04


 魔法薬による獣人化事件の数時間後、すっかり寮生は元の落ち着きを取り戻し──というよりは渦中の人物がレオナの部屋に閉じ込められているため蚊帳の外になったのだが、いつも通りの休日をそれぞれ過ごしていた。

「ラギー先輩」
「どうしたんスか、ジャックくん」

 今朝と同じく、自分の名を呼ぶ後輩の声に振り向く。心配そうな琥珀色の瞳はちらりと寮長室がある方へと向けられる。

「メイの奴は大丈夫なんスか」
「あー、多少は齧られてるみたいだけど、大丈夫ッスよ。一応」

 ありのままを伝えたらこの後輩には刺激が強すぎる。少しかみ砕きすぎた表現な気がしなくもないが、文字通り骨の髄までしゃぶりつくされる前に彼女をオンボロ寮へと返すことが出来れば御の字だろう。
 閉じられた扉の向こうで、今何が行われているかは知ったことではないが。進展の遅さにヤキモキとしていた彼女にはちょうどいい機会になったのではないだろうか。……自分をまきこんで目の前でいちゃつくのだけは勘弁して欲しいが。

「齧られて……って。いや、あいつとレオナ先輩は付き合ってんだからいいのか……?」
「いいの、いいの。ジャックくん、他人の恋路を邪魔するやつはシマウマに蹴られて死ぬんスよ」

 談話室の滝が太陽の光を反射する。あぁ、そろそろ朝干した洗濯物が乾いたころだろうか。湿気を吸ってしまう前に回収せねばと椅子から腰を上げたラギーの足に何かが勢いよくぶつかった。

「ふなっ!」
「ん? あぁ、はいはい。こんにちはグリムくん。メイくんのお迎えッスか?」

 グリムの後を追うように続けて後輩が二人やってくる。

「やっぱり子分はここに来てんのか!」
「そりゃーねぇ。っていうか君のせいでここに逃げ込んだんでしょーが」

 ズボンの裾を掴む小さな手。肉球のついた小さなそれの、大きな悪戯によって今監督生は大変な目に合ってるんだぞ。などと注意してやるほどラギーは優しくない。

「洗濯物のついでにちょっと様子見てくるッス。話はその後で」

 蹴り飛ばさないように気を付けながらも無理やりその手を解くと、目的の物を回収するべくラギーは歩を進めた。



 陽の光を目一杯浴びてふかふかになった洗濯物は心地いい。両手に抱え上げたそれを運びながらラギーはレオナの部屋を訪ねる。

「レオナさーん、メイくーん、お届け物ッスよー」

 コンコン、などと軽い音ではない。ドンドンと拳を叩きつけるように扉を叩く。室内の音はまったく聞こえないが、取込み中なことには違いない。それを妨害するようにラギーは扉を揺らし続けた。
 鍵の外れる音がして、ゆっくり扉が開かれる。訪問者の顔を見るなりレオナは舌打ちをすると、手荷物の内容を見ては拒絶することもなく部屋への入室を許可した。それもそうだろう。ここでラギーを追い返せば後で衣服が無いと困るのはレオナ自身に他ならない。

「んじゃあ、お邪魔しまーす」

 まず最初にベッドを見る。予想通り、顔を赤くしぐったりとした芽唯が横たわっている。室内に衣服が散らばっていないことが唯一の救いだろう。

「ら、ラギーせんぱぁい……」

 まだ辛うじて意識があるのか、訪れたラギーを救いの手と認識した芽唯が必死に身を起こし、レオナのベッドからずり落ちるように転がりながら近づいてきた。

「よかったッスねぇ、メイくん。レオナさんと進展したじゃないッスか」
「ち、違います! 私が求めてたのとなんか、こう、そうじゃない! ……です!」

 ならばどんなのが理想だったのか、そんなことレオナの前で口にすることは出来ないだろうが、口をもごもごと動かす芽唯にラギーは少し意地悪がしたくなる。
 黙って入り口で自分達の様子を見ていたレオナに振り返り、ラギーはニヤリと口角をあげる。

「聞いてくださいよレオナさん。メイくんってば、レオナさんとの関係に悩んでたんスよ」
「ラギー先輩⁉」

 力なく床に座り込んだままだった芽唯はラギーの声色に嫌なものを感じたのか、声が若干裏返っている。そんな様子がまた一層おかしくて、ラギーは口元が緩むのを止められそうにない。

「なかなか進展出来ないーつって、ねぇ?」
「へぇ?」

 一歩、レオナが前へと踏み出すと、足元の芽唯がずるりと身体をひきずる音がする。
 ニヤニヤと自分を取り囲む獣に怯える草食動物──改め、期間限定の雌ライオンが重い身体をひきずって後退る。すぐにベッドにぶつかってしまい、退路を断たれ、怯えた瞳で見上げる姿はやはりどこか狩られる側のそれに見える。
 結局のところ、いくら魔法にかかっても草食動物は草食動物ということだ。

「だ、ダメですよ。ラギー先輩、それとなく聞いてくれるって約束だったじゃないですか……っ」
「ラギー、おまえそんなこと本当に約束≠オたのか?」
「レオナさんに詳しく話さない、とは一言も言ってないッスねぇ」
「だ、そうだ。諦めろ草食動物。……あァ、今は俺と同じ肉食獣だったな。これは失礼」
「ひぇ……」

 赤くなったり青くなったり忙しい芽唯の姿に、ほんの少しだけ同情した。

◇◆◇

 すっかり暗くなった談話室で大人しく座っている二人と一匹を見て、ラギーは漸く彼らを待たせていたことを思いだした。

「あー、ごめん。待ったッスよね?」
「もー! ラギー先輩ひどくねぇ⁉」
「様子見てくる〜って言って何時間待たせるんだゾ!」
「いやー、ちょっと盛り上がっちゃって」

 他人の苦しみは蜜の味、とでも言うのだろうか。これまで聞かされ続けた芽唯の中のレオナに関する不満を洗いざらいぶちまけてやった。もちろん、彼女に対して恨みがある訳でも、反旗を翻したわけでもない。元からラギーは彼女の味方になった覚えはないのだから。
 芽唯からしてみれば「不満」ではなく「不安」だったのだろうが、第三者のラギーにしてみれば恋人に対する不満に他ならなかった。
 自分の言葉を聞いて、レオナがこれから芽唯とどう距離を詰め始めるか。ラギーにはまったく想像出来なかったが、彼女に対して悪意のあることをする男ではないことは確かだ。それと同じくらい、意地悪な男でもあるのだが。
 目元にハートのスートを描いた後輩──エースは不満そうに唇を尖らせる。

「グリムがメイが大変だ―って呼ぶから駆けつけたってのに、本人は既にオンボロ寮から消えてるし」
「だって、中身がわからねぇ薬浴びたんだゾ! 大変だろ!」
「それはそうだが、キングスカラー先輩が一緒ならもう僕たちの出番はないだろ」
「ぐぬぬぬ……」

 デュースのもっともな意見にグリムは唸ると小さな掌でバンッと机を叩く。と言っても、小さな獣の手ではそこまで大きく揺れることもなく、その場の空気が変わるほどの迫力はなかった。
 二度三度と繰り返し机を叩く姿はどちらかと言えば駄々をこねる子供のようで、今日は駄々っ子に良く出くわす日だなとラギーは息を漏らす。
 長くなりそうな気配を感じ、仕方なしに椅子に腰を下ろすとエースが机に身を乗り出して、ぐいぐいと顔を近づけてくる。

「それで、メイとレオナ先輩はどこまで進んだんスか!」
「はぁ?」
「いやー、だって、やっぱ二人って何度も一緒に寝泊まりしてるんでしょ? ってーことは、それなりに……ねぇ?」
「ぼぼぼ僕は別に気にしてなんかないぞ」

 あぁ、なるほど。ぽかん、と口を開けているグリムはさておき、この二人は大事なマブとやらの恋愛事情が少なからず気になっていて、当人達が確実に席を外してるであろうと目星をつけて自分を訪ねてきたというわけか。
 二人が自分が帰ってくるのを長時間待ち続けた理由が読めたラギーはどうしたものかと考える。新しい獲物を前に胸が躍る。焦らず、慎重に、丁寧に調理してあげなければ失礼だろう。

「話してあげても良いッスけど、タダってわけにはいかねーッスよ」

 既にレオナの前で気持ちを暴露した時点で彼女の信頼なんてものは失っているが、目の前にいる彼らにとって、自分の握っている情報は価値があるものだ。それ相応の対価を支払ってもらうのが妥当だ。
 もらえるものはとことんもらう。情報の安売りをするようなラギーではない。

「まーた対価ッスかぁ? って言われてもオレ達ラギー先輩が喜ぶようなもんとかもってねーし」

 裏返しで引きずり出されたポケットからぼろぼろとごみだけが零れ落ちる。
 ね?と肩をすくめるエースにラギーはゆっくりと椅子から立ち上がり、背中を向けて立ち去るフリをしてみせる。

「あー! 待って! あ──っと……ラギー先輩、確かドーナツが好きとかなんとか……?」

 ──かかった。

 獲物が逃げそうになれば、慌てて追いかける。狩人の心境なんてものは単純なものだ。情報という極上の餌を取り逃してなるものか、と思考を巡らせ始めた後輩の姿を見ても唇に弧を描かせないよう気を付けながら、ラギーは心底面倒だと言わんばかりの表情を作り上げて二人と一匹を見下ろした。

「そりゃー好きッスけど。ないんでしょ、こ・れ」

 指で硬貨の形を作って二人の前で振る。

「貧乏暇なし、マドルがない子は一昨日おいで、ってね」

 ダメ押しのように言葉を投げかければ、エースはデュースの肩に腕を回すと後ろを向いて相談をし始めた。
 輪に入れてもらえなかったグリムが二人の肩を踏みつけるように飛び乗れば、小さな作戦会議室の出来上がりだ。
 二人と一匹の背中を見つめながらラギーはほくそ笑む。上手くいけば暫くデザート付の昼食を楽しむことが出来そうだ。
 通りがかる寮生が他寮の生徒がいることに不思議そうな顔をしているが「メイくん関連ッスよ」と告げれば納得して去っていく。芽唯が寮に居ても不思議に思わないどころか心配して取り囲むくせに……と思わなくもないが、それだけ彼女がこの寮に馴染んだということだろう。

「ラギー先輩!」
「決まったッスか?」

 ぐるんっ、と勢いよく振り向いたエースが、同じく振り向いたデュースに目配せをして頷く。

「トレイ先輩に頼んで作ってもらうんで、それで手を打ってもらう……ってので、どうスか?」
「ま、そうなるッスよね。いいッスよ」

 当然そうなるだろうと踏んでいたところに話が落ち着き、ラギーが要件を飲むと二人の顔が明るくなる。

「よっしゃー!」
「それで、メイとキングスカラー先輩はどうなんですか……?」
「なんだデュース、やっぱりオメーもやっぱアイツとレオナのこと気になってたんじゃねぇか」
「そ、そりゃ僕だってメイとはマブだから……」

 頬を赤く染めたデュースをつつくグリムを見ながら、どこから話したものかとラギーは思考を巡らせる。

「多少すれ違ってはいるけど、順調って言えば順調ッすよ。メイくんの性格上、よっぽどのことがない限り喧嘩もしないし」

 我の強い部分がないわけではない。それでも大抵のレオナ要求には首を縦にしか振らないし、断られたとしてもその過程をレオナが十分楽しんだ上でのことなので、彼がそれで機嫌を損ねることもない。
 バランスが取れた二人、だとラギーは思う。こういうのをお似合いだと称するのが一般的なのだろうか。

「メイは少し押しに弱い……というか、頼まれると断れないのが僕は心配で」
「そーそ、レオナ先輩なんか無理強いしたりしてんじゃないのー? ってオレも結構心配」
「シシシッ。ま、君たちの中でのレオナさんの印象を考えれば、そう思うのも無理ないッスよねぇ」

 横柄で、気難しくて、実力はあるのに何もせず、ただ踏ん反り返るだけのサバナクローのボス。他寮生……いや、寮生の中にももしかするとその印象しかない者もいるかもしれない。
 しかし、それはレオナの側面でしかない。面倒だから、という部分もあるのだろうが自分でやればもっとスムーズにこなせることもレオナは他人に任せる。出来るか出来ないか、そのギリギリの危ういラインに立っている者に対して「やれる場所」を用意して常に背を押してくれる。
 やる気があれば知恵を貸す、足りない物があるのなら多少ならば補ってくれる。労働に対し、正当な評価を下し相応の対価も支払う。彼はただの王ではない、群れを率いる百獣の王そのものだ。
 彼の魅力を知れば、どんなものでも頭を垂れてその背中を追うだろう。恐らく、芽唯もきっとその中の一人だ。
 異世界から迷い込んだ少女。見るモノ全てが真新しく映る瞳には、より一層自分たちの王様は眩しいモノに見えたに違いない。一つ違うとすれば、彼女は後ろではなく隣に立つことを望んだこと。その裏には数多の葛藤があったことを、ラギーはなんとなく察している。

「レオナさんを選んだのはメイくん本人の意志ッスよ。それに、レオナさんだって女の子の気持ちを利用したりはしないッス」


 好きな子ならが相手なら、なおのこと。


 そう付け足してやればエース達は渋々といった様子で頷き、どこか納得しきれてないように見える。
 本当にレオナ・キングスカラーという男は理解されにくいヒトなのだとラギーは苦笑した。特にこの後輩たちはマジフト大会で自分達が共謀していたことを中心になって暴いた生徒だし、例の件についても詳細を知っているはずだ。信用はゼロどころかマイナスから始まっていると言っても過言ではないだろう。
 しょうがない。ここは誤解されがちの我らが王のために人肌脱ぐとするか。いつもなら絶対にしないであろう無利益なことをしてやっても良いと思うほどに、あの二人に絆されている自分に唇の端が僅かに上がる。

「普段ならこんなサービスしないんスけどねぇ」
「サービス?」

 首を傾げた後輩達に、ではない。これはレオナへのサービスだ。

「とっておきのレオナさんの話、聞きたくない?」

←前へ 次へ→

    TwstMenu/INDEX

ALICE+