01
オンボロ寮の裏庭。そこは酷く荒れ果て、数年……いや数十年、手入れをされていないことが窺える。
土地が死んでいる、ということはないだろう。その証拠と言わんばかりに深く根付いた青々しい雑草を必死に抜くこと数時間。長い戦いの果て、頬に付いた泥を落とそうとした手で逆に汚れを伸ばしながら芽唯は息を吐いた。
「これで最後……!」
引っ張ったり穴を掘ったり、集まった小動物達の力も借りて倒した雑草の山に最後の一束を放り投げる。
宙に舞った雑草の根に絡まった土が辺りに飛び散り、小鳥達が驚いたように翼を広げるので咄嗟に「ごめんね」と謝ればツンっと澄まし顔で芽唯の肩に一羽の青い小鳥が飛び乗った。
「みんな、付き合ってくれてありがとう」
左右を見渡し声をかける。小鳥の他にも野うさぎやリスなど、小さな友人たちが返事をする。
残念なことに芽唯に彼らの言葉はわからないが、動きでなんとなく意思疎通ができている。……と芽唯は信じていた。
「雑草は抜き終わったし、あとは周りを囲えば……」
足元にいくつか転がるレンガを見下ろす。あまり広いとも言えないが、一人で世話をするには十分な範囲の花壇が作れるだろう。
恐らく、昔の住人が使っていたもの。役目を果たしたのか、それとも放棄されたのか。土や泥を被ったそれらに躓いてグリムが転んだのが今朝のこと。怒ったグリムが炎を吐くのを宥めながら掘り出してみれば原型をほぼ保った状態だった。
まさか庭にそんなものが埋まっているとは思いもしなかったが、見つけてしまえば心が浮き立つ。思い立ったが吉日と、同じように地面に埋まりながらも少しだけ自己主張していたスコップを手に取り、庭を弄り始めるまではとても早かった。……グリムはそれよりももっと早く逃げ出したのだが。
面倒、汚れる。楽しくない。あらゆるクレームを背後の芽唯に飛ばし、肉球を土塗れにさせながら駆けていった彼の行く先は恐らくハーツラビュルだ。
走り去る背に声をかけても常に答えは得られないが、トレイのケーキを目当てに十中八九彼の寮に向かうので心配はあまりしていない。
寮に一人残された芽唯は茂みから顔を覗かせ、不思議そうに自分の様子を覗う野うさぎや小鳥を構いながらも作業を続け、気が付けば頭上にあった太陽が海の向こうで水平線と重なりかけている。
「これで……完成!」
貴重な休日が一瞬のように感じたが、無事に完成した花壇に満足したので満ち足りた一日だった。
土をいじるのは昔から嫌いじゃない。
小学校、授業で植えた花も率先して水やりをした。……やりすぎて枯らしかけたのはご愛嬌。
それ以外にも母親と自宅で朝顔を育てたり、家庭菜園なんてものにも一時期手を伸ばしたこともある。
「何を植えようかなぁ……」
オンボロ寮の周囲は基本的に色が無い。傍目から見れば墓場のような、お化け屋敷と呼ばれる類に近いだろう。実際にゴースト達も住んでいる。
薄暗くて、湿っぽい廃墟。誰しもがオンボロ寮に抱いているイメージも、一角だけでも色鮮やかな花々で彩ることが出来たなら少し変わるかもしれない。
何より、花壇が見えれば室内から窓の外を覗いたときに気持ちが明るくなるだろう。
「明日も休みだし、サムさんの所に行ってみようかな。あと植物園とかで分けてもらえないかな……」
この世界特有の花の育て方はわからないが、植物園には元の世界で見たことがある花も存在している。サムの店でならきっと望んだものが手に入るだろう。
レンガを積み上げる為しゃがんだままだった芽唯は、立ち上がるとズボンの裾に付いた泥を手で払う。
「明日種を買ったらまた作業するけど、みんなも来る?」
軍手を外して作業の終わりを告げる芽唯に小鳥たちが首をかしげる。小さな友人たちは種を食べてしまいそうな気もするが、話が通じる賢い子たちなので大丈夫だろう。
芽唯の言葉を聞いて一匹の野うさぎが手に持っていた木の実を器用に前足で掘った地面に埋めた。そして隣の野うさぎが足で土を被せ、二匹はこんもり盛られた土と芽唯の顔を見比べては首をかしげる。
「そうそう、明日はそれをやるの」
野うさぎの行動を見ていた他の動物達は「なるほど」と言いたいのか、小さな首を上下させる。やっぱりこの子たちとは意思疎通が出来ている。そう感じた芽唯は安堵して胸を撫でおろす。
「お花の種はもっと小さいだろうからみんながどこまで出来るかわからないけど……。よかったら明日も遊びに来てね」
「それじゃあね」と背を向けると動物達は鳴きながら森の奥へと帰っていく。もしかしたら別れの言葉を言っているのかもしれない。いつか彼らの言葉がわかるようになればいいのにと思いながら芽唯は瞳を伏せた。
いっそのこと授業で学ぶのを待つよりレオナに聞いた方が早いかもしれない。教師たちには悪いが、芽唯の実力に合わせて個人指導してくれるレオナと学ぶ時間の方が授業の何倍も知識が吸収できる。
近くの森の動物達と話がしたいから動物言語を教えて欲しいと頼んだら彼は笑うだろうか。それとも小さな友人たちの存在に驚くだろうか。
珍しく一日会えなかった恋人のことを考えながら玄関へと向かう。
彼らが巣に戻るように、もうすぐグリムも寮へと戻ってくる頃だろう。急いで身体を清めて夕飯の準備をしないといけない。
「ただいま!」
「おかえり、お風呂の準備出来てるよ〜」
お下がりのズボンの土を再度払いながら扉を開いた芽唯を労うようにゴースト達が出迎えた。
◇◆◇
翌日、いくつかの種を購買部から仕入れてきた芽唯を出迎えた動物達が待ってましたと彼女の足元に集まってくる。
「えっと、……待ってね。まだ寮の中に植えたいものがあって……」
さて、あれはどこに置いたのだったか。買ったばかりの種を玄関に置き、記憶を辿って寮内に戻った芽唯は談話室の引き出しをあちこち開け始める。
「確かこの辺……?」
何も入ってないのでは。そう思えるくらい軽い引き出しを開ければ目当ての物は簡単に見つかった。
紙パッケージを持ち上げた芽唯はどこか懐かし気にそれを眺める。
フェアリー・ガラ。妖精達の祝祭で出会った妖精フュシャの置き土産。
「一番はこれを育てたかったんだよね」
花壇が作れると思ったとき、最初に脳裏に過った。彼女が祝福だと言って贈ってくれたのは小さな小さな花の種。たった一粒だけだが、大切な友人が残してくれた物だ。きっと素敵な花を咲かしてくれるのだろうと胸が躍る。
「なんてお花なんだろう……」
残念なことにパッケージは最初から傷んでいた為、印刷もかすれており、断片的にしか文字は読み取れない。
「……O……E……ROSE……薔薇?」
薔薇は育てるのが難しいと聞くが大丈夫だろうか。少し不安がよぎるが、芽唯のそんな気持ちも知らずにパッケージの男女らしきシルエットは互いの手を取り今にも踊り出しそうだ。
ふわりと広がる女性のドレスと同じくらい男性の上半身のシルエットが大きいのが少し不思議だが、仲睦まじく見えるのできっと恋人同士なのだろう。
「品種が詳しくわからないと調べようがないよね……」
幸いな事にパッケージのデザインがかなり特徴的だ。本格的に調べればきっとこの種の詳細は簡単にわかるはず。まず植えないことには始まらないし、調べるのは種を埋めてからでも遅くはない。
そう思いながら芽唯は無くさないよう大切に胸に抱えて種と共に庭へと戻った。
花壇の準備には一日を要したが種を植えるのはあっという間だった。
芽唯が種を探して寮に入っている間に小さな友人たちが大半を終わらせていたからだ。
リスやウサギが短い手足を器用に使って穴を掘り、小鳥達がそこに向かって種を落とす。後は山になった土を誰かが豊かな尻尾で撫でてあげれば土のベッドの出来上がり。
手際よく行われる工程に驚いたものの、寮から出てきた芽唯も慌てて混ざり、品名を書いた小さな看板を立てながら最後にフュシャからの贈り物を自分の手で植え、種まきはほんの数分で終わりを迎えた。
「す、すごい……」と芽唯が呆けていると、最後の仕上げだと言わんばかりに葉っぱを器に水撒きまでしてくれるので、本当にほとんど芽唯に出番はなかった。
どうだと胸を張った動物たちはきっと植物園でも覗いて草花の育て方を勉強したのだろう。
昨日は雑草を取り除くことにすら首をかしげていたはずなのに成長著しい。
「ふふ、みんなすごいね。毎日の水やりもお願いしちゃおうかな、なんて」
冗談交じりに芽唯が言うと、任せろと言わんばかりに頷く小鳥たちが気ままに飛び回る。
「お前……ンな小動物達と何やってんだよ」
「わっ、レオナ先輩! おはようございます!」
「ん」
不意に後ろから声をかけられ、肩を跳ねさせながら振り向けば、見慣れた男がすぐ傍に立っていた。
男──レオナは大きなため息を零しながら立ち上がった芽唯の腰に手を回し、自然に身体を引き寄せる。すると芽唯の肩に乗っていた小鳥が不満そうにレオナをくちばしでつつき始めた。
なんだお前はと言わんばかりに次々に沸き立つ小鳥達を一瞥したレオナは深くため息を零す。
「文句があるなら口で言え」
しっしっと大きな手で払われ、諦めた小鳥は大人しく芽唯の肩から飛び立つと群れの輪に戻る。
その様子を見守っていた野うさぎやリスは芽唯の顔とレオナの顔を繰り返し見ては首をかしげた。
彼らの小さな囀りが時折聞こえるのを拾っているのか、芽唯が見上げればレオナの耳がぴくりと動く。
「……別に、こいつを取って喰ったりしない」
面倒そうな、迷惑そうな、なんとも言えない表情を浮かべたレオナは眉間に皺を寄せている。
──あぁ、やっぱりレオナは彼らの言葉がわかるんだ。そんな羨望の眼差しを向けていると不意にレオナの視線がこちらに向けられた。
「面倒な事考えてるな?」
「……さぁ、どうでしょう? 後輩の面倒を見てくれる優しい先輩だったらそんな風に思わないかも」
「言葉も通じないのにこんな小動物と仲良くなれるお姫様には不要だろ」
「こいつら、俺達の関係を理解してるらしいぞ」と付け足したレオナは再度動物達を手で振り払う。
不満そうな小鳥達は芽唯の前で数回何かを囀ると他の小動物達と共に森の中へと帰っていった。
「あ、行っちゃった。最後なんて言ってたんだろ」
小さな背中が木々の合間に消えていくまで見守っているとレオナが再度深いため息をつく。
「『悪い王子様には気を付けて』だそうだ」
「悪い王子様?」
芽唯の疑問に答えたレオナは視線を逸らすと芽唯から離れる。先に玄関へと向かう後ろ姿はどこか疲れているように見えなくもない。
「悪い……」
レオナの言葉を繰り返し反芻する。
悪い王子様、とはきっとレオナのことだろう。彼らはレオナを快く思っていない様子だったし、自分以外この場にはレオナしか居ない。
ほんの少し元気がなさそうな尻尾を見るに、その前にも小さな友達たちにレオナは色々言われたのかも。
王様のようにサバナクローの寮長として屈強な男たちを従えているレオナがあんな小さな動物達に好き勝手言われるのがなんだか可愛く思えて芽唯は笑い声を零してしまった。かなり大きく。
「ぷふっ……!」
玄関前で芽唯を待っていたレオナは突然笑い出した恋人に一瞬目を見開いたものの、すぐに理由が想像ついたのか眉間の皺を深くした。
「おい。早く入るぞ」
「ふふっごめんなさい」
急いで駈け寄った芽唯は大して汚れも付いていなかったので、そのまま玄関扉を開ける。
「おや、今日は早いね」
出迎えたゴーストはレオナが共にいるのを見ると数度頷き姿を消した。
外した軍手を戸棚の上に置けばどこかへスゥ……と消えていく。きっとゴーストの誰かが洗ってくれるのだろう。彼らはこうして頻繁に芽唯の手伝いをしてくれるので助かっている。見えない所で消えると失くしたのかもと焦ってしまうが、大体は芽唯が把握できるように見ている時に持って行く。
「随分愛されてるようで結構なこった」
目を眇めたレオナは片眉を上げながらその様子を見守ってから廊下を進む。
「小動物にゴースト、面倒なもんばっか味方につけやがって」
「みんな良い子たちですよ」
どうやらレオナは気に食わないらしいが。
汚れを持ち込んでしまいそうな物をあらかた外し終えた芽唯は背中を小走りで追いかける。
森の動物たちもゴーストも、もちろんグリムも。芽唯にとってはとても大事でとても良い子なお友達だ。
後者はともあれ前者は「動物言語も出来ないのに?」とマブたちにも不思議がられたが、なぜか通じ合っているのだから細かいことは気にしない。
勝手知ったる我が家と言わんばかりに談話室に入ったレオナはソファに腰を下ろす。
何か飲み物でも用意しようと芽唯が一人キッチンへ向かおうとすれば「あとは若い二人でどうぞ〜」とどこからともなく声が聞こえ、テーブルの上には求めていたティーセットが準備万端の状態で現れたので大人しく隣に座る。
「……本当になにからなにまで」
見張られているようで気分が悪い。レオナは辺りを見渡し、威嚇するように喉を鳴らす。
そんなことでゴーストたちが怯えるとも思えないが、ティーセットを置いた時点で本当に寮から出て行っているだろう。白くて冷たい芽唯の同居人たちは引き際は弁えていた。
本人たち曰くタイミングを逃さないのは年の功らしいが、レオナと芽唯の関係にちょっかいを出すのをお節介な老婆心だと言うのでどちらにしろレオナには良い迷惑でしかない。
「多分、もう本当に出ていったと思いますよ」
「どうだかな」
ふんっと鼻を鳴らしたレオナの前にたっぷりと紅茶を注いだティーカップを差し出せばゴツゴツとした男の指がカップを掬い上げる。
「それで? 愉快な仲間となにやってたんだ」
興味があるのかないのか。つまらなそうな顔で問いかけてきたレオナの喉を淹れたばかりの紅茶が潤す。
「昨日から花壇を作ってて、やっと種まきが出来たんです」
「植物園がすぐそこにあるのにわざわざご苦労なことだな」
「お庭にお花があったらちょっと気分がいいじゃないですか」
「好きなのか、花」
音を立てずにソーサーに戻ったカップから離れた指が芽唯の頬をなぞる。
あまりにも自然に触れてくるので身じろぎする暇もなかった。心臓だけがぴょこりと跳ねる。
「その、好き、です。可愛かったり綺麗だったり、色々、はい」
つつつ、と滑り降ちる指がくすぐったい。
なにより少し熱の篭った視線を向けられているのが気恥ずかしい。
照れから上手く言葉が出なかった芽唯がぽつりぽつりと零した単語を拾い上げた耳がぴるぴる動く。
レオナと恋人と呼ばれる関係になってからしばらく経つが、所謂甘い空気というものにはいまだに慣れない。
落ち着かなくて、ソワソワする。
その感覚を嫌だと思わないのはやはりレオナのことが好きだからか。
ふっとレオナが息を零すのに釣られて顔を上げれば彼の指が芽唯の顎を掬い上げる。
「なあ」
ああ、まただ。
窺うような視線に絡め取られて身動きが取れなくなった芽唯が少し身体を硬らせればレオナはそれ以上動くことはない。
待てと言われた躾の行き届いたペットのように大人しく止まるその姿はまるで忠犬のようでいて、今か今かと芽唯に噛み付けるその瞬間を待ち侘びている。
「わ、私、お茶菓子探してきますね‼︎」
なにを言われたわけでもないが、レオナの望んでいるものはわかっている。わかっていて、芽唯は今日も逃げ出した。
「………」
黙って見送るレオナの尻尾が立てた音を聞こえないフリをしてキッチンへと向かう。
バタバタと大きな自分の足音がやけに耳についた。
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