19
メイド長を信頼していないというわけではないが、アルハイゼンは一日中ディシアたちがアウラリアリアに会えたか心配だった。
彼女が断る可能性も十分にある。そうなればまた別の手段を考えねばならない。
だが運は確実に味方をしている。あの場面でメイド長に出会えたのがなによりの証拠だ。
仕事に私情を挟まないことを信条にしているアルハイゼンは束の間の休みを終えてしまい、まだまだこの件の解決が見込めないまま教令院で代理賢者としての仕事を全うするほかなかった。
と言っても辞表は無事に受理され、明日からはまた書記官としての日常が戻ってくる。
旅人と出会ってからの忙しい日々がようやく元に戻ろうとしている。……彼女がいないことを除いて。
アルハイゼンの聡明な頭脳をもってしても、いまだ的確な解決策は思い浮かべていない。
アウラリアリアという女性は本当に厄介だ。起源を追求することを禁じられた文字や言語のように永遠に答えの見つからない疑問は世の中に多くある。彼女に対して次から次へ生まれていく疑問もアルハイゼンにとってはそれと同じだとも言えるだろう。
だが、彼女のことを知りたいという欲求も、彼女の心を暴くことも罪にはならない。
例え誰が諦めようとアルハイゼンはこの探求を諦めることはない。
時計が退勤時間を指すのと同時に教令院を出たアルハイゼンは足を迷いなく運び、アプフェルシュランケ家の屋敷を訪ねる。
彼女と過ごす時間がアルハイゼンの日常に溶け込んだように、こうして彼女を訪ねる日々もアルハイゼンの日常に当然のように存在するようになった。
存外、彼女を感じられるので屋敷に赴くのは好きだ。庭に咲いているスメールローズの香りは必然的に彼女に繋がる。
スメールローズをすっかり気に入った今では家のリビングのみならず、教令院内の執務室にも置いている。
自身はあまりあの部屋に滞在することはないが、書類や手紙を確認しに戻った時や、執務室を訪ねた他者があの花を見てアウラリアリアのことを連想するのが心地よかった。
彼女が記憶を失ってから堂々と手を繋いで歩いていたこともあって二人が付き合っているという噂はスメール中を駆け巡った。
実際には別れを切り出されている状況だが、噂話でしかアルハイゼンたちを知らない者にはそんなことは関係ない。
だが、他人に周知されていることの大事さは嫌というほど思い知った。
もっと前から彼女は己のモノだと知らしめておけばよかった。それでも攫われ、記憶の抽出は行われたかもしれないが、少なくとも戻ってきた彼女がこんななにも惑わされることはなかっただろう。
彼女に対する好意を抱え続けた者が突発的な行動を取ることも防げたかもしれない。
振り返って後悔ばかりするのはアルハイゼンらしくないが、この件についての後悔は尽きることはない。
いつも教令院から彼女の家への道中はスメールローズの香りが鼻孔を掠めるその瞬間まで、そんなことばかり考えてしまう。
今日も同じようにアウラリアリアのことばかりを考えながら歩いていたアルハイゼンは門の前に来るまで異変に気付かなかった。
「アウラリアリア……?」
屋敷の庭に誰かがいる。後ろ姿だが、見間違えるはずがない。
名を呼べばゆっくりと振り向いたその人物は瞬きと共に静かに涙を零す。
「アル、ハイゼン……さん……っ」
急いで門を押し開けて傍に駆けよれば、彼女の方から縋ってきてアルハイゼンの動きが止まる。
胸元に顔を押し付けて泣く姿に戸惑ったアルハイゼンの手は彼女の肩を掴みかけては一旦止まり、すぐに背中へとまわされる。
「なにかあったのか?」
「…………ん、……ううん……っ違うの……」
しゃくりあげて泣く彼女の言葉は途切れ途切れで、それでもアルハイゼンは辛抱強く彼女の言葉を待つ。
会えなかった毎日を思えば、腕の中の彼女が落ち着くのを待つなんてたいしたことじゃない。
落ち着かせるように背中を叩く。庭の真ん中で抱き合うなんて彼女と出会ってから今の今まで考えられなかった。
門の外では通行人が「あら」「わあ」「マジかよ」「嘘だと言ってくれ!」と声をあげる。
あまり彼女のこの姿を見られるのは本意ではないが、こうなれば彼女が自分のモノだと知らしめる良い機会にも思えてしまう。
自分だけが知っていればいいなんて傲慢だった。誰もが知り、誰もが羨む恋人に今からでもなろう。
まあ、それもアウラリアリアにこの間の発言を撤回させなければいけないのだが、アルハイゼンは己の勝ちを既に確信していた。
「アウラリアリア……?」
「……怒ってる? この間のこと……それに今日まで無視したこと」
「無視? 俺は君が体調を崩していると聞いていた。会いたくても会えなかったんだろう。それは仕方がないことだ。健康状態を万全に維持するのは社会人として当然の務めだが、君は事件に巻き込まれたばかり。精神的にも肉体的にも不安定になっておかしくはない」
「あぁ……えっと、それは……」
「もし仮にこれが偽りだったとしても、俺は別に君に対して怒りを覚えない。顔を会わせたくないと思うこともあるだろう」
「あの、その……」
矢継ぎ早に畳みかければ少し体を離したアウラリアリアは口をぱくぱくとさせ言葉を失う。
「君の傍に居る者として異変があればすぐに気づくべきだと観察ばかりに集中していたことは謝ろう。だが、君はなに一つ変わっていなかった。記憶がないのは確かに不都合なことも多い。思い出の共有とは恋人同士が行う愛情表現の一つとして大切な行動の一つだ」
口と同じように、アウラリアリアの瞳がパチパチと瞬く回数が増えていく。
「だが、失くしたのであればまた作ればいい。行方のわからない缶詰知識が見つかる可能性もゼロではない。先ほども述べた通り、俺は君が変わったとは思っていない。すなわち、君へ抱く感情に変化はない。それに──」
「す、ストーップ! お願い! まっ、待ってってば。お願いだから……!」
アウラリアリアの両手がアルハイゼンの口を塞ぐ。
ぐっと押し当てられた手のひらの柔らかさと懐かしさにアルハイゼンは目を細める。
アルハイゼンが止まったことを確認するとアウラリアリアはゆっくりとその手を離し、アルハイゼンの瞳を覗き込む。
「……あなた……凄く喋るのね……?」
「知らなかったか?」
「……全然。ずっと見てくるだけだったから」
「なら、これから知ればいい」
「教えてくれるの……?」
「君はいつもそれを望んでいるからな」
困ったように眉をハの字に下げたアウラリアリアの口角が少しだけ上がった。
◇◆◇
アウラリアリアに手を引かれ、屋敷の中へと通される。
すました顔で玄関の傍に立っていたメイド長に促されるまま通されたのは彼女の部屋だった。
「流石にあれ以上外では……」
「何故だ。君と俺がどれだけ想い合っていたのかわからせるには良い機会だっただろう」
「ご近所歩けなくなっちゃう!」
「周囲の目を気にする必要はない。それに、俺は君との関係を聞かれるたびに恋人だと答えている。執務室に飾られたスメールローズを見ただけで噂が信憑性の高いものだと納得し、直接問いかけてくるものも最近は減ってきた」
「なんっ……」
ベッドに二人で腰かけて、恥ずかしそうに顔を俯かせていたアウラリアリアはアルハイゼンの言葉に硬直する。
固まったままのアウラリアリアの頬を撫でればくすぐったそうに首を竦めて手から逃れようとするので距離を縮めた。
「……びっくりして聞きそびれちゃったんだけど、アルハイゼンさんは記憶が無くなった私のことをどう思っているの?」
「先ほども言っただろう。君の記憶という名の海馬に保存された記録が失われたことで行えなくなったことはある。だが、俺の君への愛情は記憶の共有が出来なくとも変わらない。君がたとえ元の自分との類似点に気づかなかったとしても、俺は君のすべてを知っている」
「す、べて……」
もじもじと恥ずかしそうに俯く理由もアルハイゼンには手に取るようにわかる。
「言葉の通り、君のことで俺は知らないことはないと言ってもいいだろう。ふとした仕草も、好むものも、……どんな風に触れられると喜ぶのかも、知っている」
恥ずかしそうに視線を彷徨わせたアウラリアリアの手にわざとらしく触れたアルハイゼンはさらに距離を縮める。二人の間にはもう誰も割り込めない。
「こうして無防備に同じベッドに座るところも変わってないな。俺のことを男と意識していない」
「あ、あなたが隣に座ったんでしょう!」
「手を引いて座らせたのは君だろう」
「ちがっ……わないかも……。私ってば、なんで……?」
首を傾げて己の行動に対して疑問を覚えたアウラリアリアは口をきゅっと結んで黙り込む。
「……君が自分のことをわからなくてもいい。俺が知っている」
「私は……私のことも、アルハイゼンさんのことも、知らない」
「以前の君も俺のことを何も知らなかった。そんな君が俺すら知らない俺を引き出したことすらある。大丈夫、俺が教えてあげるから」
「……まずは何から教えてくれるのアルハイゼンさん」
アウラリアリアの問いかけにアルハイゼンは考える。静かに目を伏せ、もう一度特徴のある綺麗な瞳が顔を出せば夕陽を反射して輝いた。
「名の呼び方から。──君にそんな風に呼ばれる覚えはないからな」
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