03


「今いいかしら」
「ヴィル先輩、こんにちは」

 図書室で借りてきたばかりの本を中庭で読んでいた芽唯が顔を上げるとヴィルが目の前に立っていた。いつのまにやってきたのかはわからないが仁王立ちしている彼は些か不機嫌そうだ。

「アンタ、こんな日差しの強い場所で読書なんてやめなさい」
「ぽかぽかして気持ちよくてつい……」

 栞を挟んだことを確認し、芽唯から本を奪うと、ベンチに置いていた他の本ごとヴィルは軽々と持ち上げて歩き出した。
 割と苦労して運んできたそれを優雅な仕草で運ぶヴィルに、やはりどんなに美しくても男性なんだなと芽唯は腰を上げながら改めて思った。

「いくらUV対策をしても紫外線はお肌の敵! アンタ一体何度言えば覚えるの?」

 何度も聞かされた言葉に芽唯はうっと身を縮こませる。
 何故だかわからないがヴィルはやけに美容に関して口酸っぱく芽唯に言い聞かせてきた。芽唯とて年頃の、しかも好いた男性がいる女の子だ。少しでも可愛く、そして綺麗になりたいという願望がないわけではない。
 だが、プロのモデル・俳優として活躍し、マジカメフォロワー五百万人という超ビッグネームの有名人に懇意にしてもらう理由がまったく思い浮かばない。

「肌や髪はアタシがあげた美容セットをちゃんと使ってるみたいね。だいぶ艶が出てきたわ」

 横に並ぶとヴィルは空いている方の手で芽唯の肌と髪をチェックする。

「でも油断したらダメ、アンタが散々放置して痛めつけたダメージが回復しただけで、手を抜いたらすぐにまた土だらけの芽じゃがに逆戻りよ」
「芽じゃがはもう勘弁です……」

 『芽じゃが』とはヴィルが芽唯に付けた呼び名だった。レオナ繋がりで知り合ってからしばらくの間、彼は芽唯のことを一切名前で呼ばず、ただ流されるまま生活するのでやっとだった芽唯の美意識を改善するため徹底的に欠点を追求し続けた。
 返せるものが何もないと眉を下げる芽唯に「アタシの視界にアンタみたいな芽じゃがが入ることが耐えられないだけよ」と美容セットを押し付け、今でも無くなる頃を見計らっては新しいものを用意してくれたりと、なにかと頭が上がらない存在だ。

「……ま、だいぶアイツと並んでも恥ずかしくない程度にはなったんじゃない?」
「本当ですか……!」
「恥ずかしくないだけで足元にも及ばないけどね」
「うぅ……」

 どこに向かうのか聞かないままヴィルと並行していたが、この方向にあるのは鏡舎なのでポムフィオーレ寮に行くのだろう。

「顔だけが無駄に良い男のことなんて気にしなくていいわ。大丈夫、アンタはちゃんと綺麗になってる。アタシが保証してあげる」
「ヴィル先輩……」
「このアタシが面倒見てるんだから当然でしょ」

 予想通り鏡舎に着いた二人が並んで鏡をくぐれば、おとぎ話に出てくるような壮麗な城を模したポムフィオーレ寮が見えてくる。
 まるで絵本の世界に迷い込んだようで、門を開く音から談話室のシャンデリアまですべてが繊細に計算つくされた作りは、芽唯の中ではお気に入りの場所の一つでもある。

「久しぶりにゆっくり出来る時間が取れたの。お茶を出してあげるからアタシの部屋で話しましょう」
「あの、でも、私そんな面白い話出来ないですよ?」
「前回のお茶会から期間は空いたんだから、それなりの進展はしたでしょ?」
「いえ、まったく」

 ヴィルが芽唯に聞きたがることと言えば一つだけ。レオナとのことだ。
 ヴィルはこの学園で数少ない芽唯の本音を知る人物だった。彼にバレてしまったのは偶然というか、優れた慧眼の持ち主だったということだが、今ではこうして定期的に話を聞いてくれるようになったので感謝するばかりで。
 しかし、芽唯の言葉に自室の扉に手を伸ばしかけていたヴィルは足をぴたりと止めた。

「まったく?」
「まったく、全然、特に変わらず」
「アンタ……ほんと……」

 片手で顔を覆うとヴィルは深く、それは深くため息をついた。すべての息を出し切ったのではというほど長いため息に、芽唯は流石に正直に話しすぎたと自身の発言を反省する。少しくらい盛ってもバレなかっただろうに、こういう時に嘘の一つもつけない所がこの学校ではいつか身を滅ぼすことに繋がりそうだ。
 何か言いたげに指の隙間から芽唯の顔を見るヴィルだったが、開きかけた唇をきゅっと結ぶと改めて自室の扉に手をかける。
何も言わないまま部屋の中へ入っていくヴィルの後に芽唯も続くと、部屋一帯が何かベールのようなものに覆われた気配がした。
 以前この正体を聞いたところ『アンタの秘密を守る防衛魔法の一つ』とだけ話してくれたが、恐らく防音効果のあるものだと芽唯は考えている。

「ここまで来たからには洗いざらい全部吐く覚悟はあるんでしょうね?」
「ですから、ヴィル先輩にお話しするほどのことは起きてないんですって」

 机に本を下ろすとヴィルは手際よくお茶を準備し始める。本来なら後輩である自分が用意すべきだと言いたいところだが、客人は黙ってもてなされることが礼儀と叱られて以来、大人しく先に席につくことにしていた。

「この間派手にやらかしたらしいじゃない? 現場に居合わせたエペルなんて興奮しちゃって、暫くその話ばっかりだったわよ」
「派手にって……。生きるか死ぬかの瀬戸際だったとは思いますけど……。レオナ先輩が助けてくれたのは偶然であって、それ以上でもそれ以下でもないといいますか……」

 別に彼は芽唯のためのヒーローではない。颯爽と現れピンチを救ってくれたことに変わりはないが、偶然に偶然が重なっただけの出来事にそこまで食いつかれても困ってしまう。
 どうやってこの場を逃れようかと考えていると、ティーセットを運びながらヴィルが目の前の席に腰を下ろす。正面に座ったヴィルの視線の強さに、適当な言葉では言い逃れることは出来そうにないのを悟った芽唯は、彼が納得するような話はないかと思考を巡らせた。

「あのーえっと……例の件で私が言えることはレオナ先輩はやっぱりかっこ」
「アンタの感情の動きなんてどうでもいいわよ。アタシはどうやってレオナがあの場に駆けつけられたのかって話をしてるの」
「ど、どうでもいい……」

 他の人の前なら絶対に吐露しないことを「どうでもいい」の一言で片づけられ僅かに芽唯の頬が引きつる。だが、ヴィルはそんなことを気にする様子もなくカップに紅茶を注ぎ始める。

「嫌いにでもならない限り、アンタはレオナに好意を寄せ続けるとわかりきってる。アタシは相談には乗るけれど惚気話を聞くつもりはないの」

 最後の一滴、ゴールデンドロップまで注ぎ切った紅茶を芽唯に差し出す。

「何事も正しく隅々まで把握しておくべきだと思わない? 特に、アンタみたいな異世界人は一つの事実が大きく選択を変える日が来るかもしれない」

 選択、その言葉に芽唯は眉尻を下げた。

「……知らない方が幸せなこともあるってよく言いますよ」
「毒を食らわば皿までとも言うわね」
「レオナ先輩は毒じゃありません!」
「ならちゃんと向き合いなさい。あの男、アンタが思ってる以上にアンタのこと大事にしてるのよ」

 自分の分のカップを口元に運び、満足そうに口角をあげるヴィルを見ながら、芽唯はスカートの裾をぎゅっと握りしめる。

「アンタこの学校には慣れた?」
「え? まぁ、それなりには……」

 突然なんの質問だろうと首を傾げる芽唯にヴィルは続ける。

「アンタが慣れたってことは他の奴らなんてとっくに新しい生活に順応してる。そうなってくると授業中にハメを外す奴が出てくるの。毎年必ず、誰かしらが大怪我でもしない限り一度緩んだ気持ちは締まりもせずにダラダラと弛みきる」

 常に意識を高く持ち、日々研鑽を積み重ね、昨日よりもっと美しい自分を追い求めるヴィルからしてみれば信じられないことだったが、毎年この時期になると『そういうこと』が多く起きるのは偽りのない事実だった。

「例えば、そうね。色々あるけれど必ずと言っていい程やらかすのはこの辺りかしら」


 あるものは鍋をひっくり返して魔法薬を頭から被り、あるものは危険な植物をそうと知らないまま見た目に騙され無防備に近づき襲われ、そしてあるものは先日の芽唯と同じく空から大地に叩きつけられ大怪我を負う。ナイトレイブンカレッジでは特に珍しくもなく、誰しもが見聞き、もしくは実際に経験する出来事だった。


 ヴィルの例え話に芽唯はここ数日の記憶の糸を手繰り寄せる。
 鍋をひっくり返す。……間違いなく経験した。助けてくれたジャックには今でも感謝している。体にかかっていた場合どうなったのか後日クルーウェルに聞いたところ身の毛もよだつような効果だったということだけは言っておこう。
 危険な植物に襲われた記憶はなかったが、あの日レオナが行動を共にしてくれていなければ、まだまだ未知の区域がある植物園でもしかしたら遭遇していたかもしれない。
 そして、空からのダイブは記憶に新しいどころの話ではなかった。思い当たる節がありすぎて青ざめる芽唯をヴィルは鼻で笑う。

「流石はナイトレイブンカレッジが誇るトラブルメーカー。わざとなんじゃないかって疑わしいくらいに全部経験済みでしょう?」
「事故です! 無実です! それに、私は巻き込まれてるだけですし!」

 鍋がひっくり返ったのはグリムが悪いし、植物園探索も元々はその騒動が原因。箒の件ももちろんグリムが原因だ。
と、いうか何故ヴィルは飛行術の一件以外もすべて把握しているのだろうか。

「きっかけがなんであれ、間違いなくアンタは危険に巻き込まれる。レオナはそう踏んだからこそ事前に色々と策を巡らせてたのよ」

 音を立てずにカップを置くヴィルから目を逸らさないまま、芽唯は漸く自分のカップを手に取った。適度な温かさがほんの少しだけ心を落ち着かせてくれる。

「不思議に思わなかった? 錬金術の授業の度、必ず隣にジャックがいたでしょう」
「……言われてみれば、確かに」

 そういえば、いつの間にか当然になっていて疑問に思うこともなくなっていたがジャックは必ず自分のすぐ傍、手の届く距離の鍋を選んで授業に参加していた。
 友人として好かれていて一緒に授業を受けようぜ、とかそんなノリかな程度にしか思っていなかったが、ヴィルの口ぶり的にどうやら違うらしい。

「植物園は……言うまでもないわよね。そして飛行術」
「それは流石に偶然では……。レオナ先輩が授業をサボるのなんて今に始まったことじゃないですし」
「……そうね、何も珍しくもないわ。いつものレオナの行動よ。一年生が飛行術の授業の度に、見計らったように必ずサボってたのも、たんなる偶然よね」
「えっ……」

 話を聞きながらちびちびと紅茶を飲んでいた芽唯は水面から目を離してヴィルの顔を見る。口角を上げながら語るヴィルはどこか楽しそうだ。

「レオナが使ってた箒、誰のだと思う?」
「魔法で自分の箒くらいすぐ呼び出せるんじゃ?」
「そうよね、普通ならそうするわ。でもアイツが使っていたのはエペルの箒」

 よっぽど焦ってたのね。なんて付け足しながらヴィルは優雅な仕草で組んでいた足を入れ替える。

「暴走するアンタ達とそれを追いかけたバルガス先生が見えなくなって、騒然としていた一年生達は心底驚いたそうよ。突然レオナが木の上から降ってくるんですもの」

 木の上、飛行場を取り囲む雑木林の上にレオナは隠れていたということだろうか。「やっぱりこうなったか」と忌々し気に呟くレオナはかなり殺気立っていたらしい。

「状況を説明しようとするエペルに口を開く間すら与えず箒を奪うとレオナは全速力で飛び出した。あのレオナが全速力よ? マジフト部の連中はもちろん、普段のあの怠惰な姿を知っている生徒全員開いた口がふさがらなかった」

 部活中のレオナを何度か見たことがあるが、彼はスイッチが入るまでに時間を要する。一度スイッチが入ってしまえば相手は手も足も出ないが、適当にあしらってしまうこともしばしばだった。
 そのレオナが最初から全力を出す姿なんて芽唯には想像が出来ない。

「多分、今のアンタと同じ顔をしてたんでしょうね。何が起きたのかわからない、今見たのは本当にレオナなのか」
「で、でも、それが本当ならエースかデュースが!」

 間違いなく自分に話すはずだ、そう思った芽唯は空になってしまったカップをソーサーに戻してヴィルを見る。
 あの日から今日まで幾度も会話を重ねたが、レオナに助けてもらえてよかったなと言われることはあれど、彼が見計らったかのように現れただなんて聞いてない。あれは本当に偶然だったはずだ。

「口止めする手筈だって整えたっておかしくない話でしょう。エペルは知らなかったらしいけど、あの場にはジャックはもちろん他のサバナクロー生もいた。だから、そいつらにただ一言、こう言わせておけばいいのよ。『うちの寮長が来たのはただの偶然だ、そうでないと言う奴がいるなら明日の朝日は拝めないと思え』ってね」

 聞き覚えのあるレオナの脅し文句に芽唯はごくりと息を飲む。

「どうしてそこまでするんだ、なんて無粋なことは言わないわよね?」

 ヴィルの言葉にぎゅっと締め付けられた気がして芽唯は胸を押さえた。
 苦しいような、切ないような、この気持ちを芽唯は良く知っている。

「あのっ私、今日は失礼します……! お茶ごちそうさまでした……!」

 居た堪れなくて芽唯は急いで立ち上がると借りた本を急いで持ち上げ、重さも忘れたように部屋の外へと文字通り逃げ出した。



 その背中を追いかける様子もなく見送ると、ヴィルは二人分のティーセットをマジカルペンを軽く振って片付けた。
じわじわと追い込みすぎたかとも思ったが、彼女にはこれくらいの方がちょうどいいだろうと自身を納得させる。
 防音魔法を解くと見計らったようにコンコンとノック音と共にルークが入室する。

「トリックスターが大変愉快な顔で走っていったがどうしたんだい?」
「言わなくたってわかってるでしょ」
「ふふ、我らが毒の君(ロァドゥポアゾン)はよほど彼女と獅子の君(ロァドゥレオン)を結ばせたいと見える」

 ニコニコと笑みを浮かべながらルークがヴィルを見ると彼は首を横に振った。

「別に、アイツらがどうなろうと知ったこっちゃないわ。可愛い妹分を取られると思うと腹立たしくもあるし。まったく……なんであの子はレオナなんかが良いのかしら? あんな顔だけの男」
「しかし恋する女性は実に美しい。トリックスターも初々しく輝いていて目を見張るものがある」
「あら、それってアタシよりも?」
「それはどうだろうね」

 ふんっとヴィルが鼻を鳴らすが臆することなくルークは芽唯を褒め称える。
 確かに、彼女はレオナへの恋心を自覚してからどんどん可愛く、そして綺麗になった。
 だからこそ、あれこれと理由を付けて自分の気持ちを偽ろうとする彼女の、そして彼のことがヴィルは許せなかった。

「中途半端に手を差し伸べるなんて飼い殺しも同然じゃない」

 それが一体どちらに対しての言葉なのか、ルークはただ笑みを浮かべるばかりで深く聞くことはなかった。

◇◆◇

□月△×日
 私は、いつか元の世界に帰る。
 帰るから。
 
 だから、気づかないフリを続けさせてください。

◇◆◇

□月△△日
 昼食と夕飯をレオナ先輩とご一緒した。いつも通り上手く笑えていたとは思う。
 視線が合うたびにまるで鏡を覗き込んでいるような気分に襲われた。先輩のことを考えている時の私と同じ瞳をして私を見つめるレオナ先輩。
 それなら、きっと考えていることも一緒だよね。

◇◆◇

□月○△日
 言わないことが、お互いの為だと思う私が間違っているとは思えない。
 だって、多分レオナ先輩も同じ考えだと思うから。

 学園長に元の世界に帰れそうかと聞いてみた。相変わらず有耶無耶に誤魔化すだけで兆しは見えてこない。
 帰ることが出来ないのならいっそ……。そう思っても踏み出すことは出来そうにない。
 私は帰る、帰るんだ。
 元の世界に帰ればみんなにはもう二度と会えなくなるかもしれない。寂しくないと言えば嘘になるけれど。お母さんに会いたい。元の世界を私は捨てられない。

 天秤の上に、これ以上何も乗せたくない。

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