07


 ぐらぐらと頭上で花瓶が揺れる。
 緊張した足取りで歩く芽唯の隣のレオナも同じ……はずなのに彼は優雅に水を一滴も零すことなく歩き切った。

「……満点だわ」

 静かな声でヴィルがレオナを評価する。

「昨日までとは本当に別人ね」

 宣言通り、苦戦していた時間が嘘のようにレオナのウォーキングはヴィルの言う通り別人のような完成度になった。
 油をさし忘れた機械のようにぎこちない動きの芽唯がようやく彼の隣に並ぶと、芽唯の頭上の花瓶をマジカルペンでサッと消し、深く息を吐く。

「俺は有言実行する男なんでなァ? それに口うるさくお前に付きまとわれるのはもううんざりだ。自分で出した条件な以上、こいつの面倒も見なきゃならねェのに自分のことで手一杯、……なんて群れのボスとしての沽券に関わる」
「ふっ、沽券ねぇ? ま、そういうことにしておいてあげるわ。……メイ、アンタはもう少し肩の力を抜きなさい。隣を歩いてるのは漸く孵化したばかりのヒヨッコ王子なんだから、そんなに緊張することないわ」
「ぜ、善処します……」

 単独であるのならばそうなのだろうが、エスコート自体はヴィルも認めた通り完璧だ。それにレオナのことをそんな風に思うなんて到底できない。
 顔を俯かせ、もじもじとする芽唯にレオナとヴィルは顔を見合わせ肩をすくめた。

「少し休憩にしましょうか。メイ、アンタは少し外の空気でも吸ってきなさい」
「はい……」

 自分の足先を見つめながらふらふらと部屋を出る。
 扉を出てからはすっかり慣れた順路で外へ。相変わらず近くの森では小鳥達がさえずって歌を奏でている。その歌に引き寄せられるように思考の回り切らない芽唯は森の奥へと姿を消した。

◇◆◇

 ハッと意識が浮上した時には見知らぬ場所に居た。
 周囲を見渡しても木、木、木。帰り道の目印になるようなものは見当たらない。
 顔を上げ、木々の向こうを覗いてもポムフィオーレ寮の姿は見えない。

「ここ、どこ……?」

 膝を抱え、湖面を見つめていたのはいつからなのだろう。
 急いで立ち上がった芽唯は身体の固まった感覚から、かなりの時間そうしていたのではと予測を立てた。

「練習に戻らなきゃ……!」

 けれど、どっちへ向かえばいいのだろう。
 右を見ても左を見ても広がっているのは森ばかり。そんな遠くまで着た覚えはないのに澄んだ空の向こうに寮の屋根すら見えないのが不安を掻き立てる。
 確か迷ったときは壁に手を付きながら進めばいいとハーツラビュルの迷路の話題になった時に聞いた気がする。けれど森に壁なんてない。
 この歳で迷子なんてと肩を落とした芽唯だったが、気分を切り替えるために自分の両頬を勢いよく叩く。
 幸いにも湖周辺は少し土地が開いている。
 手頃な石を拾い集め、自分が座っていた部分に目印として積み上げた。
 もし迷ってしまったならこの場所に戻ってこよう。無意識とはいえ寮からたどり着いた場所ならば戻れる確率が一番高いに決まっている。
 逆にこの場所を見失ってしまえば寮から遠ざかってしまうかもしれない。鏡舎で鏡を使ってきたこの場所がどれだけの広さがあるのかはわからないが、スカラビア寮での砂漠横断を考えるとかなりの広さを有していると考えるのが妥当だろう。
 兎にも角にも動かなければ始まらない。手始めに右側へと歩き始めた芽唯はふと小鳥のさえずりが聞こえないことに気が付いた。
 生き物の気配はするのに、あれだけ謳っていた鳥たちはまるで芽唯を警戒しているように口を噤んでいる。

「なんか、へん……」

 いつもなら小鳥達は真っ先に芽唯の近くへやってくる。リスや野ウサギ、運が良ければ子鹿も姿を見せてくれるのに。
 ぼーっとしている間に彼らに迷惑でもかけてしまったのだろうか。
 考えていても仕方がない。疑問を置き去りにして進んだ芽唯は次の違和感に気付く。真っすぐ、真っすぐ歩いていたはずだ。
 けれど目の前に先ほど作ったばかりの目印と湖が現れた。

「……なんで?」

 ぱちくりと瞳を瞬かせても目の前の現実は変わらない。
 積んだばかりの石を見間違えることもなければ、確かに自分は湖を左手に森の奥へと進んだはずだ。
 ──間違いなく、変なことに巻き込まれている。
 この世界に来てから幾度目かのトラブルに即座に諦めた芽唯は湖の正面へと座り込む。
 動くだけ無駄に違いない。理屈は分からないが、何者かの手によって、もしくは何らかのきっかけによりこの空間に閉じ込められていると思った方がよさそうだ。
 そもそも、ここに来るまでの記憶がないのもその何者かの手によるものだと考えるのが妥当だろう。

「どうしてぇ……」

 膝を抱え、座り込んでいた芽唯は湖に映し出される自分を覗き見た。
 姿かたちに変化はない。自分の視覚がおかしくなっていなければ、だが。
 ヴィルやクルーウェルに教え込まれたメイク。ようやく着方が分かってきたフェアリーガラ用の衣装。
 特におかしくなっている場所もなく、休憩の為に寮を抜け出したときの自分のままだ。

「あれ……?」

 そういえば常に近くを飛び回っていたはずの妖精達をしばらく見ていない。彼らはどこへ行ってしまったのだろうか。

「はぐれちゃったのかな……」

 このおかしな空間に来る前にはぐれたのならば、異変を察した彼らがレオナ達に救援を求めてくれているかもしれない。逆に彼らは別の空間に閉じ込められている……となれば事態はなおさらややこしくなるが、可能性はなきにしもあらず。

「どうしよう……」

 再度湖を覗き込む、情けない顔をした自分が当然映し出され。その肩越しに己を覗き込む大きな影と水面越しに目が合った。

「なさけねぇ顔」
「⁉ れ、レオナ先輩⁉」
「っと、あぶねェな!」

 驚き振り向けばレオナがそこに立っていた。
 急に体を回転させた芽唯はバランスを崩し湖へと落ちかけたが、レオナが手を伸ばして難を逃れる。
 頭を抱きかかえるように引き寄せられた芽唯はレオナの肩に顔を押しつけたまま立ち上がらされた。
 レオナは芽唯の顔を左右に動かし、瞳を覗き込むと「おかしな魔法にはかかっちゃいねぇな?」と疑うようにじっと見つめる。

「だ、だ、だ、だ、大丈夫です!」

 サマーグリーンの瞳の眩しさに小刻みに素早く顔を動かした芽唯は早く離れたい一心で彼の手に己の手を重ねる。
 はがそうと思って重ねたそれに何を思ったのか、レオナは芽唯の頬をつまむように両手を動かす。
 むにゅむにゅともまれる頬に羞恥を覚えた芽唯が唇をかみしめたころ漸く解放され、距離が出来る。
 逃げるように数歩後ろに下がってレオナを見れば彼もまた衣装に袖を通したままだ。

「あの、先輩……練習は……?」
「どっかの誰かが戻ってこなくてなァ? カンカンに怒ったモデル様お墨付きでお転婆なお姫様を探しに来たんだよ」
「あ、っはは……。……ごめんなさい」

 やはりかなりの時間がたっていた。怒ったヴィルになんて謝ればいいのやら。

「ん」

 芽唯が肩を落としていると目の前にレオナの手が差し伸べられる。帰るぞ、ということだろうか。
 怒られる覚悟を決めねばとレオナの手を取った芽唯が「出口はどこですか?」と尋ねるとレオナは首を横に振る。

「知らねェ」
「え、先輩助けにきてくれたんじゃ⁉」
「探してこい、とは言われたが連れ帰ってこいとは言われなかったからな」 
「ちょ、ちょっと。えぇ⁉」

 捕まった片手だけでなく、気が付けば両手がレオナの手に捕らえられている。
 体をくるりと回転させられ、後ろから包み込むように抱きしめられた芽唯は唯一自由が利く首をひねってレオナを見る。

「な、何するんですか?」
「練習」
「え、え、えっ⁉」
「そら、前見てろ」

 芽唯の身体の向きを調整し終えたレオナは横へ並び立つと彼女の手を己の腕に絡ませる。

「顎は少し引け、胸は張れ。足を動かす時は俺の呼吸に合わせろ」

 言われるがまま、身体を少しずつ動かす。指先や尻尾が軽く触れたところの力加減を変えていく。
 何度も何度も、レオナの指摘を受けては身体の動かし方を変える。
 回数を重ねるごとに動きが自然になっていく。足が縺れることも減り、レオナの顔を見る余裕が出てきた。
 積み重ねた石をスタートラインに、湖を西へ東へ往復を繰り返す。二つの足跡が湖全体を縁取るころにはどこからやってきたのか、森の野生動物達が観客のように二人を取り囲んでいた。

「……だいぶマシになってきたな」
「今は先輩以外誰もいないから……」

 動物達はいますけど、と芽唯が付け足せば小鳥が二人の頭上を飛び回る。
 一匹の小鳥がレオナの背を押し何事かをさえずれば「わかったわかった」と静止する。

「もう一回、早くやれ、だとよ」
「ふふ、アンコールですね」

 ったく……と息を吐いたレオナの腕に手を絡める。初めはドキドキして仕方がなかったのに、ほんの少し体重を預けながら彼を頼りに足を動かすことで身体が自然に進む。
 ひらひらと二人の背後で揺れるストールを潜るように飛んだ小鳥は体に布が巻きつく前に旋回すると芽唯の肩に降り立った。

「一本の線の上を歩くように……」
「そうだ、そのまま。肩の力は抜いて」

 ただ歩く。けれど優雅に、魅せるように。
 レオナと芽唯の足がぴたりと止まる。

「できた! 今の感じでいいんですよね!」

 嬉しさのあまり思わずレオナに飛びつけば逞しい腕はバランスを崩すことなく芽唯を受け止める。

「後は観衆の前でもやれれば完璧だな?」

 できるのか?と問うているのだろう。意地悪く片眉を上げたレオナは芽唯の腰に片手を回し「後はポーズも取らなきゃなんねぇんだと」と彼女の手を取るとピンっと伸ばし、今にも踊り出しそうな雰囲気だ。

「ポーズ、ですか。こんな感じ……?」

 レオナに身体を支えられたままの芽唯が見様見真似で身体を動かせば「違う」と笑ったレオナが芽唯を腕の力だけで自在に操る。

「ワン・ツー、ワン・ツー」

 リズミカルに足でステップを踏み出したレオナに糸で吊られたかのように身体が動く。

「わ、ひゃ、危ない……!」

 足を踏まないようにひやひやする芽唯とは裏腹に、レオナは心底楽しそうに笑う。

「も、もう意地悪しないでください!」
「良いポーズってのが思い浮かばねぇんだからしょうがねェだろ」

 最後には抱きかかえられて持ち上げられる。リフトというよりは抱っこに近いそれでようやく満足したのか、レオナは芽唯を下ろすと「こんなもんか、と」呟いた。

「そろそろ帰るか」

 まるで自分たちの意志で帰ることが出来るかのように言うレオナに首をひねる。

「帰り方、わからないんじゃ?」
「ンなこと言ったか?」

 覚えがないとこちらもまた首をひねるとポケットから鈴を取り出し軽く鳴らす。

「あ、それ!」

 それは芽唯が失くしたはずの翻訳機だ。
 チリンと軽やかな音色を立てればどこからともなく淡く黄色い光が二つ飛んでくる。
 それらはレオナと芽唯の周囲を飛び回ると片方はレオナの肩へ、もう片方は芽唯の肩へ。

「あぁ、忘れてた。お前にも渡しておく」

 銀色の塊が放り投げられ慌ててキャッチすればこちらも鈴だ。

「ちょっと! 乱暴に扱わないで、大事なモノだって言ったでしょう!」
「フュシャ……」

 芽唯の肩で暴れる光……フュシャの怒りなど無視したレオナは己の肩にとまったグラジオに「魔法を解け」と指示を出す。

「おっけー、わかった!」

 頷くグラジオは飛び立つとフュシャの手を取りレオナと芽唯に光の粉をかけ始める。

「まさか、この空間を作ったのってあの二人⁉」
「あァ」
「だから先輩は急に現れたし、慌てもしなかったんですね?」

 今思えば初めからおかしかった。
 ただ寮から出ただけなのに気が付けば見知らぬ森にしゃがんでいた自分。
 抜け出すことが出来ないループする森にいきなり現れたレオナ。
 帰り道を探すでもなく突然練習を始めたのも、全て知っていたからに他ならない。

「あのまま連れ帰って息苦しい部屋で緊張しながら続けたって意味ねェだろ」
「だからって変な魔法をかけるなんてどうかと思います!」

 またおかしなことに巻き込まれてしまったとすごく不安になったのに、レオナの手のひら上で踊らされていたなんて。
 頬を膨らませる芽唯に「悪かったよ」と謝るレオナだがあまり誠意は感じられない。

「……練習が進んだから許してあげます」

 騙されたのは正直悔しい。
 けれどレオナのいう通りボールルームで緊張したまま練習をいくら続けても今のような自然な動きは身に付かなかっただろう。
 森の中、小さな観客達の前でレオナと過ごす穏やかな時間は芽唯の舞台に対する緊張を優しく解いてくれた。

「そういえば、最初は小鳥も野ウサギ達も気配はしたのに姿が見えなかったはず……なんで練習をしてたら現れたんですか?」
「お前が見られることに緊張するから、段階を踏んで見えるようにしろと妖精どもに俺が指示した」

 帰るぞ、と手を引くレオナに従い歩き出す。
 魔法はすっかり解けたのだろう。空を見上げてみればポムフィオーレ寮の屋根が森の奥に見える。

「一体いつからこんな練習考えてたんですか?」
「昨日。お前と別れた後。……妖精どもがうちに戻ったことに気づかなかったのか」
「全然……」

 レオナに送ってもらった後、グリムやゴースト達に話をたくさん聞いてもらった。
 急遽自分も舞台に上がることになった話、レオナと歩いた時の高揚感。明日から頑張らねばならないのだと意気揚々と早めに眠りについた。
 思い返してみれば、あの時寮のどこにも妖精達の姿はなかったかもしれない。

「おまえ、ラギーに翻訳機を貸しただろ。その後ちゃんと取り返したのか?」
「あっ」
「自分の分も盗られてることに気づかない平和ボケは早めに直すべきだな」

 もしや、だからあの帰り道フュシャもグラジオも静かだったのか。
 ポケット越しの応援を最後に彼らとやりとりをした記憶がないことに芽唯はようやく気付く。

「レオナ先輩が一晩で自分のウォーキングを完璧にしたのってまさかこの為……?」

 横顔を見つめればゆっくりと瞳が細められる。

「……フェアリーガラ、絶対に成功させなきゃなんだから私を担ぎ上げる前から本気でやってくださいよ」
「それじゃあ意味ねェだろ」
「えぇ……」

 レオナが最初から本気を出してくれていれば芽唯がメンバーに入る必要なんてなかった。もっと言うのであれば、レオナが完璧に出来た今、自分が彼のパートナーとして舞台に上がる意味はどこにあるのだろう。
 訳が分からないと首をひねる芽唯にレオナはただ笑うだけで何も答えない。
 仲睦まじくポムフィオーレ寮を目指して歩く二つの背中を追いかけながらフュシャとグラジオの二人だけが微笑んだ。

←前へ 次へ→

    TwstMenu/INDEX

ALICE+