05


 やたら遅い時間にレオナが寮に戻ってきた日があった。
 片手には本人の物ではないであろう鞄。その逆側の手は──払うことを忘れたのであろう──砂粒を付けたまま固く握りしめられている。
 遅い、夕飯はとっくに出来ている。冷める料理に比例するよう温めた文句を述べようと顔をあげたラギーは、そんなレオナの様子に意を削がれ、数度瞬きを繰り返した。

「どうしたんスか、アンタ……」

 らしくない。いつもの王様然とし彼はそこにおらず、唇は真一文字に結ばれ沈黙を保っている。
 尋常でない寮長の姿を他の寮生に見られる前に彼の私室に押し込める。
 その手に握られた鞄を取り上げようともしたのだが、それだけは頑なに拒まれ、レオナは部屋に着いてもそれを手放すことはなかった。
 後ろ手で鍵をかけ、ベッドの端に座り込んだレオナを見れば、柵越しにどこか遠くを見つめている。

「……あーっと、メイくん絡みでなんかやらかしたんスね?」

 我らが王をこんな風に大人しくさせる出来事が他に思い当たらない。なにより、その手に握られている鞄には見覚えがあった。自分が思っていることが確かなら、取り上げたら弁当箱だけは洗っておかなければ、などと場にそぐわないことを考える。
 今思えば、ラギー自身もこの時かなり動揺していたのだろう。だが、どこか頭の隅に冷静な自分がいて、まるで第三者のように判断を下していたに違いない。

「……い、……とよ」
「はい?」

 ぼそぼそと紡がれる言葉に首をかしげる。ラギーの大きな耳が必死に音を拾おうと動くのを見てレオナは顔を顰めると、舌打ちをしてからもう一度同じ言葉を繰り返す。

「レオナ先輩なんて大嫌い、だとよ」
「はぁ⁉」
「うるせぇな……」

 ラギーが驚きの声をあげるとレオナはぽすりと体をベッドに横たえさせる。ぱらぱらと鞄の上にも乗っていた砂粒がベッドに降りかかる。だが、レオナはそれを気にするどころか己の手袋に付着した砂粒をじっと見つめてはため息を零した。

「いや、本当に、どうしちゃったんスか……。それ、アンタのユニーク魔法の砂ッスか?」

 この男は一体何を砂にし、彼女のどんな怒りに触れたのか。あれだけレオナに信頼を寄せていた少女が「大嫌い」というほどの事態を想像することは難しい。これが他の生徒ならまだしも、相手はあの芽唯なのだから。
 沈黙を肯定と受け取り、ラギーは漸くレオナの手を離れた鞄をベッドから降ろすと忘れないうちに弁同箱を取り出した。女生徒の物にしては大きい容器は軽く、昼までは彼女との仲が悪くなかったことを示している。
 己の掌を──手袋を見つめたまま動かないレオナは、気に入りの少女に拒絶されたことに傷ついたわけでもなければ、機嫌を損ねたというわけでもなく、じっとただ自分が砂にした何かをそこに見ている気がした。
 部屋の空気が膠着状態のまま時が流れる。居心地が良いとはお世辞にも言えないが、険悪な雰囲気というわけでもない。どうしたものかと身の振り方を考えていると、レオナの指がラギーの手元を指す。

「それ、明日あいつに返しとけ」
「レオナさんが届けりゃいいじゃないッスか」
「ばーか、俺が会いに行ったらまた泣かれるだけだ」
「またってことは、やっぱり泣かしたんスね」

 本当にこの人は一体何をやらかしたんだ。
 彼女を泣かせてしまったことに意気消沈している……というわけでもなさそうだが、いつもに比べてやはり迫力に欠ける。ゆらりと動く尻尾も心なしか元気がないように思えてきた。
 嫌い、と言われてレオナが何を思ったのかはわからない。
 それも「大嫌い」だ。
 そんな言葉をぶつけられて、再びこの男は彼女に自ら手を伸ばすだろうか?
 弟に、第二王子に生まれたというだけで、すべてを奪われてきた男だ。
 どれだけ自分の中で大きな存在になっていたとしても、離れていくその背を追う姿が想像出来ない。
 それこそマジフト大会の時のように適当な理由を付けて彼女を嗤い、深く傷つけ、もっと突き放してしまうのではないだろうか。
 無意識のうちに拳に力を込めていたラギーは手のひらに爪が食い込むのを感じ、漸く手の力を緩めた。少しだけ食い込んでいた爪が離れれば、薄っすらとした痕が姿を現すが、それもすぐに消えていく。
 ──そうだ、彼女も……芽唯もこの痕のように少しでも離してしまえば、いつかは消えてしまう存在だ。

「……乗りましょうか?」
「……何にだよ」
「そりゃーもちろん決まってるでしょ、恋愛相談ッスよ」

 寝ころんだまま少しだけ身を起こし、頬杖を付いたレオナはラギーの言葉に深くため息をつく。

「おまえ、まさか俺があの草食動物一人に頭を悩ませてるとでも思ってるのか?」
「違うんスか? そんなわかりやすくしょぼくれちゃって、泣かせるほど傷つけて落ち込んでるんだと思ったんスけど」

 指摘すると一瞬レオナの目が泳ぐ。そして、二、三拍置いてからゆっくり口が開かれた。

「……泣くだろう、とは思ってやった」
「うわ、サイテー」

 立ったまま話を聞くのもどうかと思い、ラギーは椅子を引いて逆向きにすると、背凭れを抱え込むようにして腰を下ろす。
 頼んでもいないのに話を聞く体勢に入ったラギーにレオナは小さく舌打ちをすると、渋々といった様子だが事の顛末を語りだす。

「植物園で寝てたら、あいつの日記が手元に転がってきたんだよ」
「日記ぃ⁉ めちゃくちゃプライベートなもんじゃないッスか」

 二人の間に起きそうな揉め事の原因をラギーなりに脳内で何説か組み立てていたが、すぐに全て崩れ落ちる。日記とはまた厄介なものを手に入れたものだ。

「偶然に決まってんだろ」
「当たり前ッス。いくらレオナさんでも女の子の日記盗み出すとかオレだって思ってないッスよ」

 他者の弱みを握ることに関して日記は最高の武器だとも思うが、彼女を大切にしているレオナがそんなことをするはずがない。
 大方、彼女のことを快く思っていない生徒の働いた悪事だろう。 
 魔法士の名門校たるナイトレイブンカレッジ。ロイヤルソードアカデミーと並んで、誰もが一度は憧れる学び舎に女生徒──しかも魔力を一切持たない異世界人が通っていることに対して、不平不満を持つものが生まれるのは何一つ不思議じゃない。
 しかも、こちらは向こうの優男なお坊ちゃまたちが集まる学校と違い、一癖も二癖もある生徒ヴィランがつどっている。僻み、嫉み、負の感情が募れば自ずとその矛先は相手を傷つける。

「……にしても命知らずな奴がいたもんッスね。メイくんに手出せばレオナさん……そうじゃなくとも自分とこの寮長に締め上げられるって分かってないお間抜けさんがまだ居たとは」
「叱られるのが怖くて悪いことは出来ません、ってか? そんな殊勝な奴がこの学校の生徒に居る訳ねぇだろ」
「確かに……」

 弱肉強食とはよくいったもので──サバナクロー寮は特にそれが顕著だが──この学校全体がその言葉を体現している。しかし、そんな序列のはっきりした群れの中にも自分の力や知恵を過信し、出来る算段も無いのに強者へと歯向かおうとする無謀な者はいつでも現れる。今回悪事を働いたのも、恐らくそういった無謀と勇気を履き違えた類だろう。

「ま、盗むところまでは上出来だったんだがなァ? 俺の縄張りで気を緩めてたのが運の尽きだ」
「いやいや、メイくんからなら誰だって盗めるでしょ。あの子、無防備すぎるんスよ」

 それこそ、手慣れた者ならほんの一瞬の隙を突いてなんだって。
 ナイトレイブンカレッジに順応しきれていない少女は悪意というもに対してとことん耐性がない。
 多少の苦労はしてきたようだが、優しい環境で愛されて育ってきたことが容易に伺える。いらふわ空間と称されるシルバーとカリム、芽唯はどことなく彼らに通じるものがある。
 つまり、この学校の校風に合わないということだ。
 だからこそ煙たがられ、こうして何かしらの被害に遭う。

「あァ……何を奪われ、喰われたところで文句は言えねェだろうよ。だがな、あいつは俺の獲物だ」

 びたんっ。不規則に揺れる尻尾がシーツを叩く。

「そんなことすらも分かってないやつには躾が必要だろう?」

 びたんっ。再び、布地に波紋が広がる。
 意地の悪い笑みを浮かべたレオナが生徒二名の特徴をあげるので、素早くメモしたラギーは話の主軸を元に戻すため口を開いた。

「そんで? 日記を取り返した優しいレオナさんは、もちろんメイくんに返すために彼女を探したと」
「その前に全部読んだがな」
「あー……そういうことしちゃうんスか?」
「仕方ねぇだろ? 読まなきゃ誰の持ち物か判断が付かなかったんだ。拾得物の持ち主を知るために胸を痛めながらも中身を確認してやったんだよ」
「はいはい、そういうことにしておくッス」

 ニヤニヤと唇の端をあげるレオナはいつもの調子を取り戻しているようにも見える。……見えるだけで言葉にはいつもの切れ味はなく、強がるためにわざと悪役(ヴィラン)を演じているように思えた。

「読んだことを後悔は?」
「するわけねぇだろ」
「ですよねぇ……」

 ラギーの問いを吹き飛ばすかのように鼻を鳴らし、レオナは少しだけ言葉を発するのを躊躇したそぶりを見せつつも続きを語りだす。

「捨てるんだとよ」
「何を?」
「日記に書いた気持ちを全て、元の世界に帰る時になかったことにする。そう言ってたな」


 捨てる。
 全てを。


 数度瞬きを繰り返しながら、ラギーはレオナの言葉を何度も脳内で反芻する。
 何が書かれていたのか、ラギーには想像することしか出来ない彼女の想いの詰まった日記帳。恐らく、周りに伝えられないことを書き綴ったのだろう。それを全て捨てると、彼女自身がそう言ったのだとレオナは言う。

「なんつーか……」

 レオナが芽唯を傷つけたのは確かだが、彼女が先にレオナの怒りに触れたのだと悟ったラギーは天井を仰ぎ見ながら言葉を選ぶ。

「お互い不器用っつーか……」

 元の世界に帰る時、彼女が捨てると言った気持ち。
 きっと、それはラギーの想像通りのものだろう。



 なぜなら、それを捨てると言われレオナは怒りを覚えたから。
 なぜなら、それは元の世界に持ち帰ったところで彼女が苦しむことだから。
 なぜなら、ラギー自身がそうであれと願っているから。



 幸せを願うほど、二人の間には異世界≠ニいう言葉が重く圧し掛かることをラギーは知っている。
 いつか別れの時が来ると知りつつも、レオナに気持ちを伝えられるほど彼女は強くない。

「メイくん、本当に元の世界に戻っちまうんスかね」

 恋とか愛とか、それだけで自分の世界を捨てられるはずがないことは分かっている。それでも口にせずにはいられない。どうして彼女は別世界の人間なのか。いや、もし同じ世界に生まれていたとしたら彼女と自分達が出会うことはなかったかもしれない。特にレオナとは出会うきっかけがないだろう。
 レオナが留年しナイトレイブンカレッジに長年滞在していたのと、芽唯が異世界からやってきたこと。その二つの偶然が重なって今があるのだから、彼女が異世界人であるということを否定するのは間違っている。
 思考の海に浸かるラギーの問いかけにレオナは何も返さない。今彼がどんな表情をしているのか確認しようと視線を天井から徐々に降ろしているとグルルル……と獅子の唸りが耳に届く。

「帰すと思ってるのか? 俺が? あいつを?」

 ハッと嗤うレオナの瞳はまっすぐとラギーを見据える。サマーグリーンの奥底に渦巻く感情の重さを一瞬覗き見てしまったラギーの尻尾が逆毛立つ。

「い……やがる女の子に無理強いは良くないッスよ」

 ゴクリッと唾を飲み込みながらなんとか言葉を返す。

「嫌がる、ねぇ……? 俺には無理やりにでも引き留めて欲しいように思えるがなァ」

 何も持っていないはずの掌を見つめ、レオナは唇の端を少しだけ上げる。
 彼だけが知った芽唯の秘密。そこに何が記されていたのだろうか。ラギーに言えることは「大嫌い」と突き放されようが、その手を離すまいと思うに足ることが書かれていた、ということだけだ。


 もし仮に、だ。レオナの言う通り、彼女が本心では引き留めて欲しいと願っているのであれば芽唯もとんだ悪役(ヴィラン)だとラギーは思う。


 とある昔話、十二時を知らせる鐘の音が鳴るのと同時に帰らなければならないと走り出した女性は、偶然残されたガラスの靴をきっかけに王子との永久の愛を手に入れた。
 果たして、それは本当に偶然だったのか。意図的に残された、という見方をしてもいいのではないだろうか。
 事実はどうあれ、少し捻った受け取り方をしてしまう自分達にしてみれば、物語のヒロインだろうと狡猾な人間に見えてくる。


 芽唯の日記も、レオナにとってはガラスの靴と同じ。
 自分の前から逃げ、姿を隠そうとする彼女を見つけ出す手がかり。そこに本心という言葉が付け加えられるが、形として残さなければレオナが知りえなかった気持ちが彼を突き動かす。
 なんとしてでも彼女を逃さぬように、あの手この手で芽唯を囲うであろうレオナの姿が目に浮かび、ラギーは小さくため息を漏らす。
 その先に待つのが幸か不幸かはわからないが、彼女自身が撒いた種に他ならないのだから、大人しく獅子の牙で喉元を抉られてしまえばいい。

「レオナさん、アンタ戻ってくるまでに今後どうするか全部考え終わってたんでしょ?」
「だから言っただろ、悩んでるように見えるのか≠チてよ」
「はー! もう、これだからうちの王様は困るんスよ」

 何が恋愛相談に乗りましょうか、だ。彼の中で既に結論が出ていたことに対して口を出してなんになる。せっかくレオナの弱みを握れると思っていたのに、とんだ期待外れだ。
 背凭れを抱きかかえるように項垂れたラギーを見ながら体を起こしたレオナに先ほどまでの陰鬱さは感じられない。

「というわけで、ラギー。俺はしばらくアイツから距離を取る」
「泣かせた後ッスもんね」
「それは関係ねぇよ……。どうせ顔を合わせたところで、ある程度気持ちに整理が付くまで俺から逃げ回るに決まってる」

 レオナの言う通り、彼を見て顔を青ざめさせながら逃げ去る芽唯の姿が脳裏に浮かぶ。彼女が望めばハーツラビュルや他の寮生も彼女の逃亡を手助けするだろう。
 問題ごとにすぐ関わるが、それをきっかけに人望を得ている彼女を学園内で追い回すことほど無駄な狩りはないだろう。そんな体力に物を言わせる狩猟はレオナの得意とするものではない。彼はじりじりと獲物を追い詰め、仕掛けた罠に自ら飛び込んでくるような、そんな狩りをする男だ。……つまり。

「会えない間メイくんの様子に気を配れ、ってことッスよね」
「わかってるじゃねぇか」

 ラギーの出した答えにレオナは満足そうに笑みを浮かべると、ポケットから膨れ上がった財布を取り出して投げつける。
 慌ててそれを受けとったラギーは言葉にされずとも意図を理解し、今日何度目かのため息を零した。

「っと……そっか、メイくんが近寄ってこないってことは昼飯の準備もオレかー……」
「ばーか、それだけじゃねぇよ」
「え?」

 少しの期間だろうが仕事が増えたことに肩を落としたラギーだったが、レオナの言葉に顔をあげる。

「適当な理由つけてアイツにちゃんと食わせろ」
「食わせろって……」
「放っておいたら節約だなんだの理由を付けて、飯を減らすのが目に見える」
「あー……」

 かつて、彼女と食事をとり始めた頃のつつましい弁当箱が脳裏を過る。今ではレオナと食事を共にし、その費用を全て彼が請け負うからと押し切ってその量を増やすことに成功したが、元々倹約家のきらいがある芽唯の細々とした食事は決して健康的であるとは言えなかった。
 レオナから離れるということは、その生活が戻ってくるということ。自分の食事の心配はもちろん、彼女の食生活にまで気を配るレオナにラギーは感嘆の息を漏らす。

「他のこともこれくらいやる気出してくれれば、オレももっと楽が出来るんスけど?」
「何も聞こえねぇな」

 要件を伝え終えたのか、再度ベッドに横になるとレオナは寝返りを打ってラギーに背を向ける。ちらばった髪の毛の間から見える睫毛がゆっくりと落ちていくのを見ながらラギーは立ち上がり、先程床に置いた鞄を拾う。
まずやるべきことは明日の朝、彼女にこの鞄を届ける。その際、レオナから話を聞いたとか、自分は味方だとか、間違っても言ってはいけない。
 あくまでも己は中立の立場であり、どちらにも肩入れをしていないことを主張する。
 そうすることで、例えレオナとの仲が険悪でも自分が近づくことに警戒心を持たせない。虎視眈々と獲物を狙う獣が自然に溶け込むように、彼女の生活に自分たちの存在を異質のものと思わせないことが何よりも重要だ。
 既に寝息が聞こえ始めたベッドに背を向けたラギーは部屋の扉に手をかける。
 どうせなら彼女と親しくしている狼の後輩も巻き込もう。あまり自分が関与しすぎるとレオナの差し金かと疑われかねない。真っすぐすぎる部分がたまに傷だが、食事係としてなら多少強引だろうと彼でもその役目を果たせるはず。
 他に使える寮生は居ないか、思考を巡らせながらラギーはレオナの部屋を後にする。ぱたりと扉が閉じる音に反応するかのようにレオナの尻尾が静かに揺らめいた。

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