15
創神計画などというふざけた夢の先でスメールという国が根底から変わるということはなかったが、確実に新たな道を歩み始めたのは言うまでもないだろう。
ガンダルヴァ村にアウラリアリアを残して発った三人は数日後にアアル村で再会した。
集まった仲間たちはそれぞれが見つけた情報や力を駆使して教令院に……新たな神に万全の態勢で挑み、その野望に打ち勝った。
ズバイルシアターの踊り子ニィロウやスメールシティで暮らすすべての人々を巻き込んだアルハイゼンが企てた壮大な計画はなにか一つでもズレが生じていれば別の結末を招いていただろう。
それでもアルハイゼンはそんなズレが生じないほどに完璧な計画を練り上げた。そもそもで計画にズレが生じるのは穴が元からあるか、あるいはよっぽど運が悪かったということだ。綿密に練り上げられた計画というのはそんな隙間が最初から存在しないもののことを言うし、運もまた実力の内。運を引き寄せる力がなかったと嘆くしかない。
だが、アルハイゼンにとってこの結果が得られたのは至極当然のことで驚くことはなにもなかった。
日頃から定時ぴったりに帰路につくのと同じように、予定通りの結末を迎えたアルハイゼンはすぐにアウラリアリアを迎えにガンダルヴァ村へと向かい家族の元へと送り届けた。
正直、教令院や神よりも彼女の方がアルハイゼンにとっては難問だった。
アウラリアリアという女性はアルハイゼンを困らせる天才だ。例え記憶がなかろうと彼女が彼女であることにはなんら変わりはない。なのに彼女を知る人間が口々に「変わったね」「大人しくなった」「以前と別人みたい」というたびにアウラリアリアの表情が少し曇る。
アルハイゼンからしてみればなに一つ変わっていないというのに、他人の言葉に一喜一憂する姿も、彼女を否定する人たちも不思議でならない。
「まあとにかく! どんなに忙しくても、計画の立案者なんだから、二日後は絶対に祝賀会に来いよ! あとアウラリアリアも連れてくるんだぞ!」
「いいだろう。そのときにまた会おう」
『教令院のアルハイゼン』宛てに手配された手紙を確認していなかったアルハイゼンを訪ねてきた旅人とパイモンが知恵の殿堂を後にする。
その後ろ姿を眺めていたアルハイゼンはゆっくりと息を吐いて視線を泳がせる。
例えどれだけ忙しくてもアルハイゼンはあれから欠かさずアウラリアリアの元を訪ねていた。以前は彼女から会いに来ていたが、記憶を失くした今の彼女にそれを望むのは難しい。
挙句の果てに、おずおずと「無理に会いに来なくてもいい」と遠回しに拒絶されたときは眩暈がした。
彼女がなにを勘違いしているのかは知らないが、アルハイゼンにとってアウラリアリアに会うことは平穏な日常を送る上で必要な行動であり、無理という形容動詞が付加されるものではない。
もちろん今日も仕事が終わり次第彼女の家へと向かうつもりだが会話が弾むことはないだろう。祝賀会への招待も自分はなにもしていないと断りかねない。
祝賀会は会うための方便だと説き伏せるのは簡単だが嫌がる彼女を無理やり連れ出すのは本意ではないので少し悩ましい。だが、彼女と久しぶりに食事する良い機会ではある。
「仕方がないな……」
彼らが会いたいと望むように、いや……それ以上にアウラリアリアと共に居たいというのがアルハイゼンの本音だった。
◇◆◇
スメールを救った英雄たちの宴の開催場所となったグランドバザールはもちろん。スメールシティ中の人間が噂を聞きつけ色々なプレゼントを贈ってくれた。
並べられた豪華な料理を前に居心地悪そうにアウラリアリアは身を縮めていたが、祝賀会であると同時にセノの大マハマトラ復職祝いだったことや、ディシアと共に来たドニアザードがいたのもあって時間が経つにつれその緊張はほぐれたようだった。
今は料理に必死に齧りつくパイモンと共に食事を楽しんでいるようで、アルハイゼンは少し離れたところからその様子を眺めている。
「あれから彼女の調子はどう?」
視界を塞がないようにか、横に並び立った旅人の問いかけにアルハイゼンは少し首をひねった。
「どう、と言われても特筆すべきことはなにもないよ。ガンダルヴァ村に預けた時点で容態は落ち着いていたし、記憶がないだけでそれ以外なにも変わったところはない」
「記憶はやっぱり戻らないの?」
「缶詰知識を取り戻さない限り難しい。外部刺激もしくは精神作用による彼女の内部で起こった現象での記憶喪失ならともかく、抽出された記憶がなんらかの刺激で蘇ることはまずないだろう」
イリシトが持ち去った缶詰知識がなんらかの方法で手に届く範囲に渡って来ればアルハイゼンは入手するためにかかる費用や労力を惜しまないだろう。
だが缶詰知識は元々その所持や取引を法律上禁止されている。ドリーのような特殊なビジネスを生業にしている者がどこからともなく闇市場に流しているが、人の手に渡ってしまえばどこへたどり着くかなどわからない。
商人たちに彼女の記憶が価値あるものと判断されるかは別として、そんな機会が巡ってくるのはどれほどの確率なのかは想像もつかない。
「……このままでいいの?」
「どうにもならない。諦めているわけではないが、戻らないのを前提に行動すべきだろう。もう一度、一から彼女のことを知ればいい。俺のことを知ってもらえばいい」
いつのまにかドニアザードとディシアも交じり、アルハイゼンと旅人の視線の先でアウラリアリアは楽しそうに過ごせている。
記憶がなくても彼女の笑顔は前となにも変わらない。アルハイゼンがその笑みに抱く感情も。
「アルハイゼンはそうやって前向きに考えられるかもしれないけれど……」
何か言いたげだったが旅人は中途半端なところで口を噤む。
二度、三度とアウラリアリアとアルハイゼンを交互に見ると黙って首を振ってパイモンのところへ戻る。旅人がその後アルハイゼンに個人的に話しかけてくることはもうなかった。
しばらくして、旅人の体を通してクラクサナリデビ……ナヒーダが宴に顔を出した。
その場に集まった全員を知っていると語る彼女にアルハイゼンの隣に戻っていたアウラリアリアが大きな瞳を瞬かせたが、その場にいるほとんどの者が同様に目の前で起きていることに驚いていた。
「こうして勝手に旅人の体を借りたのは、直接みんなにお礼を言いたかったからよ」
彼女からの感謝に当然の行いをしたまでと返す……。そんな面々だからこそ、スメールは新しくも正しい道を歩みだすことに成功した──。
「……それじゃあ」
「ああ、また明日」
「………ええ」
一定の距離感を保ったまま歩いていた二人の距離は彼女の家の前で大きく広がる。
待っていた使用人が開けた扉から中に入ろうとしていたアウラリアリアはアルハイゼンの言葉に一瞬固まると、すこし困ったように頷いてから去っていく。
彼女が中に入るのを見届けた使用人もアルハイゼンに会釈をするとすぐにその後を追う。残されたアルハイゼンは少しの間、庭のスメールローズを見つめてから特に表情を変えることなく帰路へと戻った。
ほんの少しだけ鼻孔に残る花の香が庭の花から香ったものなのか、彼女のモノなのかはわからない。それでもアルハイゼンを最後にもう一度だけ振り向かせるには十分だった。
◇◆◇
「それじゃあ彼女は今も記憶がないまま……?」
目を見開いてアルハイゼンを見つめるカーヴェは知恵の殿堂で会った時には信じなかったが、ようやく自身が不在の間にスメールに起こったことを呑み込んでアルハイゼンの話を改めて聞く姿勢をみせた。
カーヴェが最も興味を示したのはアウラリアリアに関することだった。ほんの少し前まで当たり前のようにアルハイゼンの家に通っていた彼女が突然来なくなったのだ。別れたのか、なにかその身にあったのか。アルハイゼンが語るよりも早くカーヴェはその異変に気づいていたからだ。
「それは……不安だろうな……。ご両親が共にいるとはいえ、記憶がない以上他人と暮らしているようなものだ……。肝心の恋人もこんな気の利かない太々しい男だし」
「どういう意味だ?」
「君は彼女を安心させる材料にはならないというそのままの意味さ」
「………………」
いつもならカーヴェのくだらない煽りはアルハイゼンになにも刺さらない。
それでも珍しくアルハイゼンの興味を引いたのは思い当たる節があるせいだ。
困ったようにぎこちなく笑う。無理に来なくてもいいと遠回しの拒絶。決して恋人として頼られているとは言えない状況に、アルハイゼンがやきもきしていなかったと言えば嘘になる。
「実際、彼女の様子はどうなんだ? 元はとても明るい子だったけれど、そんなことが起きたんじゃ……」
「変わらないさ。好むものも、喜ぶことも、嫌いなものも、ふとした仕草も」
アルハイゼンから見て、アウラリアリアは本当になに一つ変わっていない。
唯一変わったとするならば彼女との距離が大きく開いたように思えることだけだろう。だが、アルハイゼンは自らそれを言葉にするのは躊躇った。
「……仮に君がそう思っていても」
苦虫を噛み潰したように急に顔をしかめたカーヴェは立ち上がるとアルハイゼンに背を向ける。
「少し用事を思い出したから続きはまた後で聞かせてくれ」
そう言って早々に出ていくカーヴェの背を見送ったアルハイゼンはアウラリアリアに借りたままになっている本を読もうと書斎へと移動した。
相変わらず山積みの本は以前よりも量が増えたため今は二列になっている。
稲妻旅行の期間に借りた物もまだ返していないし、記憶を失くす前の最後の逢瀬となったあの時に渡された本の山はまだ読めてもいなかった。
アウラリアリアと会う約束をしている時間になるまで珍しくやることがない。となればいつものアルハイゼンなら読書に勤しむはずなのだが、ここ最近は本を開いてもなかなか集中することができないでいる。
この現象には覚えがある。それこそ、彼女が稲妻に行くとスメールを離れていたあの時とまったく同じだ。
深いため息をついたアルハイゼンは手に付かない本の山を見つめながら、アウラリアリアの姿を思い浮かべることしかできなかった。
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