04
久しぶりにレオナから手紙以外で連絡がきた。
メッセージアプリの下の方に沈んでしまっていた名前が一番上に踊りでただけで少し気分も浮き上がる。
しかし、彼と会うのが少し気まずい芽唯は鞄の中に押し込めた手紙の束に触れながら深く息を吐く。
「幸せ、逃げちゃうな」
それはいつも自分がレオナに向けて言う言葉だった。
手紙でのやりとりを重ね、会いたいと思えば思うほどレオナとの時間は減る一方。
最後に顔を見たのはいつだろう。言葉は交わしているのに会えていないのは不思議な気分だ。
同じ学園内に居るのに、学年が違うことの意味を久しく忘れていた芽唯は連日のすれ違いに耐えかねていた。
珍しくラギーからも連絡はなく、クラスメイトからレオナの近況を聞くたびに胸が痛んだ。彼を想って始めたことが足を引っ張る形になってしまっているのでは。そう考える度に後悔だけが打ち寄せる。
教科書とノートの間から顔を出している手紙たちからはレオナの愛情というものを感じられ幸せだった。
熱烈とは言えないが、レオナの不器用な愛が詰まっているのが芽唯にはわかる。
オンボロ寮に残るレオナの痕跡のように、じわりじわりと芽唯の心の隙間に入り込んでくる言葉たち。
どこか意地悪な言い回しすら、受け取り方を覚えた今では誰のどんな言葉よりも自分を案じてくれているのだとわかってしまう。
思考をレオナで埋めながら足を動かしていれば自然と植物園へとたどり着く。何度も通った彼との逢瀬の場所に向かうのに頭の中の地図を開く必要すらない。
それほどまでに通い慣れた場所なのに入り口をくぐる気分が重い。中では久しぶりに会えるレオナが待っているというのに、芽唯は入り口の前で茫然と立ち尽くしてしまった。
「どうした、迷子か? 数日会わなかっただけで待ち合わせ場所を忘れるとは薄情なこった」
「……意地悪なライオンさんがお迎えに来てくれると思って待ってただけです」
「それはそれは、気が利かなくて悪かったな」
不意に背後から声がかけられ、驚きはしたが聞きなれた低音にすぐにざわついた心は静まった。
慣れた手つきで腰に手を回すとレオナは芽唯と共に植物園の入り口をくぐる。俯いた芽唯には足元しか見えていないが見慣れた石畳がどこへ続いているかはわかっている。
無言でいつもの定位置へと腰を下ろしたレオナはそのまま芽唯の手を取り引き寄せる。
されるがまま、正面からレオナの腕の中に納まった芽唯は未だレオナと視線を合わせることが出来ないでいた。
「なんだよ、顔も見たくないってか?」
「そうじゃないです。その、なんて言えばいいんでしょう」
無意識に鞄の中の手紙に手を伸ばす。
実際に相対したレオナは以前と何ら変わりない。ほんの少し眠たそうな気もするが、芽唯の肩に顔を埋め、ごろごろと喉を鳴らすのを聞くに機嫌も悪くはなさそうだ。
「お手紙、面倒じゃなかったですか?」
手紙というのは案外時間がかかる。
日記から始まり、日課として書き続けたあの日々は気が付けば時計がとんでもない時間を指していることもままあった。
今だって、レオナとのやりとりに夢中になって慌てて先に寝ていたグリムの隣に身を滑らせたことも少なくない。
なにより、クラスメイトからレオナが寝不足かもという情報を貰ってからは気が気じゃなかった。
「まぁ、面倒っちゃ面倒だな」
「……なら、やめましょう。先輩のお誕生日祝いに始めたことなのに、負担になってるなら意味がない」
ただ喜んでほしくて始めたことなのに、どうしてこうなってしまうのだろう。
顔の横でレオナが深く息を吐く。手紙を辞められることへの安堵だろうか。数度肩口に額をこすりつけたレオナは顔を上げると芽唯の鞄から手紙を抜き去った。
「あっ」
「お前、本当に思い込みが激しいな」
ほらよ、と代わりに手渡された手紙を受け取る。
書きかけなのか、尻切れ蜻蛉のソレの最後は『面倒な女』という一文で締めくくられていた。
「面倒で悪かったですね」
自分でも面倒だと思う。プレゼントと称して自分が欲しかったから手紙のやりとりを希望した。かと思えば、自分の都合で辞めたいと言い始める。面倒以外の何者でもないだろう。
「ばーか、悪いとは言ってないだろ」
「いたっ」
軽く額を小突かれた隙に、その手紙すら奪われた芽唯は少し距離を取ったレオナの顔を見つめる。
言葉とは裏腹に、いつものようにニヤニヤと笑みを浮かべる姿にこちらの方が眉間に皺を寄せてしまう。
「いいか、一から説明してやるからよく聞けよ」
無理やり身体を反転させられレオナを背凭れにする体勢になる。
横から回された手にはレオナからの手紙と自分が送ったものも握られており、レオナの男っぽさはあるが美しい指先が文字列をなぞる。
「別に、先輩からのお手紙に不満なんてないですよ……。説明されなくたって、何が言いたいかくらいわかってます」
不器用な愛の言葉たち。皮肉めいていて小馬鹿にしているように聞こえるが、己を心配してのもの。
かさかさと紙同士が擦れる特有の音を立てながらレオナは数枚の手紙を捲っては見慣れた便箋の文字を指さした。
「俺が話すのはお前の手紙のことだ」
「ちゃんとお返事貰ってますけど……」
なんでわざわざ。そんな言葉を飲み込んで芽唯はレオナが指さした部分を目で追う。
自分の文字が並んでいる。不安に駆られた後に送ったものだろうそれは、レオナを案じるような言葉が連なっている。
「俺が寝不足ってのは誰に聞いた。いや、まぁそれは後でいい。俺が寝れてなくて、それが自分のせいだと? 思い上がりも甚だしいな」
「うっ……」
だって彼が言っていたのだ。「寮長最近夜中にこそこそなんかやってるんだよな」と。
そんなことを聞かされれば、誰だって自分のせいだと思うだろう。
「どうせお前は俺が理由をどれだけ文字を連ねて丁寧に説明したところで納得しねェだろ。一度思い込んだらテコでも動かねぇからな」
なぁ?と耳元で囁く低音に背筋が震える。まるで吐息すらも送り込むかのように至近距離で囁かれ芽唯は身を竦ませた。
「だって……」
だって、だって。それ以外の言葉が出てこない。
「本当に学ばねぇな。自分の気持ちを一方的に押し付けて、俺の考えを決めつけて満足か?」
「そうじゃないですけど……」
面倒だと告げたのはそっちのくせに。口籠る芽唯の唇は手紙とは違い上手く言葉を紡げない。
どうしたものかと視線を彷徨わせているとポケットの中でスマホが震えた。
それに気づいたレオナが芽唯の代わりに取り出すとロック画面にはラギーの名と共に一枚の写真のサムネが表示されていた。
「ったく、どっかで見てやがるのかってくらいタイミングがいいな」
ほら、と手渡されたスマホのロックを解除すればより大きな画像が表示される。
『お届け物ッス』の一文と共に表示されたそれにはレオナが写っている。
盗撮なのか、どこかピントのズレたそれを拡大すれば人物の表情はよく見えた。
「わっ……」
鮮明とはいかないが、その人が何を思っているかは一目瞭然だ。
頬杖をついた男は山吹色の便箋を見つめ、口元や目元を緩ませている。恐らくその瞳はいつか見せられた画像と違わぬ色を浮かべているのだろう。
彼に、レオナにこんな表情をさせる内容が思い当たらない。
最初こそ浮かれて徒然と日々の出来事を綴っていたが、目新しい内容など何もなく、相手が相手ならチラシの裏にでも書いておけと言われても仕方がないつまらないものだった。
「これっていつの……」
「昨日だな。ほら、ここを見ろ」
タンタン、と画面を叩くレオナの指先。それが示す先にはタイムスタンプが押されていて、昨夜であることを証明している。
時間帯もまだジャックが寝付いたくらいで寝不足になるほど遅い時間ではない。
「あの内容で、なんでこんな顔が出来るんですか……」
それこそ『楽しい』内容ではなかったはずだ。
レオナの負担になっているならやり取りをやめたいと、ワガママを聞いてほしいと言ったくせに自分からその言葉を撤回した。
先ほど受け取ったレオナの手紙に書かれていた通り『面倒な女』に違いない。
「そりゃあ、不器用で可愛い女が自分のことでまた馬鹿になってるのがわかったからな」
「ば、ばかって……」
確かに馬鹿だ。馬鹿なんだろう。
レオナのことになると急に思考が空回りする。
返事から伝わるレオナの愛に、喜んでもらえていると思えても、無理につきあわせているんじゃないか、優しさに甘えてしまってるんじゃないかと心配になる。
そこにもたらされた寮生からの情報は芽唯の不安を加速させるには十分だった。
「……ン」
掴んでいた手紙をレオナが数枚めくると先ほど受け取ったばかりのものが先頭に来る。
「『ワガママが下手糞』……」
そんな書き出しから始まる文章は一見芽唯を責め立てるものに思えてしまう。
「ワガママなんて言わない子の方が楽じゃないですか」
「お前、自分がそんな殊勝な女だと思ってるのか?」
「ない、です……」
「だろうなァ。俺はいつもお前に振り回されてばっかりだ」
クク、と喉を震わすレオナは不機嫌とは程遠い。
それどころか機嫌がよく、芽唯を抱き寄せる腕には力がこもっていくばかり。背中が密着するほど心音が早まる芽唯は視線を彷徨わせては言葉を探した。
「その、レオナ先輩のことを器量の狭い男だとか、私のワガママに応えられない人だとは思ったことはないんです」
むしろ寮生全員の舵を取り、異世界人という訳の分からない問題を抱えた芽唯を受け止めるくらいにこの男は器がデカい。
その辺の男なら、異世界人だと聞いただけで恋愛対象から外してしまうに違いない。明日にはこの世界に居ないのかもしれない女を繋ぎとめるより、広い世界からもっと自分に合う人を探したほうがよっぽど有意義だ。
「でも、好きな人に面倒って思われて気分が良くなる人はいないというか……。嫌われちゃうんじゃないかって不安に思う人の方が多いと思います」
それなのに、レオナは面倒な女と度々芽唯のことを称す。
今回の手紙にだって書かれている。自分だってそう思う。やっかいな問題を抱えて、珍しくワガママを言ったかと思えばすぐに後悔し始める。
レオナに好かれたいと思えば思うほど『面倒な女』になり果てる自分が嫌になってくる。
「……なら聞くが、お前は俺のことを面倒だと思ったことはねぇのかよ」
「……えっ、と」
突然の問いかけに言葉が詰まる。
傍若無人という言葉がよく似合う獅子は横柄で、横暴で、利用できるものはなんでも利用する悪知恵も働くので周囲からよく思われていない部分も多い。
けれど、芽唯はレオナのそんなところが嫌いではない。
洗濯物を脱ぎ散らかしてしまうところも、突然夜中に腹が減ったと騒ぐところも、暑がるくせに自分を抱き枕にする腕も大好きだ。
「なんで……とは思うこともあるけど、そんなところも可愛いなと思うというか……」
「ふぅん?」
それで、と続きを促すレオナは何を引き出したいのだろう。
何か違う言葉を求められている。それはいったいなんだ。いつのまにか手紙を置いて両腕で芽唯を抱え込むレオナは額を肩口に埋めては芽唯の顔をちらりと覗く。
「め」
「め?」
投げかけられた言葉をおうむ返しに繰り返す。
「……面倒な男?」
「正解」
「そんな風に思ったことは……」
「言い換えりゃそうだろ。面倒な女と面倒な男。お似合いな組み合わせじゃねェか」
喉を震わせ笑うレオナの尻尾が腰に絡む。
面倒な女と面倒な男。レオナの言葉を脳内で繰り返す。
それはつまり──。
「レオナ先輩は私のこういうところも好き、ってことですか?」
「さぁ、どうだろうな」
芽唯が愛おしいと思ったことをレオナは面倒だと言い換えた。
肝心なところで言葉を濁すレオナは確かに面倒な男なのだろう。思わずこぼれた笑みを手で押さえればさらにレオナが笑いだす。
「それで、面倒からつまらない女になりたいんだったか?」
「レオナ先輩に好かれない子にはなりたくないです」
「そりゃ困った。退屈な女じゃ俺を楽しませることは出来ないからなァ」
「どうする?」とわざとらしく問うレオナは思い出したように手紙を手に取る。
ワガママが下手糞、面倒な女。マイナスな言葉が並ぶレオナからの返事になんて言葉を返そうか。
「……もっとワガママ、言っていいってことですか?」
それこそレオナのワガママのように芽唯には思えた。ワガママを強請られるなんて、そんなことがあるのだろうか。
肯定するようにすり寄るレオナの温かさにすっかり安らぎを覚えてしまった芽唯は目を閉じた。
寄りかかれば支えてくれるレオナの逞しい身体が芽唯をこれでもかと引き寄せる。
(あの便箋のイラストみたい)
あの日、芽唯は山吹色の便箋の片隅で眠る獅子が描く円の中心に小さな双葉を描き足した。
新芽や植物の描かれたレターセットを選んだレオナなら、その意図を汲み取ってくれるだろうと。
まだ土から顔を出したばかりの小さな芽はまさしく芽唯の恋心であり、守るように寄り添うライオンの姿はレオナそのものだ。
ぐるり芽唯を簡単に囲ってしまう大きな獅子の身体はどんなワガママもきっと受け止めてくれるだろう。
後は芽唯にほんの少しの勇気があればいい。
自分がどんなレオナも愛おしいと思うように、彼もそう思ってくれると信じて。
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