06


 サクッと小気味のいい音と共にラギーが人参の葉を切り落とす。
 椅子に座ったまま作業をする芽唯はジャガイモを手に取り皮をむく。
 その隣ではジャックがタマネギと格闘をしていたせいで近くの寮生が哀れにもその催涙性物質に負けて涙を流した。

「ぐあ、ジャックてめぇっ……!」

 キャウンと鳴いた寮生は耳も尻尾も垂れ下がり、顔の前を両手でガードする。もちろん、文句を言われたジャック自身も似た状況なので彼に構う余裕はない。

「俺はタマネギを切るって忠告はした。文句言われる筋合いはねぇ……」

 目を細め、必死にタマネギに抗う姿はある意味迫力がある。元の顔の強面さ故か、まさかタマネギごときに苦しめられている表情だとは手元を見なければ誰も思うまい。

「あぁもうジャックってば。タマネギは力で切らないでって言ったでしょ」
「わ、わりぃ……」

 そんな二人の様子に思わずまな板ごとタマネギをジャックから取り上げた芽唯は持っていたジャガイモの皮をむき終えると残りのジャガイモを彼とその隣の寮生に受け渡す。

「タマネギは私がやるからこっちをお願い」

 ね?と促せば頷いた二人はあぁでもない、こうでもないと言いながら競うようにジャガイモの皮をむき始めた。多少肉厚なのはご愛敬。
 芽唯を中心に珍しくキッチンに立つサバナクロー生達はラギーに指示を受けながら調理を進める。
 今日の夕飯は全員でカレーだ。
 本当は芽唯だけでレオナと自分の分をという話だったのだが、レッスンを終え、やっとの思いでサバナクロー寮を訪ねれば、寒さに負けた寮生達が尻尾を丸めて暖を取るため身を寄せ合っているという不可思議な光景が広がっていた。
 何が悲しくて男同士で身を寄せ合わねばならない。
けれど獣人の大半は寒さに弱かった。そして暖房器具など魔法で空調管理を行っていたナイトレイブンカレッジにはほぼ備わっていない。
 暖炉が設置された場所もあるが、あれは火の妖精のための設備で人が暖を取るためのものではない。
 それどころか、サバナクロー寮は水浴びの為のプールが余計に寒さを悪化させていた。
 異様な光景に芽唯は驚いたがレオナはすぐに彼らを叩き起こした。何もせず、身体を動かさないでいるから寒さに負けるのだと珍しくバルガスやジャックのような物言いで。
 恐らく自分がレッスンをしている間、ただ身を寄せ合って震えているだけの寮生に腹が立ったに違ない。
 寮生達を怠惰だと叩き起こしたくせに自身は早々に自室へと引っ込んだのがなによりの証拠だ。
 本当は芽唯も彼に手を引かれていたのだが、夕飯の準備があるからとその手を振り解いたのがついさっき。

「獅子の彼、グラジオが見に行ったけど機嫌悪そうだったわよ」
「そりゃメイくんに拒絶されたらそうなるッス」

 腰に翻訳機を吊るしたラギーはフュシャの言葉に頷くと手際良く材料の下拵えを終えていく。

「けど、メイくんが一緒にステージに上がるんならもう問題ないッスね」
「私は自分が足手纏いになる気しかないんですけど……」

 手慣れた料理は会話をしながらでも問題なく進めることができるのに、今日のレッスンは散々たるものだった。
 メイクのダメ出しから始まり、ぎこちなく動く体がレオナの足を何度も踏み、終いには彼を巻き込みながらヴィル目掛けて全力で倒れ込む。
 何をどうすればそうなるのかと烈火の如く怒るヴィルに、自分でもわからないと泣きながらポムフィオーレ寮を後にした。

「あれはまぐれだったのかも……」

 もしくは神の起こした奇跡なのか。
 レオナと共にただ歩く。たったそれだけのことがまったく成功しない。
 いくらレオナが芽唯の手を取ることで王子様になろうとも連れ歩くお姫様がカボチャのままじゃ意味がない。
 当然の如く深いため息が溢れる芽唯を笑ったラギーも彼女の目の前に山積みになったタマネギを切り始める。
 二人の周りにタマネギを切った時特有の臭いが蔓延し、他の生徒達がそっと距離を置き始めたのを見計ったようにラギーは「もう少しレオナさんを頼ったらいいのに」と呟いた。隣でやっと聞き取れる程度の声量はリズミカルな包丁の音や大きな滝の音に飲み込まれて周囲に拾われることなく消えていく。

「そんな、頼りにしてないわけじゃ……」
「でもあの人がエスコートしてるのに失敗するってそういうことじゃないッスか」
「足が縺れるのは私の身体が付いていけてないだけで、レオナ先輩は関係ないんじゃ?」

 緊張すればするほど上手く動かなくなる足。右足を動かしているのか、それとも左足なのか。回り続ける思考の中で四肢の自由が失われていく。あの感覚はレオナを頼れば抜け出せるものなのだろうか。

「ばあちゃんから聞きかじった知識なんスけど、そういうのは相手をどれだけ信じているかが鍵になるらしいッスよ」
「信じる……」

 似たような話を日中にもされた記憶がある。
 思わず顔を上げればフュシャと目が合い彼女はラギーの言葉を肯定するように力いっぱい頷いた。

「信じる心はいつだって、未知の扉を開いてくれる……」
「お? なんスかその言葉。誰かの受け売り?」
「……そんな感じです。今日、ちょっと色々あって。ううん。今日だけじゃない。この作戦が始まってから色んな人に言われたんです。素直になれとか、自分を信じろとか」
「んでオレからはレオナさんを信じろと」

 素直になるのも、自分や相手を信じるのも簡単そうで難しい。
 そもそも、簡単に素直になることが出来るならば今頃自分はレオナに気持ちを打ち明けている。
 目の前のどんどん小さくなっていく野菜の山とは反対に、山積みになっていく自分の問題にため息が止まらない。
 普段の芽唯なら幸せが逃げちゃうなと思う場面だが、逆に幸せすぎて困っているから問題だ。
 素直になってほんの一時でも良いからレオナの特別な存在としての時間が過ごしたい、と妖精にお願いした。そうした途端に自分までもがステージに上がることになり、レオナのパートナーを務めることになってしまった。これが幸福でないのと言うのなら方々から怒られること間違いない。
 シシシ、と笑うラギーが切り終えた野菜を鍋に放り投げる。ちょうど芽唯も切り終えたところだったのでまな板から手を離せば察した彼が芽唯の分まで放り込んでくれた。
 後は寮生達に煮込ませて市販のルーを投入すればあっという間に完成だ。
 綺麗なものから歪なものまで、大小さまざまな形をした具材たちもルーと共に煮込んでしまえば味なんて大して変わらない。

「メイくん、後はオレ達に任せて休んでていいッスよ」

 ラギーが談話室を指さし芽唯をキッチンから送り出す。
 レッスンは明日も続くし、なにより本番のフェアリーガラ当日まで体力は温存しなければならない。
 ありがたい申し出に頷いた芽唯はヴィルに教わった歩き方を実践しながら談話室へと向かう。
 その背を追うフュシャが「今は出来てるのにね」と呟いたのは誰の耳にも届かなかった。

◇◆◇
 
 二つの足が芝生を踏みしめながら慣れた道を揃って歩く。
 大丈夫だと何度も断ったのだが、食事を終え、大きな欠伸をしながら、それでも譲らなかったレオナは芽唯を寮まで送るのだと二人で寮を後にした。
 いつもなら無言でも心地いいはずの時間がなんだか気まずい。何か口にしなければと焦った芽唯は「えっと、私頑張りますね」とこぶしを握る。

「……何をだよ」

 目を細めたレオナの感情はわからない。慌てた芽唯は「ウォーキングです!」と付け足した。

「そんな張り切るほどのことでもないだろ」
「で、でも上手く歩けなかったし。本番当日、もし女王様とかに向かって転んだらどうしよう……とか色々考えちゃって」
「そういうのがよくねぇんだろ。お前は黙って俺だけ見てりゃいいんだよ」
「先輩だけって……」

 そんなの無理ですよ。
 出かけた言葉を慌てて飲み込んだ芽唯はどう返そうかと首をひねる。
 浮かんでは消える話題に頭を抱えながら歩いていればオンボロ寮は目と鼻の先、既に灯りが付いているのを見るにグリムが先に帰ってきているのだろう。ゴースト達は戻ってきてもランプを付けることはない。
 門を開けて石畳の上を一歩二歩。玄関の前へたどり着いたらレオナは挨拶も程ほどに帰ってしまう。
 何か、何か言わなければと焦る芽唯のポケットが少し暴れる。内側からポンポンと叩くそれはまるで芽唯を応援しているかのようだ。
 その振動に小さく、暖かな手の温もりを思い出す。──素直にならなければ。

「あ、あの……!」

 少しだけ足を速め、レオナよりも先に軒先へと入る。
 ポケットに手を入れていたレオナは気怠そうな姿勢のまま止まる。片方だけ上げた眉が芽唯になんだと問いかけている。

「私、レオナ先輩とステージに立てるなんて、その……夢みたいで。すごくうれしいんです」
 素直に。いつもなら日記に綴る言葉をレオナに伝える。
「お昼に一緒に歩いたときも、すごく緊張したけど、楽しくて」

 きっとあの時、自分はレオナしか見えていなかった。だからなんとか歩き切ることが出来た。
 手を差し出すレオナが自分だけの王子様のようで、あの瞬間、芽唯の世界には彼しかいなかった。

「足を引っ張らないように頑張るから、また明日……お願いします……!」

 勢いよく頭を下げた芽唯は逃げるように玄関へと手をかける。
 案の定、鍵のかかっていなかった扉は簡単に開き、レオナが何かを返す前に芽唯は扉の向こうへと姿を消した。
 ほんの少し目を見開いた、びっくりした猫のような顔をしたレオナを残してオンボロ寮へと逃げ込んだ芽唯は扉を背凭れにずるずると座り込む。

「言っちゃった……」

 あれだけ足を引っ張っておいて楽しかった、嬉しいなどと実に場違いな感想だ。
 けれど本当に、厳しい特訓すらレオナと一緒だと思えば心が躍る。学園としては一大事なのに、朝から晩までレオナと共に居られる現状を楽しんでいるなどと言ったら不謹慎だと怒られてしまうだろうか。
 膝を抱えた芽唯が数秒前の自分の行動に恥ずかしさを覚え、己の足に顔を埋めていると控えめに玄関扉のガラス部分が叩かれる。
 恐らくレオナだ。まだそこに居たのだろう。
 急いで立ち上がろうとするが「そのままでいい」と静止の声がかかる。

「戸締り、ちゃんとしてから寝ろよ。……また、明日」

 それだけ告げるとレオナの足音が寮から遠ざかる。
 ゆっくりと立ち上がった芽唯が覗き穴を見る頃には彼の背中はとうに敷地内から消えていた。
 忠告通り、しっかりと鍵をかけた芽唯はレオナの言葉を繰り返す。

「また、明日」

 レオナもそう言ってくれた。
 勝手なことをと、人の気持ちも知らないでと罵ることもなく。
 会えるのを、共に過ごす時間を楽しみにしているのは自分だけではないと自惚れてもいいのだろうか。
 もしくはただの社交辞令なのかもしれないが、相手はあのレオナだ。芽唯の面倒を見るのが嫌になっていればとっくの昔に……それこそ今日のレッスン中にヴィルの前で言っているはず。

「また、明日……!」

 噛みしめるように何度も何度も繰り返す。
 レオナの相手として居ることが許される。作戦のためのパートナーとは言え、レオナの隣に立つのは自分なのだと胸を張れる。

「グリム、みんな、聞いて欲しいの……!」

 今日あった出来事を話したくて仕方がない。
 談話室へと向かった芽唯を家族達は笑顔で出迎えた。

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