08


「っ…………!」

 喉をひきつらせたような悲鳴と共に掛け布団が剥がされた。
 朝日が差し込む部屋の中、壁際限界まで逃げだしたアウラリアリアが口をぱくぱくとさせる姿が目に入る。
 眠気に抗いながら身を起こしたアルハイゼンはため息をつくと言い訳染みているなと思いながらもお決まりのフレーズを口にした。

「なにもなかった。安心するといい」

 無実を証明するように両手を上げて身を見せるように広げればアウラリアリアはようやく落ち着いたのか口を閉じる。

「お、おはよう……」

 それでもやはり羞恥は残っているのか、掛け布団で顔を隠すと小さな挨拶が飛んでくる。

「ああ、おはよう」

 そのまま潜り込んでしまいそうな勢いで顔を隠してしまったアウラリアリアをじっと見つめていると急に彼女が跳ねるようにベッドの上から飛び出した。

「大変、私お泊りしちゃった! パパに怒られる!」
「……パパ?」
「あっ…………」

 咄嗟に出た言葉だったのだろう。慌てて口を塞いだアウラリアリアはこちらを見やるが動きがギギギと錆びついたように遅い。

「……お父さま」
「言い直さなくていい。本当はそう呼んでいるのか」
「…………絶対に内緒よ。外ではダメって言われてるんだから」
「さあ、約束はできないな」

 また一つ、新たな一面を意外な形で知ることになった。
 観念したように項垂れたアウラリアリアはやっと冷静になったのか、ベッドに腰かけていたアルハイゼンの隣に座ると肩に頭を預けてくる。

「君が父親に叱られるようなことがあれば俺が口利きをしてあげよう。俺たちは恋人同士なんだ。なにも問題はないだろう」
「それはお父さまも知ってるけど……」

 ……もう知っているのか、とは言えなかった。
 まあ彼女の父親は勘も良ければ頭も切れる。元々自分たちがこういった関係になることすらも予期していたとしてもおかしくはない。

「パパで構わないが?」
「ダメ! もう……本当にダメなんだから……。……子供っぽいって思うでしょう?」
「それはどうかな」

 どちらかと言えば彼女の中身を知っている分その方が似合っているとも思わなくもない。
目覚めてから頬を赤らめたままのアウラリアリアはもじもじと言いにくそうに言葉を紡ぐ。

「アルくんには今更隠しても仕方がないと思うけど、本当の私ってそうなのよ。大きなお家のお嬢さまなんて言われて、育ちが良くてお上品だとか。そんなの上辺ばっかり」

 口を尖らせたアウラリアリアの拗ねた口調は確かに子供のようだ。
 しかし正面の鏡に映し出されたアルハイゼンにもたれかかる姿がどこか色気すらも感じさせるのは顔にかかる艶やかな長い髪の織り成す影のなせる業か。それとも立派な果実のように熟した身体が放つ色香と言うべきか。

「お料理だってそんなに上手じゃなくてすぐ焦がしてしまうし、お父さまにはお転婆すぎると揶揄される。街中ですれ違う人たちはそんな私を知らないわ」

 柔らかな温もりを遠慮なく預けられるのは信頼されている証拠なのだろう。ベッドの上で無防備すぎると指摘するのは簡単なことだが、寝起きの様子を見るに男女の営みを知らないというわけではなさそうだ。
 確かにアウラリアリア自身が語るように、子供と大人の狭間のような場所に彼女は存在しているのかもしれない。そんな部分がまた周囲を狂わせる要因になるのだろうか。

「……君はそんな自分を周囲に知ってほしいのか?」
「いいえ。だってなにも変わらないもの。それで変なことが起きなくなるなら、私今頃街の中央でパパママって大きな声で叫んでるわ」

 でも……。と小さく続けたアウラリアリアがさらにアルハイゼンに身を寄せる。ぴたりと既に身体はくっついていて、これ以上近づきようがないのに寄り添う手に力が入る。

「アルくんにはちゃんと知ってほしい……。それにもっとあなたを知りたい。……ねえ、ひとつ聞いてもいい?」

 どこか緊張した声音で問うアウラリアリアは寄せ続ける身体とは裏腹に視線は遠くを見つめてアルハイゼンを見ようとしない。
 そんな彼女の頭頂部をじっと見つめていれば無言を肯定と受け取ったのか、少し震えてからアウラリアリアの声がアルハイゼンの耳を打つ。

「あのとき助けてくれたのって、アルくんなんでしょ?」

 いつかと同じように、アウラリアリアは胸元の神の目に触れる。

「私ね、お父さまが急にあなたのことを話してくれたときにすぐにピンときたの」
「…………」

 黙ったままのアルハイゼンにもう一度すり寄ったアウラリアリアがこちらを見る。少しうるんだ瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだ。

「違うならそれでもいいの。だって、私……貴方のことがそんなこと関係なく本当に好きだから。けれど、あれがアルくんだったならちゃんとお礼を言いたいの。ねえ、違うの……?」

 縋るような声音は言葉とは裏腹にそうなのだと頷いてほしそうで、アルハイゼンは息を吐く。
 彼女の問いかけはあまりにも半端で、思い当たる節がなければなんのことだと疑問を口にせねばならなかっただろう。
 けれどアルハイゼンは違う。脳裏に当時のことが過る。あれはまだ、アルハイゼンの教令院での立場がただの学生だった頃の出来事だ──。

◇◆◇

 学生時代のアルハイゼンは努めて理性的に慎ましく生きていた。というのは本人の自己評価にすぎないが、今のような振舞いはしていなかったと自負している。
 だからこそ周囲のおかしな行動はすぐに目に入った。
 おかしい……というよりは異様と言うべきか。ある日を境に学者や生徒が一人、また一人と姿を消すことが続いた。
 教令院は狭き門であり、入学後も決して楽ではない。ほんの短期間で卒業していく天才もいれば、何年経っても卒業することができないものすらいる。
 そんな苦行染みた生活から逃げ出す者は少なくはない。姿を消した生徒たちもそんな自主退学者だと思われていた。当然、研究関連の事件性がなければマハマトラは動かないし、彼らを探したのは家族に雇われたであろう傭兵だけだった。
 もちろんアルハイゼンは行方不明者を探してやろうなどと慈善的な行動を取る性格でもなければ、彼らの行方にもたいして興味はなかった。だが、目に付いた違和感を放っておくことが出来なかったのが最初のきっかけと言えるだろう。

「君がそんなに懸命に向き合うなんてなにを読み漁ってるんだ?」
「ただの謎解きのようなものだ」

 当時、小さな衝突はあったもののまだ共同研究を行っていたカーヴェの疑問はもっともだった。アルハイゼンにとって大半の書物は読み解くのになんの苦労もない。わからない、理解できないと悩む時間などないに等しい。
 そんなアルハイゼンが一つの資料の同じページを何度も読み返しては別のページと見比べるというごく一般的な学生と同じような行動を取っているのだから異様に映ったことだろう。
 カーヴェが見守る中、ほんの数分で古文書を読み解くように資料と聞き込みで得た情報を照らし合わせ整理すれば答えは簡単に出た。
 顔を上げれば手元を覗き込んでいたカーヴェがアルハイゼンの文字に目を丸くし、「どうするんだ」と近くには自分たちしかいないのに小さな声で冷や汗をかきながら問う。

「マハマトラに通報するのが道理だろう」
「それはそうだが……」

 カーヴェの視線がとある部分を注目して離れない。
『連日消えた者は首謀者に操られている可能性大。それ以前より行方がわからないというラウル・アプフェルシュランケの娘は実験に巻き込まれたか、犯人の動機に関係有。早急に以下の地域の捜索を──』
 夕飯の材料をメモするかのようにさらりと書き上げられた文字はその綺麗さに反し緊急を要するものだ。

「君のことだからもう大まかな場所の目星もついているんだろう? なら通報は僕がしておくから現地に急いでくれ!」
「は? おい、カーヴェ!」

 突然ガタリと音を立て、机にぶつかりながらカーヴェは駆けて行く。
 残されたアルハイゼンは深く息を吐くとカーヴェとは違いゆっくりと立ち上がる。一学生であるアルハイゼンには通報以上の義務はない。この先の調査は教令院の風紀を取り締まるマハマトラに任せるべきだ。
 だが、これだけの情報をただの学生が揃えられるというのに、自分よりもよっぽど権限があるマハマトラが解決の糸口さえも見つけられず手をこまねているのもまた事実。
 ほんの一瞬だけ考え込んだアルハイゼンは資料もそのままに知恵の殿堂を後にした。
 


 アパーム叢林へ足を運んだアルハイゼンは巨大な樹木が張った根の作る空洞を覗き込む。こんな場所に一般人はあまり寄り付かないし視界も悪い。失踪者の捜索が難航した理由も頷ける。そんな空間を利用して研究所は地面深くに作られており、ひどく荒れ果て、とても人が暮らしているとは思えない環境だが、攫ったものの命をなんとも思っていなければ監禁場所には都合が良い。
 こんな危険な場所に潜り込んでも怪我の一つも負わない自信がある程度にはアルハイゼンの戦闘能力は優れていた。平穏で安定した生活を送るにはいくつかの条件があり、アルハイゼンはその条件を満たすことを当然としていたからだ。
 臆することなく研究所の奥に進むアルハイゼンが堂々と内部を闊歩していると虚ろな瞳で何らかの研究に夢中になっている学者や学生の姿が目に入る。
 物音を立てても近づいても彼らは無反応で、やつれたその顔は何日もまともな生活を送っていないことをものがたる。
 学者たちが装着したアーカーシャが正常な緑色ではなく赤く染まり、アルハイゼンの推測通り今回の事件はアーカーシャシステムを悪用した倫理に反するものだということを確信させた。
 主犯と思われる学者──セグロは何日も街を離れている。恐らくこの研究所のどこかに籠っているのだろう。
 いつ操られている者たちが侵入者である自分に襲い掛かってくるとも限らないが、主犯であるセグロを捕まえればすべては丸く収まるはず。
 反応を示さない学者たちを放置し、アルハイゼンはさらに奥へと進む。
 時折彼らの傍らにあった資料に目を通してみたが教令院に残されていた以上の結果は得られていないようだ。
 セグロはアーカーシャシステムを悪用し、特殊な機関を用いてとある条件に合った者を集めてはその脳を操作していた。操られた学生たちは機械のようにセグロの命令を聞き、彼の研究をより発展させるために不眠不休での労働を強いられていたのは明らかだ。
 奥へ続く扉から漏れるアーカーシャを濁らせていたのと同じ赤い光が見え、あそこが目的地だと確信させる。アルハイゼンの足が急ごしらえの脆い床を強く踏みしめた。

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