08


 案の定、オンボロ寮に戻ると玄関を開けた途端に腹が減ったと暴れまわるグリムに飛び掛かられたが、特製のツナ料理だとバスケットを渡せば目を輝かせて談話室へと走っていく。
 しっかりと玄関に鍵をかけたのを確認してから追いかけると、口の端に食べかすを付けたグリムが満面の笑みで次から次へとバスケットの中身を食べ尽くす。

「すんげぇ美味いんだゾ⁉ おまえどこ行ってたんだ⁉」
「オクタヴィネルだよ。それはモストロ・ラウンジのお土産」
「ふなぁ……だからちょっと磯くせぇのか……。でも、うめぇからオレ様許してやるんだゾ!」

 すっかり機嫌の直ったグリムはしばらく放っておいても大丈夫そうだと判断した芽唯は、その磯臭さとやらを洗い落とすため風呂場へと向かった。
 今から湯舟を張るのは時間がかかるから諦めようと思ったのだが、ゴースト達が気を利かせてくれたのか、既にバスタブの中は適温のお湯で満たされており、嬉しいことにゆっくりと長時間浸かることが出来た芽唯の体からはすっかり疲れが取れていた。
 モストロ・ラウンジにかなり長居をしてしまったが、渡された夕飯とゴースト達の気遣いによりさっそく今夜から手紙と向き合うことが出来そうだ。

 寝る準備を終え、先にベッドに潜り込んだグリムは芽唯が机の前に腰を下ろすのを見て首を傾げた。

「なんだオメー、また日記でも付けることにしたのか?」

 ぺたぺたと足音を立てながら近づいてくるグリムを拾いあげて机の上に乗せると、芽唯は鞄の中からレターセットを取り出す。

「ううん、これは手紙」
「テガミ? 一体誰に……まさかレオナか⁉」
「んー……それは、どうしようね」



 ――正直、宛名を書く勇気はない。



 でも、自分が筆を執るということは必然的に彼に向けての気持ちを綴ることになるだろう。

「書き出しはそうだな……えーっと……」


『また筆を執ることを許してください。この手紙を貴方が読むことはきっとないでしょう。もしくは、その頃にはこの世界に私はいないのかもしれません』


 手元を覗き込んでいたグリムが眉間に皺を寄せる。

「……なんか遺書みてーなんだゾ」
「確かに……」

 初っ端から間違えてしまっただろうか。書き上げたばかりの文面を睨みながら芽唯は頭を悩ませる。しかし、これ以上言葉が思い浮かばない。

「とりあえず、ってことで」

 どうせ誰に見せるわけでもないのだ、気に喰わなければ後で書き換えればいい。今はとにかく自分の気持ちを吐き出したい。
 
◇◆◇

 私がこうして悩んでいる間も、きっと貴方はつまらなさそうな顔をしながら、たまに大きな欠伸をかいて、それなのにどこかギラギラとした瞳で遠い所を見つめている。
 そんな先輩の横顔を見られる時間は私にとって特別なひと時でした。

 この間のことは本当にごめんなさい。だけど、他人の日記を勝手に見るどころか読み上げるなんてやっぱり酷いと思います。
 ……でも、私も酷いことをしました。嫌いだなんて嘘でも言っていいはずがないのに。もし傷つけてしまっていたらごめんなさい。
 あの日記には私の秘密が詰まっていました。楽しかったこと、嬉しかったこと、不安なこと、悲しかったこと。元の世界に帰りたくて寂しくて、涙で濡れたページもあった気がします。先輩ならきっと気づいたんでしょう?ちょっと恥ずかしいです。
 知られたくなかったことを不本意な形とはいえ先輩に見られて、動揺しました。貴方から逃げました。だって、私は弱虫だから。
 でも、あれ以来先輩からも特に連絡がないということは、私の気持ちがご迷惑だったということですよね。ごめんなさい。
 気持ちを伝えるつもりはこれっぽちもありませんでした。せっかく傍に居させてもらえているのに、私が気持ちを伝えることで関係が壊れてしまうことが怖かった。なにより、私は元の世界に帰ることを諦めきれない。気持ちはどんどん強くなる一方なのに、貴方を選ぶと言えない私のことが、私はなによりも嫌いでした。

◇◆◇

 勢いに任せて書いた文章を読み返しながら頬杖をつき、レオナのことを思い浮かべる。やはり文章の中の自分は現実よりよっぽど雄弁だ。すらすらと出てくる言葉に我がことながら芽唯は呆れていた。
 ちらりとグリムを見れば、最初のうちは芽唯が綴る言葉を一生懸命見守っていたのに、すっかり丸くなって寝息を立てている。このまま机の上で寝かせていては風邪を引きかねないので、先にベッドに運んで掛物をかけてやる。呼吸に合わせて上下する小さな山をゆっくり撫でてやれば、もぞもぞと動く姿が可愛らしい。
 今はレオナへの気持ちを書き綴るだけで精いっぱいだが、いつかこの可愛らしい相棒や心配してくれている友人たちにも手紙を書こう。
 新たに出来た小さな目標を胸にしまいながら芽唯はまた手紙へと向き合った。



 あんなに連日頭を悩ませていたのに、紙とペンが揃うとほんの少しの時間で考えがどんどんまとまっていく。
 一枚、二枚、三枚とページ数を増やしていく手紙はあっという間に分厚さを増していき、数日後にはサムの店に追加の便箋を買いに行くことになった。

「どうだい小鬼ちゃん? 手紙の方は順調?」
「それ、聞く必要あります?」

 今まさに会計を済ませたというのに彼は何を言っているのだろうか。

「書き損じるってこともあるだろう? まさか、本当にあれに入っていた分は書き終えてしまったのかい?」

 こくりと頷けば「羨ましいくらい熱烈だね!」なんて茶化してくるサムに芽唯は苦笑した。確かに気持ちは死ぬほど籠っている。重たいくらいに。

「独り言みたいなものですし、渡す気はない手紙なので色々自由に書けるんです」

 渡すことを前提に筆を執っていれば書けないことを山のように書いた。いくら蓋をしようとしても溢れかえる自分の気持ちに溺れそうになりながら文章を組み立てるのは意外と楽しい。
 けれど、少しだけ困ったこともあった。書き連ねているとたまに言葉が出てこなくなる。どう表現したらいいかわからないというか、言葉を知らないとでも言うべきだろうか。自分の気持ちを正しく伝える為の理解力と表現力が足りないことを痛感した。自分でも理解しきれていない己の感情を持て余しているままでは筆も進まない。
 日記と違って、手紙は相手がいるものだ。読み手の心にストンと落ちる、そんな文章が書きたかった。

「サムさん、自己表現が上手くなる便利アイテム……なんてありませんよね?」

 なんでも揃うサムの店にないものなんてあるのだろうかと思いつつ問いかけると、彼はニヤリと口角をあげる。

「IN STOCK NOW! だけど、小鬼ちゃんにもっと必要なものを今日は特別に教えてあげよう!」
「サムさんの商品より効果があるんですか……?」

 あるのなら是非頂きたいと思ったのに珍しく商売優先でないサムの言葉に首をひねる。

「ここは学校。文字と言えば本。本と言えば図書室! せっかく世界中の本が集まってる場所があるのに利用しない手はないだろう?」
「そっか、全然思い浮かばなかった……! ありがとうサムさん!」

 目からうろことはまさにこのことか。元々読書好きで通いつめていた場所の存在をどうして忘れていたのだろうか。
 買ったばかりの便箋を握りしめ、芽唯はパタパタと音を立てながら走り出した。



 何度足を運んでも図書室はこの世界に迷い込んだ日、学園長に連れられて訪れたときのことを思い出させた。
 世界地図を見ても、闇の鏡に尋ねても『無』と返され、どこにもないと言われた芽唯の世界。確かに存在していたはずなのに、芽唯の中でも時間が経つにつれ徐々に色褪せていく。母、友人、大切な人の顔も声も、名前までもいつしか忘れてしまいそうで少し身震いした。
 流石は名門校と言うべきか、図書室の蔵書の数は計り知れず、歴史書、雑学、論文に漫画。ありとあらゆるジャンルの書籍が納められた本棚は目を見張るものがある。
 返却と書かれた籠から出てくる浮遊する本達は、まるで意志があるかのように自ら元にあった場所に戻っていく。恐らくこういった施設は魔法か何かがかかっていて一定の手順を踏めば、あのように人が携わらなくても本を戻したり、もしくは呼び出せたりすることが出来るのだろう。
 しかし芽唯には原理がまったくわからない。なので、いつも自ら足を運ぶ。移動する本にぶつからないよう気を付けながら通路を覗き込むと気になるジャンルが見つかった。

「恋愛小説……」

 この学園の生徒に需要はあるのか、そんなことを考えるのが何度目だったのかも思い出せないので芽唯は考えるのをやめた。需要ならある、今まさに自分が欲している。
 適当に一冊選んで目を通す。長らく誰も読んでいなかったのか、若干のかび臭さを感じるが、どこか懐かしさを感じて不快ではない。
 ぱらぱらと捲ってみれば挿絵からなんとなく内容が推察できる。身分違いの恋に苦しむ男女の話のようだ。
 かなり厚さのある本で、全編読むのは些か抵抗があったので所々かい摘まみながら終盤だけまじめに文章に目を通してみる。作者からしてみれば堪ったものではないだろうが、どう読もうが読者の自由だろう。

 内容はこうだ。
 恋に落ちた男女が身分の違いに悩み、苦しみ、周囲の説得により一時は離れることが互いの為と気持ちを捨てることを誓った。
だが、離れて過ごす間、些細なことで相手のことを思いだす。
 好きな食べ物、言葉、お互い相手を知る前の自分を忘れたかのように何気ない日常で相手を連想しては苦しみ続けた。
 そんな二人の様子に引き離すべきではなかったと悔やんだ人々が、偶然を装って二人の距離を再び縮める。
 心の底から好きと思える相手に出会えた幸福を否定するなんて、誰もしてはいけないのだと、自分達に……そして読者に語り掛ける。
 物語の最後には男性の元に女性が駆け寄り『貴方と共にいることが私の幸せなのです』と涙を流す……。

 ありきたりな展開だが、小さな共通点に自分のことを重ねてしまって胸が締め付けられる。
 手紙には素直な気持ちを記そうと決めていた芽唯だったが、未だにどうしても書けない二文字があった。その言葉をこの二人は惜しみなく相手に伝え、最後には自分達の関係に否定的だった人にすら祝福され幸せな結末を迎えた……。
 最後の一文字までたどった時、締め付けられるような胸の苦しさを覚えて本を閉じる。
 ぎゅっと胸を押さえながら乱雑に本を棚に戻すと、芽唯はそのまま図書室を後にした。
 暗い屋内から一歩外に出れば清々しいほどに青い空が芽唯を見下ろす。もやもやした胸と相反する空模様に芽唯は口を尖らせる。
 仲睦まじく幸せな結末を迎えた二人に、どうして自分はレオナとこの二人のような未来を描けなかったのだろうかと思ってしまった。彼のことを考えれば考えるほど締め付けられる胸が苦しくて、無性に泣きたくなってくる。

「先輩のこと、好きになんてならなければ……っ」

 無意識に呟きかけた言葉にハッとなり、芽唯はとっさに自分の口を両手で塞ぐ。



 自分は今何を言いかけた?



 やっと出てきた二文字には彼への気持ちを否定するものが付属していたことに動揺する。
 ますます早くなる鼓動に合わせて荒くなる息を抑え込むように口を塞いだまま空を仰ぐ。
 このままここに立っていても良くないことを考えてしまいそうだと感じた芽唯は、急いでオンボロ寮へ駆け出した。



 荒い息のまま、鍵を取り出し扉を開く。バタンッ!と勢いよく玄関が閉まった音に驚いたゴースト達が芽唯のもとに集まってくる。

「どうしたんだい? なにかあったのか?」
「ううん。……えっと、グリムは?」
「グリ坊ならさっき出掛けてくるって出て行ったところだよ」

 ふわりと柔らかいフォルムのゴースト達に囲まれた芽唯は、扉に寄り掛かったままずるずると座り込む。
 その様子にまた何かあったのだと悟ったゴースト達は今晩は自分達が家事をするから部屋でゆっくり休むようにと告げ離れていった。
 その背中を見送りながら膝を抱えて小さく呟く。

「結局、手紙書き始める前と何も変わってない……」

 完全に制御を失った感情に振り回されている。真っ白でやわらかな、ちょっとひんやりした同居人たちの言葉に甘えて自室に戻ると、ベッドに倒れこむように横になった芽唯はうつぶせのまま枕に顔を埋める。
 紙の上で少しずつ自分の感情と向き合うことで落ち着いてきたと信じていたのに、まさかレオナが全く関係しない場面でこんなにも心がかき乱されるとは思っていなかった。

「レオナ先輩……」

 制服のまま寝るのはどうかとも思ったが、身を起こす気にもなれず、芽唯は欲求に従ってそのまま目を閉じた。



 砂塵が容赦なく肌に打ち付ける。乾いた風、舞いあがる砂埃。ひび割れていくラギーの皮膚。



 あぁ、またあの日の夢だ。


 
 時折見る不思議な夢と似た感覚でレオナがオーバーブロットしたあの日を夢に見ているのだと芽唯は直感的にそう思った。
 景色はモノクロで一切の色がないのに、レオナだけが鮮やかに色付いている。

 ──どんなに努力しても、絶対に報われることはない。
 ──その苦痛が、絶望が……お前らにわかるか!

 記憶のまま、一言一句そのままにオーバーブロットして姿を変えるレオナ。
 獅子の咆哮が大地を揺らすのを感じながら芽唯の意識はそこで途絶えた。



 目を覚ました時、自分の頬を伝う雫を拭いながら芽唯は身を起こす。なぜ今更あの時のことなど再び夢に見たのだろうか。
 あの時のレオナのことを考えると、今でもあの日と同じように胸が痛む。きゅっと締め付けられて彼のこと以外考えられなくなる。果たしてこれは同情なのか。草食動物と呼んでいる相手に同情されたとなれば、レオナはさぞ怒るだろう。
 だが、なぜだろう。芽唯は自分の気持ちを同情から来るものとは思えなかった。もっと近い、別の何かで、つい最近感じた気がする。

「……さっきの小説だ」

 登場人物の恋に自分達を重ねて胸が締め付けられた。あれと同じ感覚。

「そっか……。私、あの日からレオナ先輩のことが……」

 気が付けば好きになっていた、共に過ごす時間が自然と気持ちを育んでいたと思っていたが、きっかけはちゃんとそこにあったのだ。
 このことも手紙に記そう、そう思い立った芽唯は急いで席に着くと真新しい便箋を鞄から取り出した。

◇◆◇

 ずっと不思議でした。私はいつから先輩のことを想うようになったのか、自分のことなのにさっぱりわからなかった。
 でも、さっき夢を見て気づいたんです。先輩がオーバーブロットしたあの日をまた夢に見ました。
 先輩からしたら忘れて欲しい記憶でしょうか。でも、私は生涯あの日のことを忘れることはないと思います。きっと、元の世界に帰っても。
 
 同情ではないと思うんです。それだけは最初に言っておきます。
 ただ、砂埃が舞う中、周囲が覆われて景色がどんどん見えなくなる世界の中心で叫ぶ先輩の姿を見て、純粋に綺麗だと思いました。
 ──それと同時に、胸が締め付けられた。
 どうしてこんなに綺麗で、強くて、なんでも手に入れる力がある先輩に、いくら手を伸ばしても届かないものがあるのか理解できなかった。
 力だけじゃどうにもならないことがあることくらい、私にだってわかります。世界が平等だと思えるほど私も子供じゃないです。
 それでも、貴方の努力が、想いが、報われないことが自分のことのように辛かった。
 植物園の木漏れ日の中、昼食を食べながら私なんかに理解出来ない角度から見たこの世界のことを教えてくれる先輩の姿が、私にはキラキラと眩しく見えていました。
 ──そして、それは砂嵐の中でも同じだった。
 どんな時でも、どんな場所でも眩しい先輩だから心が惹かれた。貴方の傍に居たいと思った。

 私の小さな恋心をどうか許してください。

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