01


 ──ことの始まりは数時間前に遡る。



 ガタガタと世界が揺れる。目の前の突起物に必死にしがみついた芽唯は暗闇の中でため息をついた。
 別に地震が起きたわけではない。魔法による爆発や、なんらかの衝撃波でもない。芽唯の世界だけが常に揺れ続けている。
 もっと優しくしてほしい。自分の足で彼の元に向かえたらよかったのに。こんな体≠ノなってしまった以上仕方がないのだが、ないものねだりの感想が自然と出てしまう。

「……んだ。……ない……メイ…………だ」
「そんな……言わ……受け…………!」

 揺れる世界に耐えるように目を閉じていれば、頭上から壁一枚を隔ててくぐもった声が聞こえる。
 いつのまにか揺れも収まっていて、目的地に着いたことに気づいた芽唯は頭上を見上げてまだかまだかとその瞬間を待ち望んだ。
 とても長い時間この瞬間を待っていた気もするが、実際にはほんの数分の出来事のはず。一年生の教室から植物園までの道のりはさほど遠くない。
 芽唯の世界がまた少し大きく揺れた後、ゆっくりとどこかに優しく下ろされる感覚がして息を吐く。

「……は?」

 ぎしっと音を立てて蓋が開くのと同時に少し間の抜けた声が耳に届いた。

「っ……眩し……」

 暗闇に慣れ切っていた芽唯は降り注ぐ光の眩しさに耐えられず、思わず片腕で顔を庇うが目を閉じることだけはしなかった。サマーグリーンの綺麗な宝石が驚きに見開かれるのを見逃したくなかったからだ。

「……どういうことだ」

 その宝石はぱち、ぱちと数度瞬き、まるで流れ星のような美しさを見せたが、すぐに美しい形の眉と共にきゅっとつり上がってこちらを見下ろし、その宝石の持ち主である芽唯の大好きな人は低い声を出す。
 当然というか、必然的な怒りの声に苦笑した芽唯はエースに半分は冗談、もう半分は簡単に状況が説明できるから……と首に下げられたタグをレオナに見せながら口を開いた。

「私を食べて、……みたいな?」

 口にした言葉と同じく『eat me』と書かれたそれを見つめると何か言いたげにレオナは一瞬小さく口を開くが、ちらりと鋭い牙が見えたかと思えばすぐに閉じてしまう。
 言葉を探しているのかはくはくと唇が開いては閉じてを繰り返し、最後は片手で顔を覆ったレオナはため息をつくと片方の手袋を外し、芽唯に向かって素肌になった手を差し出した。

「とりあえず、そこから出てこい。本当にお前を食べるわけにはいかねぇだろ」
「あはは……わかりました。よい、しょ…………わっ!」

 レオナの指先に躊躇いながらも足を乗せた芽唯は踏みしめると柔らかく、少しぷにぷにと弾力のあるそれに足を取られて数歩進んだところでバランスを崩してしまう。

「おいっ!」

 慌てたレオナの声と共に芽唯が倒れ込んだ先が強張るが、すぐに力が抜けて柔らかさを取り戻す。

「……頼むから大人しくしてくれ。ただでさえ嫌われ者の第二王子なんてありがたい肩書があるってのに、恋人を握りつぶした……なんてシャレにならねぇ追加の肩書はいらねぇんだよ」
「が、がんばります」
「ったく……」

 大きな親指の腹で芽唯の頬を撫でたレオナは息を吐いたがどこか安堵したように見えるのは気のせいだろうか。
 移動する手のひらに身を任せているとレオナの眼前に連れて行かれ、文字通り頭の先から爪の先までじっくり見つめられる。
 と言ってもその時間はそんなに長くかからない。なにせ今の芽唯はレオナの手の平に乗ってしまうほど小さくなっているからだ。

「んで、この状況はどういうことだ……と言いたいところだが大体のことはわかった」

 芽唯の首に相変わらずぶら下がっているタグをぺちと叩いたレオナは、芽唯が今まで入っていた彼女が愛用しているバスケットを少しずらすと魔法でクッションを呼び寄せた。
 その光景を横目にそろそろ不要かとタグを外していれば、柔らかなクッションの上に下ろされる。
見慣れた黄色い無地のそれはレオナの部屋のベッドに常に鎮座しているもので、柄無しの物を呼び寄せたのは芽唯がどこにいるか見失わないためだろう。

「どうすればお前は面倒に巻き込まれなくなるんだ? ん?」
「どうって……今回は不可抗力というか……」

 広すぎて海にぽつんと浮かんでいるような不思議な気分に陥るクッションに身を委ねながらレオナを見上げていると、レオナは次に鳥籠を呼び寄せた。
 けれどその中に鳥が住んでいるわけではなく、レオナが鳥を飼っているなんて話も聞いたことがなくて芽唯は首を傾げる。

「それは……?」
「いっそお前を籠で飼った方が俺も安心できるんじゃねぇかと思ってな」
「えっ。わ、私用ってことですか⁉」
「そうすりゃトラブルも起きなくなって俺もお前も悩まされることがなくなるだろ?」

 あァなんて良い提案なんだろうな。
 そう言ってニヤリと笑いながら目を眇めたレオナの尻尾が芽唯の頬を優しく撫でる。
 撫でる……と言っても今の芽唯には顔が埋もれるほどの大きさになっているのだが、ロープのようにぐるぐると巻き付いてこないだけまだいいだろう。

「で、でも成分の分析が終われば絶対に元の大きさに戻る薬を作ってくれるってクルーウェル先生が……」
「へぇ? その時はお前が気に入りそうな部屋か、いっそ屋敷でも作って幽閉してやるよ。プリンセスってのは大抵悪役に捕まってるもんだろ」
「えっ、とぉ……れ、レオナ先輩は悪役じゃなくて王子様じゃないですか……!」

 ね?といつもならば『王子様みたい』と芽唯が揶揄うのが定番の流れなのに、逆になったやりとりに違和感を覚えながらも取り繕えば、さらにニヤリと笑ったレオナはきっと元の大きさだったなら芽唯の腰に手を回し、顔を近づけキスの一つも落としてきたに違いない。

「ならその王子様が心配で心配で眠れなくなる前に、そうなった経緯をちゃんと話していただけるんだろうなぁ?」

 美しい形の眉がつり上がり、芽唯を見下ろす瞳はどこか笑っていなかった。
 レオナが割と本気で自分を監禁ないし軟禁しようと考えていると察した芽唯は必死にこくこくと頷く。

「ちゃ、ちゃんと話します。話しますから……! えっと……」

 そう、あれは午前中最後のコマ……魔法薬学でのことだった。

「授業で少しの間だけ小さくなるささやかな魔法がかかったクッキーを作ることになったんです」

 良く知るお菓子の材料、そして聞き慣れない名前の材料を混ぜ合わせて作るそれらは購買でも売っているごく一般的なもの。ジョークグッズとして時折生徒が懐かしい思い出ついでに買っているのを芽唯も目にしたことがある。
 前回、同じような授業を受けた時は澄清スミレの粉末を欲張って大量に入れた結果実験が失敗。クルーウェルに怒られた上、しばらく全身がキラキラと輝きを纏う結果となった。
 食堂のゴースト曰く、毎年一年生の誰かが必ずやらかすらしいが、先輩たちからの生暖かい視線、実際にやらかした過去のある者の気まずそうな横顔、馬鹿にしているであろう同級生たちのこそこそ話……とあまり気分の良いものではなかった。

「グリムも流石に前回のことを反省したのか、今日は大人しくしてくれて特に問題も起きずに完成して、先生にも褒められたんですよ」

 芽唯の話を聞きながら、ほとんど食べられなくなった芽唯の分までぺろりと食べ終えたレオナは「ん?」と首を捻った。
 芽唯は小さく千切ってもらったパンの欠片をちょぼちょぼとつまみながら語っていたのだが、わかっていたとはいえレオナの反応に苦笑いする。

「そうなりますよね。だって、何も起きてないんですもん」

 簡潔に言ってしまえば授業はつつがなく終わった。グリムはちゃんと分量通りに材料を入れることに納得したし、工程自体も何も間違わなかった。

「さっきのタグの裏見ましたか?」
「いや?」

 身を起こしたレオナはすっかり放置された『eat me』と書かれたタグを手に取ると言われた通りに裏を見る。

「good boy……合格してるじゃねぇか」

 そう……このタグはただのタグじゃない。クルーウェルの評価を書くためと包装されたお菓子にどんな効果があるかを記しておくための物で、芽唯とグリムが正しく作り終えたことを証明してくれている。

「なら、なんでこんなことになっている。本来なら数分で効果が切れるはずだろう」
「そうなんですよね……」

 レオナの言う通り、同じタイミングで同じ評価を得たクッキーを食べたエースやデュース、そして芽唯と一緒に作ったクッキーを食べたグリムも一時的に縮みはしたが今は普通の大きさに戻っている。

「はじめのうちは少し効果が長引いてるだけとか、粉がダマになってて多く入ってしまった部分を食べちゃったんじゃないか、とかみんなで色々考えてたんです」

 丁寧に生地に練り込んだつもりだったが混ぜ方が甘かったのかもしれない。言い訳染みている可能性という言葉をたくさん探しながら時間が経つのを待ったが、芽唯の身体だけは一向に元に戻らない。
 他の生徒の様子を見ていたクルーウェルもすぐに異変に気づいてくれたが、彼であってもすぐに芽唯を元に戻すことは不可能だった。

「最初は、ささやかな魔法でも異世界人の私には効果が強く出てしまったんじゃないかって話だったんです。ほら、病気もお薬も慣れてくると耐性が出来るじゃないですか」

 最初は強い効果がある物も多用すれば効果が薄まる。それは毒も薬も同じこと。

「私はこの世界特有の物に触れ始めてまだそんなに時間が経ってないからなのかなって」

 元の世界と共通の物も少なくないが、やはり魔法薬となるとそうもいかない。聞いたこともない名前の素材が多く登場する魔法薬学と錬金術の授業は特に気を付けていたつもりだったが、こんな事態を引き起こすとは夢にも思っていなかった。
 それは教科担当であるクルーウェルも同じだったのか『まさかこんなことになるとは』と謝罪と共に必ず元に戻すと誓ってくれた。

「ただ戻せる効果があるクッキーを食べても効果がなくて……違う方法を必ず探してくれるとは言ってたんですけど」

 クルーウェルが念のためにと用意していた大きくなる材料の入ったクッキーを食べたが何故か効き目がなかった。幸い、作ったクッキーは食べかけが残っていたのでそれから成分を割り出して別の薬を作ってくれるらしいが時間はそれなりにかかるだろう。

「そしたらエースとデュースが『戻るまではレオナ先輩の所にいるのが一番安全だろう』って言い始めて」
「……それで飯と一緒に運ばれて来たってわけか」
「どっちにしろお弁当も届けなきゃでしたし……。もちろんレオナ先輩が迷惑だって言うなら、元に戻るまでの間はオンボロ寮で過ごすつもりです」

 やっとパンを食べ終えた芽唯は手を軽くはたくとレオナを見上げる。伺うように首を傾げればレオナは大きくため息をついた。

「俺が『迷惑だ。大人しく自分の巣穴に潜ってろ』なんて恋人を追い払う冷たい雄だとでも思ってたのか?」

 心外だ。そう顔に書いたレオナは芽唯に手を伸ばすと小さな頭を指先でぐりぐりと撫でる。

「……本当に元に戻るんだな?」

 への字に曲がった唇が心配なのだと言外に語り、大きなレオナの指先を両手で掴んだ芽唯はそっとそれに頬をすり寄せた。
 少し甘えすぎてしまったかもしれない。レオナだって恋人がこんな姿になってしまって不安にならないわけがない。
 いつ誰に踏みつぶされてもおかしくないし、きっと学園内でよく見かける猫や鳥、昆虫ですら脅威になる。もしレオナがそんな状況になってしまったらと思うと、芽唯だって生きた心地がしなくて不安でいっぱいになってしまうに違いない。

「きっと戻ります。だってあのクルーウェル先生が約束してくれましたもん」

 だからこそ、しっかり言葉で伝えるべきだ。
 まともに体温を分け与えることもできないこんな小さな体で安心させられるかはわからない。けれど、すりすりと頬を指先にすり寄せればレオナの眉間の皴が少しだけ緩くなる。

「大丈夫です。ね……?」

 少しでも伝わるようにゆっくりと、わざとらしく首を傾げてレオナを見上げれば目を伏せたレオナが「わかった」と拗ねた子供のように唇を尖らせ頷く。
 
 こうして、小さな芽唯は一抹の不安と共に数日の間レオナに預けられることとなった──。

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