちらに」
「おーい! レオナさーん! メイくーん!」

 微笑むジェイド先輩の後方に人工的な明かりが見え始め、船の上でラギー先輩やフェローさんが私たちを見つけて手を振ってくれているのがわかる。
 私も精一杯手を伸ばし、船の上の皆に見えるよう手を振り返してからレオナ先輩に振り返る。

「レオナ先輩帰りましょう、私たちの学園に……!」
「……ああ」

 ぎゅ、っとレオナ先輩の手が私の手に絡むのを合図に私たちは波が静かに打ち返す砂浜を歩きだす。



 ──こうして私の初めての長い長い船旅はようやく終わりを迎えた。

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