03
空調問題が解決するまですべての授業が中止になっていた。
当然、生徒たちが余計なことをしないように教師達が目を光らせてはいるのだが、体力が有り余っている男子生徒というのは末恐ろしい。
『って言っても? ウチは寮長が厳しいじゃん。だから揉め事の類は一切なし』
「流石ハーツラビュル……」
ポムフィオーレ寮へ向かう道中、エースから急に電話がかかってきたかと思えば作戦の進み具合が気になるという内容だった。
確かに、参戦しているのはポムフィオーレ、サバナクローにスカラビア。そしてオンボロ寮。
寮長会議で決まったことはある程度共有されたようだが、そこから先の情報は寮生不参加の寮にほとんど届かない。
生徒たちにしてみれば自身の進級がかかっているのだから親しい参加者から情報収集を図るのは当然。芽唯も他の生徒たちがどうしているのか気になっていたので丁度良かった。
『けど暑かったり寒かったりでみんな機嫌があんま良くないから、些細な喧嘩はあちこちで起きてるっぽい。今朝も自主練でジャックと一緒に走ってたデュースがオクタヴィネル生に絡まれたらしいし』
「え、大丈夫なの?」
『それってデュース達への心配? それとも相手?』
揶揄うようにエースが笑い、にやりと口角を上げる顔が想像出来た。まだ授業が行われなくなって一日しか経っていないのになんだか懐かしい。
「どっちもに決まってるでしょ」
『うそうそ。冗談だって。見回ってたバルガス先生がすぐに間に入ったから大丈夫だったってさ』
「ならよかった……」
元々この学園の生徒は血の気が多い。その上イラつく原因が本来ならば心配の必要がない空調だと言うのならば、早く問題を解決しなければ。
『だから、おまえもあんま一人でウロチョロすんなよ? 帰る時はレオナ先輩に送ってもらったりさ』
「な、なんでレオナ先輩の名前がそこで出てくるの」
『さぁ、なんでかな〜?』
「もう、き、切るからね!」
よくない流れに慌てて通話を切る。最後までスピーカーからはくすくすと笑うエースの声が漏れていたけど芽唯は知らないフリをしてスマホをポケットの奥へとねじ込んだ。
「エースのばか……」
頬に集まる熱のおかげか、寒いはずの廊下が少し心地よかった。
◇◆◇
ボールルームの扉を開いて最初に目に入ったのはキラキラと室内に降り注ぐ光の粉。
見覚えのあるその光に芽唯は静かに息をのんだ。
「くそ、いつまでも付いてきやがる……」
「ちょっとレオナ。観客が居るからってはしゃがないで」
「誰がはしゃいでるって?」
鬱陶しそうに粉を払うレオナは既に衣装に着替えており、宙を飛び回る存在に気付かなければ光の粉が彼から出ているように見えなくもない。
「あ、あの……」
どういう状況なのか。問いかけようと一歩進み出た芽唯の前に光の塊が飛び込んでくる。
慌てて歩みを止め、光をよく見てみると人の形が見えてきた。
「妖精さん……」
芽唯の言葉に頷く仕草をした妖精は、昨夜追いだした者とは姿が違う。
正面からマジマジと見るのは初めてだが、おそらく少年声の妖精だ。
口角をあげなら芽唯の周りを飛び回ると両腕を大きく広げて何かを話し始める。
何度も口をパクパクとさせ空気を震わす。
しかし、芽唯には彼が何を言っているのかさっぱりわからなかった。
昨日までは普通に会話することが出来たのに、突然何故。首を傾げる芽唯に「今度はお前に絡むのかよ……」と鬱陶しそうに妖精を見ながらレオナは近づいてくる。
「お前もそいつの言葉がわからないのか」
「昨日は話せたのになんで……?」
「さぁな。何か特殊な条件下でないと意思疎通はできないんだろ」
芽唯を背に庇い妖精を片手で払うとレオナは窓を開けて妖精に外へ出るよう話しかける。
覚えのあるやり取りを眺めていると、恐らく文句を言っているであろう妖精が突進してくるのを片手で押さえながらレオナが不意に振り向いた。
「お前、”話せた”って言ったか? 聞き取れたじゃなく?」
「あ、はい」
頷けば、レオナは詳しく話せと視線だけで訴えてくる。
「えっと、夜に女の子の方……の妖精がオンボロ寮に入ってきて……」
昨夜の出来事をなるべく詳細に話す。
もちろん恋がどうのという部分は省略したが、レオナはもちろん。ヴィルやダンスレッスンをしていたはずのジャミルとカリムも気がつけば芽唯の話に耳を傾けている。
「つまりオンボロ寮では会話が可能だったが、こっちでは急に言葉がわからなくなった……と」
「寮に特殊な魔法でもかかってるのかしら」
「まさか、少し前まで廃墟だったあの場所に?」
「ありえない」と首を横に振るジャミルは少し思案する。
「特殊な道具がオンボロ寮にある、と考えるのはどうでしょう」
「道具、ですか?」
「あぁ、君は道具に疎いし、魔法自体も使えないが、寮のどこかで眠っていた魔法道具が妖精の魔力に反応し起動した……とか」
「なるほど……」
たしかに、オンボロ寮には未知の部屋もまだ数多くある。芽唯が気づいていないだけで寮内に特殊な道具が存在していてもおかしな話ではない。
「いや、それだと昨日の昼間にあいつらの会話を聞き取れたことへの説明がつかねぇ」
「それは……」
レオナの指摘にジャミルが首をすくめる。レオナは息を深く吐くと芽唯の肩を抱き寄せ「とにかく」と周囲を見渡す。
「オンボロ寮に原因究明に行くぞ」
「え、先輩は練習があるんじゃ」
問いかければヴィルが視界の端で頷いた。すわった瞳がレオナのウォーキングがまだ及第点にも至っていないことを訴えてくる。
仮にオンボロ寮に魔法道具があるにしろ、ショーに参加するメンバーがわざわざ時間を割く必要はない。
「私、エース達に協力してもらえるよう連絡してみます。一年生だけじゃ見落としちゃうかもだけど、リドル先輩とかトレイ先輩も来てくれれば大丈夫だと思うし」
レッスン中、部屋中を飛び回られて集中できないだろうとか色々事情があるのはわかるがレオナの時間はショーのクオリティアップに使うべきだ。
芽唯は先ほど押し込めたばかりのスマホを取り出そうとポケットに手を伸ばす。だが、一緒に伸びてきた大きな手に妨害されてしまう。
チョコレート色の見慣れた手に包み込まれた自分の手をじっと見ているとそのまま下に降ろされる。二人の身体の間で固定されてしまえばもう動かすことは出来なかった。
「あの……」
なんですか、という疑問は一瞥されただけで喉の奥に引っ込んだ。レオナの視線に従い口を閉ざす。昨日もこんなことがあったな、などとのんきに考えていた芽唯は再度肩を引き寄せられて彼に簡単に身を預けてしまう。
トンッとぶつかった身体は向きを変えられ扉に向かって進む。
もちろん、後ろではヴィルが「待ちなさい」とか「ちょっとレオナ!」と声を荒げているが当の本人はそんなのおかまいなしだ。
「うるせーよヴィル。ぶんぶん羽虫が飛んでたら繊細な俺は歩くこともままならくなっちまうんだ」
「嘘付くんじゃないわよ! さっきまで怠い怠いって欠伸かいてたのはどこの玉子よ!」
「とにかく、俺とこいつは大事なお客様をもてなす為に必要なもんを取りに行ってくる。お前らは籠でも買ってきて客人に席を用意するんだな」
それってつまり捕まえておけってこと?などと問う暇は与えられなかった。
「……まったく、なるべく急ぎなさいよ」とため息交じりに諦めが伝わってくるヴィルの声に見送られ、レオナと芽唯はポムフィオーレ寮を後にする。
扉を閉める際、カンッと何かがぶつかる音がしたのだけが気がかりだったが肩を抱かれたままの芽唯は彼に合わせて足を動かすしかない。
意外にも縺れることも、早歩きになる必要もない歩幅はレオナが気遣ってくれているのだろうか。
レオナの方を見ようと視線を動かす途中、自分たちの姿がふと目に入る。見目に気を遣うポムフィオーレらしく、廊下にすらも大きな姿見が設置されていた。
白を基調とし、刺し色にゴールドが使われた衣装はレオナに良く似合っている。妖精の羽をモチーフにしたという刺繍は日差しを浴びてキラキラと先ほどの妖精の粉のように輝きを放っている。どこぞの国の王子様だと言われれば誰もが納得するだろう。
そんなレオナの隣を歩く自分といえば、彼とは真逆の黒を基調とした制服で、同じゴールドが使われているとはいえ煌びやかさの欠片もない。
歩くたびに鏡の中ではレオナの装飾や服がひらひらと揺れ、その隣にいる制服姿の自分とのアンバランスさに笑ってしまう。
「ふっ……あははっ!」
「なに笑ってんだよ」
「だって、王子様みたいな恰好の人の隣にただの女子高生ですよ!」
「みたいってな……」
「正真正銘の王子なんだが?」とお決まりにフレーズがまたおかしさを助長する。
くすくすと笑いだして止まらなくなった芽唯をエスコートする王子様は呆れたような、慈しむような、柔らかな視線を彼女に送る。
二人とすれ違ったポムフィオーレ寮生はなんとも言えない甘酸っぱい気持ちになって身を隠したことに芽唯だけが気づかなかった。
◇◆◇
結局、王子様と女子高生が妙にツボに入ってしまった芽唯の笑いが止まらないのでレオナは魔法で着替え制服へと戻ってしまった。
耳飾りやヒラヒラした布地の煩わしさからは解放されたが、振りかけられた香水の花の匂いは残っている。どうしても拭えない違和感に「あー、くそっ」と悪態をつくレオナを横目に、漸く息を整えた芽唯がずっと考えていた疑問を口にした。
「魔法道具、ってどんなのでしょう」
言語翻訳機能の備わった魔法道具。そんな物の形を想像したところで上手く脳が仕事をしない。
なにせ、現代日本で生きていた芽唯が翻訳と言われて最初に思い浮かぶのはスマホアプリ。そんなものが魔法と噛み合うはずもなく、想像という粘土細工は脳内でぐちゃぐちゃの異物を生み出していた。
「……昨日、拾ったもんがあンだろ」
「拾ったもの……?」
なんで気づいてないと言いたげなレオナは記憶を辿る芽唯をエスコートしたままオンボロ寮の門を開く。
ギ、ギギギと嫌な音を立てる門に「ラギーに手入れさせるか……」と彼が呟いたのを芽唯は聞き逃した。
「あ、もしかして鈴のこと言ってます?」
小さな鈴。掌の上でコロコロと転がせてしまうどこにでもあるそれが妖精と会話を可能にする魔法道具には思えなかった。チリンと鳴る愛らしい音を思い出しながら問いかけた芽唯にレオナが頷く。
「あいつらの話声が聞こえた時、お前の膝の上に鈴が落ちてただろ」
「そういえば、夜に妖精と会ったときグリムも私も鈴を持ってました」
偶然とはいえ、グリムが投げた鈴を拾ったことを思い出す。
あの時手に取っていなければ、もっと早くにあれが翻訳機の役割を果たしていると気づけたのか。
「大方、あいつらどっちかが落としたんだろ」
「抜けてそうな女の方か」と付け足しながら欠伸をするレオナはなんてことはないと言わんばかりだ。
まさかあの鈴がそんな効果があったとは夢にも思っていなかった芽唯はレオナの洞察力と自分の鈍さに肩を落とした。
ポムフィオーレから歩くこと早数分、ようやく辿り着いた玄関の施錠を外して扉を開けば「おや」とゴースト達が二人を出迎える。
「早いお帰りだね?」
「まだ午前中だよ。練習はどうしたんだい」
「ちょっと探し物があって……。昨日私が持ってきた鈴、まだ談話室に置いてあるよね」
頷くゴーストが「あぁ、もちろん」と告げたその時だった。
「なんだっ⁉」
「っ⁉」
不意にレオナが芽唯を引っ張る。息をのんだ芽唯がレオナの胸元にもたれ掛かるのと彼が警戒した何かが天井のランプにぶつかるのはほぼ同時だった。
レオナにしっかり頭を抑え込まれ、振り向くことすら許されず視線だけを彷徨わせる。
一体何が起きたのだろう。「おやおや」「昨日の」と零すゴースト達。一見自分たちとの会話の続きのように聞こえなくもないが、何か別のものに向けて言っているようにも聞こえる。
レオナに抑えられたままじっとしていると頭上から舌打ちの音がした。それと同時にふわりと肩に何かが降り立つ。
ほんの少しだけレオナの手が緩まったので首を捻れば小さな四肢が見えてくる。あ、昨日の妖精さん。芽唯がそう口にしようとした瞬間、先に妖精の方が大きく口を広げて叫びだす。
チリンチリンと甲高い音が廊下に響く。妖精の言葉はまったくわからないが彼女が怒っていることだけは感じ取った芽唯が「ごめんね」と謝れば、頬を膨らませた妖精がふんっと首をひねってそっぽ向く。
「おまえ、こいつに何したんだよ……」
急に静かになった妖精にレオナは息を吐いて芽唯を見る。ぺたりと伏せられた耳には彼女の声は相当うるさく響いたのだろう。うんざりしたように妖精を睨みつける。
「えーっと……」
タオルに包んで窓から捨てた、と素直に言うべきだろうか。
しかし、そんなことを告げてしまえば事の経緯を語る羽目になるのではないか。
レオナに彼女とのやりとりを聞かれるのは非常にまずい。なにせ芽唯が彼女を追いだした原因は目の前のこの小さな妖精が「恋をしている」などと宣うせいなのだから。
しかも相手はレオナだろうと彼女は言う。恋心を好むという妖精は今だって二人の距離が近いのをなんだかんだと拗ねたふりをして横目に見ては唇の端をあげている。
──まずい。非常にまずい。
と、いうかこのまま彼女と会話が出来るようになるのも危険な状態なのではないだろうか。
ひやりと背筋に汗を伝わせながら必死に頭の中で考えを巡らせる。
きっと彼女と会話が出来るようになったら第一声はこうだろう「やっぱりその獣人と恋してるじゃない!」
嬉々として羽を広げ、部屋中に黄金の粉をまき散らしながら興奮したように飛び回る。
自分一人だけの時ならいいが、レオナの前でそんなことを言われたら。自分は上手く否定出来るのだろうか。いや、否定してしまっていいのだろうか。こんなことでレオナとの今の関係を壊されたくない。
……まず、彼女に「恋をしている」などと大声で言うのをやめてもらうことから始めなければ。
「れ、レオナ先輩」
「どうした」
「あの、……談話室にまだ洗濯物とかが置いてあって、ですね」
ここだ。ここに残ってもらおう。玄関ならば談話室の声は届かないはず。レオナを残して妖精との会話を聞かれない状況を作り上げればとりあえずの危険は回避できるはず。
どうしたらレオナを談話室に入れずに済むか。ぐるぐると脳内の色んな引き出しを開けては閉じて、開けては閉じて。必死にひねり出す芽唯の視線はぐるぐると不自然なまでに泳ぎ続ける。
「ちょっと、見られたくないものもあるので玄関で待っててもらいたいのですが……」
「ほお……?」
スッと目が細められる。
怪しまれてる。絶対に怪しまれてる。右往左往していた視線をレオナの胸板に集中させれば、頭頂部に彼の視線が痛いくらいに突き刺さる。
ものすごく嘘がへたくそな自覚はある。元々、どちらかといえば素直なのが自慢とされる少女は嘘をついたことは元の世界でも本当に必要に駆られた時くらい。
こちらの世界に来てからも騙される側に回ったことは幾度もあったが、誰かを騙したことはほとんどない。
経験も浅いが相手も悪い。レオナ相手にこんな小さな嘘が通用するのか。ごくりと喉を鳴らして彼の返事を待つ。
「……わかったよ」
「…………?」
「ここで待ってりゃいいんだろ。なんだ、自分から言いだした癖に不思議そうな顔して」
一瞬何を言われたのかわからなかった。少しの間呆けていると「俺は別に気にせず中に入っても良いんだぜ?」と体を離してレオナが一歩進むので、その腕に思わずしがみつく。
「ま、待っててください!」
「ク……ハハッ、さっさと行ってその見られたくない≠烽どうにかしてこい」
「は、はい……!」
機嫌良さそうに笑うレオナの腕から離れ、逃げるように談話室へと廊下を進む。
「一緒に来てね」と妖精に告げれば彼女は芽唯の肩に座ったまま小さく頷く。
こそこそと、あくまでも隠すように妖精と話す芽唯の姿を後ろから見守っていたレオナが肩を震わせているのをゴースト達が見守っていた。
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