幕間3


 家に引きこもったまま何日が過ぎただろう。アルハイゼンさんはあれからも毎日会いに来てくれている。
 来ないで、と言ったのに……と思う反面、少し嬉しいのと同時に虚しくなる。
 アルハイゼンさんは一体誰に会いに来ているんだろう。
 ……もちろん、私なんだけど。そうじゃなくて、記憶がない私は彼の恋人だった私じゃない。会い続けてなにかを思い出せるわけでもなく、彼が好きだったアウラリアリアはもうここにいない。
 今彼女の部屋でベッドに横になっているのは、彼女と同じ外見をしたまったくの別人といっても過言じゃない。
 私にはアウラリアリアという名前で彼に呼ばれる権利もなければ、愛される資格もない。それは記憶のある私に与えられるべきものだ。
 記憶を奪われた被害者なのに?考えすぎじゃない?きっとそう思う人もいるだろう。
 だけど目が覚めた時に記憶のなにもかもを失っていた私にとって、記憶を奪われたという経験はほとんど他人事。だって最初からなかったら持っていなかったのと同じなんだもの。
 出会った多くの人々が以前の私と今の私の違いを教えてくれた。
 明るくて元気だった私。──暗くて浮かない表情をしている。
 いつも笑っていた私。──泣いてばっかり。
 アルハイゼンさんが好きだった私。──今の私じゃない。
 ……そういえば、アルハイゼンさんだけは私が変わったとは言わなかった気がする。
 街で会った人は誰もが記憶のある私と比較してきたのに、アルハイゼンさんは黙って見つめてくるばかり。
 どうせなら言葉をぶつけてくれればよかったのに。
 思い出して欲しいとさめざめと泣いてくれれば「そんなの無理よ」って現実を突きつけてもっと早く彼の前から去ることができた。
 なのに、実際の彼は記憶がない私にずっと優しかった。
 頬に触れる温もりも、腕を引っ張る大きくて優しい手も、視線も、言葉も、態度も、……なにもかも。
 まるで“記憶のないアウラリアリア”が愛されているのだと勘違いしてしまうほど、以前の私を本当に愛していたのだと全身で伝えてくる彼のことを好きになってしまった。

「お嬢さま、今アルハイゼンさんがお帰りになりましたよ」
「……ありがとうばあや」
「わたくしのお役目ですから」

 さっと背を向けて部屋を出るばあやには目もくれず、窓際に駆け寄る。
 今日もカーテンの隙間から屋敷を去る彼の姿をじっと見つめる。
 ああ、彼はあと何度来てくれるんだろうか。
 自分で拒絶した癖に、来ないでと言ったのに、また明日も来てほしいって願ってしまう。

◇◆◇

 私が戻ってきてから屋敷の空気はずっと重い。
 マルムさんとメレットさん……お父さまもお母さまも明るくしようと努めてくれているけど、肝心の私がから元気なせいで乾いた笑いばかり。
 お二人とも忙しい人で、お父さまは教令院へ、お母さまも商談があると日中はほとんど家にいない。広い屋敷に残っているのは使用人と私だけ。
 その私も二人が帰ってくるまでは部屋に籠っているからそれ以外の屋敷の様子はわからない。
 唯一、定期的に部屋を訪ねてくれるメイド長……ばあやだけが他の人とは違う空気を放っている。
 なんというか、少し怒っている……のかもしれない。
 長年この家に仕えているというだけでもちろん態度には出さないし、なにかを言われたわけでもない。けれどいつも最後に物言いたげに私を見つめながら扉を閉じる。
 アルハイゼンさんに連れ出されて外に出ていた時はそうじゃなかったから、私の選択を怒っているのかもしれない。
 記憶のない私が勝手にアルハイゼンさんを突き放したから、もし元に戻れたときにどうするんだ。みたいな、そんな怒りを抱えているのかも。
 毎日屋敷を訪ねてくれる彼の対応もすべて彼女がしてくれているみたいだし、アルハイゼンさん絡みでなにか不興を買ってしまったのは間違いないだろう。
 寝転がったままベッドサイドに備え付けられている棚の上に唯一置いてある絵本に手を伸ばす。
 本の扉に刻まれた『必ず迎えに行く』という文字だけが今の私の心の支えになっている。
 もう過ぎたことなのだからおかしな話だけれど、これは『ガンダルヴァ村に残った私』に向けられたものだから記憶がない私に向けられた彼の言葉だ。
 彼を忘れられない限り、私はずっとこの言葉に縋って生きていくんだろうか。

◇◆◇

 アウラリアリアの部屋は実に女の子らしい部屋だった。
 可愛い小物やお洋服にアクセサリー。装飾はリボンが好きだったのだろう、いろんな色やサイズの物が取り揃えられている。
 他に特筆すべきは大きな本棚。お父さまのものには負けるけど、彼女もかなりの本好きだったみたい。
 難しい本はないけれど、イノシシプリンセス、蒲公英の海の狐、森の風に帝君遊塵記といった物語や詩集が多く揃っている。
 装丁が可愛らしい本は飾りの役割も果たしていたのか棚には納められずに表紙が見えるように飾られていて、彼女の趣味趣向はなんとなくわかった。
 日記の類は残念ながら存在しなかった。ばあやに聞いたところ彼女は文字で記すよりは直接語る派だった。お父さまやお母さま、お二人が捕まえられなければ使用人を相手に日々の出来事を語っていたのだという。
 もし記録が残っていたらアルハイゼンさんとどう知り合ったのか、どこを好きになったのか、彼女の言葉で知ることが出来ただろうに残念だ。
 アルハイゼンさんを拒絶した一方で、彼が愛していた彼女の面影を探し続ける私は愚かで滑稽だ。
 彼女のことを知ることができれば彼が愛していた私になれるかもしれないなんて馬鹿げた夢を見続けている。

◇◆◇

「お嬢さま、明日ご友人をお招きしてもよろしいですか?」
「友人……? って誰?」
「以前祝賀会に参加したときに面識が出来たとおっしゃっていたニィロウさま、ディシアさま、それにフーマイ家のドニアザードさまです。今日買い出しの際に偶然お会いしまして、お嬢さまにも会いたいとおっしゃっていたので」
「ああ……彼女たち……」

 どうしよう。正直、そこまで親しい間柄というわけではないのにどうして?
 三人はあまり以前の私を知っているというわけではなさそうだったので会ってもいいかもしれないとは思うけどあまり気乗りしない。
 アルハイゼンさんに繋がる人には会いたくない……。

「もちろんお嬢さまのご気分がすぐれないようなら、わたくしの方からお断りいたします」
「ちょ、ちょっとだけ考えさせて」
「かしこまりました」

 ずっと家に引きこもってばかりだし、それで少しでもお父さまやお母さま、使用人のみなさんを安心させられるならいい話かもしれない。
 私が完全に外とのつながりを断ち切ったことをみんな気に病んでる。
 彼女たちならアルハイゼンさんとさほど親しくないだろうし大丈夫だろうか。
 一緒に行動していたこともあるディシアさんはずっと彼のことを呆れた目で見ていたというか、反りが合わなさそうな印象だったから仮に彼の話になったとしても一方的にあちらの味方をするということはないだろう。
 ニィロウちゃんとドニアザードさんについては……わからない。

「……えっと」

 返事を待っているのか。穴が開くほど見つめてくるばあやは微動だにしない。あまりの圧に耐えられなかった私は結局熟考することができなかった。

「じゃあ……会うわ……」
「ご了承ありがとうございます。では、明日のお昼過ぎにはいらっしゃると思いますので」
「わかった、……ありがとう」

 家族と使用人以外の人に会うのは久しぶりだ。
 ちゃんと準備しなければ。お友達と会う時、アウラリアリアはどんな雰囲気だったんだろう。

◇◆◇

 アウラリアリアとしての正解なんてわからなくて、いつも通りの格好で部屋を出た。ばあやは特に何も言わなかったからこれで正しかったのかも。
 客間で彼女たちを待つ間そわそわして落ち着かない。急に会いたいなんてどうしたんだろう。本当に偶然ばあやに会ったから?
 あれ?でもどうしてあの三人がばあやの顔を知っていたんだろう。
 ふと湧いた疑問が頭から離れなくなる。

「ねえばあや?」

 なら直接本人に聞けばいい。そう思って私が顔を上げると何故かばあやは逃げるように「お茶菓子の準備がありますので」と部屋を出て行った。

「…………あやしい」

 なんだかやましいことがあるみたい。一度そう見てしまえば、その印象が離れなくなる。
 ばあやに逃げられてしまった私の耳を打つのは部屋に備え付けられた時計の針が進む音だけ。
 カチカチと鳴るそれがカウントダウンのようでますます居心地が悪くなる。
 とんでもない過ちを犯してしまった気がする。今からでもこの失敗は取り戻せるだろうか。
 やっぱりやめたいってお願いしたらばあやは彼女たちを追い返してくれるかも。
 そんな淡い期待を込めて立ち上がったけれど、無情にも訪問を知らせる鐘の音と共にばあやが彼女たちを迎え入れる声がする。
 あまりに早いその対応に確信が持てた。

「お茶菓子なんて、嘘ばっかり……」

 キッチンと玄関の距離は……言うまでもないだろう。

◇◆◇

 軽く挨拶を済ませた後、ディシアさんが単刀直入に聞いてきた。

「それでアルハイゼンのことはなんて言って振ったんだ?」
「ディシア⁉」
「もっと聞き方があるでしょう⁉」

 あまりにからっとした態度に私は目を丸くして、一緒に来た二人の方が焦ったように椅子から少し腰が浮く。

「こういうことを遠回しに聞くなんてあたしは面倒で好きじゃないんだ。それに、あいつの言い分ばっかり聞いてちゃあんたに悪い。もし本当に迷惑だからって話ならあたしの方からケリをつけてやってもいい」
「それは……」

 わかりやすくて。好感が持てる。こういうのをかっこいい女性というんだろうか。
 もちろんニィロウちゃんやドニアザードさんのように気遣ってくれる人も素敵だと思うけど、今の私に足りないのはこうした豪快さなんだと思う。
 やっぱりと言うべきか、三人はアルハイゼンさん絡みで私を訪ねてきたのだからもう逃げ場はない。
 これがカーヴェさんやティナリさん、セノさんのように彼と近しい男性だったら確実に逃げられたのに同性を選んだことやばあやを巻き込んだのは流石としか言いようがない。
 特にばあやを引き入れられたのが凄い。だって、そうでなければ私は絶対に誰とも会わなかった。
 自分の部屋で彼の手を放したことをずっと後悔して、涙が枯れるまで……枯れても泣くことしか出来なかった。

「笑わないし、怒らないって約束してくれる……?」

 これは凄く凄く自分勝手で面倒で、我ながら困った女の話だと思う。
 話を聞いて三人がどちらの味方に付いてくれるかなんてわからない。
 でも、もう自分の中に溜め込んでおくのも限界だった。

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