幕間1
「突然訪ねてきたかと思えば恋人を預かれっていったいどういうことだよ」
「言葉のままだ。今彼女を連れ帰るわけにはいかない」
「だからって僕にだって予定がある。それに恋人がいたなんて初耳だ」
「言う必要がなかったからな」
「ああ、もう! 君のそういうところは一生治らないんだろうな!」
淡々と返すアルハイゼンさんとは真逆に声を張り上げるティナリさんの尻尾の毛がぶわりと逆立つ。
揉め続ける二人の傍で肩身の狭い思いをしているとお茶を差し出したコレイちゃんはその様子を見てため息をついた。
「師匠のことは気にしないでいいからゆっくりしてくれよ。えっと、アウラリアリアさん、はアルハイゼンさんの恋人……で、いいんだよな?」
「そう、みたい。ごめんなさい、曖昧な答えしか返せなくて……」
「いいんだ! 気にしないでくれ! その、あたしも……不安な気持ち、わかるから」
軽く自己紹介……と言っても、私は語れるほど自分のことは知らないけれど……を済ませた私たちは旅人さんとパイモンちゃんを交えて机を囲んでいた。
「オイラたちもアルハイゼンのプライベートについてはあんまり知らないんだけど、いつか街に戻れたら知り合いが教えてくれるんじゃないか?」
一人だけふわりと飛び続けるパイモンちゃんはぽろぽろとコレイちゃんが出してくれたお菓子を食べこぼしながらアルハイゼンさんたちを横目に見る。
確かに、本当に恋人だったというのなら住んでいた場所に戻ることが出来れば周囲の人たちが証明してくれると思う。本当──なんてまるで疑うみたいだけれど、正直私とアルハイゼンさんがお付き合いをしていたという事実は未だに呑み込めないでいる。
彼はスメールシティという大きな街で最も有名な教令院という場所で書記官の立場にあるらしい。……今はその教令院という大きな組織が危ない計画を進めていて、それに巻き込まれた私はおいそれと街に帰ることが許されない状況だということは聞いている。
自分の名前も、なにをしていたのかも、すべてが思い出せない状態で知り合いに拾ってもらえたのは運が良かった。
一応必要最低限の生きる知識だけは残っていたけれど、その他の私という個人を形作っていたなにもかもは缶詰知識という特殊な技術で吸い取られてしまったらしい。
もしアルハイゼンさんたちに見つけてもらえなかったらと思うと今でも背筋に冷たいものが走る。
魔鱗病に侵されているというコレイちゃんは、そんな私を安心させるために自身の過去について辛いだろうに教えてくれた。出会ったばかりの人間に対してとてもとてもやさしい子。
「あの、ティナリさん。迷惑なら私、他の場所を探します。大丈夫です。だから……」
「大丈夫! そういうわけじゃないんだ! ただ、アルハイゼンの態度が気に喰わないだけで君をかくまうことに異論はない。元々僕は教令院のおかしな考えには賛同できないから雨林で過ごすことを選んだんだ。君がまだ狙われる可能性があるなら帰すわけにはいかないよ」
「なら、いいのだけれど……」
なんだか少し申し訳ない。けれど、私がそう思ってしまうことはティナリさんもコレイちゃんも、それにアルハイゼンさんも不本意なんだろう。
恋人が危険な目にあったというのなら安全な場所に居て欲しいと思うのは当然だろうし、彼の話を信じてくれる人がいるということはアルハイゼンさんが良い人であるのは間違いない。
「もっとアルハイゼンに甘えてもいいんじゃない?」
「でも……」
「少なくともアルハイゼンはそう思ってるはず」
「そうなの……?」
旅人さんがそう言ってアルハイゼンさんを見ればちょうど彼と目が合った。
深く息を吐きだした彼はようやくティナリさんとの言い合いが終わったようで私の隣に腰かける。
「ここに留まるのは嫌なのか?」
「いいえ、ただ迷惑をかけるならと思って……」
「君に他に行く宛てはない。先ほども言った通り街に戻るのは危険だ。ご両親に安否を伝えることができないのは口惜しいだろうが我慢してくれ」
「……ありがとう。顔も思い出せないけれど、私のことを想ってくれる家族がいるということがわかっているだけで十分だわ」
いったいどんな人なんだろう。アルハイゼンさんはきっと顔見知りなんだ。
もしかしたら両親公認の交際だったのかもしれない。
「……まだいろいろと不安だろう。しばらくは俺も村に残るから。あまり長くは居てやれないが少しでも早くこの環境に慣れてくれると嬉しい」
「ええ」
頷けば自然な仕草でアルハイゼンさんの手が頬を撫でる。
なにも覚えていないのに、その温もりだけは知っている気がした。
◇◆◇
アビディアの森には時折死域と呼ばれる場所が現れる。
ティナリさんの主な仕事はその対処や森を甘く見てキノコを食べたり手持ちの食料や水分が尽きて動けなくなってしまった人の保護と介護。
彼自身は雨林の環境改善のためにこの土地に住むことを選んだようだけれど、一番多いのはその手の類らしい。
ため息と共にそう説明してくれたティナリさんはアルハイゼンさんの背中を見つめたかと思えば私の顔を見て不思議そうに首をひねる。
「まさか『あのアウラリアリア』とアルハイゼンが恋人だなんて。世の中なにが起きるかわからないものだね」
「私って……有名なの?」
「もちろん。教令院に所属する人ならまず間違いなく知っているし、そうじゃなくても君は目立つからね」
「目立つ……」
「あーっと、悪い意味じゃなくて。大抵の男には君が魅力的に映るって話」
「それってアルハイゼンさんにも……?」
彼に倣って見つめたアルハイゼンさんの背中が遠く感じるのはなぜだろう。
きっと彼は私を深く知っているだろうに、私はなにも知らない。
どうやって知り合ったの?どこを好きになったの?私は貴方のどこに惹かれたの?貴方は今の私をどう思っているの?
知りたいことは山のようにあるけれど、そのすべてを聞く時間はない。
アルハイゼンさんはもちろん。旅人さんとパイモンちゃんも数日のうちに教令院と戦う準備をするためガンダルヴァ村を発つ。置いていかれるようで寂しいけれど、事件が解決次第迎えに来てくれると約束してくれたし、私がついていっても足手まといにしかならないのだから仕方がない。
「それはどうだろう……。少なくとも僕の知る限りでアルハイゼンが君に好意を持っていた、なんてことはないね。恋人だって知らなかったのがなによりの証拠になると思うんだけど、どう?」
「……そう、ね。うん。立派な証拠だとは思うわ」
ならアルハイゼンさんはいつ私のことを好きになったんだろう。
彼に直接聞いて答えてくれるだろうか。そんなことに貴重な時間を使っていいんだろうか。
投げかけるべき質問がわからないまま時間だけが過ぎていく。
早く村に馴染めるようにと気を使っているのか、アルハイゼンさんは遠くから見守るばかりであまり話しかけてはくれなかった。
綺麗な瞳だけが私を追い、彼自身は私を追ってはくれない。
幸いにもレンジャー隊の中にも私のことを知っている人はちらほらといて、突然現れた私に友好的に接してくれる人は多い。
旅人さんとパイモンちゃんは何度かアルハイゼンさんを私の前に連れてきてくれたけれど、一言二言投げかけ合うとほんの少し触れあってすぐに彼は去ってしまう。
──本当に恋人同士だったのかしら。
少しずつ疑問が膨れ上がる。恋人が記憶を失くして自分のことを覚えていない。そんなことが起きた時に人はどういう反応をするんだろう。彼の反応は普通なのかな。
アルハイゼンさんはとても良くしてくれているのに彼を疑ってしまう自分が嫌いになりそう。
◇◆◇
陽が沈むころには見かねたティナリさんがアルハイゼンさんの背を押して私の前に強制的に座らせた。
「それで恋人を名乗ってるなんて本気? いい加減にしてよね」
ふんっと怒っているのかすぐに顔をそむけたティナリさんはズカズカと大股で去っていく。
残された私とアルハイゼンさんは顔を見合わせて固まってしまった。
「……大丈夫そうか?」
「え?」
「言っただろう。俺たちはあまり長居はできない。君は一人でここに残るんだ」
先に口を開いたアルハイゼンさんから出てきたのは今日何度目かの問いだった。
「大丈夫……とは思います。ティナリさんもコレイちゃんも、他の村の人もみんないい人で、逆に私のことが迷惑じゃないか心配」
「君は今そんな心配しなくていいよ。自分のことだけを考えればいい。……どこか、痛いところや苦しいところは?」
頬に触れたアルハイゼンさんが瞳を覗き込むように顔を少しだけ近づけると彼の眉間に皺が寄っているのがよくわかる。それはどういう感情から来ているの?
アルハイゼンさんのことがわからない。でも与えられる温もりは心を落ち着かせてくれる。頬から離れない手に自分のそれを重ねればアルハイゼンさんの肩が少し跳ねる。
もし本当に恋人だったというのなら、私の体温も彼に安らぎを与えられるんだろうか。
「アルハイゼンさんって心配性ね。怪我はなかったし、もう身体が冷えていないのはわかるでしょう?」
「あぁ……そうだな。後は……」
歯切れの悪いアルハイゼンさんは言葉を探すけどティナリさんと揉めていた時が嘘のように何も出てこない。
私と接することで負担をかけてないかしら。そんな不安がふと過る。
恋人に忘れられたなんて本当はショックに違いない。今の私は本当の私ときっとかけ離れている。言い方を変えれば、アルハイゼンさんが好きだった人はもうどこにもいない。
「……ごめんなさい」
「? なにが?」
「……なんでもないの。私のことは気にしないで? 大事な戦いが控えているんでしょう? だったら私になんてかまけてないで準備をしなきゃ」
明日にでも私のために時間を割いてくれている三人を解放しなきゃ。
詳しいことはなにも理解できていないけれど、きっと今は一分一秒が大事な時。困らせるのはもうおしまい。
◇◆◇
何度も大丈夫だと伝えたけれど、アルハイゼンさんが旅立ちを決めたのはそれから二日後のことだった。
私の説得が通じたというよりはそれがタイムリミットだったんだと思う。
必ず迎えにくると最後まで念押しする彼を笑ってその背を押す。
私の方から彼を突き放す行動は不服だったのか振り向いた時の眼差しは何か言いたげだったけれどアルハイゼンさんは口を開かなかった。
振り向いて手を振りながら村を発つ旅人さんとパイモンちゃんと違ってアルハイゼンさんは行くと決めた後は振り向かなかった。一度やると決めたことには真髄に向き合う人なんだろう。
「行っちゃったな……」
「ええ、でも大丈夫よ。きっと……あの人たちなら」
その背中が見えなくなってもいつまでも村の外に居続ける私にコレイちゃんは最後まで付き合ってくれた。
どうか、彼らの戦いがうまくいきますように──。
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