07


 穏やかなハロウィーンが戻ってきた。
 学園のどこにも規則を破る不届き者は存在しない。鏡の間でスマホを取り出そうとしたゲストは看板を見ては手を離す。花壇も踏み荒らされないし、図書館で飲食をするものももちろんいない。
 船の傍、客から見える位置で寝転ぶレオナに膝枕をする芽唯。二人きりの世界を邪魔するマジカメモンスター達はもうどこにもいなかった。

「寮の中もいいですけど、ここも好きです」
「そうか?」
「でもやっぱり植物園が定位置って感じがするなぁ」
「今日で最後だ。もう数日でまた使えるようになるだろ」

 一ヶ月もの間過ごしたこの場所に愛着がないと言えば嘘になる。
 コロシアムを海にしてしまったサバナクローの技術力。本当に波打ち際でレオナと過ごしていると錯覚できる素敵な日々だった。
 けれど植物園のいつもの場所。レオナと出会ったあの場所が恋しいというのもまた変えようのない事実。

「その日のお弁当は張り切って作りますね!」
「草はいらねぇからな」
「もう! お野菜も食べないとダメですよ!」

 子供を叱るように怒る芽唯を笑ったレオナはその頬に手を伸ばす。
 自然な仕草でその手に擦り寄る芽唯の幸せそうな微笑みに見ているこちらが胸焼けしそうだ。
 ゲスト達の視線もあるというのに遠慮なくいちゃつく二人にサバナクロー生達はにんまりと笑みを浮かべた。俺らの王様達はこうでなくっちゃ!
 ニヤついているのか、接客用の笑みなのか区別が付かない笑い方をしている寮生がゲストの持ってきた台紙に判を押しているとよく聞こえる耳に僅かながら声が届く。
 あの子って……。あの獣人って……。コロシアム内のあちこちで小さな音が飛び交っている。
 学園唯一の女生徒。中継で見たマジフト選手。密かな有名人な二人のひっそりとした逢瀬に許可なくカメラが向けられることはない。
 勝ち取った平和は学園だけでなくサバナクロー生にもいつもの日常をもたらしたと言っても過言ではないだろう。

「ふふ、先生たちマジカメモンスター達が居ないのに驚いてますね」

 恐らく最後の決定をすべく今日の様子を巡回している教師たちの顔には「そんなバカな……」と書いてある。
 それもそうだ。あれだけ頭を悩ませていたマジカメモンスター達がたった一夜明けただけで姿形も見えなくなって、初日の頃のようなハロウィーンが戻ってきているのだから。
 事情を知らない彼らが目を丸くするのが面白くて芽唯からくすくすと笑い声が零れ落ちる。
 落ちてきたそれを愉快そうに受け止めたレオナは教師に連れられていくジャックを横目で見ると身を起こす。
 芽唯の髪を梳いては何やら手元で連絡を取っているレオナの顔は真剣で、しばらくの間黙ってそれを見ているとラギーが駆け寄ってきた。

「レオナさーん。そろそろ準備の時間ッスよ」
「決まったのか?」
「この状態でやらないなんて言ったら暴動が起きるッス」
「だろうなァ」

 準備、とはパーティーのことだろうか。
 そういえば、パーティーを開催するということは聞いていたが具体的なことは何一つ聞いていなかった。

「あの……準備ってなにするんですか? 私でも手伝えるなら……」
「もちろん、お前にも手伝ってもらうぜ?」
「そうそう。むしろメイくんがいないと始まらない作業もあるんで」
「なんですか、それ?」
「いいから、メイくんはとりあえずオンボロ寮に戻って欲しいッス。着替えはそっちに準備してるんで」
「着替え……?」

 レオナが背を押し、ラギが―手を引く。強制的に立ちあがることになった芽唯は戸惑いながらも再度背を押されては歩き出す。
 着替え、服、衣装。……もしや、サバナクローで準備してくれていたあの衣装のことだろうか?
 結局、どんなデザインになったのかスケッチは見せてもらえなかった。けれど、ジャックの海賊衣装のセンスを見るに、きっと素敵な衣装がオンボロ寮に用意されているに違いない。
 早く見たい。早く袖を通したい。
 浮足立つ心は駆ける速度を自然とあげるが、人が多くて早歩きが精一杯だ。コロシアムからオンボロ寮への帰り道がいつもよりさらに長く感じる。
 噂の女生徒に話しかけたがるゲストも多々居たが、頬を染め、息を切らせて必死にどこかを目指す芽唯を呼び止める者はいなかった。



「あら、やっとお出ましね」
「ヴィル先輩……?」

 オンボロ寮に到着すると、今朝からゲストに囲まれていたゴーストやグリムが数名の運営委員たちと共に寮内に入っていくところだった。
 慌ててその背を追いかければ振り向いたヴィルが呆れたように芽唯の顔を見た。

「アタシの時間は貴重なんだから。ま、予定時刻通り来たことは褒めてあげる」
「予定……ですか?」
「……何も聞かされてないのね。アイツのことだからそうだろうとは思ってたけど」
「えっと……」

 自分は特にヴィルと約束をしていた覚えはない。それにこの口ぶりから推測するに恐らくレオナとの約束なのだろう。自然とレオナとヴィルの間に挟まれることが増えた芽唯はなんとなくだが二人の関係性を把握していた。

「パーティーが開けるようになって準備が必要になったのは聞いてるかしら」
「何をするかまではわかってないんですけど、着替えて来いって送り出されました」
「それで言われるがまま戻ってきたってわけ? 信頼しすぎじゃないかしら。いつか喰われるわよ」
「喰われるって……? レオナ先輩は私に酷いことはしないですよ」
「……アンタが良いならアタシは構わないけどね」

 深くため息を零すヴィルの言葉の意味は分からないが、レオナが自分に害を成すとは考えられない。信頼しすぎと言われればそうなのかもしれない。けれど、レオナになら例え何をされても許せてしまうというのが本音でもある。

「メイ! パーティーだ〜! 飯を持ち帰れるだけ持ち帰るんだゾ!」
「ほどほどにしてね。あくまで主賓はお客さんなんだから!」

 芽唯の足元に駆け寄ってきたグリムは嬉しそうに跳ね回る。ゴースト達にもいつもの笑顔が戻っていて自然と頬が綻んでしまう。
 手を合わせて喜ぶ芽唯とグリム。そんな二人を見守る運営委員の後ろから様子を窺っていたサバナクロー寮生が顔を出す。

「ひーめさん。そろそろ準備に入らないと時間足りなくなっちまうよ」
「えっ、居たの?」
「もっちろん! オレがデザイナーなのに立ち会わねぇとかありえねぇ」

 胸を張ったのはイヌ科の彼。レオナやラギーとはまた違った形の愛らしい耳をぴくぴくと動かしては純粋そうな笑みを浮かべて尻尾を振る。

「どれくらい時間かかるかもわかんねぇし早くしねぇと」 
「そうね。バランスを見ながら色々弄りたいし……。ぶっつけ本番だからと言ってアタシは手を抜かないから覚悟しなさい」
「ウッス、ヴィルの兄貴!」
「兄貴はやめなさいって言ってるでしょ!」
「へーい!」

 気の抜けた返事をしてまた叱られつつも楽し気に尻尾を振る後ろ姿は普段あまり使っていない個室に消えていく。

「それではメイさん。我々はこの辺りで……。ヴィルさんの腕前をこの目で拝見したいのは山々ですが何分忙しいものでして」
「あとでいっぱい写真撮らせてよね!」
「あ、はい! ジェイド先輩もケイト先輩もわざわざありがとうございました……!」

 運営委員の居ないオンボロ寮の為に訪ねてくれた三名のうち二人が去っていく。残るヴィルはどこからともなく現れ、慌ただしく何かを準備するポムフィオーレ生やイヌ科の彼を手を叩いては活を入れる。

「あの、何が始まるんですか……?」

 着替えるとだけ聞いていた芽唯は目をぱちくりとさせ、オンボロ寮の談話室に用意される大きな鏡、メイクセット、ヘアアイロンやその他もろもろポムフィオーレから運び込まれているであろう品物たちを不思議そうに眺めることしか出来ないでいた。

「あのね、衣装っていうのは着ればいいだけじゃないの。雰囲気に合わせて施したお化粧、ヘアメイク。それら全てが揃ってこそ完璧と呼べるのよ。他の寮のメイクは全てアタシが監修してるのにアンタだけ例外なんてありえないでしょ」
「そういえば、ラギー先輩が特訓を受けたって言ってました」

 各寮のメイク担当を集めて行われたそれはかなりの技術を得られるものだったと聞いている。いつか役に立つ日が来るかもしれねぇッス!とタダでプロの講習を受けれたような状況にラギーはとても喜んでいた。

「わかったなら、まずは椅子に座って。顔の向きはそのまま動かさないで」

 促されるまま寮生たちが作り上げた簡易化粧室と化した空間に腰かける。鏡越しに目が合うヴィルの眼差しはとても真剣だ。

「髪、おろすわよ」
「はい」

 なんとか及第点程度の艶を取り戻した髪が優しくとかれる。朝から数時間とはいえ編み込まれていたそれらは緩くウェーブを描き芽唯の肩を滑り落ちた。

「肌も髪も数日前に見かけた時は酷かったけど、ある程度マシになったわね」
「いつも面倒見てもらってるのにすみません……」
「だから、今回悪いのはマジカメモンスターだって言ってるでしょ。アンタの件もそうなのよ」

 いくつかの化粧品を手に取りながらも会話を続けるヴィルは本物のメイクアーティストのよう。頭の中では衣装と芽唯と並んでいる化粧品を数多のパターンで組み合わせているのだろう。
 いくつかの色を持ち上げては降ろしを繰り返し、選ばれた数色が芽唯の傍らに置かれる。

「……レオナ先輩の衣装に合わせたものって聞いてるんですけど、見劣りしませんかね。レオナ先輩、誰から見てもかっこいいし……」

 ジャックの衣装からなんとなく姿は予想出来ているが、ヴィルの言う通り、メイクも合わせて完璧な海賊になったレオナの見目がどれだけ人を惹きつけるかなんて想像すら出来ない。マジカメモンスター達が残って居たなら我こそはと彼と一緒の写真を撮ろうと必死になっただろう。
 そんな恋人を思うとすぐに自分なんて彼に相応しくないのでは、という卑下する心が顔を出す。レオナの隣で常に胸を張っていられるほどの自信がない。
 レオナに恥をかかせてしまったらどうしようと弱気になってしまう。

「姫さん、そんなこと言ってたら寮長に叱られるよ」
「え?」

 化粧室を準備し終えた直後ポムフィオーレ生は全員帰っていったので油断していた。
 ソファーに腰かけこちらを見やるイヌ科の獣人の彼はまだ残っていたようだ。声をかけられたことに驚いて思わず肩が揺れてしまいヴィルに軽く窘められる。
 謝ってから頭を動かさないよう慎重に、視線だけを鏡の中で動かして捕らえた彼はぺたりと耳を伏せている。

「自慢の女を例え本人だろうと悪く言うの許す人じゃないし」

 何を思い出しているのだろうか。指折り数えながら頷く彼はきっと芽唯の知らないレオナの一面を見たことがあるのだろう。

「……アンタ色々面白いこと知ってそうね。メイクしてる間は暇だろうしBGM代わりに聞かせなさいよ」
「ちょ、ちょっとヴィル先輩!」

 薄っすらと芽唯の頬に紅がさす。まだチークを乗せたわけではない。自然に染まったそれを見てヴィルは息を吐くと頬を抓る。

「いい加減この程度の話には慣れなさい。いちいち赤くなられたんじゃメイクの邪魔よ」
「じゃ、邪魔とかそういう問題じゃ!」
「時間がないって言ってるでしょ!」

 憤るヴィルと困惑する芽唯。二人の様子を見て笑う獣人の揺れる尻尾の付近に腰を下ろしたグリムは客室の奥に見えた何かを見ては眠たそうに丸くなる。

「大丈夫。アタシがアンタをお姫様にしてあげる」

 両肩に置かれたヴィルの手が力強い。

「顔だけのアイツの方がアンタに相応しくないんじゃないかって思うくらいとびきり素敵に仕上げてみせるわ」
「うぅ……お、お願いします」

 ヴィルの言葉にはどんな時でも嘘はない。彼がやると言ったら本当に成し遂げるだろう。いつだってヴィルは芽唯をレオナの隣に立たせてくれる素敵な魔法使いだ。
 かぼちゃの馬車もガラスの靴もないけれど、早くしないと愛しの王子様の方から迎えに来てしまう。
 チラリと時間を確認したヴィルは芽唯をお姫様へと変身させるため、最初の魔法の粉を手に取った。

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