03


 彼女の望むまま、文通を始めて早数日が過ぎた。
 レオナの宝箱は想定外に増えた宝物をしまうためこっそり大きなものへと入れ替わった。
 目ざといラギーはいち早くそのことに気付いたが、とくに言及はしない。
 それどころか、機嫌よく鼻歌まで歌い出し、怠惰なことで有名な獅子が体を起こして机に齧りつく時間が増えたので、部屋の掃除がしやすいことの方が彼にとっては重要だった。

「レオナさーん、洗濯物これで全部ッスか?」

 問いかけても返事はない。見渡す限り取りこぼしはないはずだが、この男は想定外の所にたまに衣服を投げていることがある。
 後でそのことを追求されるのも面倒なので『ちゃんと確認した』という言い訳の為に必ずラギーはレオナに一度問いかけるようにしていた。

「あー、ないない。さっさと出てけ」
「まったく、酷い言いぐさッスね。こんなに一生懸命働いてるのに邪魔者扱いッスか」
「出来る部下ってのは空気を読んで黙って出ていくもんだろ」

 片手を払い、追いだす仕草をするレオナの視線はラギーに向かない。
 もう片方の手に握られている山吹色の便箋を見つめる瞳は文字を追うのに忙しいのだから仕方がない。

「幸せそうな顔しちゃってまぁ……」

 この部屋でレオナのそんな顔を見ることになるとは思わなかった。しかし、良い傾向だとも思う。彼女を泣かせだのなんだのと、辛気臭い顔よりずっといい。
 日記を砂にした日。手紙を受け取った日。芽唯からレオナに向けて綴られてきた文章を見てはいないが、それらがもたらしたものをすべて見てきたラギーにとって、現状はとても好ましい。
 緩みきっているとまではいかないが、穏やかな笑みを浮かべる姿はかつてのレオナを知る者ならば皆驚くだろう。
 洗濯籠を抱え直したラギーは王様の言う通りに部屋からすぐに退散した。
 こっそりと、脇の間から覗かせたスマホでレオナの様子を撮ったことに彼が気づいたかは定かではない。
 
◇◆◇

 俺の恋人は随分ワガママが下手糞だ。
 たった数日、ほんの数枚の手紙をやりとりしただけで俺が自分の言ったことを覆す器量の狭い男だとでも思っているのか?
 最初の手紙にも書いただろ。タノシイお手紙を送ってくれって。
 それとも、後ろ向きにうじうじとするのがお前流の『楽しい』なのか?
 大体、お前はいつも勝手に俺の考えを決めようとする。日記の時もそうだった。
 俺がお前を好いていることは察するのに、そこに変な理由を並べて事実を捻じ曲げる。見ないふりをする。
 
◇◆◇

 どうしたものか、とレオナは一度ペンを置く。
 カタリと無機質な音を立てるそれらから紡ぎ出した文字はまるで芽唯を追い詰めるようなものだ。
 というのも、最初は彼女も浮かれていたのだろうが数度やり取りを重ねていくうちに、ついにいつもの悪い癖が出てきてしまった。
 やっぱり迷惑だったんじゃないだろうか。辞めた方がいいんじゃないか。前のめりでやってきたくせにすぐに後退る。
 手紙に書いた通り、他人の機敏に疎いわけではない。むしろ察しは良い方だ。
 隠していなかったのもあるが、芽唯はレオナが彼女に向ける感情に気付いていた。気づいて、目を逸らし、最終的にレオナの反感を買ってしまった。
 そんな馬鹿な所も愛おしくはあるのだが、ある意味レオナが彼女に不安を与えてしまっていることに他ならない。
 彼女が後ろ向きの思考に飲み込まれずに甘えられる関係をまだ作り上げることが出来てない証拠。
 最初の手紙を受け取った時は良い傾向だと思えたのに、またすぐこれでは先が思いやられる。

「最近は減ってきたと思ってたんだがな……」

 深く息を吐く。決してため息ではない。
 異世界人。王族。芽唯を不安にさせる要因はそれこそ山のようにある。
 芽唯を手放す気のないレオナはそれら全てを力でねじ伏せるつもりしかないし、芽唯だってレオナを信じている。その考えを理解はしている。それでも、どうしようもない不安に駆られてしまう。
 どうすればそれらを取り除けるのだろう。もっとワガママを言わせられるのだろう。
 女という生き物については義姉に関わり多少なり知っているつもりだ。
 それでも、時折彼女の笑顔が曇ると正しい選択がわからなくなる時がある。
 ──本当に、面倒な女だ。



 結局、一度折ってしまった筆は再度握ることが叶わず。彼女に返信を出せないまま一夜が過ぎた。
 ルチウスは手紙を受け取った時点で帰していたので問題なかったが、珍しく寝つきが悪かったせいで欠伸が止まらないレオナをトレインが睨む。
 彼の前、教卓で自慢の尻尾を左右に振っているルチウスもどこか呆れた表情をしているのは気のせいじゃないだろう。

「ちょっとレオナ。珍しく授業に出たと思ったら欠伸ばっかり。真面目に取り組む気がないならアタシの視界に入らないところに行って」
「うるせぇな、こちとらまだ考え事がまとまらねェんだよ……」

 小さな声でレオナを窘めるヴィルは眉間に皺を寄せたかと思うとトレインの方へすぐに視線を戻す。
 あのレオナ・キングスカラーが珍しく悩んでいることに疑問を持ったのか。はたまたレオナが頭を悩ませる理由を察したのかはわからない。
 けれど、すぐに小うるさい口が閉じたことに安堵したレオナは止まらない欠伸をかみ殺しながら昨年も聞いた授業に耳を傾けながら、頭の中では芽唯からの手紙を思い出していた。

◇◆◇

 その、やっぱり迷惑だったりしないでしょうか。
 サバナクロー生のクラスメイトから朝練の時に先輩の欠伸が増えたと聞きました。
 それってお手紙を書くのに時間を使ってるからじゃないですか?
 もし先輩の睡眠時間を削ってしまっているなら不本意だし、せっかくレオナ先輩に喜んでほしくて始めたことなのに生活の邪魔になっていると思うと心苦しいです。
 先輩の言っていた楽しいお手紙もきっと書けないですし、やっぱり別のプレゼントをちゃんと考えた方が良いのかなって……。

◇◆◇

 レオナが欠伸をしているのはいつものことだ。
 というか、そんなことを彼女に話したのはどこのどいつだ。特定したところで芽唯が抱えてしまった不安は取り除けないので放置しているが、後で相応の罰は受けてもらう気でいる。
 寝不足なのも相まってうとうとと船を漕ぎながらレオナは思考の海に浸かっていく。
 そもそもで、レオナの睡眠不足が続いてるのは他ならぬ寮生たちが原因だった。
 個性の強いナイトレイブンカレッジの中でも特に血の気の多いサバナクローでくだらないことで始まる喧嘩は珍しくない。それが運の悪いことに連日起きただけのことだ。
 寮生が問題を起こせば寮長のレオナが駆り出される。
 拳だろうが、魔法だろうが、レオナが仲介に入れば大半の喧嘩はすぐに終わるからだ。
 それに加え、今回連日揉め事が起こっているのはレオナの誕生日に向けての準備中による意見の相違が原因のようで。サプライズのつもりなのか、隠しきれてないのに寮生たちはレオナが顔を出せばスッと喧嘩をやめて何事もなかったように振舞う。
 ならば最初からくだらない揉め事など起こさないで欲しい所だが、自寮生に関してはそれは難しい話だ。
 芽唯も寮生も、己の誕生日をきっかけにぐるぐると自分の尻尾を追い続ける間抜けな小動物のように空回りを続けている。

「ふぁあ……迷惑な話だ」

 レオナの欠伸と同時にチャイムが鳴る。終わりを知らせる鐘の音が生徒達を退屈な授業から解き放つ。
 途端に騒めきたつ教室内で資料を片手にトレインがレオナを手招きする。
 大方真面目に授業を受けていなかった罰則だろう。追加の課題か、はたまた補習か。

「ンだよ……」
「キングスカラー、君は……。いや、いい。別に説教をするために呼んだわけではない」
「はぁ?」

 珍しいこともあるものだ。
 あのトレインが不真面目な生徒にお咎めなしとは明日の天気は雪か槍か。レオナが切れ長の瞳を丸くさせていると教師の腕の中にはルチウスが収まった。

「使いをさせているそうだな」
「ナァ……」

 トレインの言葉を肯定するようにルチウスが鳴く。

「……まぁな。報酬は払ってる」
「それで、彼女との手紙のやりとりは順調か?」

 この世界には動物言語学が存在する。主人であるトレインが愛猫の関わっている話題を把握していても不思議ではない。
 問いかける声が若干含みをはらんだものなのも含めて。

「知ってるんだろ、ならわざわざ聞くなよ」

 レオナがルチウスを一睨みすれば知らないとでも言わんばかりに鼻をならして顔を逸らす。告げ口するとは趣味が悪い猫だ。
 この猫も含め、教師陣は大半が芽唯に甘かった。
 唯一の女生徒と言うのもあるが、問題児ばかりのナイトレイブンカレッジで素直で従順で真面目な生徒は教師としても男としても可愛いものだろう。
 それに、トレインには既に一人立ちしているが娘がいたはず。年端も行かない少女と呼ぶべき芽唯のことをひときわ気にかけるのも納得がいく。

「……君には遠回しに問うのも時間の無駄か。彼女の不安は取り除いてやれそうか?」
「目下思案中だ」
「だろうな。私の授業を右から左へと流す程度には頭の中が埋まっていると見える」
「わかってんなら聞くなよな……」

 何が悲しくて教師に己の恋愛事情を把握されねばならぬのか。
 これならば、まだ自称保護者の役にも立たないクロウリーが出しゃばってきた方がマシに思える。

「彼女と直接話はしたのか」
「……いや」

 連日、彼女には会えていない。
 運が悪いのか、それともいいのか。手紙のやりとりを始めてから時間が合わなくなっていた。
 日課だったはずの昼食すら何日も共にしていない。……あの笑顔を見ていない。 

「……私も、妻と昔文通をしたものだ」
「は?」

 何の話だよ。そう問いかけようとしたレオナを黙らせるようにトレインが一睨みする。
 老齢の教師に睨まれたところで臆するようなレオナではないが、有無を言わさない圧があった。話しを聞けということだろう。

「手紙と言うのはとても便利だ。遠距離の相手と連絡が取れるのはもちろん、会えない間の穴埋めをすることが出来る」
「今時ネットで事足りるがな」

 それこそ二十四時間、年中連絡が簡単に取れる。手紙なんて手間も時間もかかるのを使うのはよっぽどのもの好きか、機械音痴くらいだろう。

「しかし、文字とは不便なものだ。伝えたい想いをいくら綴ったところで直接語り合うことには叶わない。私も当時は妻と何度もすれ違った」

 短文をリアルタイムでやり取りするならば違うだろうが、長文と言うのはどこかで思いが捻じれがちだ。レオナと芽唯も例に漏れない。
 どれだけ正しく綴っても、気持ちを込めても、意図しないように受け取られるし、思考の迷路で己の気持ちにすら迷いが生じる。

「……なら、そのすれ違いで生じた認識のズレをどうやって直したんだよ」

 レオナはいくら考えてもそれがわからなかった。
 知識と経験ならそれなりに持っているつもりだ。それこそ、その辺の生徒が体験したことがない緊迫した状況だって乗り越えたことがある。
 けれど、同年代、それも恋人と呼ばれる相手に対する経験はゼロ。
 ありがたくも先達であるトレイン自ら首を突っ込んできたのだから、大人しくご教授いただくのが賢い選択だろう。
 少し斜に構えていた姿勢を正し、トレインと向き合う。年齢に似合わずギラリと光る瞳からは強い意志が溢れている。彼からそんな瞳と違わず、真っすぐな言葉が放たれる。

「直接会って話す、それ以外にない」
「……本気で言ってんのか」

 なんだその答えは。一瞬尻尾の毛がぶわりと逆立つ。まさか、そんな乱暴な返答が帰ってくるとは思わずレオナは目を見開いた。

「当然だろう。そもそも、手紙は会えない間のコミニュケーション手段の一つに過ぎない。伝わり切らなかった思いは音に乗せ、相手に直接届けるべきだ。現に君は以前彼女から送られてきた手紙には直接返事を伝えに行ったのだろう」
「……」

 逃げ回る芽唯を追い、勝手な思い込みで別れを覚悟する彼女を捕まえたのは記憶に新しい。
 いつの間にか視野が狭くなり、手紙で伝えることばかり考えていたレオナはバツの悪さに頭をかく。どうやら馬鹿なのは自分の方だったようだ。

「今日、私の授業を聞き流した罰則として彼女と互いの想いを擦り合わせること」
「そいつは罰なのか? 随分お優しい教師様だな」
「彼女が肩を落とし、悲しそうな顔をしているのを教壇から眺めるのは君が思っている以上に心が痛むんだ。それが解決出来るならば十分な罰だろう」
「結局は自分の為か。流石はこの学園で教鞭を取ってるだけある」

 一筋縄ではいかない生徒相手はこうでなければやっていけない。
 ルチウスの背を撫で一度口角を上げた男は教師や男というよりも、やはり父親として彼女に寄り添っているのだろう。
 怪しげな仮面で素顔を隠し飄々としている男より何倍も信頼できる。
 話はこれで終わりだったのか、トレインは教材を魔法で浮かせるとレオナに背を向けた。
 レオナへの信頼なのか、伝えられればそれで満足なのか。彼の妻も相当苦労したのだろうなと他人事のように思いながらその背を見送る。
 気が付けば相当話し込んでいたのか、時計の針は既に授業時間であることを知らせていた。
 レオナがサボるのはいつものことだが、教師たるトレインが生徒を次コマ開始時間を過ぎても捕まえて居たことには驚いた。

「ったく、俺の女はとんだ魔性だな」

 あの真面目で名高いトレインにサボりの一端を担わせるとは恐れ入る。
 それほどまでに彼女が落ち込んでいる様子をあの教師は見ていられなかったのだろう。
 ふは、と空気の抜けるような笑いを一人残された教室で零したレオナは英気を養うために植物園へと足を向ける。
 眠りに付く直前。『いつもの場所。手紙を忘れるな』と彼女に短い一報を送って目を閉じた。

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