13


 ラフマンたちとの交渉がまだ明日に控えている。
 本来ならば他の者たちと同様にアルハイゼンも身を休めなければならない。だが、未だ目を覚まさないアウラリアリアの傍を離れて安眠できるとは到底思えなかった。
 既に起きているのは自分だけとなっていたが、アルハイゼンは一度もアウラリアリアからその特徴的な瞳を逸らさない。
 彼女の寝顔を眺めるのは初めてではない。
 ただ共に眠った夜も、そうじゃない夜も、アルハイゼンは必ず最後には彼女の寝顔を眺めていた。己の隣で安堵して眠る姿が好ましかった。アルハイゼンが望む平穏な日々の象徴のようでいて、変わらないよう守らなければならないと強く思った。

「俺が、君を巻き込んだのか……」

 他にアウラリアリアが教令院に狙われる理由が思い浮かばない。
 他人の弱みとして恋人を利用するなどどんな三下悪役でも思いつくほど簡単で、最も低俗な方法だ。
 アウラリアリアの顔にかかった髪を払ってやりながらその顔を見つめるアルハイゼンの表情は帰ってきた時にキャンディスが見せていたのと同様に曇ったまま。
 知り合ったばかりの人間にすら見抜かれるほど心を揺さぶられているという事実が、アルハイゼンの中でアウラリアリアがどれだけ大きな存在だったかをものがたる。

「アウラリアリア……」

 頬に触れても、名を呼んでも、彼女から返事は返ってこない。



 どうしても離れられなかったアルハイゼンはアウラリアリアの隣に潜ることで身体を休めた。
 冷え切った身体を温めるには人肌が最適というもっともな理由もある。
 いつもと変わらぬ柔らかで、どこからかスメールローズの香りがする肌はアルハイゼンの不安を煽ると共に安らぎを提供してくれた。
 十分に休めたアルハイゼンは陽が登ると共に起きるとまた近くの椅子に腰かける。
 少しずつ活気づいてくる村の喧噪と共に他の者たちも目を覚まし、一見昨夜から一睡もせず見守っているように思えたアルハイゼンに目を丸くした。

「お前まさか寝てないんじゃないだろうな⁉」
「休んだに決まっているだろう。なにごとを行うにも万全に体調を整える必要がある。休むというのは計画を実行するために必要不可欠な行動であり、俺がそれを欠かすことはあり得ない」
「あぁ、うん……いつも通りのアルハイゼンだな。それで、その人は目を覚ましたのか?」
「いや……だが、危険な状態は脱したと言っていいだろう。ここに居ればもう体温が急激に下がることもない」

 アルハイゼンが一晩かけて体温を分け与えたおかげで顔色もだいぶ良くなった。
 仮にこのままもう一度村に預けることになっても安心して旅立てる。
 安堵したように息を吐いたパイモンがふわふわとアウラリアリアの近くまで飛んでくる。共に近づいてきた旅人はアルハイゼンの近くにもう一つ椅子を持ってくると腰を下ろした。

「大丈夫?」
「なにがだ」
「恋人だって聞いたから。本当は残していきたくないんじゃないかと思って」

 アウラリアリアの顔の前でパイモンが手を振って「おーい、おーい」と呼びかけるのを横目に旅人はアルハイゼンの心を覗き込もうとするかのように見つめてくる。

「大切な人と離れる不安はよく知ってるから。気持ちがわかるとは言わないけれど、どうしたいのかくらいはわかる」
「…………そうか」

 気遣われている、のだろう。

「パイモン、少し外に出よう」
「ん? ああ、わかった!」

 早く起きると良いな。そんな言葉を残してパイモンは先に入り口へと向かっている旅人の背中を追いかける。
 朝日を浴びて揺れる金髪がどこか眩しかった。

◆◇◆

 目を覚まさないアウラリアリアを残してきたアルハイゼンから自然とため息が漏れる。
 ラフマンとの交渉は簡潔に言えば決裂した。連れて行ったすべての人質との交換ではなく、一人対一人というこちらの意に反する内容であちら側が動いたからだ。
 当然、そんな提案には乗ることはできず争いへと発展した。
だが突如としてその場の地面が崩れ落ち、そこから現れたキングデシェレト文明の遺跡を調査した末に判明したマハールッカデヴァータとキングデシェレト、そしてその民との関係に考えを改めざるを得なかったラフマンは仲間の説得と明日の再会。そしてすべてのグラマパラの解放を約束して去っていた。

「それにしても一時はどうなるかと思ったけど丸く収まってよかったな!」

 浮かれた様子のパイモンの声に頷いた旅人はアルハイゼンを見る。

「あとは彼女が目覚めればこの件は解決するね」
「教令院の企み自体が潰れたわけではないが、今回のことに関してはそう言えるな」

 少なくともグラマパラが資源として教令院に悪用されることはなくなる。
 マハ―ルッカデヴァータの真相が暴かれた今となっては、あの情報が広まっていけばキングデシェレトの復活などというまやかしを信じる過激派も少しは大人しくなるだろう。

「ただいま、キャンディス! あの人は……あっ!」
「おかえりなさい。さあ、あの人がアルハイゼンさんですよ」

 すっかり拠点となった村長の家に帰ればキャンディスが自身の背に隠れた者の押し出してアルハイゼンの前に立たせる。

「あの……」
「良くなったのか」
「あ、はい。ごめんなさい。迷惑をかけしまったみたいで……」

 俯いて目が合わない。アウラリアリアにしては珍しい姿に先日のキャンディスの言葉が脳裏を過る。
『自分の名前がわからない……というより、その……記憶がない、みたいで……』

 床に向けられた視線はアルハイゼンの姿を捉えない。恋人が目の前にいることにただ気づいていないだけなのか、それとも──。

「君は……。どこまで聞いて、どこまで理解しているんだ」
「その……」

 彼女が怯えないようにできるだけ優しくその手首を掴んだアルハイゼンは近くの椅子に座るように促す。
 正面に座ったアウラリアリアとようやく目が合うが、アルハイゼンの顔を見てもそこに安堵の表情が浮かぶことはなかった。

「皆さんが倒れていた私を見つけてくれて、保護してくれたことまでは聞いています。……けど、ごめんなさい。自分がどこの誰かも、どうしてそうなったのかも全部わからないの」

 申し訳なさそうにまた俯いてしまったアウラリアリアに彼女を囲むように座り始めていた一同は口を閉じる。
 中でもセノとディシア、それにキャンディスはアルハイゼンの言葉を待っているのか、こちらをじっと見たまま黙り込んでいる。
 腫物を扱う様な視線はアルハイゼンを気遣っているからか、それともお前が言葉をかけなくてどうするという焦れからかはわからない。

「こいつのこと覚えてないのか? お前とこいつは恋人なっうがぼっ!」
「パイモンちょっと黙って!」

 ふわりとアウラリアリアのすぐそばに飛んで行ったパイモンだけが、そんな空気を読まずに切り出すが、いきなりの内容に焦った旅人が彼女の口を塞いで抑え込む。

「その人と、私が……?」

 しかし時すでに遅く、アウラリアリアは恋人なのだと紹介されたアルハイゼンをじっと見つめては瞳をぱちくりと瞬かせる。
 じっと見つめて、何かを考えこむ仕草をするもののその表情は段々と曇り始めた。

「……ごめんなさい。わからないわ」

 一般的な恋人であればここで彼女に対して何故と問いかけ、悲しみを露にするものだろうか。
 アルハイゼンという男はそんな想像はできても自身が実演するかと言われれば冷静に首を横に振る男だった。
 アウラリアリアの状態は正直予想の範疇だ。
 神の知識に関する実験とは違う意図で捕らえられたにしろ、あの場所に放置されていたということは彼女に行われた施術は同じ設備で可能なことと推測される。
 自らのことすらわからないということは彼女が抽出されたのは記憶、もしくは思い出と呼ばれる彼女自身に関連すること。
 そんなものを一体どうするのかは見当がつかないが、彼女の記憶を缶詰知識として抽出してまで欲したというのに、彼女自体はぞんざいに扱い放置したことから恐らく別々の思惑が絡み合っている。
 人の記憶を欲するということは、その者がなにか重要な情報を掴んでいるという神の意識に触れた人間を狙うのと同じパターンが一つ。もう一つはその記憶の持ち主について深く知りたい、過去を覗き込みたいという非常に悪質で人権を無視した愚かな思考のどちらかだ。
 仮に前者であれば用済みのアウラリアリアが放置されたことも納得がいくが、それではアルハイゼンに対しての人質にはならない。
 対アルハイゼン用の人質として彼女を捕らえた者と彼女個人の記憶に興味があった者は別々であり、また両者の意見は一致していないと考えるべきだろう。

「……君のことは俺がよく知っているよ。不安に思う必要はない。まずはしっかりと休養を取り街に帰ることを考えよう。恐らく明日には俺もしばらく自由に動けるようになる」
「わかり、ました。えっと……お名前は?」
「……アルハイゼン」
「アル、ハイゼン……さん。よろしくお願いします……!」

 唇を不自然に一度震わせたアウラリアリアは途切れ途切れにアルハイゼンの名前を呼ぶ。
 不安はまだ拭いきれないのだろう。少し困ったように笑う姿がどこか痛々しい。
 それでも目覚めていなかった時よりはずっとマシだと安堵して笑う周囲の声を聴きながら、アルハイゼンはじっとアウラリアリアを見つめる。

(アルハイゼンさん、か……)

 気づかれない程度に静かに息を吐きだすアルハイゼンは少しだけ眩暈を覚えた。

(君にそんな風に呼ばれる覚えはない)

 いつぞや彼女に直接ぶつけた言葉がリフレインする。
 遮音機能を稼働させているわけでもないのに声が遠ざかる。その代わり、アルくんと己を呼ぶ彼女のやわらかな声がどこからか聞こえた気がした。

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