05
「メイ、今日は麓のベーカリーが来る日だゾ! オレ様、ツナがたっぷり入った焼きたてのパンが食いてぇ!」
「さっき食べたばっかりなのにもうお昼の話?」
「オレ様育ち盛りだからな!」
芽唯の数歩先をグリムが機嫌よさげに駆け回る。朝のこの時間は「面倒だ」「行きたくない」と本当に大魔法士とやらになる気があるのか疑わしいほどのやる気のなさなので、昼食に気を取られているとはいえ率先して学校へと向かっているのは喜ばしい。
頭の中をだいぶパンに支配されているが、逆を言えば今日の授業はすべて「麓のベーカリーが待ってるよ」という芽唯でも使える魔法の言葉で簡単にすべて受けさせることが出来る。
麓のベーカリー──稀にナイトレイブンカレッジに訪れるその店は食べ盛りの男の子たちを配慮してか、安価で大きめのパンが豊富に用意されているのでお財布に優しいところも魅力的だ。
レオナもデラックスメンチカツサンドを好んで食べているので味もお墨付きだし、彼の言葉に甘えて芽唯自身も菓子パンを食べさせてもらったこともある。
果実を惜しむことなく使った特製ジャムがたっぷりと詰め込まれたそれは、『頬が落ちる』という言葉を体現したかのような美味しさだった。グリムがはしゃぐ気持ちもよくわかる。
毎日同じルーティンを繰り返すことになる学生生活。たまに訪れるというプライズレス感もあのベーカリーの人気に一役買っているに違いない。
「もう、しょうがないな。あんまり高いのはダメだからね」
「わかってるんだゾ!」
「ホントかなぁ」
呆れたように息を吐きつつも、芽唯自身昼食が楽しみだった。
ベーカリーの来訪日は芽唯の手作り弁当もお休みだ。普段より軽い鞄を握り直した芽唯の隣に後ろからエースとデュースが駆け寄ってきた。
「ふぁ〜あ……おはよー」
欠伸を噛み殺すことをせず、大きな口を開けたエースがそのまま挨拶をすれば釣られたようにデュースからも大きな欠伸が溢れる。
「二人とも眠そうだね。夜更かしでもしたの?」
「それが聞いてくれよ。夜中にハリネズミが一匹いないことに寮生が気づいて大騒ぎ」
「世話当番だった生徒が鍵をかけ忘れたらしくて全員で探すハメになったんだ」
「けど、そいつずーっと言い訳しててさ。ちゃんとかけたはずなのにって認めなくて、当然寮長がカンカンに怒っちまって」
両腕を伸ばしたエースが己の首を絞めるように両手を合わせ、わざとらしく項垂れる。がしゃんっと擬音付きで行われる行動が示す現象は一つだけだ。
「じゃあその人は今日一日首輪付きなのね」
最近は減ってきたが、それでも寮生を律するリドルのユニーク魔法は未だに見かけることがある。
魔法の使用を制限され、外見的にも罰則を与えられているのが明白なその姿は罰を与えられた本人には屈辱以外の何者でもないだろう。
「それでハリネズミは見つかったの?」
「一応ね。怪我もしてなかったし、ちょっと腹空かして怯えてたけど他は別条なし」
「よかった。ハーツラビュルは動物のお世話もしなきゃで大変だよね」
ハリネズミの他にもフラミンゴも飼っているし、庭の薔薇の世話もしなければならない。
寮全体で命を預かっているのだから、リドルの厳しさも妥当のものと言えるだろう。
「オレらの動物言語じゃ言葉が通じないから大変だけど、どっかの誰かさんみたいに火を噴く魔獣の世話すること考えたらそこそこ楽かもしんないぜ?」
「なー、グリム?」と挑発するようにわざとグリムに直接言うのは睡眠不足で少し鬱憤が溜まっているのだろうか。
「なんだとエース! パンの前にケンカも買ってやる!」
だいぶ安いそれに、残念なことに芽唯の親分は簡単に乗ってしまう。
「お、おい二人とも、これから授業なんだぞ!」
すぐさまデュースが間に入って諫めればふんっと二人が顔をそむける。
いつもならば絡んだデュースも巻き込んで火と風が入り乱れる喧嘩に発展するところだが、平気そうにしているとはいえ、やはり疲れているのだろうか。
「ってか今日ってベーカリー来る日だっけ? ついこの間も来た気がするけど」
「この間来たのは別のお店だったみたい」
「だからやたら不評だったのか。いつもの店みたいな良い匂いもしなかったし」
匂いという単語に芽唯が深く頷く。
「これじゃレオナさん納得しないから」とラギーも購入を躊躇ったパン。オープンしたばかりの店で売り込みの試食も兼ね、割安だったので味より量な年頃の男の子たちも最初は群がっていたがあっという間に人が寄り付かなくなっていた。
あの様子ではいつものお店の対抗馬になることもなく、この小さな島では長く営業することは叶わないだろう。
「今日のはきっといつもの店だから絶対美味いんだゾ!」
「そうだね。私も新作の買ってもらう約束になってるから楽しみ!」
「メイはいいよなー、ラギー先輩が買いに走ってくれるから絶対手に入んだから」
「えへへ、いいでしょ」
レオナの恋人特権とでも言うのだろうか。昼食の準備を全て行わなくていいこの日はいつも少しお得な気分になる。
彼がおいしそうに食べてくれる姿を見るのも好きなので料理は嫌いではないが、お休みという単語は与えられるだけで解放感が得られるものだ。
「グリムもちゃっかり一緒に買ってもらってるしな……。僕たちは自力でゲットしないとだから昼まで体力を温存しないと」
「温存しなくてもいつも授業中寝ちゃってるのに?」
「きょ、今日こそ大丈夫だ! 眠くなったら手首のこのゴムを引っ張って……」
「それこの間もやってなかった?」
パチンとゴムをはじくのを実演するデュースが小さく「いてっ」と零す。彼の優等生への道は未だに果てしなく遠いことがよくわかる。
そんな姿が面白くて、本人も含め肩を揺らしながら三人と一匹は教室へと向かった。
◇◆◇
夜更かしをしていなくても午前の授業は眠気が襲ってくるものだ。
目をこすりながら耳心地の良いトレインの声に耳を傾ける。時折ルチウスの鳴き声も混ざる授業は彼らの声とペン先を滑らせる音しか聞こえない。
傍らのグリムが少し船を漕ぎ始めるたびに肘でつつきながら授業を聞いていた芽唯がチャイムの音を聞くころにはグリムはすっかり夢の中に旅立っていた。
「起きて、起きてってば」
優しく揺り起こしてもむにゃむにゃと口を動かすだけで瞼はぴくりとも動かない。
幸い、というか。寝付いたのがほぼ授業が終わる寸前だったことから見逃されたのか。トレインから課題を追加されることはなかった。
けれど、このままでは待ち人に申し訳ない。
スマホを握りしめた芽唯は既に今日のメニューを頼んでいることを再度確認し、もう一度グリムを揺り動かす。
「グリム、ご飯の時間だよ。ラギー先輩が買ってくれてるとはいえ早く行かないと」
「むにゃ……オレ様は……」
「うーん……ダメか……」
窓際の席を取ったのが失敗だったか。心地の良い陽気がグリムを眠りの国から解放してくれそうにない。
仕方がなく彼を腕に抱えた芽唯は扉の前で自分達を待ってくれていたエースとデュースの傍に駆け寄る。
「ごめんね、もう完全に熟睡してるみたい」
「睡眠不足のオレらより快眠って言い御身分なこった」
指先でグリムの頬をエースが突くがそれでも反応がない。
「おまえ、毎日なんなんだゾ……」
「すんげぇはっきりした寝言。なんか夢でも見てんのかな」
「最近、ずっとこうなんだよね。まるで本当に誰かと話してるみたい」
夢の中できっと誰かと会話をしている。
元からグリムが授業に寝付くことはあった。けれど、こうして寝言を多く言うようになってからはそれがますます増えた気がする。
「夢の中に入り込む魔法、とかってあるのかな」
「わざわざグリムの夢に? なんでまた」
「それは……わかんないけど……」
ふと脳裏にそんなことがよぎっただけで確証はない。
けれど、妙に嫌な予感がする。レオナが最近何かを警戒していることも関係しているのかもしれない。
「気になるならキングスカラー先輩に相談してみたらどうだ? 僕たちより知識もあるだろうし」
「ま、一年生が無い知恵絞るよりはおじたんに頼るのが手っ取り早いよな」
「だよね……。この後聞いてみる!」
胸騒ぎの原因も、グリムのことも、レオナに聞けばきっと簡単にモヤが晴れるに違いない。
そう信じて疑わない芽唯の足先が軽やかに廊下を蹴り上げた。
◇◆◇
「それじゃあこれがメイくんとレオナさんの分。こっちはグリムくんッスね」
「いつもありがとうございます。ラギー先輩」
「前に比べたらたまーに買い出しに走らされるだけなんて楽させてもらってるんで」
シシシと笑うラギーは自分の分として買ったであろうパンの山を愛おしそうに袋ごと撫でる。
「俺達はやっとたどり着いたところなのに、先輩どうやって買ってるんスか?」
「そりゃ企業秘密ッス。競争相手が増えたら面倒なんで」
有益な情報を教えてくれるなら考えてやらなくもないけど。と付け足したラギーはそんなものが一年生から出ることはないとわかっているのだろう。
すぐに背を向け去っていった彼は最後に芽唯に手を振って大食堂から出て行った。
「じゃあ、私もレオナ先輩の所に行こうかな。グリムは気になるから一緒に連れてくね」
未だに眠り続ける親分を抱え直した芽唯にエースとデュースがそれぞれ頷く。
「おじたんに怒られて暴れたグリムが植物園を丸焼きに〜、なんてのは勘弁してくれよ」
「大丈夫、みんなが思ってるよりレオナ先輩グリムに優しいんだよ」
「それはメイと喧嘩になるからじゃないか……?」
多分きっとそう。デュースの疑問に相槌を打ったエースが首を縦に振る。そんなことないと否定したいところだが、ツナ缶を買収するように与えたり、仲がいいと言うよりは利害が一致しているというのが正しい関係なのだろう。
それでも芽唯からしてみればレオナとグリムが上手く関係を築けているだけで嬉しかった。
大好きなネコチャンとネコチャンみたいな先輩が一緒に視界に収まるのは見ていて幸せな気持ちになれる。
本人たちに告げたらどちらも己は猫ではないと怒り出すだろうが、口に出さなければ問題はない。
「それじゃあ、また午後の授業でね」
早くレオナの所に行かなければ。
二人に背を向けた芽唯は食堂へ向かってきた時よりも速足で廊下をかける。
大食堂へと向かう生徒の波をかき分けながら進むのは一苦労だが、芽唯がどこへ向かっているのか知っている生徒は自ら道を開けてくれるようになったのでだいぶ楽になった方だった。
「こっちの方が近道なんだよね」
そう言って芽唯は途中で道から外れる。
歩道されていない為歩きにくいが、知る人ぞ知る森の中の獣道を一直線に突っ切ると植物園のすぐ目の前にたどり着く。
わざわざ授業や部活動以外で植物園へ赴く生徒はそう多くない為、さらに人通りが少ない道を使うことへの危険性をレオナに指摘されたことはあるが、急いでいる時はつい使ってしまう。
(今日はグリムもいるし、何かあっても大丈夫だよね)
胸元に抱えた未だ眠るグリムをちらりと見た芽唯は一人森の奥へと入っていく。
時折、鳥の囀りが聞こえる穏やかな空間はまるで世間から切り離されたような錯覚を覚える。ほんの少し離れた場所では大食堂へと向かう生徒達の騒めきがあんなにも溢れていたのに別の世界に迷い込んだみたいだ。
もう少し奥へと進めば開かれた空間があり、その場所にある大きな茂みのすぐ向こう側が植物園。
そう遠くもない距離だが、早くレオナに会いたくて気持ちが急き、足を速めようとしたその時、一羽の小鳥が芽唯の肩に舞い降りた。
「ちゅ、っちゅん‼︎」
「びっくりした。どうしたの?」
必死で何かを訴えるようにちゅんちゅんと鳴き続ける小鳥は問いかけても鳴くのをやめようとしない。
その姿に異様さを感じた芽唯が足を止めれば別の小鳥が現れ芽唯のスカートの端を持ち上げ引っ張るようにどこかへと誘導する。
「ま、待って⁉︎ 見えちゃう!」
めくれ上がる裾に驚き、慌てて抑えながらも小鳥の誘導にしたがった芽唯は地面へと降りた彼らに合わせるように木陰にしゃがみ込む。
「悪戯……じゃないよね?」
膝でグリムを支え手を離し、指で小鳥の小さな頬を突く。
構って欲しくて見かけた芽唯をわざと困らせた、というわけではなそうだが、どこかとぼけた様子で頭を捻っては芽唯の質問に答えない。
「あっちになにかあるの?」
芽唯の進行方向の少し先、大きな茂みになっている場所を見ればさらに別の小鳥が現れ芽唯の言葉を否定するかのように慌てて鳴き始める。
「もう……困ったな……」
あちらに行かせたくない理由がなにかあるのだろうか。
手元のパンはまだ少し温かい。出来ればこれが冷めないうちに植物園へと行きたいのだが、この様子ではいつもの道を使うのを動物達は良しとしないだろう。
「ねぇ、私植物園に行きたいだけなの。あっちに行かなければ動いてもいいかな?」
未だにスカートの裾を咥えている小鳥の頭を指先で撫でれば渋々くちばしが離れていく。
「ありがとう。こっちからなら行ってもいい?」
少し遠回りになってしまうが、茂みと別方向を指させば集まっていた小鳥達が返事をするように囀りだす。
その音には先ほどまでの焦りは含まれておらず、むしろ喜びさえ感じられた。
上空を旋回していた一羽が先導するかのように芽唯の前を飛び始めたのでその後に続く。
歩きやすい道を選んでくれているのだろう。草木をかき分ける必要もなく、ある程度人が通れるくらいには開けた道を進むことが出来た。
少し離れているが植物園はもう目と鼻の先だ。
「それじゃあ、レオナ先輩が待ってるから」
もう一度ありがとうと告げれば小鳥達は芽唯の傍から離れていく。
肩の一羽が飛び立ったのを見送って芽唯は植物園の入り口をくぐった。
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