04
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴り響き、教室は放課後の訪れに浮足立つ生徒の声で賑わっていた。
「おーい、メイ〜!」
音を立てて勢いよく扉を開いた人物が芽唯を呼ぶ。カリムだ。
鞄に教科書を詰め込もうとしていた芽唯は、突然の来訪者に慌てて席を立つとカリムに駆け寄った。
「どうしたんですか? 何か急用ですか?」
「いや! 特に急ぎじゃないんだけどさ」
屈託のない笑みを浮かべるカリムの横で、彼を心配してついてきたであろうジャミルがため息をついた。
「だから言っただろう。下級生の教室にお前がいきなり出向いたら何事かと相手は思うって」
「えー、でも楽しいことは早く伝えたいだろー?」
「楽しいこと……?」
ジャミルが睨んできても臆することなく、それどころか嬉しそうに受け入れるカリムはやはり大物だと思う。
「明日は週末で休みだろう? だからうちの寮で宴をやろうと思っててさ、もしよかったらお前も来ないか? もちろんグリムや友達も呼んでくれていいし、なんならレオナも呼んだって構わない!」
宴という言葉にホリデーの軟禁生活を思い出しもしたが、もはやあれは既に過去の出来事。本当に純粋に楽しい宴への招待だろう。
「えっと、じゃあ私の方からみんなに声かけてみます……ね?」
「お、来てくれるのか? よっしゃー! ほらなー、誘ってみてよかっただろジャミル!」
「メイ、他に用事があれば断ってくれていい。その方がこいつの為にもなる」
なー!と嬉しそうに自分を肘でつつくカリムを煩わしそうにあしらいながら言うジャミルに芽唯は首を横に振る。
特に用事も予定もない。自分で言って悲しくも思うが、基本的に芽唯は暇だった。
「本当に良いのか? すまないな。都合が悪くなったらいつでも言ってくれ。宴は日没から始まるが、適当な時間に来てくれて構わない」
「わかりました。それじゃあまた明日」
軽く会釈をして二人を見送る。ホリデーの時はどうなるかとも思ったが、あの事件を経てもなんだかんだで上手くやっている二人の姿に芽唯は胸を撫で下ろした。
「カリム先輩達なんだって?」
遠目から三人のやり取りを見守っていたエース達が芽唯の元へ歩み寄る。エースとデュースの手には既に鞄が握られていて、自分の支度がまだ終わってないことを思いだす。
「明日宴をやるから来ないかって誘ってくれたの。友達も来て良いって言ってたから、よかったら二人も一緒に行かない?」
「めっっっちゃ行きたい! 行きたい……けど、ごめん。オレもデュースも明日は無理だわ」
「そうなの? 残念だなぁ……」
本気で肩を落とす二人を見るに本当に都合が悪いのだろう。ジャミルの作る料理は絶品だから友人たちにもぜひ食べて欲しかったが仕方ない。
「またハートの女王の法律絡みとか?」
「いや、この間小テストをやっただろう? 僕もエースもあまりいい結果が残せなくて」
「んで、たまたまリドル寮長に答案見られちゃって、放っておいてくれればいいのに『ハーツラビュルの寮生である君たちの成績が悪いのは寮長である僕にも責任がある。今週末は僕とトレイが勉強を見てあげよう。もし逃げたら、お分かりだね?』」
リドルの真似をしながら話すエースにデュースがうんうんと頷く。面倒見がいいというか、ハーツラビュル生の仲の良さが窺える。
「オレ様は行くんだゾ!」
「はいはい、一緒に行こうね」
エースの肩に乗ったグリムが手を高く上げて主張する。あの事件があってしばらくはグチグチとスカラビアに関して文句ばかりだったが、料理のおいしさだけは忘れられないと言っていたグリムは当然行くと思っていたので適当に受け流す。
「とりあえず帰ろうぜ。早く鞄取って来いよ」
「うん。ちょっと待ってて!」
席へと戻り、開けっ放しだった鞄に教科書を詰め込もうとしたその時、芽唯が急に動きを止めた。
背後からその様子を見守っていたエースとデュースは突然固まって動かなくなった芽唯の様子に揃って首を傾げる。
「メイ、どうした?」
「……ない」
「忘れもんでもしたのか?」
前の授業で使った教材でも置き忘れてきたのだろうか、二人は芽唯がじっと見つめたまま動かない鞄を覗き込むために彼女に近寄った。
しかし、特にこれと言って忘れ物があるようには思えなかった。教科書も、ノートも必要な冊数すべて揃っているように見える。
「日記が、なくなってる」
漸く顔を上げた芽唯の顔が青ざめていて少し驚いたが、エースは「なんだ、そんなもんか」と笑う。
「おまえそんなの持ち歩いてたのかよ。なに? 恥ずかしいことでも書いてある系〜?」
「エース、日記を他人に見られて気分のいいやつなんていないだろ。あんまり茶化すなよ」
「へいへい、デュースってばすぐメイのこと庇うよなぁ」
つまんねぇのと口を尖らせるエースだったが、芽唯のあまりの反応の薄さに心配になったのか自分達も探してやると提案を出す。
「あぁ、三人で探せば」
「オレ様もいるんだゾ!」
「……三人と一匹で探せば日記くらいすぐ見つかるさ。どんな日記なんだ?」
エースとデュースの提案に芽唯は数回瞬きを繰り返すと、両手の指で大きさはこれくらいと説明を始める。
女性向けのデザインで鍵付きの日記など使う生徒が他に居るとは思えないし、すぐに見つかるだろう、と落ち込む芽唯を励ましながら今日訪れた場所を全員でくまなく探すことにした。
朝一の授業で使った教室から始め、食堂、廊下、あらゆる場所を隅から隅まで探しつくした。
しかし、どれだけ探しても日記は見つかることがなく、すっかり日は傾いて夕日が三人の足元を照らしだす。
「本当に今日持って歩いてたのかー? 寮に置いてあるとかさぁ」
「って言ってさっき寮も探したじゃないか。メイ、最後に鞄に戻したのは間違いないんだよな?」
探しつかれた三人は並んで中庭のベンチに座ると再確認の為、もう一度鞄の中身を取り出した。教科書、ノート、ペンにグリム用の小さなツナサンド。空っぽにしてもやはり日記だけが見当たらない。
ツナサンドはグリムに取られてしまったが、出した教材をすべて鞄の中に戻しながら芽唯は二人に頭を下げる。
「遅い時間までありがとう、後は私一人で探すから大丈夫」
「大丈夫って、まだ探すつもりなのか? 寮まで送るから今日はもう」
「平気だよ! あ、グリムは預かってもらえると助かるかも。付き合わせて、お腹減ったまま連れ回すのも可哀そうだし」
そう言ってグリムを抱き上げるとデュースに押し付け、芽唯は鞄を手に引っ掛け走りだした。
「あ、おい! メイ‼」
慌てて引き留めるが芽唯の姿はあっという間に見えなくなってしまった。残されたエース達は目を丸くして、彼女の姿が消えた先を見つめる。
「行っちゃった。っていうかマジで大事なこと書いてた感じ?」
「グリムは何か知ってるか?」
口に食べカスを付けたまま大人しく抱き上げられているグリムを見れば、小さな舌が手に付着したツナを舐めあげた。
「夜中にこそこそ書いてたのは知ってるけど、中身は知らねぇんだゾ」
「だよなぁ」
「見つかるといいんだけどな……」
ぽつんと取り残された三人はこのまま座っていても仕方がないと、自分たちの寮へ帰っていった。
何かの拍子で落としてしまったのだろうか。
あてもないまま草の根をかき分ける勢いで芽唯は日記を必死に探す。
今日授業を受けた場所はもちろん、職員室に落とし物の届け出はないかまで、あらゆる可能性を考えて走り回った。だが、それでも日記は見つからない。
仮にこの学校の生徒が日記を拾ったらどうするか想像を巡らせると胃が痛くなる。日記なんて、弱みの宝庫。持ち主を特定して、最悪の場合脅しの道具にでも使われるんじゃないだろうか。
すっかり日が沈んだ空を見上げながら芽唯は肩を落とす。あの日記を見られたら、弱みはさておき自分の気持ちは完全にバレることになる。
もし誰かに読まれたとして、どうかその人物がレオナにあらぬことを吹き込まないよう祈るしかない。
「おい、草食動物」
「っ!」
声の方に振り向けば、呆れた顔の獅子の姿が目に入った。
「れ、レオナ先輩⁉」
ちょうど思い浮かべていた人物に声を掛けられ心臓が跳ね上がる。なんてタイミングだろうか。ドクドクと脈打つ鼓動はしばらく納まりそうにない。
「こんな時間までなにうろちょろしてやがる。いつもの三匹はどうした」
「えっと、失くし物しちゃって、一緒に探してもらってたんですけど、時間も遅くなったので帰ってもらいました」
芽唯の回答にレオナは眉間に皺を深く寄せる。
「なんでその時に一緒に帰らなかった。女が夜一人で出歩くなんて不用心だろうが。一緒にいるか、帰るか、どっちにかしとけ」
当然のお叱りに芽唯は何も言葉が出ず、視線を彷徨わせた。
学園内でそこまで危険な目に合うとは考えにくいが、トラブルに巻き込まれるのは十分あり得る。レオナの正論に何も返せず押し黙ると、レオナの足が一歩前へと踏み出した。
地面を踏みしめる音に釣られゆっくりと視線を戻すと、レオナが褐色の手に何かを持っていることに気付いて芽唯は喉を引きつらせる。
「そ、それ……!」
ぼとりと鞄が落ちたのも気にせず芽唯は震える手でそれを指さす。多少ボロボロになってはいるが見間違えるはずがない。ピンクの表紙に花柄の刺繍。錠前は完全に壊れているが芽唯の探していた日記そのものだった。
「ん? あぁ、これか」
視線に気づいたレオナは興味なさげに日記を顔の高さに掲げる。
「俺の眠りを妨げた馬鹿どもがニタニタしながら読んでたんで取り上げた。これを探してたのか?」
『はい』とも『違う』とも言えずに芽唯は黙り込む。言葉が出ない。既に誰かに日記を見られてしまった。そして今その日記はレオナの手の中にある。もしかしたら彼も持ち主を確認するために中身を見たかもしれない。
肯定すべきか否定すべきか、判断が付かないまま顔を青ざめさせる芽唯にレオナは嘆息する。
いくら待てども返事をしない芽唯に痺れを切らしたのか、先にレオナが口を開いた。
「……『不思議な世界に迷い込んでしまった。ツイステッドワンダーランドと言うらしい』」
レオナの言葉に芽唯の喉がひゅっと音を立てる。
「『グリムのせいで酷い目にあった。私の監督不行き届きが原因と言われればそれまでだけれど』」
「だ、だめ! 返して‼」
覚えのある文章をつらつらと暗唱するレオナに芽唯は飛びついた。
しかし、相手は自分よりはるかに高身長。奪わせないよう手を伸ばされてしまえば、たとえ背伸びをしても指は日記にかすりすらしない。
「どこまで読んだんですか! やだっ……やめて! だめっ!」
「おいおい、せっかく奪い返してやったっていうのに礼も無しか?」
「それとこれとは話が別です! ひどい! 他人の日記を読むなんて!」
「読まなきゃ誰のものかなんてわからねぇだろ」
自分にしがみ付いて必死に手を伸ばす芽唯の腰を空いている腕で抱きながら、レオナは楽し気に牙を見せ笑みを浮かべる。優しくされることに慣れきってすっかり忘れていたが、この男はそういう人だ。他人の弱みを握って利用するなど専売特許だろう。
「ひっ……うっ……」
泣きそうな、悲鳴のような、小さな嗚咽が口から零れ落ちる。こんな音にもなりきれない言葉じゃレオナには何も響かない。そう思った芽唯は意を決して口を開く。
「も、燃やすんです! 消すんです!」
「あァ?」
毎日したためながら、募る想いの行方に頭を悩ませていた。文字という形で日記に閉じ込めた己の気持ちを最後にどう昇華すべきなのか。
「この日記は、この日記に込めた気持ちは、全部、元の世界に帰る時に捨てるんです!」
抱えている想い事、火にくべてなかったことにする。
それが芽唯の出した、たった一つの結論だった。
だからこそ毎日日記にだけは嘘をつかず、彼への想いを吐き出した。
自分は素敵な恋をしたのだと、胸を張って元の世界に帰れるように。灰になって舞い上がる想いの欠片を見れば、きっとそう思えるだろうと自分を信じて。
指の先すら届かない日記から視線をずらせば、ニヤニヤと笑みを浮かべていたはずのレオナがスッと目を細めた。
「今、捨てるって言ったか?」
「だ、だって、私は元の世界に帰るから……!」
持ち帰ったところで辛いだけの気持ちを捨てて何が悪い。
「日記ごと全部燃やして、忘れて、笑顔でさよならするんです!」
だから返して!顔を真っ赤にして芽唯が叫ぶとレオナの動きが止まった。
腰に回っていた腕が離れていき、身体が離れる。
「レオ、ナ……先輩?」
ただならぬレオナの様子に日記を取り返すことも忘れて芽唯は彼から離れる。視線が地面まで落ちたレオナの顔はだらりと降りた髪で影になり伺えない。黙ってじっと見ているとレオナが徐に日記を持つ方の手を目の前に掲げた。
「『俺こそが乾き』」
「!」
聞きなれた詠唱が始まり芽唯は目を見開いた。
「『俺こそが飢え』』
それはレオナのユニーク魔法。
「『……お前から明日を奪うもの。平服しろ≪
触れられていた部分から芽唯の日記はさらさらと崩れ落ちる。まだ真新しかった白いページも、ボロボロになってしまった表紙も、外部から無理やり壊されてしまった鍵も、すべてが乾き、砂へと変わっていく。
何を考え日記を砂にしたのか、レオナの思考が読めず芽唯は思わず後退る。
「ハッ、お望み通り消してやったぞ。これで満足かよ?」
やっと顔を上げたレオナだったがそこに先ほどまでの笑みはない。理由はわからないがレオナが怒っていることだけは理解出来た。
「満足か、なんて……そんな……」
今更遅い、だって貴方はもう読んだんでしょう?知ったんでしょう?私の気持ちを。そう言ってやりたいのに息を吐きだすのもやっとで言葉が何も出てこない。
「まァ、砂にしたところで全部ここに入ってるがな」
トントンと自分の頭を指で叩く姿に、いつもの優しさは感じられない。
──全部入っている。
その言葉に芽唯は目の前が真っ暗になっていく。
知られてしまった。
隠していたのに、こんな簡単に暴かれてしまった。
「い………」
「あ? なんだって?」
獣人の耳でも聞き取れないほど小さな声にレオナの耳がぴくぴくと揺れる。
「……らい……大嫌いっ! レオナ先輩なんて、大っ嫌い‼」
「っ!」
まっすぐ自分を睨みつける芽唯の瞳からぼろぼろとこぼれる涙にレオナは息を飲む。
思わず手を伸ばしたが、どこにそんな力があったのか、芽唯はレオナを突き飛ばすと砂に変わってしまった日記にも、落とした鞄にも目もくれず走り去った。
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