03


 翌日、珍しくバイトも部活もすべてが休みだったラギーはレオナの部屋から回収し洗濯した衣服の山を風通しの良い場所へ干すことにした。元から乾いた気候に調整されているサバナクローだ。日当たりも抜群で、この様子なら昼過ぎには十分乾いているだろう。

「ラギー先輩」

 名を呼ばれ振り向くとジャックが少し強い風に髪を乱しながらこちらへ向かってくる。

「っ……ここ風強すぎじゃないですか」

 強風が吹き荒れ、ジャックが思わず目を瞑る。ラギーの視界の奥では何か薄い布切れがひらひらと風に煽られ飛んで行った。

「だから洗濯物を干すのに丁度いいんスよ。何か用ッスか?」

 大きく音をたてながらはためく洗濯物に背を向けて談話室へ向かうとジャックもその後ろに続く。

「メイがラギー先輩に用事があるって寮に来てて」
「メイくんが?」
「レオナ先輩に会いにきたもんだとばかり思って奥に通そうとしたら『ラギー先輩を呼んでくれ』の一点張りで」
「メイくんの様子は……?」

 嫌な予感にジャックの表情を窺うと眉間に皺を寄せており、後ろを見れば見事な尻尾も彼の心情を表すように項垂れていた。
 後輩の只ならぬ様子に急いで談話室まで戻ってくると、滝付近のテーブル近くに人だかりが出来ていて、その中心に彼女がいるのだろうと予想が付く。近くまで行くと一人の生徒がラギーに気付いたのに釣られ、周りもラギーの存在を認識して道を開けてくれた。
 ほぼ獣人達で構成された壁が消えると当然そこには彼女が見えてくるのだが、ラギーはその姿を見た我が目が信じられず、二度三度と目を擦って最後には自分の頬を抓った。

「えっと、メイ……くん?」

 恐る恐る声をかけるとピクリと耳が動いた。

「ラギー先輩……。わ、私……」

 俯いていた芽唯が顔をあげるとポロポロと大きな瞳から涙が零れ落ちる。椅子に座っていた彼女は立ち上がると自分を囲んでいた獣人達の間を駆け抜けラギーに飛びついた。その後ろに、揺らめく見慣れたモノが視界に入り、ラギーは軽く眩暈を覚えながらもなんとか彼女を抱きとめた。

「待ってメイくん、レオナさんに見られたらオレ殺されるからっ!」

 ぎゅっと自分の胸元に縋りつく少女にトキメキよりも先に恐怖を覚え、ラギーは全身の毛が逆立つのを感じた。自分よりも小さな芽唯を見下ろせば頭の上のそれはペタリと伏せられていて彼女の感情をこれでもかと表している。

「メイ、さっきもそれやめろって言っただろ」

 そっとラギーから芽唯を剥がすと、ジャックはぐずぐずと泣きじゃくる彼女の頬を指先で拭う。

「さっきも……って、もしかしてジャックくんにも飛びついたんスか」
「寮の入り口で立ち尽くしてるから声かけたら泣きついてきて……。お前、頭隠してた布はどうした」
「飛んでっちゃった……」
「それでみんなにバレて囲まれてたのか……」

 泣きながら談話室に留まる芽唯を心配してのことだろうが、一人の少女を中心に獣人達が集まる光景は異様だった。
 最も、今この場で一番異質なのは彼女に付いているモノなのだが。

「メイくん、それ……どうしたんスか」

 本当は聞きたくない、が意を決してラギーは芽唯のそれを指さした。
 音を拾っては動く耳、ゆらゆらと揺れる尻尾。本来彼女にあるはずがない獣人の特徴であるそれらはどう見ても自分達と同じ本物だ。もしかしたら嗅覚も普段より優れているのかもしれない。
 ラギーの指摘にびくりと肩を揺らした芽唯の耳は伏せられ、尻尾も元気をなくしたかのように床に向かって垂れ下がる。

「実は……オンボロ寮の使ってない部屋でラベルのない薬品を見つけて」

 ポケットからハンカチに包んだガラス片を取り出すと芽唯はテーブルの上に置いた。粉々とまではいかないが役目を果たせなくなったそれには確かにラベルらしきものはない。ハンカチに僅かに付着した薬品の匂いが鼻孔を擽り顔を顰めていると、芽唯も嗅覚が敏感になっているのか、匂いを嗅がないようにハンカチを再びポケットにしまい込んだ。

「以前レオナ先輩に相談したら、危ないから鍵をかけて棚にしまっておけって言われたんです」

 中身がわからない薬品ほど危険な物はない。レオナの判断は正しかったのだろうが、芽唯は肩を落としながら小さな相棒の名前を出した。

「その棚を今日グリムが鍵を壊して開けちゃって……。危ないと思って駈け寄ったら、あの子怒られると思ったのか凄い勢いで逃げて……」
「んで瓶が倒れて降ってきた、と」
「はい……」

 慌てる芽唯の姿と逃げ出すグリムの姿が容易に想像出来てラギーはため息を零した。

「いくつかは床に落ちる前にキャッチしたんですけど、これだけ手が届かなくって……」
「……ま、危ない薬じゃなくてよかったな。特に他に変化はないんだろ?」
「ない、けど……。こんな姿じゃレオナ先輩の前に行けないよ……」

 ジャックの言葉に恥ずかしそうに耳を両手で隠すが、スカートを持ちあげないぎりぎりの範囲で揺らめく尻尾が危なげで内心ひやひやする。

「この耳と尻尾の形って……アレだし……」
「せっかくお揃いなんだから、むしろ堂々と突撃してくるべきなんじゃないッスか?」
「やっぱそれライオンか」
「だから嫌なんです!」

 真っ赤になった芽唯の尻尾がピンと立ち上がり毛を逆立てる。

「おい、尻尾気を付けろ!」

 納得したように頷いていたジャックは、慌てて寮生に取りに行かせていたタオルケットを彼女に投げつける。受け取った芽唯は急いで腰に巻き付け下半身を隠すと、その場にしゃがみ込んでしまった。どうやら慣れない獣人のパーツは思うように動かないらしい。

「耳も尻尾も、付いてる感覚はあるのに自分のものじゃないみたいに動くんです。特に尻尾なんて動きが読めなくって、もう、ほんとに……。私、どうしたら良いんですか……」

 じわり、と涙が目元に滲む。困っている彼女の姿を見て、手を差し伸べたいのは山々なのだが、匂いを嗅いだだけで薬品に含まれる成分を言い当てることが出来るのはレオナくらいで。自分達ではせいぜい「時間が経てば戻るんじゃないか」という差しさわりのないことしか言うことができない。
 寮生以外を頼るとするなら、彼女の伝手を使ってヴィルに頼るのが無難だろうか。しかし、それを勧めたことをレオナに知られたらと考えると面倒……大変なことになるのは目に見えている。
 つまるところ、ラギーが芽唯に言えることはただ一つだけだ。

「諦めて、レオナさんとこ行くッスよ」

 無慈悲につかみ取った彼女の右手が少し抵抗を見せたが、それもほんの一瞬のことだった。




 寮生たちの注目を浴びながらも、なんとかレオナの部屋の前まで移動した芽唯だったが、一枚隔てた先に想い人が居るという現実に、流石に足取りが重くなっていた。
 ラギーはレオナに見咎められる前に芽唯の手を手放すと、すっかり地面と見つめあっている双眼と目を合わせるために下から顔を覗きこむ。乾いた涙の筋、赤みを帯びた頬、ただでさえ質問攻めにあうであろう要素は揃っているのに、耳も尻尾も未だにその存在を主張している。

「はぁ……。いいッスね?」
「あの、その……。やっぱり、私、今日一日寮で大人しくしてるので帰っても……」
「ダメッスよ。今はこの程度で済んでるけど、時間差で別の効果が出てくるかもしれないし」

 視線を泳がせる彼女の意見を無視して問答無用でドアノブに手を伸ばし、──すぐにその手をひっこめた。

「……ラギー先輩?」

 不思議そうに眼を丸くした芽唯に向かって苦笑する。どうやら彼女に判決を下す裁判官自らご登場のようだ。芽唯の手を引き立ち上がらせる。背中を押して前に立たせれば、タイミングよく開かれた扉の向こうに眉間に皺を寄せたレオナが姿を現した。

「おい」

 下から上へ、なぞるように視線を動かしたレオナは、芽唯に本来あるはずがないそれを視認するとグルルル……と喉を唸らせる。

「あ、あの、レオナ先輩……っ」
「……入れ」

 特に言葉をかけるでもなく、自分達を部屋へと促すレオナに身体を震わせる芽唯。別にあれは怒っているわけではない……ということは芽唯にもわかっているとは思うが、今の彼女は断頭台で処刑を待つ身と言っても過言ではない。グリムによる事故ではあるが、言いつけを破って薬品に触れてしまったことは事実なのだから。

「怒られるんでしょうか」
「さぁ? とりあえず入るッスよ」
「はい……」

 芽唯を先に室内にいれ、後に続いたラギーは後ろ手で扉を閉める。立ったまま腕を組んで二人を待ち構えていたレオナは鼻をすんっと動かすと、視線を彼女の制服へ移す。

「出せ」

 無造作に開けられた机の一角におずおずとポケットから取り出した物を置く。広げられたハンカチから顔を出した薬瓶を見てレオナは顔を顰めた。

「……危ねぇから触るな、って言っただろ」
「ごめんなさい……」
「大方、あの毛玉がなんかやらかしたんだろ」
「グリムは悪くないんです。私の不注意というか。あの子の面倒を見るのが私の役割なので……」

 被害にあったはずなのに、グリムを責めるどころか庇う芽唯にレオナがため息を零す。自分と全く同じ反応をするレオナに近寄りながら、ラギーは改めて薬品がしみ込んでいるであろうハンカチの匂いを嗅ぐ。

「レオナさん、これ何が入ってるんスか? 嗅いだことない匂いがしてわかんねぇッス」
「大したもんは入ってねぇよ。学生の授業で使うような素材ではないけどな……。大方、興味本位で材料集めて作ったやつが処分に困って使われてないオンボロ寮に放置したってとこだろ」
「なるほど。そんで、運悪くあそこに住むことになったメイくんが被害にあった、と」

 ある種の不法投棄に近いそれは、レオナの様子を見る限りそこまで危険な代物ではなさそうだ。自分たちを不安げに見つめていた芽唯は、レオナの言葉に安堵の息を漏らす。しかし、すぐさま鋭い視線を投げつけられ、ビクリと肩を揺らす。
 細められたレオナの瞳はゆっくりと弧を描く。それは唇も同じで、別の種類の身の危険を感じたであろう芽唯は慌てて扉に駆け寄るが、ドアノブはいくら力を込めても動くことはない。

「な、なんで……⁉」
「言いつけを守れない悪い子が、部屋から出してもらえるはずないだろ?」
「わ、悪い子って……!」

 じわじわと追い詰めるようににじり寄るレオナの後ろ手にはマジカルペン。淡い光を放つそれが魔法で開かずの扉を作り上げたことは明白だ。
 狩りを楽しむ獅子を横目にラギーは瓶から少しでも情報が得られないかと手に取ってみる。ありふれた実験用の小瓶だ。確かサムの店で取り扱っていた気もするが、つまるところ誰でも手に入れられるという証拠でしかない。
 製作者を瓶の入手ルートから突き止めることは無理そうだと思ったラギーは、そっと破片を元に戻す。チャリ、と硝子が擦れるのと、芽唯の悲鳴が室内にこだまするのはほぼ同時だった。

「は、離れてください‼」

 声に釣られてそちらを見れば、あのまま芽唯は扉を背に追い込まれ、レオナに両の手の自由を奪われていた。
 しゅるりと長いレオナの尻尾が彼女のそれを絡めとる。ラギーからはレオナの表情を窺うことは出来ないが、相当いい顔をしているに違いない。

「っ〜〜〜! ら、ラギー先輩助けてぇ……!」
「えっ」

 ついに限界を迎えた芽唯はレオナの肩越しにこちらを見ると己の名を呼ぶ。関わらないように離れていたというのに、二人の意識が同時にこちらに向いてラギーは視線を泳がせた。
 一方は縋る様に、もう一方は邪魔者の存在を思い出したと言わんばかりに舌打ちのおまけつきだ。

「ラギー、テメェまだ居やがったのか」

 アンタ達が出入り口をふさいでんだから当然でしょ!なんてことは口が裂けても言えない。ここはレオナの部屋で、レオナが法だからだ。そこから逸脱したら喉笛を噛みちぎられても文句は言えない。弱肉強食。サバナクロー寮においての絶対的なルールがそこにある。
 無意識に引きつる頬を必死に抑えながらラギーはそれとなく話を逸らす。

「薬品の効果はどれくらいで切れるんスか?」
「あ? あァ……長くて一週間、短くて三日ってところか」

 芽唯の首筋の匂いを嗅ぐ。可哀相なほど赤く染まって固まった番を見ても気にしないどころか、満足そうに口角をあげると、レオナはそのまま首筋に唇を寄せてから離れる。いちいちいちゃつかなきゃ話も出来ねぇんスか、と文句が喉元をせり上がるが必死に飲み込み、平静を装ってラギーは質問を続ける。

「今すぐ治してあげることは出来ねぇんスか? この格好でうろついてたらぜってーメイくん色んなやつに絡まれるッスよ」
「出来なくはない。……が、材料集めんのがめんどくせぇな。実験室の使用許可だのなんだ、手続きすんのも面倒だろ」

 面倒の一言で片づけようとするレオナはすっかり茹蛸状態で崩れ落ちた芽唯の尻尾を撫でたり、耳を甘噛みしたりとやりたい放題で、面倒というよりは「勿体ない」という心の声が聞こえてくるようだ。

「オレは別に構わないんスけどね? レオナさん、メイくんが治るまでの間ちゃーんと面倒見れるんスか?」
「犬猫拾ってきたガキにするみてぇな問いかけすんじゃねぇよ。今更部屋に一人増えたところで変わらねェだろ?」

 それこそ犬猫を拾ってきた子供と変わらないじゃないか。普段の芽唯なら放っておいても大丈夫だろうが、レオナに弄ばれ続け疲弊しきった彼女にいつも通りレオナの世話を押し付けることは出来ない。それどころか、自分が二人分の家事をすることになるのは目に見えている。
 長くとも一週間しかこの状態の芽唯を堪能することは出来ないのだ。一秒でも長く腕の中に閉じ込めておきたいと思っているであろうレオナを止めることが出来る寮生がいるだろうか。いや、居ない。
 褐色の腕に枝垂れかかった芽唯に同情を寄せながらラギーはため息を零す。

「……わかったッス。だから、とりあえずオレを部屋から出してください」

 このままでは胸焼けしそうだとラギーは片手で胸を抑えた。

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