10
柔らかな日差しが窓から差し込んでくる。ゴースト達の仕業か、開け放たれた窓からはそよ風が室内に入り込んでいた。
まだ眠気が抜けきらない目をこすりながら身を起こすと芽唯は相棒が不在なことに気付く。
珍しく彼が早起きしたのだろうかと身支度を整えていると、ふと違和感を覚えた。
「手紙、なくなってる……」
確かにそこに置いた三つの封筒。だが、それらは机の上にも、ましてや下にも部屋のどこにも見当たらない。
風で飛ばされるほど軽くもないそれらがどこへ消えたのか見当もつかなかったが、不思議と焦りは生まれない。
もしかしたら、グリムがレオナの元へと届けに行った?いや、まさか。芽唯とレオナの関係が途切れてから彼はレオナに近づくことを恐れていた。「威嚇されるから嫌なんだゾ」とかなんとか言っていたが理由はよくわからなかった。
まさか朝からグリムがそんな面倒事を自分の意思で行うとは思えなくて芽唯は朝食をゆっくりと咀嚼し、これまたゆっくりと寮を出た。
教室に入ればエースとデュース、それにやっと見つけたグリムがどこか居心地悪そうに芽唯から目を逸らす。
「おはよう。グリム、朝ご飯は食べたの?」
「お、おう! ゴースト達が作ってくれたんだゾ」
「ならよかった」
声をかけながらデュースの隣に座ると同時に、二人が勢いよく頭を下げた。
「ごめん‼」
「……何が?」
「何が……って気づいてないのか?」
芽唯が首を傾げて問えば二人は目を丸くする。
「お、オレ様達お前の手紙を……」
なんだ、そのことか。と気にせず芽唯が鞄から教科書を取り出すとエースもデュースも何故だか逆に焦りだす。
芽唯は特に怒っていないのだが、そうも顔色を窺われると逆に落ち着かない。眉間に皺を寄せる芽唯を見てエースが眉を下げる。
「だって、さ、ほら。お前、完成したら渡すことも考えてみるって言ってたじゃん?」
確かに、そういった。それは覚えている。だが、芽唯は渡すとは一言も言っていない。
「そしたら朝起きたら完成してた〜とか言ってグリムが封筒持ってくるから、思わず……なぁ?」
「僕たちてっきり自分で渡す勇気がないからグリムに託したもんだと勘違いして」
今まで机の奥に隠していた封筒がご丁寧に封までされて並べてあった。それを見た寝起きのグリムが、きっと今日渡す気なんだと勘違いして持ち出した。恐らくそんなところだろう。
「ただ置いてあっただけって知ったのは、もうブッチ先輩に渡したあとだったんだ……。本当にすまない」
深く頭を下げるデュースと、それに合わせて同じくらい頭を下げるエースを見て罵倒するほど芽唯も心は狭くない。それに、あの手紙がどこに渡ろうがもう知ったことではなかった。
「いいよ。むしろありがとう。私の気持ち、届けようとしてくれたんだよね」
その気遣いが嬉しいと伝えれば二人は胸を撫で下ろした。
「ブッチ先輩に渡したから確実にキングスカラー先輩のところに届くと思うんだ! だから安心してくれ!」
「うーん。届かなくてもいいかな。それに、届いたところでレオナ先輩は読まないってこの間も言ったでしょ?」
元の世界にあった童謡のヤギのように、手紙は読まずに破棄される。そう確信していた。破り捨てられるか、また砂にされるかはわからないが、自分の気持ちが彼の手で捨てられるなら芽唯はそれでよかった。
「もういいの。大丈夫」
「メイ……」
曇りのない芽唯の笑みを見ても納得することが出来ず、三人は顔を見合わせては芽唯の笑顔を不安そうに見つめていた。
手紙を書き終えた芽唯は本当に心の中が晴れやかだった。
もやもやとしていた胸の中は清々しい気持ちで溢れている。
そうだ、そうだ、これでいい。
これからは友人たちとの何気ない日常を楽しみながら、いつの日か元の世界に帰る。
彼らとの別れはもちろん寂しいが、あるべき場所に戻るだけ。自分も、彼らも、いつかはこの日々を思い出に変えてそれぞれの道を歩んでいく。
異世界からの迷い人に寂しさを覚えても執着するものなど存在しない。彼らは彼らの、そして芽唯は芽唯の正しい日常を取り戻すだけだ。
そうと決まればと芽唯は放課後を知らせる鐘の音が鳴るのと同時に席を立った。今日からは真面目に元の世界に帰るすべを探すと決めていた。
クロウリーも探しているとは言っていたが信頼に欠ける。やはり、自分のことは自分でやるべきだ。人任せのままではいけない。やる気に満ちた芽唯は長い廊下を踊るように通り過ぎ、図書室の異世界に関する本を大量に読みふけた。
しかし、やはりと言うべきか。どの文献も内容が無いというか、異世界などファンタジーであり実在しないと否定していたり、簡単に見つかるとは思っていなかったが前途多難だということだけがわかった。
まだ始めたばかりなのに気落ちしていては何も掴めない。落ち込みかけた気持ちを奮い立出せて芽唯は何冊か本を借りて図書室を後にした。
ぐらぐらと揺れる本にまた借りすぎてしまったと反省はしたが後の祭りで、前が見えなくなっていた芽唯は誰かとぶつかって本を廊下にまき散らしてしまった。
「いたたた……」
「ごめんなさい! 怪我は⁉ って、イデア先輩……?」
慌ててぶつかった相手を確認すると、メラメラ燃える青い髪を揺らめかせたイデアが打ち付けてしまったのか腰をさすりながら身を起こしていた。
「お、オンボロ寮の監督生……? っていうか何、この本の山」
散らばった本を見て怪訝そうな表情を浮かべるイデアに芽唯は眉尻を下げる。迷惑をかけてしまった申し訳なさから、いそいそと本をかき集めて抱え直した。
「異世界について調べてて……」
「異世界? あ、そっか君、別の世界から来たとかなんとかマジ二次元かよみたいな設定背負ってたね」
ふぅんと興味なさそうに芽唯が集めた本を一瞥すると、イデアはその中から何冊かを抜き去った。
「え、イデア先輩なにを?」
奪った本をぱらぱらと捲るとため息をつきながら脇に挟む。重いだろうから持ってあげる、なんて紳士的な理由ではなさそうだ。
「これと、あとその一番下に持ってる本。それはいらない」
「え……?」
「ただのファンタジー小説っていうか、君が読みたいのはチープな三流小説じゃないんでしょ? っていうかこんなドマイナー本が蔵書にあるってここの学校の図書室ってどうなってんの?」
ぶつぶつと早口の独り言のようなそれが聞き取れず、ぽかんと口を開ける芽唯の姿にイデアは咳払いをすると視線を逸らしながら、ゆっくりとしゃべりだす。
「だ、だから、読むだけ時間の無駄ってこと。……後で僕がいくつかオススメをピックアップするから、そっから探しなよ」
「ほ、本当ですか!」
正直、あまりの蔵書数にすべてを読み終えるにはどれだけ膨大な年月が必要なのだろうと目を回していたところだった。渡りに船とはこのことだろうか。
「って言っても、僕も専門的な知識はないし。読んだことのある本から君には必要なさそうなのを除外するだけになるっていうか、あんまりあてにされても困る」
「それでもすごい助かります! 図書室の本凄い量が多くて、選ぶのも一苦労なんです!」
「ちょっと待った、タイムタイム! 近い、近いから」
目をキラキラとかがやせて近づいてくる芽唯にイデアは後ずさりして距離を取る。
「あ、あとでスマホに送るから、はい、おしまい!」
そう言うと逃げ腰のままイデアは走り去っていく。本を何冊か持っていかれてしまったが彼が返してくれると信じて芽唯は手元の本を再度抱え直した。
◇◆◇
文字と言うのは読むのも書くのも時間をあっという間に奪っていく。
手紙を書いていた時間を読書に宛てるようになった芽唯だったが、ふと顔をあげて時計を見ると信じられない時間を指していて早々にベッドに潜る。これから本を読むときはタイマーでもかけた方がよさそうだ。
ちょっぴり削れてしまった睡眠時間では物足りず、かといって芽唯の都合などお構いなしに学校の時間はやってくる。
また重たい瞼を擦りながら、今日はグリムを肩に乗せ一緒に登校していた芽唯だったが、長い何かがその行く手を塞ぐように揺らめいた。
「え……?」
柱にもたれ掛かるように身を預け、こちらを見つめる姿に芽唯は思わず息を飲んだ。道を遮ったように見えたのはレオナの尻尾だ。
「よぉ、草食動物。随分久しぶりだな」
「レオ……ナ……せんぱ、い……」
ごくりと喉が鳴る。全身から汗が噴き出してくる。上がっていく体温は誤魔化せそうにない。
青くなったかと思えば赤くなっていく芽唯を心配してグリムがレオナの前に立ちふさがるように飛び降りた。
「おい、レオナ! こ、子分をいじめるならオレ様が容赦しねーんだゾ!」
「あァ?」
「ひぃっ!」
──狩られる。
本能的にそう悟ったグリムは全身の毛がぞわぞわとするのを感じ、ピンと立っていたはずの尻尾はいつのまにか足の間に隠れている。
「お、オレ様一人で先にいくからな! 喰われても骨だけはあとで拾いに来てやるんだゾ‼」
「グリム‼」
薄情かな、全速力で四つ足を使い駆けだした相棒は叫びながら通路の向こうに姿を消した。
不機嫌さを隠そうとしないレオナを前にしたら当然の反応だが、この状況、果たして自分は骨が残るかも怪しいのではないだろうか。
もう大半の生徒は教室に入ったのか、外廊下には誰もいない。冷たい空気が流れる中、見つめあう二人はどちらも固まったまま動かない。
ふいにゆらゆらと揺らめいていたレオナの尻尾が芽唯の腕に絡みつく。その尻尾に引っ張られるようにレオナの前に立たされた芽唯は顔を逸らしてレオナと目を合わせないように必死だった。
「こっち見ろよ。人と話すときは相手の目を見ろって大事なお母さんとやらに習わなかったのか?」
「習いました、けど……。レオナ先輩と話すことなんて私もう何も……」
気持ちはすべて手紙に吐き出した。それに今までまったく接触してこなかったのに、今更何を話すというのだろうか。
頑なに自分を見ようとしない芽唯に痺れを切らして、レオナはその顎を掴んで無理やり目を合わせる。
「俺にはある」
「…………っ」
久しぶりに至近距離で見るレオナの瞳ギラギラと燃えていて、間違いなく怒りを抱えている。芽唯は燃える瞳のさらに奥に見てはいけないものが見えてしまい、視線を逸らす。
そんな芽唯にレオナは舌打ちをすると身体を離して口を開く。
「『好きでした』ってなんだ」
「え……っ」
「なんで過去形なんだって聞いてんだよ。『さようなら』ってお前、もう帰る宛があるってのか?」
レオナの言葉に芽唯は背筋がぞっとした。何か冷たいものを背中に入れられたように体温を失っていき寒気がする。
「なっ……なんで⁉」
いつのまにか離されていた腕を振り上げ、レオナの胸をぽかぽかと叩く。
嘘だ、嘘だ。そんなはずはない。
あれは読まれるはずがない手紙だ。それなのにどうして。
「読んだんですか⁉ なんでっ……どうして……っ!」
芽唯が本気で殴っても痛くも痒くもないのだろう。レオナは黙ってそれを受け止めながら、悪びれた様子も見せずに芽唯の言葉を鼻で笑う。
「俺が俺宛の手紙を読んで何が悪い」
「宛名なんて書いてなかったでしょ!」
そうだ、あの手紙には宛先なんて書いてない。もちろん差出人も。
「ハッ、あれだけ先輩先輩書いといて他の誰に宛てたもんだって言うんだよ」
「〜〜〜っ!」
本当にこの男は芽唯の手紙をすべて読んだのだ。その恥ずかしさから顔に熱が集まってくるのがわかる。熱くなりすぎたからか、羞恥心からか、目元にじんわりと涙がたまり始めるのを感じる。
「なんで!」
もう数回目のなんでを叫んで、芽唯はレオナの胸に項垂れるようにもたれ掛かる。振り上げたこぶしは行く場所を失い。ゆっくりと降ろされる。
「……なんで、読まずに捨ててくれなかったんですか」
貴方ならきっとそうしてくれると思っていたのに。
「迷惑だったんでしょう……。嫌だったんでしょう……」
だからあれ以来自分に連絡を寄越さなくなったのだと、そう思っていたのに。
「自分じゃ捨てられないから、先輩の手で全部捨ててほしかった! 手紙も、気持ちも思い出も、この想い事、全部……!」
一度止めどなく溢れ出した想いは言葉と一緒にどんどん零れ落ちる。レオナを前にしてせっかく蓋をしていた感情で心が溢れていく。
想いと一緒にぼろぼろと零れ落ちる涙が止められず、しゃくり上げながら芽唯はまたレオナの胸をぽかりと叩いた。
「ったく、めんどくせぇな……」
後頭部をかきながらレオナはため息をつく。
「面倒なら放っておいてください……!」
「そうじゃねぇ、ったく本当におまえは……」
何が違うというのだろうか。今まさに面倒だと自分で口にしておきながら。頬を伝う涙を気にも留めずレオナの顔をキッと睨めば、今度はレオナが目を逸らす。
「なんではこっちの台詞だ。なんで捨てなきゃならねぇんだよ」
瞳を伏せ、言葉を選びながらレオナは言う。
「誰がいつ迷惑だなんて言った? 勝手に来なくなったのはお前の方だろ」
そう言って距離を詰めてくるレオナに思わず後ずさりすれば、また一歩とレオナは距離を縮めてくる。
「俺がいつお前を拒絶した? なァ、教えてくれよ」
「それは…………」
拒絶したのは、どちらかと言えば自分の方だ。
彼から逃げて、隠れて、あの手この手で彼から全力で逃げ回った。
「確かに日記は読んだ。もちろん手紙もな。お前の気持ちは全部知ってる」
ギラギラしたとサマーグリーンの宝石が芽唯を見据える。まっすぐにすべてを見透かした目だ。
「だがな、俺は一切それに対して何も返事はしていない」
カツン、とレオナの足が小石を蹴飛ばす音だけが響く。体の震えが止まらない芽唯はまた一歩後ろに下がった。
「勝手に決めつけて、逃げ回ってたのはお前の方だ。俺の返事を聞くのが怖かったんだろ?」
今にも捕食してきそうな、ギラリと光る猛獣の視線が突き刺さる。まるで飢えた獣を目の前にしているようで、視線を逸らすことが出来ない。
どうにかその眼差しから逃げられないかと、もう一歩後ろに下がろうとした芽唯だったが、気が付けば壁際に追い詰められていて、これ以上下がることは出来そうにない。
じわじわとサバンナで狩りをする獅子の様に獲物を追い詰めたレオナが芽唯を見下ろす。
どうしよう、どうしよう、どうしよう!いくら考えても逃げ道は見えてこない。荒くなる息、心臓の音、目の前のレオナが芽唯のすべてを支配している。
レオナは溢れて止まらない芽唯の涙を指先で拭うと、柱に手を付き、顔を近づけて耳元で囁いた。
「例えお前が何度捨てようが、俺が必ず拾い上げてやる」
その言葉と、離れていく横顔のまっすぐな視線に射抜かれた芽唯は今にも腰が抜けそうだ。立っているだけでもやっとの状態なのに、これ以上この男は自分をどうするつもりなのだろうか。
「なんなら、今ここで朗読してやろうか」
「えっ……?」
そういって懐に手を入れるとレオナは見覚えのある淡い封筒を取り出した。芽唯の手紙だ。驚いて涙がぴたりと止まった芽唯の顔が燃えた様に赤くなる。
「なっなっ……なん、なんで持ち歩いてるんですか!」
「さっきも言っただろ。俺が俺の物をどう扱おうがとやかく言われる筋合いはねぇ」
「もうやだ……っ! 返して……!」
必死に手を伸ばすがレオナと芽唯の身長差ではかなうはずもない。高身長を武器に、さらに手を高く伸ばしたレオナはひらひらと封筒を見せびらかすように揺らめかせる。
なりふり構わず彼の体にしがみ付いて手を伸ばせば、楽しそうにレオナが笑いながら口を開いた。この展開に身に覚えのある芽唯はまさかと青ざめる。
「『一日でも早く先輩のことは全て忘れて、何も知らなかった自分に戻ります』なんてよく書けたもんだ。なァ、教えてくれよ。お前この数日間、たった一日でも俺のことを忘れられた日があったのか?」
そんなこと聞かなくても答えはわかっているだろうに。意地悪な獅子は芽唯の腰に尻尾を巻き付け、いやらしい笑みを浮かべている。
レオナのことを忘れられた日なんて結局一度もなかった。一分一秒、例え眠っていても頭の中はレオナのことばかり。離れていても傍にいても、何をしていてもレオナの影が頭をチラつく。忘れたいのに忘れさせてくれない、記憶の中でさえこの男は意地悪だ。
「『この恋は生涯忘れることが出来ないものになりました。先輩に出会えてよかった。初めて恋をしたのが貴方でよかった』」
「や、やめ、やめて!」
自分の手紙を音読される以上の苦痛があるだろうか。そもそもでこれは音読ですらない。彼は全部暗記しているのだ。あの日記だけじゃ飽き足らず、手紙まで。
「ここ学校ですよ! 誰かに聞かれたらどうするんですか⁉」
抗議の声を上げる芽唯を鼻で笑ってレオナは続ける。
「可愛い後輩の初恋だ、面倒をみてやるのが先輩ってもんだろ」
「いつもは先輩面なんてしないくせに‼」
先輩風をふかしたいならまず授業にまじめに出てくださいよ!と怒る芽唯を無視してレオナは「あァ、でも」と動きを止める。
「ここは書き変えるべきだな」
「なに……?」
「何が『好きです。好きでした』だ。勝手に終わらせんじゃねぇよ」
不満そうに自分を見下ろすレオナに芽唯は目を瞬かせる。
「お前の手紙は許せだのごめんだの謝りすぎだ。俺の気持ちを勝手に決めつけるな」
「だ、だって……」
レオナの気持ちなんて想像するしか出来ない。自分はレオナじゃないから。そう言ってやろうと思った芽唯だったが、楽しそうに口角をあげるレオナを見て自分が遊ばれていることに気がついた。
やっぱりこの人は最低だ。こうやって自分を追い詰めて狩りを楽しんでる。他人の手紙を読み上げて、捨てて欲しいのに、今回は砂に変えてくれる気配もない。
「なぁ、言えよ」
「何をですか……」
「あ? 言わなきゃわかんねぇのかよ」
じっと目を合わせればレオナの顔から笑みが消え、真剣な表情で見つめられる。
「ちゃんと言えるだろ?」
「あ……う…………」
「メイ」
「〜〜〜〜っ!」
唇を噛み締めていると優しい声音で名を呼ばれる。
ずるい。ずるすぎる。
「す、き……です。レオナ先輩のことが好きなんです!」
ついに言ってしまった。
告げてしまった。
「……酷い、酷い、酷い‼ 日記も手紙も読んだのなら全部知ってるくせに! 言いたくなかった理由も、言えなかった理由も全部知ってるくせに!」
再び堰を切ったように溢れ出す涙が止められない。視界はぼやけ、レオナの顔もよく見えないが彼が機嫌を良くしたことだけはわかる。
先程まで腰に巻き付いていたはずの尻尾が頬を掠めては顎の下をゆっくりとなぞる。
「そんな酷い男が好きなんだろ」
レオナの目が、唇が、弧を描く。なんて意地の悪い男なんだろうか。
「……っ意地悪! もう知らないです!」
手紙を取り返そうとしているうちに出来た隙間を縫ってレオナの前から逃げ出すと芽唯はオンボロ寮へと走り出す。
しかし、レオナとは足の長さが違いすぎる。どれだけ芽唯が必死で駆けようともコンパスの差は歴然で、あっという間に追いつかれてしまう。
どうにか逃れようと足掻くが、その拍子に足がもつれる。倒れそうになった芽唯の腕をレオナは咄嗟に引っ張るとその身体を腕の中に閉じ込めた。
「ったく、危なっかしいな……」
「やだ! 先輩、離してっ!」
「離さねぇよ。大人しくしろ」
ぎゅっと芽唯を腕の中に閉じ込めたレオナの顔に先ほどまでの意地の悪さは感じられず、むしろどこか必死なようにも見える。
「また返事も聞かずにいなくなる気か」
とりあえず落ち着けよ、と優しく背中を撫でる手に芽唯は呼吸が浅くなる。
やだ、やめて、優しくしないで。胸が締め付けられる感覚に芽唯は制服の胸元を強く握りしめた。
これは期待であって、確信ではない。誰かが言っていた、お国柄女性を敬う、レディーファーストの精神があると。これはその延長線に過ぎないのだと芽唯は自分に言い聞かせる。
だが、芽唯は誰よりも彼の傍に居た、彼を見つめていた。そんな芽唯だから気づいてしまった。今もそうだ。だからこそ、視線が合わせられない。
少し体を離して顔を覗きこもうとするレオナから逃れようとするが所詮は彼の腕の中。逃げ場などどこにもない。逃げられないよう、掴まれた腕に徐々に熱が集まりだす。
「なぁ、こっち見ろよ」
「い、やです」
「見ろ」
「嫌です……っ!」
思わず顔を上げれば互いの視線が絡み合う。ほら、やっぱり。見慣れた瞳がそこにある。鏡の中でよく見た瞳だ。色は似ても似つかないのに、レオナのことを考えている時の自分とまったく同じ瞳が自分の姿を映し出している。
「お前、今自分がどんな目で俺を見てるか、わかってるのか?」
「わからないです。わかりたくないです!」
きっと、レオナも気づいている。だって、自分と同じ瞳をしているから。
「『わかりたくない』か。なら、もう気づいてるんだろ、俺の気持ちに」
背筋を冷や汗が滑り落ちる。お願い、言わないで。
「俺は知ってるぞ、お前のその目を。俺もよく鏡で見た」
「言わないで!」
やだやだと暴れてみるが、力ではやはり勝てそうにない。それなのに掴んでくる手がどこか優しく、自分を傷つけないようにしていることがわかる。
本気で抵抗すれば逃がしてくれるのかもしれない。そんな力加減で握りしめられた腕が熱くて、振り払うことができない。離れられない。
段々と抵抗が弱くなる芽唯の背に手を回し、レオナは芽唯を抱きしめる。
「―俺も、お前のことが好きだ」
「…………っ……」
息が止まった気がした。
「バカ……レオナ先輩のバカ……」
枯れることを知らない涙が勢いを増す。このまま干からびてしまうのだろうか。まるで彼の魔法みたいだと芽唯は思った。
「馬鹿はお前だ」
「全部知ってて、なんで言うんですか!」
「それがどうした。お前気づいてたんだろ。俺の気持ちに」
レオナの言葉に芽唯は黙って頷く。
気のせいだと思いたかった。自分を見る彼の瞳の奥に同じ熱を見つけてゾッとした。きっと、同じ気持ちだったから自分は気づいてしまったのだろう。
だから芽唯は、愛おしいと、どんな愛の言葉よりも雄弁に語る瞳から目を逸らし続けた。
「同じ気持ちだから。だから、その先も一緒だろうって思って……。言わなかったんです」
痛いくらいに握りしめた指先が白くなる。食い込んだ爪が肌を傷つけるのも構わず、芽唯はさらにその力を強くする。
「レオナ先輩だってそうじゃないんですか……?」
「俺は……」
「私はまだレオナ先輩を一番に選ぶなんて、言えない。元の世界に帰ることと先輩を天秤にかけたら、お母さんに会う道を選んでしまうかもしれない」
恋心と同じくらい捨てられなかった故郷への気持ち。天秤にかけたところでどちらに傾くでもなく、永遠と釣り合ったままの感情は芽唯を苦しめ続けた。
「気持ちを伝えて、もっと好きになって、それでも二度と会えなくなる道を選ぶかもしれない。それで傷つくのはレオナ先輩なんですよ……?」
どれだけ望んでも一番になれないと、王になれないと絶望を叫んだレオナに『また貴方は一番になれなかったのだ』と突き付けることが芽唯には出来なかった。
「……だから惚れた男の気持ちを知っておきながら、自分は尻尾撒いてとんずらするってか?」
「それが一番いいと思ったから!」
「お前が勝手に決めたことだろ‼」
「……っ」
吼えるレオナに身が竦む。びくりと大きく揺れた芽唯の体を抱きしめる力が強くなる。
「俺は、こうも言ったはずだ。はなっからなれないって決めつけられるのが一番嫌いだってな」
「それは……」
「答えなんてすぐに出せないのはわかってる。何せ世界を跨いだ悩みだ。だけどよ、帰れる保証もないうちから全部諦めて、手放して、それでお前は楽しいのか?」
考えなくてもわかる。楽しくなんて絶対にない。
レオナと離れていたのはほんの少しの間だったのに、とても苦しかった。姿が見たかった、声が聴きたかった。──傍に居たかった。
また一筋、芽唯の瞳から零れ落ちた涙を拭ってレオナは口角を上げる。
「傍に居ろ、今選べなくてもいい。いつか、選ばせてやる」
それは一体どちらを意味しているのか。
優しく自分の頭を撫でる手の温もりを感じながら、芽唯はただゆっくり頷いた。
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