18


 アビディアの森にあるガンダルヴァ村を訪ねるのはアルハイゼンの同級生でもあるシラージの研究プロジェクト・ハイブマインドに関する事件を代理賢者として処理したとき以来だ。
 シラージが挙げていた課題「ハイブマインドと進化の道」。人間社会において集合自我を形成できればさらに進化できるという理論のもと行われていたその研究プロジェクトを破綻させるのはアルハイゼンにとって難しいことではなかった。
 操り人形と化し、割り振られた番号で呼ばれ、ハイブマインドの一部として生きることを選ぼうとしたイリヤ―スという学者は、アルハイゼンが道中積み重ねた言葉を「群れ」の中に届ける大きな役目を果たしてくれた。
 シラージ曰く「鳥の羽のような言葉」の力はハイブマインドを破壊するには十分だった。

「言葉の力を軽んじているつもりはなかったが……」

 アウラリアリアに届いていなかったというのなら、それはアルハイゼンの落ち度だろう。
 コレイを待つ間、手元の本に視線を落としていたアルハイゼンだったが相変わらず本を読む集中力は旅立ったまま。
 耳に届く鳥の声を楽しんでいると言った方が正しいだろうに、アルハイゼンは読書の姿勢を崩さない。

「あ、あの……アルハイゼンさん……」
「来たか」
「師匠から話は聞いてるよ。アウラリアリアさんとのことも……」

 おずおずと正面に座ったコレイとの距離は少し遠い。アルハイゼンともあまり親しくないのに突然話してやってくれなどと言われたら怯えもするだろう。

「すまないコレイ。彼女のことならなんでもいいんだ。教えてくれると助かるよ」
「そう、だな……。そこまで長く一緒に居たわけじゃないけど、色々話はしたんだ。アルハイゼンさんのことも話したよ」
「俺のことを?」

 同席したカーヴェが促せばおずおずと語りだしたコレイは昨夜の内から話すことを考えてくれていたようで怯えた様子のわりに話自体はスムーズに進んでいく。

「アルハイゼンさんのことあまり知らないけど、それでも心配だってスメールシティと砂漠の方をずっと見つめてた。ちょうどそこの窓から」

 コレイが指さした窓は確かにその二つが存在する方へ向いている。
 そんな風に考えてくれていたということは、アルハイゼンに対する印象自体は悪いものではなかったということだろうか。

「どう思っていたとかは聞いていないか? 恋人だなんて話信じられないとか、それが嫌だったとか」
「え、嫌では……ないんじゃないかな。むしろ、大切な人なのかなってあたしは思ったくらいだし」
「大切?」

 思わず聞き返せばコレイはすぐに頷いた。
 目の前に置かれていたコップを両手で包むように持つと指同士をこすり合わせるように動かして、まだどこか落ち着かない様子だ。

「あたしモンドに友達がいるんだけど、そういう離れた相手のことを想うのって相手が大事じゃなきゃきっとしないって思うんだ。それに、アルハイゼンさん絵本を残してくれてただろ?」
「ああ……あれか……」
「本の扉に書いてあった『必ず迎えに行く』って言葉。ちゃんと伝わってた。迎えが来るなら大人しくしてなきゃって……じゃなきゃなにする気だったのかはわかんないけど。アルハイゼンさんのかけた他の言葉も同じように響いてるんじゃないかな」

 ようやく少しだけ笑ったコレイはアウラリアリアと交わした言葉を思い出しているのか、どこか懐かしそうに目を細める。
 あんな状態の彼女を残して離れなければならないのが口惜しくて、せめて何か残せないかと足掻いた結果だったのだが彼女にそんな影響を与えていたとは知らなかった。
 もしそうでなければ彼女はアルハイゼンが迎えに来る前に姿を消してしまったのかもしれない。

「君たち結構ギリギリのラインを歩いてたんじゃないか? 下手すれば彼女、街に戻る前に居なくなってた可能性も……」

 そこまで言ってカーヴェが黙る。アルハイゼンが睨んだからだ。

「話は聞けたみたいだね」
「あ、師匠。なあ、あの本は? アウラリアリアさん持って帰ったのか?」
「ああ、うん。あげたよ。もういらなかったしね」
「いらなかった……ってあれアルハイゼンさんの本じゃなかったのか?」

 首を傾げるコレイにティナリは当然だろうと言わんばかりの大きく頷く。

「砂漠からまっすぐここに来たって言うのにどこで仕入れたっていうのさ。いきなり怖い顔で何か本を寄越せっていうから、昔、君に勉強のために読ませてた本を僕が渡したんだよ」
「気づかなかった……」

 コレイの隣にティナリが腰を下ろして四人で囲んだ机は昨夜を彷彿とさせる。
 セノの代わりにコレイが座っているが、記憶を失ったアウラリアリアに詳しい分もしかしたら昨日よりなにかいい案が浮かぶかもしれない。

「僕はすでに昨日聞いていたんだけど、二人はコレイの話を聞いてどう思った?」
「少なくともアルハイゼンに対してマイナスの感情はなさそうだ。むしろ助けてくれた恩人として感謝しているんじゃないか? いきなりあんな大それた計画を聞かされて、その無事を祈るだなんて信じられない相手にはまずしないだろう」
「うん。僕もそう思う。だから記憶を失くしたことでアルハイゼンに対する好感を持てなくなった線はこれで消える。むしろ、危機的状況を助けてくれた異性に好意を抱く可能性の方が高いだろうね」

 学術討論会のように互いの意見を言い合い始めた二人を見つめながらアルハイゼンは己の意見をまとめる。
 少なくとも今のところはアルハイゼンも同じ見解だ。

「なら恋人であるのが嫌になった、という線も消えるんじゃないか? 相手は恋人として優しくしてくれる。縋れる相手も少ない以上、その手を離すのは得策じゃない」

 文字通りなにもかも失ったアウラリアリアは今や両親にすら壁を作っている。
 本人は気を付けているようだがマルムの様子を見ればそれは顕著で、恐らくあの屋敷で彼女が心を開けているのはメイド長くらいだろう。

「あ、あの……」

 二人の討論が加速する中、おずおずとコレイが手を挙げる。
 ぴたりと止まったカーヴェとティナリはそんなコレイにどうぞと言わんばかりに手を差し伸べた。

「大事にしてくれるから、逆に距離を置きたくなったんじゃないか?」
「それはどういう?」
「私も魔鱗病が悪化したことアンバーへの手紙に書けなかった。心配させたくなかったから。アウラリアリアさんもアルハイゼンさんが本当に自分を大事にしてくれてるって感じたなら、同じ風に思ったのかもしれない」

 コレイの語ることには一理ある。大切な存在と様々なことを共有したいと思う反面、相手に知られたくないと呑み込んでしまうのも人の特徴だ。
 だがアウラリアリアには少し当てはまらない。
 なにせ彼女が記憶を失くしていることはここにいる全員が周知している。もし仮に自宅に帰宅してから新たな問題を抱えたというのなら彼女の父親かメイド長がアルハイゼンにそれとなく伝えているだろう。

「……こればかりは本人に聞かないと正確な情報は得られないな」
「やっぱりニィロウやそのディシアって知り合いを頼るしかなさそうだな。女の子同士なら彼女も話しやすいだろうし、どうにか協力してもらおう」
「君の話には参考になった。感謝するコレイ」
「いいんだ! これでアウラリアリアさんが元気になってくれたら嬉しいよ!」

 スメールシティへ帰っていくアルハイゼンとカーヴェにコレイは最後まで手を振っていた。
 その姿が以前のアウラリアリアと重なったが、彼女は今も屋敷の自室に閉じこもっている。
 早くまたあの姿が見たい。自然とアルハイゼンの足は速くなっていた。

◇◆◇

「アウラリアリアさんのことはもちろん知ってるよ。スメールローズがいっぱい咲いてる綺麗なお家に住んでる人だよね? アルハイゼンさんと一緒に祝賀会にも来てくれてたし」

 ズパイルシアターを訪ねれば花形の踊り子であるニィロウには簡単に接触できた。カーヴェはどうしても外せない用事があると言って一緒に来れなかったのですべてアルハイゼンが話しているのだが、ニィロウが物怖じしない性格だったおかげで意外と話は順調に進んでいる。

「ああ、彼女のことで頼みがある」
「私に……? でもアウラリアリアさんのために私ができることって……?」

 彼女とあまり親しいわけでもないのだからニィロウの困惑は当然だった。どこから説明すべきかアルハイゼンが悩んでいると不意に後ろから声がかけられる。

「アルハイゼン? それにニィロウも。二人してなにしてるんだ?」
「ディシアにドニアザード! アルハイゼンさん、二人も一緒じゃだめ? 私一人じゃちょっと……」
「それは俺にも都合が良い。できればこの三人で行って欲しいと思っていたからな」
「なんの話だ? 変なことにあたしはともかくお嬢様は巻き込まないでほしいんだが」

 訝し気にアルハイゼンを見つめるディシア。そしてドニアザードを交えて改めて事情を説明する。
 ボディガードを辞めしばらく経つが、久しぶりにドニアザードと会っていたらしいディシアはアルハイゼンの話に何度か眉間に皺を寄せ、最後まで大人しく聞いたかと思えば深くため息を零す。

「つまり、結局あれからアウラリアリアと上手くいかなかったと。そんなことだろうと思ったよ」
「ちょ、ちょっとディシア……!」
「いいんですよお嬢様。こいつにはこれくらい言ってやらないと」

 焦ったように止めに入るドニアザードを遮ってディシアは呆れたと言わんばかりに肩を竦めてアルハイゼンを見る。

「あんたたちが元はどんな関係だったかは知らないし、アアル村で別れた後のことも知らないけど、ちゃんと腹を割っての話し合いの場を設けなかったんじゃないか?」
「でもアウラリアリアさん祝賀会の時は楽しそうにしてたよね……?」
「から元気だったんだろ。笑っておけばその場くらいは誤魔化せる。元々彼女そういうのを取り繕うのが上手いタイプだったんじゃないかな。例え覚えてなくても身に付いたものっていうのは忘れない。本人も無意識だったのかもしれないし、だとしたら相当ストレスが溜まっているはずさ」

 ディシアの言葉にどうなの?というニィロウの視線がアルハイゼンに向けられたが、黙って頷けばニィロウはもちろんドニアザードも心配そうに表情を曇らせる。

「私も彼女のことはあの席でしか知らないけれど、だとしたら心配ね……。私たちでよかったら彼女の話を聞きに行きましょう。ね、良いでしょうディシア?」
「お嬢様が良いならあたしは構いませんけど……。会いに行って簡単に顔を出してもらえるもんなのか?」
「それはわからない。毎日訪ねてはいるが俺はもう何日も姿かたちも見ていない」
「完全に拒絶されてるじゃないか……。どうにかして家の中に入れてもらうか、外に出てきてもらえない限り話を聞くどころじゃないぞ」

 当然ぶつかる壁に一同は困り果て会話が途切れる。
 重いとは言わないが、長く続く沈黙は誰もこの問題に対する答えを持ち合わせていない証拠だ。

「あら、アルハイゼンさま……?」

 ふと名を呼ばれ、振り向いたアルハイゼンは自分の名を呼んだ人物の傍にすぐさま歩み寄る。

「すまないが、力を貸してもらえないだろうか」
「まあまあ……お嬢さまのことですね?」

 何も言わずとも察して頷いたのはアプフェルシュランケ家のメイド長だった──。

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