02
逃げてしまった。またやってしまった。ずるずると扉へ背中を預けて座り込む。
「き、キスを求められてるんだよね……多分」
急にガッと来ない辺りレオナはとても紳士的だ。もしくは獣人は女性にお伺いを立ててからでないと手を出さないとかあるのだろうか。
芽唯が逃げ出せないタイミングを見計らうくらいレオナにしてみれば簡単だろうに、敢えて退路を残して問うてくる辺り気を使われているのがよくわかる。
そっと指先で自分の唇をなぞった芽唯はこれで逃げ出すのは何度目だったかと振り返る。
初めては、そう。植物園でのことだった。
いつもの語らいから気がつけばどこか甘い雰囲気が漂っていて、お互い自然と顔を寄せ合った。
なにを話していたかなんてもう覚えていない。
記憶にあるのは間近で見つめたレオナの瞳の美しさと熱を帯びた彼の吐息の温かさ。
瞼を下ろし、あと少しといったところで予鈴の鐘が鳴り響きさえしなければ、あの日自分達は唇を重ねていたに違いない。
一度失敗してしまったからか、レオナが都度距離を縮めてくれるごとに気恥ずかしさが優って逃げ出してしまう。
あれだけ過去ラギーに恋人らしい触れ合いをしないことに不安を漏らしていたというのに、実際に行動に起こされたら逃げてしまうなど本当に面倒な女だ。
幸いなことに、この件に関してレオナは何を言うでもなく、機嫌を損ねることもない。
芽唯の心が決まるまで、きっと彼は待ってくれるのだろう。
「応援してね、フュシャ……」
だからこそ、芽唯はあの種を育てたかった。
今は会えない友人が残してくれた祝福。
きっとあの種が芽吹いて綺麗な花を咲かせたのを見れば、レオナとキスという新たな一歩を踏み出す勇気がもらえるに違いない。
「だから、もうちょっとだけ時間をください……」
ごめんなさい、レオナ先輩。
そう呟いて芽唯は宣言通りお茶菓子を探すために立ち上がった。
◇◆◇
「お待たせしました……って何見てるんですか?」
「お前が埋めた種」
談話室に戻ればレオナは真剣に何かに目を通していた。
花の写真の載ったパッケージ。色とりどりのそれらは未来の花壇の姿を想像させる。
「全部サムの勧めか?」
「そうなんです。こっちの気候とかよくわからないし、植物園と違って管理もできないからうちの寮でも育てられるものがあるか聞いて」
下手に植えれば咲くどころか芽も出さずに種を腐らせてしまうかもしれない。
調べるのは時間がかかるし、それならばとサムと彼の秘密の仲間を頼って初めから何も考えずに聞いてしまった。
「本当は夕焼けの草原のお花とか興味あったんですけど……」
「この中にはないな。なにより気候が違う。上手く育つ保証もない」
「ですよね……。残念だなぁ」
レオナの故郷の花。興味がないはずがない。
植物図鑑を片手に彼の故郷に思いを馳せたのは芽唯だけの秘密だ。
レオナの隣に腰を下ろして同じようにパッケージに目を通す。見慣れない品種もあるが、大半が元の世界でも定番の花々だ。
「ここで育てられなくても、そのうち見れるだろ」
「え?」
思わず顔を上げてレオナを見れば彼は顔を逸らして窓の外を見つめている。
ぱちくりと瞬きを繰り返してじっと見れば、レオナは視線を彷徨わせたあと芽唯へと視線を戻す。
「いつかは
当然のように告げるレオナの言葉が呑み込めず見つめ続けていると軽く額を小突かれる。
「いたっ」
「見過ぎだ」
くく、と笑うレオナは既にいつも通りで。キスを拒まれたことを引きずっている様子はない。
毎回そうだ。甘い空気を醸し出したかと思えば、断ればからりと元通り。拒まれて気分は悪いだろうに、そんなことを微塵も感じさせない。
そんな姿を見るたびに早く勇気を出さなければと心が焦る。
芽唯が再度胸の内でレオナに謝っていると彼の指先がパッケージの一つをつつく。
「ところでこれは?」
一袋だけ雰囲気が異なる。写真もなければ種類も違う。
「それ、フュシャが残したやつなんです」
「フュシャ……ってあの妖精か」
レオナはフェアリー・ガラの時のことを思い出したのか、眉間に皺を寄せ忌々しそうにパッケージを見つめる。
「まさかこれも?」
「もちろん植えました」
「おまっ……妖精が残したもんをホイホイと……。どんなシロモノかわかんねーだろ! 変な魔法がかかってたり、最悪これ自体特殊な植物な可能性だって」
「フュシャが残してくれたものは危なくないです!」
「お前はまだ妖精ってもんの危険性をわかってねえ!」
思わず力が入ったのか、レオナの右手が少しパッケージを握りつぶす。くしゃりと音を立てたそれをレオナはポケットにねじ込むと深く息を吐く。
「……とりあえず、この袋は俺が預かる。何が咲くかはともかく、栽培方法すらわからないのは困るだろ」
「調べてくれるんですか……?」
今にも種を掘り返せと言わんばかりの剣幕だったのに。レオナの真意がわからない。
「どう危険なのかわからないままやめろって言っても聞かないだろ。だったら詳しく調べて育てていいもんかハッキリさせた方がお前も俺も納得できる。違うか?」
問いかけるレオナの言葉に頷けば他のパッケージをレオナが魔法で片付け、机の隅に寄せていた茶菓子と紅茶を引き寄せる。
「……レオナ先輩、最近私の扱いさらに手慣れてきましたね」
前までもレオナは芽唯の舵取りが上手かった。
相手の気持ちをその立場になって考えるのが元々上手いのだろう。共感はできなくとも感情の動く理由を分析して理解できる。
だからこそ相手の動きを読み取り、先回りすることも、フォローも、……妨害も。作戦と呼ばれるものを得意としている。
優しい人と称するにはレオナのは少し違うが、芽唯に向けているのは間違いなく甘く柔らかな、好きという感情の上に置かれいてるものだ。
「当然だろ」
言葉少なく語られる返事にむず痒いものを感じた芽唯はすっかり冷めてしまった紅茶を手に取った。
あぁ、早く応えられるようにならなければ。
はやる気持ちを落ち着かせるように紅茶を飲み干す。
芽唯もレオナまでとは言わないが、相手の気持ちを多少は汲み取れる方だと自負している。
だからこそ、ジリジリと心が焦れていく。
早くあの花を芽吹かせなければ。花開かせなければ。レオナの気持ちに応えなければ。
植えたばかりの種に希望を乗せて、芽唯とレオナの何気ないひとときはあっという間に過ぎていった。
◇◆◇
「それで花壇は順調?」
授業の終わりを知らせる鐘の音にかぶせるようにエースが芽唯に問いかける。
「うん。芽が出てきたばかりのとか、茎が伸びてきたのとか、成長は物によって違うけど」
「熱心に育ててるもんな。この後も肥料を買いに行くんだろう?」
「レオナ先輩がそろそろ必要だろうって、一緒に行こうって約束したの」
「はー、順調そうでなによりです。色んな意味で」
惚気は結構。肩をすくめたエースがお腹いっぱいでーすと腹を擦って立ち上がる。
「オレ様も一緒に行ってやるからレオナに高級ツナ缶買わせるんだゾ!」
「そんな、肥料だって買ってくれるって言ってるのにそんなのお願いできないよ!」
「いーやーだー!」
トンッとすでに立ち上がっていた芽唯の肩に飛び乗ったグリムがそのままの勢いで暴れ出す。両手を鞄で塞がれている芽唯はグリムにされるがままぐわんぐわんと体を左右に揺らされる。
咄嗟にエースとデュースが手を伸ばすが、グリムは勢い任せに炎まで吹き始めた。
「あぶなっ。ちょっ、グリムてめっ」
騒めく教室内。生徒は自然と芽唯達から距離を置く。必死に手を伸ばしてくれているのはマブの二人だけだろう。面倒事からは逃げるに限る。
「ったく、世話の焼ける青狸だな」
「あっ」
「えっ?」
誰かの声と共にデュースが短く息を吐く。
その声に釣られて芽唯が振り向けば肩から重みが消え去った。
グルルと聞きなれた喉を鳴らす音が聞こえればグリムも自然と大人しくなる。しゅんっと垂れた耳と尻尾が彼の勢いが消え去ったことを物語る。
「ツナ缶くらい買ってやるから、俺の女を困らせんな青狸」
「オレ様は狸じゃねー! けど、超高級ツナ缶買ってくれんなら許してやるんだゾ」
「超だろうがなんだろうが買ってやるよ」
パッと首根っこを捕まえていた手を離されグリムが机に降ろされる。
猫のようにしなやかに降り立ったグリムは先ほどとは打って変わって機嫌がよさそうだ。
「……レオナ先輩、グリムを甘やかしちゃダメですよ」
振り向いた先、フンッと鼻を鳴らしてグリムを見下ろす恋人は芽唯に視線を移す。
「一番甘やかしてるやつがなに言ってんだ。ツナ缶ごときで大人しくなるんだから安いもんだろ」
「もう……」
鞄を片手に持ち替えた芽唯はグリムと視線を合わせるために少しかがむと逆の手でその頬をつねる。
「みんなに迷惑かけたんだから一緒に謝るんだよ?」
頼れる親分な時も困った親分なときも、芽唯とグリムはいつでも一心同体。
グリムが迷惑をかければ芽唯も謝るし、怒られる。二人で一人前の毎日はとても賑やかだ。
「オレ様、頑張ってるからご褒美が欲しかっただけなんだゾ……」
「頑張ってるって……何を?」
「子分が気づいてないだけで、オレ様かなり頑張ってんだ。オンボロ寮にいるとなんかゾワゾワするっていうか、変な感じっていうか。それを毎日警戒してやってんだゾ」
的を射ない説明に芽唯やエース、デュースが首をかしげる。二人はつい最近遊びに来たが何も感じていないのだろう。
縋るようにグリムがレオナを見れば彼は両の目を細めてその小さな体を見つめていた。
「ま、腐っても魔獣ってところか」
「えっレオナ先輩もなんか気づいてる感じ?」
訳知り顔のレオナにエースが問うがレオナは彼には視線すら寄越さない。
「……さあな、行くぞメイ」
「あっはい。みんな本当にごめんね! ほら、グリムも」
「わ、悪かったんだゾ」
レオナの大きな手が芽唯の鞄を奪い、空いている方で彼女の手を引く。その後ろをグリムが駆ければ一年生の教室は嵐が過ぎ去ったかのように静かになった。
「……キングスカラー先輩はグリムの言ってたことの理由をわかってるのか?」
「ってことなんじゃない。あの言い方は」
ゾワゾワ、変な感じ。グリムの説明にレオナは心当たりがあったのだろうと残された二人は意見をすり合わせる。
「また変な事が起きなければいいが……」
「大丈夫っしょ、おじたんが付いてるんだし」
「そう、だな」
不安そうに曇ったデュースの顔を見たエースが彼の脇を肘で小突くと、茶化したようにわざとらしくニヤニヤと笑みを浮かべておどけた声を出す。
「デュースくんってば心配性なんだから〜」
「なっ、マブが危ない目に合わないか心配するのは普通だろう! ただでさえメイは魔法が使えないんだし……」
「ま、そうなんだけどさ。マジで危なくなったらあの人なら俺らにもなんか言うでしょ。使えるもんはなんでも使うつーの?」
用意周到。レオナ・キングスカラーが大丈夫だと判断したのだから自分達が詮索する必要はない。
エースの言葉に納得はしているものの、それでも心配なのかデュースは芽唯達が消えた方をじっと見つめる。
「嫌な予感がするな……」
外れてくれと祈りつつ、デュースはそっと目を閉じた。
◇◆◇
かごの中に肥料とツナ缶を詰め込んで会計へと運ぶ。
レオナを連れ添って購買へ足を運ぶ機会が多くなったからか、生徒達から向けられる好奇の目はだいぶ少なくなってきたが、それでも慣れない。
本当に付き合ってるんだな、と小声の会話はそう広くはない購買部では人間の芽唯の耳にも普通に届く。ならばレオナの耳にだって当然届いているだろう。
注目される恥ずかしさから以前は委縮していたが、今ではそれなりに堂々としていられる。というより、堂々としていないとレオナの尻尾がバシバシと叩いてくるので、なんとか体勢を保っているという状態だ。
「Hey! 小鬼ちゃん達、お花は順調に育ってるのかな?」
「すくすく育ってますよ! サムさん達がせっかく選んでくれたから綺麗なお花咲かせてみせます!」
「それは嬉しいね。俺も楽しみにしてるよ」
ツナ缶が待ちきれないのかグリムが足元で暴れるのを芽唯が窘めている間に会計が終わると、財布をポケットに戻すレオナが思い出したようにサムの前に紙を取り出す。
「これに見覚えは?」
「おや、随分珍しいものをお持ちだね」
「それって、フュシャの」
少しくしゃくしゃになっているが、見覚えのあるそれはフュシャにもらった種の袋だ。
「俺なりに調べてみたんだが、この薄汚れたパッケージだけじゃメーカーも花の品種もわからなかった。商売人なら何か知ってるんじゃないか?」
ふむふむ、と少し顔を近づけていたサムは意味深に口元を緩ませ両手を上げる。
「すまないが、俺から教えることは出来ない、かな」
「ってことは知ってはいるのか」
レオナの問いかけにサムは少し肩を上げて首を横に振る。時折、店の奥に目配せをしては意味ありげに頷いては笑ってごまかす。
曖昧なサムの態度にレオナは諦めたのか財布と同じポケットに紙パッケージをねじ込む。
「……行くぞ」
「あっ、サムさんありがとうございました……!」
買ったものを軽々持ち上げたレオナの背を追う芽唯が慌てて振り返って頭を下げれば、手をひらひらと振り見送るサムの姿は扉に阻まれすぐに見えなくなった。
サムは何かを知っているようだったのに聞き出さなくてよかったのか。そんな疑問を抱えたまま購買部を後にする芽唯は早歩きでレオナの隣に追いつく。
「あの……レオナ先輩?」
やはりレオナはまだあの花の種のことが心配なのか。
芽唯は盲目的にフュシャを信じているが、きっと芽唯が知らない妖精の危険性をレオナはたくさん知っている。
こんなことなら初めからレオナに見せてから植えればよかった。要らぬ心配をかけてしまった。グリムに迷惑をかけるなと言っておいて、恋人に一番迷惑をかけているのは自分ではないか。
何を話すでもなく歩く二人と一匹がオンボロ寮の門を開けたところでレオナがゆっくり口を開く。
「サムのあの態度。多少なり流通に乗ってた代物だろ」
「えっ……?」
錆びついた金属音をさせながら大きく開かれた門を芽唯が押して、後に二人が続く。
「りゅーつー?」
「販売会社や生産時期、生産量はわからねぇが、店で買えたってことだよ。このツナ缶みてぇにな」
見上げるグリムに買い物袋から取り出したツナ缶を投げ渡す。
「じゃあ怪しい物じゃない、ってことですか?」
「妖精が魔法をかけた線は消えてねぇ。が、品物自体はアイツが止めないってことは認可の元売られたもんだろ」
そう言って肩をすくめたレオナは心配が完全に消えたわけではないのだろうが、自分の中で何らかの折り合いがついたのだろう。
「気になることはあるが、芽も出てきて今更やめろって言っても聞かないだろ。俺もこまめに見に来るから、あのじゃじゃ馬が残してったもんがどんなもんか見てやろうぜ」
手提げ袋と尻尾を揺らしながらレオナが先にオンボロ寮へ向かう。
その背中を少し見送った芽唯は足元のグリムと視線を合わせくすりと笑う。
「やっぱり先輩って優しいね、グリム」
「素直じゃねぇだけなんだゾ」
危険だからと処分するのは簡単だろうに、あくまでも芽唯の意志を尊重する。案外あの妖精達のことを信用していたのかもしれないが、それだけで芽唯の傍に訳のわからない物を置いたままにする性格ではない。
それでも無理を押し通さないのはそんなことをすれば芽唯が悲しむとわかっているからだ。
「おい、なにしてんだ」
「今行きます! ほら、グリム行こう」
レオナに呼ばれた芽唯は小さな背を押し、歩くように促す。ぶつぶつと「元から毎日来てる」「子分は騙されてるんだゾ」と呟くグリムに苦笑しながら芽唯もレオナの方へと歩き出した。
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