03


 風に揺られ、まだまだ短いが伸びた茎についた小さな葉が揺れ動く。
 レオナに買ってもらった肥料を与え終えた芽唯はそっと離れて彼の隣に並び立つ。

「順調、って言えますよね」
「まあな。けど、問題の種はまだ芽が出たばかりか」

 ひょこっと小さな双葉が顔を覗かせているのはフュシャの種を撒いた部分。他は順調に育っているのにこの種だけがようやく今朝芽吹いたばかりだった。

「やっぱり特殊な種なんでしょうか」
「まだそうとも言えないだろ。どんな生き物も成長スピードは一律じゃねぇんだ」

 確かに、レオナの言うことも一理ある。
 しゃがみこんで双葉を見つめた芽唯は指先で潰してしまわないよう慎重に葉に触れる。
 一番育ってほしい種の成長が遅いのは気がかりだが、この種は他の子に比べてのんびり屋さんなのかもしれない。

「元気に育ってね」

 動物たちのように話かければ行動で示してくれるわけではないが、癖でついつい語りかけてしまう。

「あれ?」

 そうだ、動物達。小さな存在繋がりで思い出した芽唯は顔を上げ周囲を見渡す。

「最近みんな来てない……」

 いつもならば寮の周囲で何かしていれば自然と集まってくる森の友達。けれど花壇が完成したあの日から彼らを見た記憶がない。
 そうでなくとも窓を開けていれば窓台に小鳥達が遊びに来るし、玄関先にうさぎやリスが木の実を置いていくこともある。
 よく土が湿っているから水やりはしてくれているようなので元気であることは確かだが、姿を見せてくれないことが気にかかる。

「どうしちゃったんだろ……」
「きっとゾワゾワするから来るのやめちまったんだゾ」
「だから、そのゾワゾワってなんのこと?」

 グリムの言うゾワゾワに思い当たる節がない。しかしグリムもそれ以上表現が出来ないのか「ゾワゾワはゾワゾワなんだゾ!」と三叉に別れた尻尾をピンっと立てて言葉を強くするだけだ。

「先輩は……?」

 教室でレオナはグリムの発言になんらかの理解を示していた。
 グリムに説明が難しくともレオナならば。そう思って芽唯は黙って見守っていたレオナに視線を移す。

「……妙な魔力の気配がする」
「魔力?」
「初めは毛玉の仕業かと思ったが、当の本人が嫌がってるのを見るに違うらしいな」

 ふむ、と腕を組んだレオナは何かを考えるように花壇を見る。
 花壇、そして魔力。二つを繋ぎ合わせて連想できるのはフュシャの種。
 レオナに倣って芽唯も花壇の、芽吹いたばかりの小さな芽をじっと見つめる。

「その、よくない感覚……なんですか?」

 生憎芽唯には二人の感じているものはさっぱりわからない。
 悪寒やそういった類のものなのだろうか。それならばまだ少しだけ想像が出来る。

「ならわかりやすかったんだがな。ざわつきはするが、悪意がある気はしねぇ」

「危険なもんなら放置してねぇよ」と安心させるようにレオナの大きな手が芽唯の頭を優しく撫でる。

「そう、ですよね……」

 理解が出来ないものは怖い。二人だけが感じているゾワゾワという、その感覚の正体はなんなのだろう。
 けれどレオナが大丈夫だと判断したのなら、そうなのだろう。レオナを信頼している芽唯は気になりはしたものの、不安を感じることはなかった。
 
◇◆◇

「……昨日までは十センチにも満たなかっただろ」
「夕方見た時はそうでしたよ。……やっぱり魔法が関係してるんでしょうか」

 つん、と芽唯の指先が紅を弾く。
 レオナですらもこんな植物は見たことが無いと首をひねった。
 朝食をとることすら忘れた二人はゴースト達に見守られながら昨日まで存在しなかった大きな蕾を観察する。

「他のお花を追い越しちゃった……」

 先に成長してたはずの植物たちはまだ成長途中。空に向かって茎を伸ばして日光を浴びようと必死に足掻いているが、出遅れていたはずの魔法の種は僅か数センチの芽の状態から一気に大きく真っ赤な蕾をその頂点に実らせた立派な姿に成長していた。

「みんな、教えてくれてありがとうね」

 花壇を挟んだ向こう側、森を背にして並ぶ小動物達が頷く。花の異変に最初に気付いたのは彼らだ。


 週末、レオナがオンボロ寮に泊まることになり芽唯は朝から機嫌がよかった。腕を振るって彼のお気に召す朝食を作ろうと意気込む。
 食材を刻み、鍋を火にかけ、調理が順調に進んでいるところに小さな訪問者が現れた。

「みんなどうしたの?」

 最近姿を見せなかった森に住む動物達。彼らが群れを成して扉や窓を叩き、芽唯をオンボロ寮の外へと誘いだす。
 誘われるまま表に出た芽唯を出迎えたのが鮮やかな紅色を携えたあの植物。異変に気付いた芽唯が慌ててレオナを起こしに行ったのは言うまでもないだろう。

「魔力の気配が強まったな。ここまでハッキリすれば嫌でも大元がわかる」

 睨むように強い視線を蕾に向けたレオナはどうすべきかと思案しているようだ。

「危険なものなんでしょうか……」

 種にかけられていた魔法はどのようなものなのか。そもそもであんな小さな種で人体に危険が及ぶほどの魔法を仕込むことが出来るのか。
 芽唯には想像するしか出来ない事柄でレオナを頼るしかない。
 急成長をした種が異様なことは確実で、レオナがダメだというのならば栽培は諦めたほうがいい。
 せっかく育ったのにと未練は残るが要らぬトラブルは回避するに限る。
 レオナの判断を待つ芽唯が不安そうに両手の指を祈るように絡めれば、彼がゆっくりと肺から押し出すように息を吐く。

「そんなに怯えるな。別に処分しろとは言わねえよ。ただ、迂闊に近づくな。水やりはそこのオトモダチに頼んでお前は窓から眺めるくらいにしとけ。それが育て続ける条件だ」

 いいな?と念を押すレオナに目を見開いた芽唯が大きく頷く。

「はい……!」

 きっとレオナは芽唯の気持ちを汲んでかなり譲歩してくれている。その証拠に眉間にできた皺を指先で揉みながら「本当にわかってんだろうな」とぶつぶつ何か心配そうに呟いている。

「…………先輩」

 面倒な女だと何度も称されたように本当に自分はそうなのだろう。
 実際にまたもこうして面倒事を持ち込んでいる。なのに、レオナはそれに対して腹を立てるわけでも文句を言うでもなく、ただ受け入れてくれる。
 思わずその腕にピタリと寄り添えば不思議そうな顔をしたレオナと視線が絡む。

「面倒かけてごめんなさい。でも、ちゃんとレオナ先輩の言う通りにしますから」
「……あァ」

 腕の代わりにレオナの尻尾が芽唯に絡む。距離を縮める二人を喜ぶように真っ赤な蕾が揺らめいた。

◇◆◇

 うんと腕を伸ばして自分の身長の何倍も高い本棚に果敢に挑む。
 ウツボの双子のように長い手足があれば簡単に届くであろう高さも芽唯にとってははるかに遠い。
 必死に梯子を動かして、勇気を出して数段登ったのに目当ての本にはまだ届かなかった。

「どうして、こんなっ高い、のっ……!」

 床から天井までぴったりの高さの本棚にびっしりと詰め込まれたそれらは厚さもあってかなり重い。もし落としでもしたら本は傷むだろうし、人に当たれば危険じゃ済まない。
 ふわふわと魔法で飛び交う本達を横目に、魔法が使えるからか。日本じゃ絶対あり得ない。愚痴のような、負け惜しみのようなことを考えながら手を伸ばす。
 いつも愛読していた本達は恵まれた場所に配置されていた。というよりも、誰も興味が無さ過ぎて追いやられていたという方が正しい。
 図書館の奥の奥、紙よりも埃の匂いがする忘れ去られたような場所。
 芽唯が学びを得た恋愛小説も、心を躍らせた冒険も、ナイトレイブンカレッジの生徒には無縁のもので、場所を惜しむように高くまで積み上げるようなものではなかった。

「ん〜、あとちょっと……!」

 しかし、今日の芽唯が欲しているのは文字の羅列ではない。
 急成長を遂げたのに開花する気配が一切ないあの花について調べたかった。
 一時は他の花々を追い越したはずが気が付けばかなりの時間が過ぎ。他の普通の花たちの方が先に開花の時期を迎えてしまった。
 栽培方法が間違っているのか、特殊な条件下でしか開花しないのか。レオナの知識をもってしてもわからなかった花の正体に自分がたどり着けるとは到底思えなかったが、何か行動に起こさないと落ち着かない。
 まさか多くの植物図鑑が錬金術関連の書籍に分類され、数多の蔵書に眩暈を起こすなどとは想定していなかったが、ページをめくるだけでも心は落ち着いてくる。
 連日通い詰めた芽唯が目を通していないのは残るところ上段に鎮座する本達だけだ。

「もう、す、こっ……ひゃっ⁉」

 漸く指先が本を掠める。後は引っ張り出せれば御の字だと芽唯が気を抜いたその時、ぐらりと梯子が大きく揺れる。

「うそっ。ちゃんと確認したのに……! や、やだ、まっ……!」

 慌てて待って待ってと梯子にしがみつく。
 留め具が外れてしまったのか、固定して動かなくしたはずの梯子の重心が後ろへと持っていかれる。
 どうにか体重をかけて本棚へ寄りかかる形へ戻そうと足掻くが、芽唯の意志とは裏腹に身体は梯子ごと背中側から床へ向かっていく。

「っ……!」

 かなり大きな声で騒いだはずだが誰も芽唯の様子には気づかない。
 今は放課後、多少人がいてもいいはずだが珍しく今日は無人だった。こんな日もあるのかと、貸し切り気分だったのが裏目に出た。
 衝撃に備えるべきか、一か八かぶつかってでも飛び降りるべきか。
 本棚から遠ざかるように傾く視界に血の気が引いていく芽唯は床までの高さを考えて背筋が震える。

(助けて……レオナ先輩っ!)

 祈るように大好きな人の名前を心の中で叫ぶ。あぁ、前にもこんなことがあったなと、どこか現実から逃避するように飛行術の授業での出来事を思い出した芽唯はぎゅっと固く目を閉じる。
 梯子が倒れるまでの時間など一瞬だろうに、やけに長く感じるのは気のせいじゃない。
 どれだけ待っても訪れない衝撃に、デジャブを覚えた芽唯はゆっくりと瞼を上げた。

「……もしかして、レオナ先輩?」

 揺れていたはずの視界が止まっている。
 それどころか、傾いていたはずの梯子はしっかりと本棚に固定されて元の体勢に戻されている。
 しん……と静まり返った図書館内を見渡そうと芽唯が首を後ろに捻れば、芽唯が登っていた梯子の足元にマジカルペンを片手に額に青筋を立てたレオナが腕組みをして立っていた。

「せ、先輩。こっこんにちは……」

 足元を確かめながら一段一段降りた芽唯がレオナを見上げる形になっても彼は何も発しない。
 瞳は閉じられ、大好きなサマーグリーンは見えないまま、指先が秒針を刻むように一定のリズムでレオナの鍛えられた腕を叩く。
 あ、怒ってる。察した芽唯はなんと言い訳をすべきか言葉を探すように図書館中を見渡してみる。
 そもそもで芽唯は上段の本を自分で取ることをレオナに禁止されていた。
 ナイトレイブンカレッジの施設の多くは男子生徒であることを前提に作られている。
 もちろん、性別を気にせず使えるものも数多くあるが、図書館の上段の本は高さもあれば大なり小なり重さもある。加えて、何かあった場合自らを守る術を持たない魔法の使えない芽唯は何度も口酸っぱくレオナに他者に取らせるようにと言い聞かされていた。
 今日はその禁を破った上に、実際に危険な状態に陥ってしまった。レオナが怒るのも無理はない。
 受付のゴーストが留守だった。誰も居なくて頼れなかった。
 そんな言い訳を並べたところで火に油を注ぐようなものだろう。幾重もの結果を考え、芽唯はぽつりと小さく零す。

「……ごめんなさい」

 肩を落として少し俯く。
 悪いのは完全に自分だ。心配してくれているレオナを裏切り、また後日にすれば良いのに無理に本を求めて梯子を登った。
 素直に謝る以外の選択肢を断たれた芽唯が黙ってレオナの足先をじっと見つめていれば頭上からレオナのため息が降ってくる。それが呆れか安堵かはわからない。
 降り落ちたのが自分でなかったのは本当に良かった。未だに少し早い心臓の音に耳を傾けながらぎゅっとスカートの裾を掴む。

「グリムはどうした」
「美食研究会の活動で、バラバラに動いてて……」

 放課後、常日頃ならグリムが共に居て魔法が必要な場面は彼が多少ならなんとかしてくれる。
 けれど運の悪いことにグリムは今日は活動日だとチャイムが鳴ったのと同時に行ってしまった。
 一人の放課後にまさかこんな目に合うとは露にも思っていなかった芽唯は自分の軽率な行動でレオナを怒らせてしまったとさらに肩を落とす。

「……なら俺を呼べばいいだろ」
「ラギー先輩が、レオナ先輩に用事があるって探してたから……」

 何か紙の束を持っていた。レオナのサインがどうしても必要なのだと一年生の教室付近の廊下ですれ違ったラギーはとても慌てた様子だった。

「私が呼んだらレオナ先輩きっとこっちに来ちゃうし、植物園に探しに行くって言ってたラギー先輩に悪いなって思って……」

 今思えば、あの時彼と一緒にレオナのところへ向かえばよかった。
 後悔先に立たずとは言うが、要らぬ迷惑をレオナにかけてしまった。──心配させてしまった。

「もう高いところにしか見てない本がないから今日で調べるのはやめにします」
「気は済んだのか」
「えっと、そんな感じです」
「そうか」

 元々不安を埋めるためにやっていた行為で意味はない。レオナがわからないと言ったものが図書館の本でわかるわけがないことくらい始めから気づいていた。

「……………」
「……………」

 嫌な沈黙が二人の間を流れる。
 レオナとの会話のない時間は本来心地よいもののはずなのに居た堪れない気分で心臓が潰れてしまいそうだ。
 顔を上げることが出来ないままでいた芽唯の頭に不意に温かな重さが乗せられる。

「……無事でよかった」

 ぎゅっと抱きしめられ思わず顔を上げようとするが頭が固定されて動かない。どうやら乗せられたのは彼の顎のようだ。
 もぞもぞと目の前のレオナの胸元にすり寄れば腕に込められた力が強まる。
 応えるように背中に腕を回せばそれまでの空気が嘘のように自然と笑ってしまう。

「心配しすぎですよ」
「頭を打ってからじゃ遅いんだぞ」

 ぽんぽん、とレオナの大きく温かな手が芽唯の髪型を崩さないようそっと後頭部を叩く。
 確かに、打ち所が悪ければ最悪……といった可能性も十分にある。
 レオナが何度も口を酸っぱくして言い聞かせた理由も理解している。……本当に申し訳ないことをしてしまった。

「でも咄嗟に魔法で対処するなんて流石レオナ先輩ですね」

 私なら慌てすぎてそんなこときっと出来ないです。漸くレオナの頭が離れ、彼を見上げた芽唯が笑う。

「……魔法士なら当然だろ」
「……?」

 一瞬、レオナが視線を逸らした気がした芽唯は僅かに首をひねる。気のせいだろうか。レオナが何かを言いよどんだ気がする。

「あの」
「そんなことより、もう終わったなら寮に帰るぞ。送ってく」
「あっ」

 ぱっとレオナが離れたかと思えばエスコートされる形になり自然と足が動かされる。
 まるで今のことを追求するのを許さないような、レオナの不自然な動きに芽唯の疑問は募るばかりだ。

「先輩、あの」
「黙って歩け。さっさとこんな場所から出るぞ」
「こんな場所って、図書館嫌いでしたっけ?」

 一秒でも居たくない。そんな空気を醸し出しながらレオナが足を動かせと急いてくる。
 別にレオナは読書が嫌いではない。むしろ、知識を吸収することに貪欲だ。
 いつだったか、とても珍しい書物が手に入ったのだと夢中で読んでいたのは記憶に新しい。

「……別に、ただ……今のここはダメだ」
「今の……?」

 頭の上に次から次へと疑問符が浮かんで一つも解消されない。
 問いかけることも許されないまま、芽唯はレオナと共に図書館を後にした。

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