04


 談話室に入って机の上を見れば目的の物はすぐに見つかった。
 手に取ればチリンと鳴るそれは本当に魔法道具なのか。見た目だけではまったくわからなかったが、レオナが断定していたのだからそうなのだろう。
 鈴を二つとも拾い上げた芽唯は片手に握りしめたまま、いつのまにか肩から離れた妖精と向き合う。

「あのね、お願いだから静かに聞いてほしいの」

 じゃないと……、と続けながら窓の外と妖精を交互に見る。
 むすっと頬を膨らませた妖精は芽唯をしばらく睨みつけていたが、大きく息を吐くと「わかったわ」と言葉を吐き出した。
 あぁ、会話が出来る。本当にこれが翻訳機の役割を果たしているんだと確信して鈴を握り締める力を強くする。

「みんなの前で恋とか、好きとか、そういう話をしないで欲しいの」
「……なんでなの? 私はそういった感情を栄養にしてるって言ったでしょう。別に恋をするのって悪いことじゃないし、恥ずかしいことでもないわ」
「それは、そう、なんだけど……事情が複雑で……」
「事情?」

 なにそれ?と言わんばかりに眉をしかめた妖精は芽唯の眼前に近づくと緩やかな速度で彼女の周りを旋回する。

「……妖精さんにとって恋って素敵で幸せなもの、なんだよね」
「そうね、とっても素敵。結ばれて、永遠を誓って、そしていつまでも幸せに暮らしましたで終わるものよ」

 やっぱりそうだ。そこに絡んでくる現実の複雑な事情なんてお構いなしで、物語のようにただ表面をなぞっているのがこの妖精の語る「恋」。
 生憎と芽唯はプリンセスでもなければおとぎ話の主人公でもない。それどころかレオナの方が正真正銘のプリンスで、自分は世界のつまはじきもの。
 叶わぬ想いもあるのだと妖精に言い聞かせるのは酷なのだろうか。
 それとも、今こうして甘く素敵なものではない……と自ら突き付けてしまっている自分の心の方が被害者か。

「私もハッピーエンドで終わるお話は大好きだけど、そうじゃなくて……」

 好きであっても、自分の物語はそうならない。現実なんてそんなものだ。

「……なんだか、煮え切らない発言ね。何が言いたいの?」

 ひらりと芽唯の眼前で止まった妖精は首をかしげる。
 視線から逃げるように時計を見る。あまり時間は経っていないが、待たせた分だけレオナに不審がられてしまう。早く、早く本題に入らなければ。
 そのためには、意を決して言わなければならない。
 極一部の限られた人間の前。もしくは日記にだけ綴る秘めた想いを。

「……貴女の言う通り。私にはとっても大切な人がいる」

「えぇ、もちろん知ってるわ!」

 声を弾ませ「やっと認めたのね!」と喜ぶ妖精に両手を差し出せば彼女はゆっくりと舞い降りる。

「もう一度言うけど、お願いだから静かに聞いて」

 念押しに、同じ言葉を繰り返せば妖精は口を真一文字に結ぶ。

「すっごく大事なことなの」

 不可解そうな顔をした妖精はまた騒ぎ出すかとも思ったが、芽唯の真剣な声音が響いたのか騒ぎもしなければ暴れもしなかった。

「私、すごい特殊な立場で……本当はそんなこと言ってる場合じゃないの」
「……それはどうして? 生き物はみんな恋をする権利があるわ。誰も止められない、邪魔できない。それが両想いならなおさらよ」
「っ……」

 両想い、という言葉にドキリと胸が跳ねる。
 無意識に唇をかみしめた芽唯は早くなる鼓動を無視して、努めてゆっくりと妖精に語り掛ける。

「妖精には立場、身分……とか、ないの?」
「あるわ。例えば妖精の女王様。とっても偉くて高貴で素敵で、護衛も付いてる。半端な妖精じゃお目にかかる機会も稀よ」
「私の大切な人……レオナ先輩も本当はそういう人なの。そして、私はこの世界の人間ですらない」

 改めて言葉にすると本当にレオナは遠い存在なのだと再認識させられる。
 王子様と異世界人。そんな二人の間にどんな感情が存在していようと「いつまでも幸せに暮らしました」なんて都合のいいモノローグは流れない。

「ふぅん?」

 納得できないと言わんばかりに妖精はまた首をかしげる。異世界人という部分にもっと反応を示すかと思ったが、どうやら彼女はあまり気にしていないらしい。
 それで?と強い視線が芽唯に突き刺さる。続きをどうぞと先を促しているのだろう。

「……だから、その……異世界人が王子様と……なんて無理じゃない、かな、って」

 自然と目線が床に落ちる。
 言葉に出して、自分達の未来を否定するのはとてもつらい。でも、それが現実だ。
 交わる瞳が熱を帯びていても、触れる体温が心地よくても、自分たちの関係がいつまでも先輩と後輩から変わらないのはモラトリアムの中だけで許された気持ちだからなのだと芽唯は思っている。
 芽唯が何も言わなければレオナは何も言わない。レオナが何も言わなければ芽唯も何も言わない。
 きっと同じなのだ。考えは。だからこそ守られている平穏が今もここにある。
 どれだけ力強く芽吹いた新芽も、水や栄養が与えられなければ育つことなく枯れ果てる。
 レオナが卒業するまでか、芽唯が元の世界に戻るまでかはわからないが、ほんの短い間だけ地面から顔を覗かせることが許された小さな芽。
 どうか、この妖精にはそんな芽を刺激しないで欲しい。
 どうせ水を与えても、栄養を与えても、蕾を付けてしまったら切り落とされる。
 大切に柵で囲ったその芽が自然と枯れるその日まで。どうか穏やかに、静かに殺してあげたいというのが芽唯の願いだ。

「……悲しいのね」
「え?」
「とっても悲しんでるわ」

 憐れみを込めた、そんな声に思わず頬に手を滑らせる。別に涙は流れていなかった。

「やあね、顔のことじゃないわ。まぁ、幸せそうな顔に見えないのは事実だけど」

 フフ、と笑いを零す妖精は相変わらず静かで、もっと騒ぐと思っていた芽唯は肩透かしを食らった気分で妖精を思わずじっと見つめてしまう。

「ねぇ、質問してもいいかしら」
「いいけど……」
「あなたはイセカイジンだから恋を枯らしてしまうの?」
「……うん」

 叶えていいはずがない。
 むしろ、このまま良き思い出として終わらせてあげるのがこの気持ちへの一番の弔いだと思っている。
 もし、今と関係性が変わってから周囲に認められなかったら?自分が元の世界に帰ることが決まったら?
 臆病者だと罵られようと先のことを考えると足がすくんでしまう。

「事情があるって、言ったわね。複雑な」
「うん」
「……でも、この世界には素敵な恋のお話がいっぱいあるの。あなた知らない?」
「多少は知ってる、けど……」

 それこそ、まるで物語のような恋のお話。
 人間の王子と恋に落ちた人魚のお姫様。
 靴の片方を頼りに世界にただ一人の運命の相手を探し出した王子様。
 眠れる森の姫君は王子のキスで目覚めるし、死に連れていかれそうだったお姫様だってそう。
 どこかの国にはお姫様の心を盗んでしまった泥棒もいたという。

「そんな都合よくいかないよ……」

 どんな実話があろうとも、それは自分たちのものではない。
 それに、確かどのお話にも彼らの願いを叶える為に陰で尽くした偉大なる魔法士が居たという。
 魔法が実在する世界。ナイトレイブンカレッジにはその魔法士のたまごが大勢いる。
 けれど、彼らがカボチャを馬車に変えてくれるわけもなければ、素敵なドレスも贈ってはくれないだろう。
 なにせ生徒同士で騙し合い、蹴落とし合い。時には頭の先にイソギンチャクを付けるような、そんな人たちの集まりだ。
 誰かを幸せにするためではなく、自分たちの利益の為に動く。
 異世界人のちっぽけな少女の為に力を使うような人たちではないということは、芽唯は誰よりもよく知っている。

「……あなたなんて名前?」
「芽唯、だけど……」
「……いい、メイ。人間の世界にどんな風に伝わってるかは知らないけれど、あなたの言う『都合のいい』話には妖精だって絡んでいるの」

「私はまだまだ未熟だけれど」と続ける妖精はふわりと飛び上がると妖精の粉を芽唯に振り掛けるように飛び回る。

「こうして、自らの粉を振りかけることで人を飛ばすことが出来た妖精もいたのよ」
「飛ばすって……空を?」
「出来ると信じれば誰だって空が飛べる。信じる心はいつだって、未知の扉を開いてくれる」

 両手を伸ばし、扉を開ける仕草をした妖精は微笑みながら芽唯の前に戻ってくる。

「私は、そのお手伝いがしたいだけなの。怖がらないで、手を伸ばして」

 胸の前で両手を握りしめた芽唯は妖精の言葉を聞いてもその力を弱めることが出来ない。

「言葉にするなと言うのなら、もうしないわ。約束する。でも、お願いだからその小さな芽をまだ摘まないで」

 まるで寄り添うように芽唯の肩に腰を下ろした妖精は小さな手で芽唯の頬に触れる。
 不安になるくらい小さいのに、とても暖かいその手のひらは心を安らかにさせてくれる。

「育てても、良いことないよ……?」
「かもしれないわ」
「だったら……」
「けど、あなたも心のどこかではその願いを叶えたいって……幸せになれるって信じてる」

 確信していると言わんばかりに真っすぐな瞳で妖精は芽唯を見る。
 否定することを許さない、という支配するような威圧感のある視線ではない。本当に、本当に芽唯を信じているというそれだ。
 思わずごくりと息をのんだ芽唯は「どうして……」とか細い声を漏らす。
 大切な人との幸せを望まないこの感情があるというなら教えて欲しい。
 寄り添ってくれている彼女のように胸を張ってこの感情をその名で呼ぶことは出来ないけれど、今の自分が持っているモノの中でもっとも価値がある大切なもの。
 誰にも譲れない、自分だけの素敵な宝物だ。許されるなら殺したくなんてない。
 達観した大人のように諦める自分の隣に、嫌だ嫌だと泣きじゃくる子供のような自分もいる。
 そして、子供のような自分はいつだって物語のような幸せを掴めるのだと信じている。

「不思議そうな顔しちゃって、ぽかんと開いた口が子供みたい」

 クスクスと笑い続ける妖精は昨日のおとぼけぶりが嘘のように大人びている。彼女の言う通り必死に否定し、拒絶してきた自分の方がよっぽど癇癪を起した子供のようだ。

「あのね、メイ。信じていれば空も飛べるし、恋もきっと叶うわ。あなたも心の底からそう信じているの」
「なんで言い切れるの……」
「そんなの簡単よ! だって、私達恋の妖精は、信じない人の前には現れないんだもの!」

「あなたと私が出会えたのが何よりの証拠なの!」と声を弾ませる妖精は足をぶらぶらとさせながら「ねぇ、どうしたい?」と芽唯に問う。
 真っすぐでキラキラした瞳。
 思わず唇を噛みしめそうになった芽唯は視線を彷徨わせて瞳をぎゅっと閉じる。
 妖精を自分達に関わらないよう説得するのはもう無理だろう。けれど、あの言葉は口にしないと約束してくれた。
 ……だったら、いいんじゃないだろうか。
 ほんの少し、彼女の言うように信じてみて。きっとこの妖精は祝典が終わってしまえば学校を去ってしまう。
 であれば、短い間だけでも芽唯だけの魔法使いとしてこの気持ちに水を、栄養を、与えるための力になってもらっても。
 どうせヴィルにだって話を聞いてもらってるし、クルーウェルだって知っている。
 彼らもほんの少し、少しだけ、芽唯の背中を押してくれているし、クルーウェルには先日「素直になれ」と言われたばかりだ。きっと、彼はこのことを言っていたのだろう。
 泡沫の……泡のようにはじけて消える、そんな夢物語でも構わない。

「……それじゃあ」

 フェアリーガラ、妖精たちの祝典の終わるその日まで。短い夢の中で躍らせて。

「──ひとときだけでいい。レオナ先輩にふさわしいお姫様になりたい……」

 くすくすと耳元で笑う声が「ほら、やっぱり甘くて素敵だわ」と鈴の音のような声を転がした。

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